どうせあたしはマイノリティー

 ――ななおちゃん。やっぱりそれ、おかしいよ。


「うっさい。ンなこと解ってる」


 ――絶対無理。アタシ、そんな趣味ないし。


「うっさい馬ァ鹿アンタなんかこっちから願い下げよ」


 ――お姉、あんまりそれ、お外で言わない方がいいよ。


「黙ンなさいよ三葉みなは、もうあたしに関わんないで」



 昔冒したおろかな過ちが、見たくもないのにアタマの中を駆け巡る。あの頃のあたしは若かった。嗜好の違うひととだって、話せばきっと解り合えるものだと信じてて。

 そんなの、大人の撒いた嘘っぱちでしかないのにね。


 ヒトは誰しも、他の誰にも言えないヒミツを抱えている。親友とは、そんな秘密を気安く言い合える仲だとは母の弁。

 きっと私は、生まれてくる時性別を間違えたのだ。如何なオトコを前にしてなお、ココロときめく想いなどしたことがない。


 結局、オトナになっても何も変わらなくて。だったら、もう死ぬまでずっと変わらないのだろうと諦めて。

 ああ、なんで私は『こんな風』に産まれてしまったのだろう。『それ』が原因でないのは解ってる。判っているけど、呪わずにはいられない。



「ね、ね。それ、あなた宛じゃない?」

「私……ですか?」

 そんな時だっただろうか。

 夢野美杉・とペンネームが振られた、あの封筒が我が元に送られてきたのは。



……………………

…………

……



「また、あの夢」

 ベッドの横で鳴り響く目覚まし時計に空手チョップを浴びせ、微睡む頭をさっと振る。

 あれから、果たしてどのくらい経ったのだろう。言われるがままにひたすら仕事、帰って、食べて、起きて――。ルーチンワークをこなすうち、曜日の感覚が無くなった。


「そうね。仕事、行かなきゃ」

 野暮ったい藍色の寝間着を脱ぎ捨て、ワイシャツに袖を通し、焦茶のバレッタで髪を掻き上げる。

 もうだいぶ陽も高い。代わり映えのしない一日の、はじまりだ。



※ ※ ※



「それじゃ、みんなの進捗を聞いてこうか」

「ええと、『エア・ウォークの少女』の次巻ですが、強化策としまして、現在戦闘中の敵組織に加え、第三勢力の参戦を作者に要請しております」

「ん。では、次」


「はい。此方の『異世界対糞現実リアル』ですが、幸いなことに一巻目からご好評を頂いておりまして。次巻以降もこのノリを、と既に通達しております」

「結構。けど、『クソ』ってのがタイトルを冠するのはなんかなあ。今直ぐじゃなくていいけど、何か検討しといてよ」



 頭が、割れんばかりに重い。視界が霞み、手元の資料すらぼんやりだ。

 茉莉が死んだあの日から、ずっとこう。何を食べても砂を噛んでいるようで、耳を通して聴こえるものは何処か音が飛んでいる。

 上代茉莉は死んだ。もういない。それは解かる。分かっている。此の目であの柔な身体が骨と成るのを見守った。生き還るはずがない。


 だのに、その事実を私自身が認められないでいる。生きていて欲しかったと願っていた自分がいる。

 あんな手紙など嘘だ。連載を続けてさえいれば、いつかひょっこり『ただいま』と帰って来てくれるものと信じていたのに。



「じゃあ次。桐乃君、桐乃くゥん」



 私には、あの子が死を選ぶ理由がわからない。何か悩みがあるのなら、私に直接言ってくれれば良かったのに。雑葉大ではなく、私を頼ってくれれば、あの子だってこんな風にはならなかった筈なのに……。

 ああ、上代茉莉。貴女はどうして死んでしまったの。どうして私を連れて行ってくれないの。私だって、このクソッタレ極まりない現実から出てゆきたいのに。


(ナナちゃん。ナナちゃん。呼んでるよ)

 肩を指でつつかれ、薄れ行く意識を無理矢理現し世に繋ぎ止める。そういえば、今日はF書房ラノベ部門の進捗報告だったっけ。手元の資料を雑に漁り、流し見る。

 トーン・フィルターが掛かったようなその視界からは、如何な文章も読み取れなかった。


「オイオイ、どうしたの菜々緒ちゃん。何か、不都合でもあった?」

 視界が濁って判然としないが、あれはおそらく編集長だろう。興味本位の質問から、少し語気が強まり、叱責せんと構えを取っているように見える。


 これ以上誤魔化すのは無理だ。となれば後は、

「はい。夢野美杉先生の『ガーディアン・ストライカー』ですが、第五巻発売に向け、縦筋強化に臨んでいます。作品を通した強敵・超人"九番"との邂逅、ヒロイン茉莉花の窮地、主人公ストライカーの強化形態の前段階、伏線張りに終始してもらいます」

 言ったもんがちのぶっつけ本番。まだアイツにも話していないが、どうせ机上の妄言。本気と取る奴など此処にはいない。


「流石菜々緒ちゃん。プラン構築も早いねぇ」

 当然だ。全部、アイツのふわふわとしたアイデアに、私が串を差して芯を通したのだから。

「けどさ。キミ……大丈夫?」

「大丈夫、とは?」

 ふと、辺りを見回して。私を見る皆の顔が不思議に曇っているのに気が付いた。

 何故そうも暗い顔を。私は私、桐乃菜々緒。何を不安に思うことがある。


「ナナちゃん、少し休んだ方がいいよ。有給、結構溜まってるんでしょ」

「ま、キミ一人抜けたって特段何が変わる訳でもなし。好きにしなさい」

 待って。ちょっと待って。どうしてみんなそんなことを。わたしは、まだまだ、働け……。


「あぁ、もう言わんこっちゃない!」

「タンカ、担架持って来て。救急車来るまで医務室運んでーっ」


 意識が霞む。

 視界が揺らぐ。

 なにも、考えられない。

 何も……? そう、なにも。

 今の私には、もう、何も、ない。



 ――アー、ただの過労ですね。栄養つけて休めば治るでしょ。

 ――ウチで出来ること、特にありませんし。まずはお家に帰って休みなさい。

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