第15話 冒されたオペラハウス


 15時38分――第三テロ予告時刻まで残り22分。

 比較的余裕を持って、第三テロ対象のオペラハウスに到着することができた。


「またダンジョンになってたりしてねえだろうな……」

『そんなことはないみたいですよー』


 と、端末の通話口からマーディー。彼のドローンもデリックの頭上に飛んでいる。


『無線を傍受する限り、オペラハウスにいた人は全員避難完了。今は天見隊が爆発物を探してるみたいですけど……』

「どうも難航してるみたいだな……」


 オペラハウスの周囲に集まった天見隊の隊員たちには、焦れたような空気が漂っている。


『はい。……っていうか、中に入った仲間との連絡が途切れちゃうみたいです』

「連絡が途切れる?」

霊波妨害ジャミングですねー……。たぶん、中に入ると僕のドローンは操作できなくなっちゃいます。それにこの通話も……』

「……中で何が起こってるのか、天見隊の連中もわかってないのか」


 それは焦れもするだろう。何がどうなっているかわからないまま、時間だけが迫っているのだ。


「わかった。お前はそのまま研究室で待機しててくれ。通話が復帰したら連絡する」

『き、気をつけて……!』


 マーディーとの通話を切ると、デリックはオペラハウスの裏手に回った。

 今回は少し時間に余裕がある。穏便に忍び込むつもりだった。

 適当な窓に近付くと、電磁石コイルモードのヴォルトガ弐式で磁力を操り、クレッセント錠を動かす。素早く中に飛び込み、窓を閉め直した。


 毛の長い絨毯が敷かれた廊下だった。おかげで足音を殺す必要がない。

 従業員が逃げるときに消したのか、天井の晶灯は消えていた。窓から射し込む陽光だけが、淡く廊下を照らしている……。

 慎重に気配を探りながら、廊下を移動した。

 何事も起こらなかったが、ゆえにこそ、デリックの表情は徐々に曇っていく。


(……人の気配がしない……。爆発物を探してるはずの天見隊はどうしたんだ……?)


 やがてホールに出た。

 劇場の手前に広がる大きな空間だ。どこぞの宮殿の様式を真似したらしい、瀟洒なデザインの柱が何本も並んでいる。

 その合間に、男たちが倒れていた。

 いずれも背中から白く輝く翼を生やしている。アンジェリア人――天見隊だ。

 アンジェリア人は全員浮遊能力を持ち、人によっては寝るときでさえ地に足が着いていない。その彼らがこうして地に伏しているのは、意識を完全に失っていることの証左だった。


「何が起こったんだ、こりゃ――うっ」


 デリックは空気に違和感を覚え、急いで鼻と口を塞いだ。


(……この感じは……)


 空気中に、微細な異物が紛れ込んでいる。

 病害魔術――ペイルライダーが得意とする、人を病にする魔術だ。

 現代魔術式にアレンジされてはいるが、基本的な仕様は神代むかしと変わっていない。様々な感染経路を通じて病原体を人体に送り込み、ただちにその生命機能に不具合を起こす。

 デリックの対抗魔術ファイアウォールなら充分に防御できるが、吸わないに越したことはない……。


(……あっちか)


 まるで誘うように、病原体の密度が濃くなっている方向があった。

 そちらには重々しい防音の観音開きがある。このオペラハウスで最も広い劇場だ。テロ騒ぎで中止になったらしいオペラの看板が、扉の脇で寂しそうに佇んでいた。

 デリックはそちらに足を向ける。

 防音扉を、両手で押し開けた。


 途端、荘厳な音楽が溢れ出す。

 題名は知らない。オペラを聴く趣味はデリックにはなかった。


「♪――――――♪」


 ただ、彼女のことだけは知っていた。

 三色のスポットライトを一身に浴び、木目の床に三つの影を落とし、無人の劇場に声を響かせる銀髪の少女。

 よく聞けば、その歌詞は現代の言葉ではない。

 ハーピィ語。

 ゼネラル・クリスタル・カンパニーの研究員をして、『豊潤すぎて才能を壊す』と言わしめた言語。


 ハーピィはセイレーンなどと同様に、歌を好む種族だった。

 その言葉は美しく、ただ喋るだけで詩歌になると言われた。

 けれどデリックは、彼女が歌っているのを初めて聴く。

 透き通っていながら底が見えず、楽しげでありながら物悲しい……どこか掴み所のない歌声。


 デリックが無人の客席の合間を歩いてゆくと、アウトロが残響だけを残して終わる。

 ペイルライダーは紫色のドレスのスカートを軽く持ち上げ、優雅に頭を下げた。


「……拍手は必要か?」


 静かに問いかけると、ペイルライダーはレイヤの銀髪を揺らして顔を上げる。


「もちろん、不要だわ。あなたのためになんか歌っていないもの」

「だったら誰のためだ?」

「さてね。当ててみせて?」


 艶然と微笑むペイルライダーを、デリックは厳しい眼光で見据えた。


「あら、怖い」


 くすくす、と笑い声が無人の劇場に流れる。


「何をそんなに怒っているのかしら? レイヤの身体を使っていること? 無関係な人間を巻き込んでいること? 相変わらずお人好しなのね、ゼウス――最後には自分の復讐を優先させたくせに」

