第4話 その技術は魔法

「お集まりの皆々様方。お待たせいたしました。これから、恩寵おんちょうの披露を始めたいと思います!」

 ウィルマーが声をあげる。歓声の波がド――、と押し寄せた。

 興奮や熱狂を肌で感じる。食い入るようにこちらを見つめる魚人。手を叩く有翼人、口笛を吹く人間。

 なかには腕を組み、いぶかしげにこちらを見ているドワーフもいる。もしかしたら、坑道の仲間かもしれない。

 ウィルマーは、緊張で、胃をキュッと掴まれたような気分だった。前世を含めて、人前に立つということをあまりしてこなかった人生だ。それなのに、突然のこの大舞台。

 我を忘れて駆け寄ったは良いが、まさかこんなことになるとは、思っていなかった。

「それでは、神、〝映〟 お願い致します」

 一礼して、一歩下がる。観客からの拍手が湧き上がる。神として呼び出されたは良いが、映は見たところ普通の女子高生だ。魔法なんて使えるわけがない。

 通訳を買って出たは良いが、もしヘマをやらかせば、この観客の多さだ。神をかたった一般人の末路など、想像もしたくない。どうにかして、回避する方法を考えなくては……。強張こわばった笑顔で、ウィルマーはそんなことを考えていた。

 そんな心配をよそに、映は何でもない顔で一歩前に出た。

 すっと、息を吸う。

「【みなさん、初めまして。私は、映と言います】」

 その瞬間、硝子がらすが差した、と思った。

 映が如才じょさいなく微笑んでいる。

 怜悧れいりな顔、冷静な口調。映は、いつでもそんな感じなのだと思っていた。

 しかし、その認識は間違っていたようだ。

 整った美貌による怜悧れいりさは根底にあるものの、その微笑みや姿勢は、充分親しみやすい、社交的なものだった。観客の中からも、見れるような溜め息がちらほらと聞こえてくる。

 とても、傍若無人な要求を叩きつけてくるようには見えない。良家のお嬢様、と言った感じだ。

 ウィルマーは、あんぐりと口を開けて、映を見つめていた。

 そんなお嬢様から、氷柱つららのような視線が飛んでくる。〝早く翻訳しろ〟ということだろう。

「あ、あ、えー、訳します。……地上の子等よ、私はえいという」

 映が、頷いた。ウィルマーは、映の言葉そのままでは無く、この世界の住人に受け入れやすいように翻訳していく。

「【こちらで一年間お世話になるにあたり、】」

「一年間、地上の子らと共にいるにあたり、」

 映が、いたずらっ子のような笑みを浮かべて、小首をかしげる。

「【これから───、】」

「私のもたらす恩寵がどのようなものか、お見せいたしましょう」


       ◆


 映が、飲みかけの封の開いたペットボトルを掲げる。

「【ここに、水があります】」

 翻訳する。

「ここに、なんの変哲も無い水があります」

「【この通り、普通の水です】」

 観客はざわめいていた。どうやらペットボトルが気になっているようだ。それもそのはず。この世界にはまだ、ガラスやペットボトルほど、純度の高い透明な容器がそれほど普及していないからだ。

「【もし、気になる方がいればコップを差し出して下さい】」

 そう言って映は、ペットボトルのキャップを開け、かたむける。ミネラルウォーターがこぼれ落ち、舞台の床に水たまりが出来た。

「この通り、そそげば落ち、床が濡れる。何の変哲も無い水です。もし、お疑いの方がいれば、ジョッキかうつわをご用意下さい。これが普通の水かどうか、ご自身の舌でご確認頂けます」

 最前列の人間の青年が、はい! と勢い良く手を挙げ、ジョッキを差し出してきた。舞台のへりまで歩く。ウィルマーが受け取り、映が水を注ぐ。

「【さあ】」 「ご確認を」

「え? キミが飲んでよぉ」

 青年がニヤニヤと笑っている。顔が赤らんでいるところを見ると、酔っ払っているのだろう。

 なんだこいつは! と目をきそうになったが、ぐっと飲み込み、映の方を向く。

「【俺が飲む。こんな酔っ払いの相手はしなくていい】」

 少し眉を上げると、

「【そう。ありがとう】」

 と言って、手でうながしてくる映。ウィルマーは、笑顔で青年からジョッキをもぎ取った。お前じゃねーよー! と野次が上がるが、気にはしない。

 映か自分か、どちらかが飲むしか無いのだ。何の危険性も無い、普通の水だと証明する為に。これ以上映にからまれても困る。なら自分が飲むしかないだろう。若干気が進まないながら、ウィルマーは、ジョッキに口を付けた。

 ほんのり甘く、すっぱい。飲み残しの果実酒クァン・ペールと混じった、普通の水だ。

「ほら、なんともない。普通の水です。是非あなたも飲んでみて下さい」

 ウィルマーは、笑顔でジョッキを返す。ちっ、と舌打ちをする青年。そのまま捨てるかとも思ったが、青年もジョッキをあおった。つまらなさそうに鼻を鳴らす。

「……ああ、普通の水だ」

「はい、こちらの男性も普通の水だとおっしゃっています!」

 おお、と観客達から声があがる。仕掛け側だけでなく、こうやって観客側を引き込んでいくのは大事なことだ。信憑性が増す。映が頷くと、笑みはそのまま、目が真剣そのものになった。

 前振りは終わり、これからが本番なのだろう。

「【さて、こちらに先ほどと同じ水があります】」

 映が、再び別のペットボトルを掲げる。封が開いてないミネラルウォーター。先ほど、精霊のイスアに冷やさせていたミネラルウォーターだ。

「【封がされており、中の水には何も入る余地がありません】」

 さあ、観客に封を開けて貰って、と、ウィルマーにペットボトルを渡す映。

「【揺らさないように、細心の注意を払って持ちなさい。開けて貰ったら、返して貰う時にお皿を一緒に貰って】」

 ウィルマーは、映からペットボトルを受け取り、観客に向かって掲げる。

「ここに、先ほどと同じ水があります」

 ペットボトルを見せながら、舞台の別のへりへと歩いていく。ひとところではなく、舞台最前の観客すべてに魅せることも大事だ。観客達も、これから何が起こるのか興味津々で、ざわめきが増していく。映の真剣度合いが伝わっているのだろう。

「こちらは、先ほどと違い、容器に封がされており、何も入る余地がありません」

 ウィルマーは縁にしゃがみこみ、有翼人の少女に話し掛ける。

「触って確かめてみてくれるかな?」

 舞台上をキラキラとした瞳で見つめていた少女だ。話し掛けた瞬間、嬉しかったのか、ぶわっと羽根が広がった。

「いいの?」

 良いよ、と言ってペットボトルの口の辺りを少女に向ける。少女は、ふたの辺りをぺたぺたと触っていた。

「そこをひねってみて」

 おずおずとした手付きで、しかしぎゅっと握り、少女はふたひねる。ぱきり、と封が開いた音がした。

「うわぁ!」

 少女の羽根が、またぶわっと広がった。

「はい、ありがとう」

 ウィルマーは、少女の頭を軽く撫でた。少しくすぐったいと言った様子で、日溜まりのような笑顔を浮かべる少女。

 立ち上がりかけたウィルマーは、しかし大事なことを思い出した。

「そのお皿、貰っても良い?」

 少女が脇に置いていた皿を指差す。

「お皿? なんに使うの?」

 そう言いながら、少女は皿を差し出してくる。屋台の串焼きを乗せていた平皿だ。既に食べ終わっており、後は捨てるだけのいらないもののはず。そう思って、ウィルマーは声をかけたのだ。