「お前が薄気味悪りぃ仮面を被ってることだよ、ペイルライダー」


 かつて仲間だった少女に、デリックは正面から言葉をぶつけた。


「確かに、オレはお前らに顔向けのできねえことをした。自分でやり始めた勇者って役目を土壇場で放り出した。どれだけ憎まれたって文句は言えねえ。死ねって言われたら死ぬしかねえ。……でもな、お前、本当にそれで満足すんのかよ?」

「……………………」

「お前の言う通りリリヤを殺したとして、復讐を遂げたとして、それでお前は、昔みたいに笑ってくれるのか? その気味の悪りぃ薄ら笑いをやめて、心からおめでとうって言ってくれんのかよ?」


 かつての彼女を思い出す。

 謙虚で、人見知りで、けれど笑うときだけは素直だった。デリックが言うくだらないことに、いちいち小さく肩を揺らしてくれた。

 デリックが怪我をしたときには涙を浮かべて、けれどそれが零れるのを堪えながら、黙って治療してくれた。無事に戦いを終えられたときには、暖かな表情と声で喜んでくれた。


 そのすべてが、今の彼女にはない。

 まるでヤスリで削ぎ落とされたかのような、薄っぺらい笑みがあるだけ。


「……本音を言ってくれ、ペイルライダー。本当は、もっと別に、オレにしてほしいことがあるんじゃねえのか? 頼むよ。責任を取れって言うんなら、お前の本音を聞かせてくれ! じゃないと、大人しく死んでやることすらできねえんだよ―――!!」

「――響かないわ」


 短い声が、ぴしゃりと言葉を遮断した。

 愕然と見上げた先にあるのは、やはり薄く浮かんだ笑みだけだった。


「響かない。これっぽっちも胸に響かないわ、ゼウス――悲しいわね。あなたの言う昔のなら、可愛らしくはにかみながら、何かしら感動的な、同情の余地のある『本音』とやらを語ったかもしれないわ? ……でもね、遅すぎたのよ、あまりにもね」

「……遅すぎた……?」

「さっさと仲良く転生してしまったあなたたちは知らないわよね。だから教えてあげる。はね、あなたたちが死んでからも生きたのよ?」

「…………!!」


 300年。

 人生を二度繰り返しているデリックですら、それは及びのつかないほどの年月。


「退屈だったわ。すごく退屈だった。300年、あちこちで戦争が起こっていたから、治療師ヒーラーとして各地を回って……それにも飽きたら、今度は逆に病害を撒き散らしたりもした。おかげでグロウマンが絶滅しちゃったわ? ウケるわね」


 くすくすくす、と魔神は肩を揺らす。


「どうしてこんなに無駄な時間を過ごしているのかしら? いずれそう思うようになって、自ら魂を分解して、封印してしまったの。

 ……まあ、何百年も経ってから掘り起こされるなんて思っていなかったけどね? しかも性懲りもなくの力を利用しようとするんだから、愚かすぎておかしかったわ。が普通に喋るだけで頭の中が壊れちゃうくせに、あの傲慢さはどこから来るのかしらね?」


 掠れて摩耗した、使い古したヤスリのような笑みが、デリックの網膜に焼きつく。

 彼女は――彼女はもう、自分自身のことすら忘れてしまったのか。

 デリックが初めて出会ったときの、天使と呼ばれて顔を赤くしたときの彼女は――長い時の中で、風化して消え去ってしまったのか。


「わかったかしら、ゼウス?」


 ことりと、人形のように小首を傾げて、ペイルライダーは舞台の上から声を出す。


「あなたの求める『本音』なんてものは、『素顔』なんてものは、もうどこにも残っていないってこと。だから、そう、確かにあなたの言う通り、あなたが復讐を遂げようが遂げまいが、どうだっていいことなのよ――ただの退屈しのぎ。やり残したことをたまたま見つけたから片付けたいだけ。怒っているように見えても、悲しんでいるように見えても、それはたぶん演技なんでしょうね――大根芝居だけれど。くすくすくす……」


 スポットライトの中で、少女は楽しそうにくるくると笑う。

 誰も見ていない舞台の上で、誰にも向けていない演技を披露する。


「そういうわけだから、そろそろ第三幕を始めるわ。起承転結の転。三幕構成のミッド・ポイント。主人公に最大の危機が訪れる――アドリブで悪いけれど、しっかり演じてね、ゼウス?」