「もちろん、神様の奇跡に」

 ばしりとウィンクをする。おお…! と目と口を丸くして、拍手をする少女。

 ……なにか、凄く恥ずかしいことをやった気がするが、少女が喜んでくれてるのなら良いだろう。もう一度笑顔振りまくと、ウィルマーは、立ち上がり声を張る。

「はい、こちらの少女に確認して貰い、容器の封を開けて頂きました!」

 お決まりのようにペットボトルをかかげ、周囲に良く見えるようにする。一定の歓声と共に、早く恩寵おんちょう見せろー!と野次が湧いて来た。

「【その皿とペットボトルを持って帰って来たら……ショーの始まりよ】」

 来た。

 こちらが不安になるタイミングで必ず言葉を挟んでくれる。映は、人心を良く理解していた。

「【ああ、やってくれ】」

「【平皿はあなたが持っていなさい】」

 封の開いたペットボトルを、映に渡す。ショーの、始まりだ。

「【────さて】」

 くるりと映は前におどり出る。濃紺地のスカートがふわりと広がった。

「【今し方、お客様に封を開けて頂いたペットボトルが】」「ここにあります」

 そう、先ほどの飲みかけのミネラルウォーターと外見の違いは全くない。

「【このペットボトルの蓋を開けて、】」「容器を傾けたら、中身はどうなると思いますか?」

 こぼれるー!と観客から声があがる。そう、中身はただの水で、傾ければただ落ち、水たまりを作るはずだ。

「【そうですね。ではここで、私の力を使います】」「容器を傾けて水が落ちる時、とても不思議なことが起こります──」

 凛々しい映の瞳が観客を見回す。映は、ペットボトルに念を込めた。

「【3、2】」「1」

「【零れる水を、平皿で受けなさい】」

 映が、ペットボトルを傾ける。ウィルマーは、平皿を差し出した。

 そこに・・・落ちて・・・きたのは、・・・・水では・・・無かった・・・・

 正確に言えば、途中までは水だ。現に今注がれている水も、皿の表面に当たるまではただの水なのだ。先ほどの、舞台の床を濡らしたミネラルウォーターと同じ。しかし、皿に当たった瞬間、水は別の物質に変化した。

 氷だ。

「────!?」

 前列の客には、見えているだろう。皿の上に、氷がうずたかく積もっていくさまが。

 ちらりと観客の方を見ると、誰も彼もが呆気あっけにとられていた。目を丸くし、口は半開きだ。

 ウィルマーも、度肝を抜かれていた。

 水は、一定の温度で、長く冷やしてこそ氷になる。何の力も加えず、途中から瞬間的に氷になることなどありえない。

 あるとしたら、魔法の力を加えたに違いない────。

 そういう解釈が、頭の中で成り立ったのだろう。莫大量ばくだいりょうの歓声が沸き上がった。

 最初は、前列の者が声を上げ、前列の者の呟きに驚いた中列のものが声を上げ、後列の者は雰囲気に飲まれて声を上げた。

 恩寵おんちょうの披露は、大成功だ。

「【ご褒美よ】」

 そう言って映は、空のペットボトルを放った。映の後ろの、何にもない空間へ落ちていく。

 宙空が揺らいだ。ジ、とにじむ音を立てて、瞬間、大小の魔法文字ルーンで形作られた魔法陣が展開する。

『やったー、いすあ、うれしー』

 頭に響くような声だけが聞こえ、魔法陣がペットボトルを飲み込み、消失する。氷の精霊、イスアに対価を支払い、〝ペットボトルと樽を冷やしてくれ〟という契約も、これで完結した。

 ────そうだ、イスアだ。

 イスアに頼めば、そそいでいる途中の水も、凍らせることが出来るかもしれない!

「何をした」

 後ろから、低く押し殺した声がかかる。水の祭司だ。

「とてもその者は神には見えない。異邦の言葉を喋る怪しき者よ、何をした! ウィルマー・ジーベック、お前が精霊を使わせたのか!」

 凄い剣幕で食って掛かってくる水の祭司。老齢を感じさせる乾いた魚人種の頬が、怒りでぴくぴくと震えている。自分が貸した氷の精霊で、インチキされてはたまらない、ということだろう。

 ウィルマーも、精霊ならどうにか出来るのでは無いかと考えた。

 だが、・・・精霊で・・・インチキ・・・・など、・・・出来る・・・はずが・・・無いのだ・・・・

 ちらりと横目で見るが、映は観客に笑顔を振りまくので忙しい。我関せずだ。

 しょうがない。ここは、自分で収めることにしよう。

「祭司、お言葉ですが。精霊は、その姿をとらえた時と、契約の命令実行中にしかその姿を表しません。……それは、長年、精霊使いをやっておられるあなたが、良く解っているはずです」

 それがどうした! となおも食ってかかる水の祭司に、ウィルマーは言う。

「あなたは、一度でも恩寵おんちょうの披露中、イスアの・・・姿を・・見ましたか・・・・・?」

 ぐっ、と言葉に詰まる祭司。

 そう、恩寵おんちょうの披露中、氷の精霊は姿を見せていないのだ。そもそも、映はこの世界の言葉を喋れないのだから、ウィルマーが知らない命令は、実行されるわけがない。

 これはきっと────、魔法なのだ。


       ◆


「【さて、皆様盛り上がっていらっしゃるようですが、わたくしの力はこんなものではございません】」

 一礼すると、挑戦的な笑みで観客を見渡す映。

「皆様、本番はこれからです!」

 ウィルマーは、芝居がかった動作で手を広げる。

「【この舞台に上がって】」「間近で恩寵おんちょうを感じたい方はいらっしゃいませんか?」

 最早熱狂で破裂しそうな歓声だ。魔法文字ルーンを刻むでもない、精霊を使うでもない。ノータイムで水を凍らせる、神のような力。

 おおおという地響きにも似た声。雨後うごたけのこのように手が挙がった。

「【それでは、】」

 映の声が輝く。ビッと力強く、指で指していく。

「そこのドワーフの方、そう、ひげを三つ編みにしてる貴方! それから、魚人の貴方! そこの人間の御婦人、それからそこの少年。舞台にお上がり下さい────」

 指名された四人が舞台に上がる。そわそわとして、落ち着かない様子だ。ドワーフはひたすらひげをいじっているし、魚人は、〝緊張で肌が渇いちまう!〟などと言っていた。少年は婦人のかげに隠れて、ぎゅっとすそを握っている。

「【たるの周りに】」「お集まり下さい」

 舞台に上がった観客を、果実酒クァン・ペールの樽の周りに集めていく。映自身は、たるから少し離れた場所にいた。

 ウィルマーも、映の側にいるため、たるからは距離が離れている。

「【たるの中身は、ただの果実酒です】」「良く、中身を見て確認して下さい」

 のぞき込む四人の観客達。

 ウィルマーも遠くから今一度見るが、中身はただの果実酒だ。陽の光に照らされ、紅色に輝く、間違いなく何の変哲もない液体だ。

「【おっと、中身には触れないで下さいね?】」「神罰が下りますよ!」

 笑顔で言うもんだから、映は恐ろしい。魚人がぴゃっと手を引っ込めた。

「【さて、では私がここから念を飛ばします】」「すると、樽の中の果実酒に、ある変化が訪れます────」

 ごくりと息を飲む観客達。

「【3、2】」「1」

 樽に向けて思いっきり腕を振る映。

 彼女の神力が樽へと飛び、瞬く間に樽の中に変化が────。

 起きなかった。

 間の抜けたように静まり返る客席。いくら待っても、果実酒に変化は訪れない。

 観客がざわめき始める。

 映の方を見ると、唇を噛み締めていた。唇が、白くなっている。

 失敗、したのか────?

「……というようにやりましたら、たるの中身に変化が訪れます! 見逃さないようにしてくださいっ!」

 慌ててそうアナウンスする。

 観客は戸惑いがちに歓声をあげていた。まだ、まだギリギリ失敗はしていない。まだ、挽回出来る位置にいる。

 もしヘマをやらかせば、この観客の多さだ。神をかたった一般人の末路など、想像もしたくない────。

 ウィルマーは、その時初めて、血の気の引く音、というものを聞いた気がした。

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