 ビガガガガ、と唐突に舞台のスピーカーがノイズを発した。

 それに入り交じって、いやに音質の悪い声が、歌のようなものを唱え始める。


「……これ、は……」


 ぞわりと、背筋を怖気が駆けた。

 この歌は――呪文。

 呪文詠唱だ。


 現代魔術は、体内魔力を操る技術である。

 それゆえ、自らの内部に働きかける精神操作術を重要視する。瞑想、暗示などが代表例だ。

 基本的に、

 だとしたら、この詠唱は――


「数々の障害を乗り越えてきた主人公は、ここに来て致命的な見落としに気付くの」


 スピーカーが詠唱する呪文に乗せて、ペイルライダーはくるくると踊る。


「予告された四連続クアドラブルテロル。そのうち三つの地点を繋ぐと、エドセトアを覆う巨大な図形になる――そう、星座のようにね?」

「図形――まさか……!?」

「現代の魔力濃度は、神代のそれに比べれば微々たるもの。いかな魔神といえども、その全力を振るうことはできない。

 でもね、だったら、より広い範囲から集めればいいだけだとは思わない? この時代の霊子にだって、魔力がまったく通っていないってわけじゃあないのだから――」


 

 全世界を網羅する、超広大なによる通信網。

 そして霊子回線を走るのは、だ!


「舞台は整ったわ」


 詠唱される呪文が音階を上げていく。


「度重なるテロルでSNSは大騒ぎ。画像と動画は飛び交い放題、魔力の信号もばら撒き放題。そのすべてを巨大魔術陣で捉えれば、の発動には充分足りる」

「よせッ――」

「そして」


 ――バンッ!

 身の竦む銃声が、無粋なほど突然に、デリックの背中を叩いた。

 ……いや。

 音だけではない。


「……ぐ、あっ……!?」


 脇腹が焼けるように熱かった。

 いや、違う、違う。熱いのではない。痛いのだ。痛みが広がる。全身に。熱い。熱いのに寒い。寒くなっていく。体温が流れ出す。


「哀れなるかな。……お人好しの魔神は、助けようとした人々によって地に倒れる」


 服の下から、じわりと赤い染みが滲んでいた。

 脂汗を浮かせながら振り返ると、劇場の入口に何人かの男が立っていた。


「手を挙げて大人しくしろッ!」

「もう逃げられない! 爆弾の場所を教えるんだ!」


 それは盗賊でもなければ魔物でもなく、化け物でもなければペイルライダーに操られているわけでもない。

 自分の使命に従ってやってきた、天見隊の隊員たち。


「貴様には射殺許可が出ている!」

「投降しないようであれば、続けて発砲するッ!」


(ちく……しょ……!)


 デリックをこの爆弾テロの犯人と勘違いしているのだ。現場に誰だかわからない男がいれば仕方のないことだ。しかし――


 ――くすくす。

 ――くすくすくす。

 ――くすくすくすくすくすくす……!


 笑い声は、いつしか降りた緞帳の向こう側にあった。

 すべては彼女の脚本。

 主人公に、最大の危機が訪れる――


「……猶予は与えたぞ。発砲を開始する!」


 デリックは客席の陰に転がり込んだ。

 直後、弾丸が雨あられと劇場内を荒れ狂う。

 天見隊の銃には、客席を貫くほどの威力はないようだった。背中越しに、ドンッドンッと何度も衝撃が伝ってくる。


「……馬鹿、野郎が……! 早く、スピーカーを、止めない、と……!」


 呪文は終盤に入っていた。

 マズい。本当にマズい。

 ペイルライダーの神代魔術は、――


「――時間ね」


 降りきった緞帳の向こうから声がした。


「こっちの筋書きプロットも忘れちゃダメよ?」


 16時00分。

 第三テロの時刻がやってくる。


 ドンッ! という衝撃は、頭上から降ってきた。

 劇場の天井に張り巡らされた鉄骨。おそらくはスポットライトの位置を移動するためのそれらが爆破されたのだ。

 爆発自体は小規模だった。

 爆風にも爆炎にも、誰一人巻かれることはなかった。


 しかし、爆破された鉄骨が落ちてくる。


 その軌道を見て、デリックは叫びたくなった。

 まるで嫌がらせだ。いや、嫌がらせなのだ。ペイルライダーによる子供じみた、世界一悪質な嫌がらせ……!


 鉄骨は、天見隊の隊員たちに落ちていく。

 放っておいても、デリックには当たらない。


 天見隊員たちが頭上を見上げて悲鳴をあげた。

 彼らに逃げる暇は与えられなかった。

 もつれたその足が動き出すよりも早く、暴力的な質量による最期が与えられる。


「ちくしょおおおおおおッ!!」


 デリックはヴォルトガ弐式を起動した。

 電磁石モードの剣身が回転し、磁力を放ち。

 鉄骨を掴んで。

 ――引き寄せる。


 落下の衝撃で、客席がいくつも宙を舞った。

 鉄骨は床に深々と突き刺さった。

 そして、スピーカーの呪文が最後の一小節を歌い終える。


「――――《駆け広がる病害の馬ペイルライダー・パンデミック》――――」


 その瞬間、エドセトアの文明が約100年後退した。

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