第31話 未来への旅立ち


「ねえ、2人して今からどこに出掛けるの?」


 ――!?


 俺と茉莉花が出かけようとした、まさにその時、うしろから声が投げかけられた。

 靴紐くつひもを結ぶ手を止め振り返ると、パジャマにピンクのカーディガンを羽織った娘が腕組みをしていた。

 その姿は、明らかに不信をあらわしていた。

 何も告げずに出かけようとする、俺たち2人への……


「おっ、おおー。

 凜々花か。

 今日はやけに早いじゃないか」

「ねえ……

 2人で、どこに行くの?」

「ン、買い物だよ。

 まだ寝てると思って、声を掛けなかっただけだ。

 すぐ戻るから――」

「私も行くから!

 待ってて!」

「いや、ただの――」

「――買い物でしょ?

 なら、凜々がついて言っても問題ないわよね、パパ」

 そう言い放つと、凜々花はクルっと切れ良く回転して部屋へと戻った。

 カーディガンのすそがヒラッと舞う様が、残像のように頭に残った。


「すまんな、茉莉花。

 起きてくるとは予想してなかったんで、言い訳を用意しなかった」

 茉莉花は首を振った。

「私が着替えるときに、うるさくしてしまったのかもしれませんね」

 そう言って凜々花の部屋の扉を見つめていた。

「きっと、別れの挨拶をしないような、不義理はするなって……

 そういうことなんだと思います」

「凜々花の奴、ヘンなところで勘が鋭いからな。

 スマンな……」

「いえ、きちんと私から、話します。

 なにも悪いことをするわけではないですから。

 淳さんの仕事のように、ね」


 茉莉花は今日、ここを出て行く。

 凜々花はまるで、それをはじめから知っていたかのように起き出してきて、俺たちを困らせた。




          ◇




 あれから……

 結局、茉莉花は父のあとを継ぐことに決めた。

 ラジオ体操をしたり、写真を撮ったりしたあの翌日から……

 俺たちは凜々花の目を盗んで、話し合った。

 後継のライバルのことや、茉莉花を帰すにあたりどこまで連れて行くのか、買った荷物の送り先は?

 そういったことなどだ。

 それはすなわち、『別れ』についてでも、あった。


 新しい年を迎えたこの3日間、凜々花は夜更かし朝寝坊のし放題だった。

 正月ゆえの、特別扱いだ。

 ましてや今年は茉莉花がいた。

 特別の特別だろう。


 北見家の例年と違い、世間一般がすることと同じように、俺たちは3人で正月らしい正月を過ごした。

 雑煮を食べ、初詣に行き、テレビの特番や駅伝をチラッと眺め、初売りに顔を出したり……

 そんなありきたりの正月だ。


 世話になるかどうかもわからんのに、「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします」と新年の挨拶をそれぞれに交わした。

 俺も初詣でおみくじを引くなど、いったい何年ぶりのことか、わからない。



 楽しい時間、幸せな時間とは、なかなか区切りをつけにくいものだ。

 そういうこともあって、全体的に生活はうしろへ、遅い時間へとズレていた。

 だから朝の弱い凜々花が4日の早朝に起きられるなど、まったくの予想外だった。

 しかし、気づかれてはもう仕方ない。

 多少面倒なことにはなるかもしれないが、逆にあとで俺はうらまれずに済むだろう。

 いつの間にか茉莉花が消えて居なくなったとなれば、凜々花は俺を責めるだろう。

 1週間くらいはまともに口を聞いてもらえなくても、不思議はない。

 

 しかし、予定は変えられない。

 凜々花がゴネたとしても、茉莉花が考えて結論を出したことなのだ。

 もはや動きだした出来事は止められない。




 昨日のこと……

 俺は何年も音信不通だった凜々花の実の父、警察時代の同僚の東田に連絡を入れた。

 茉莉花を助け出した翌日の会話の通り、俺と奴は不仲だ。

 できれば、一切関わりたくはない。

 けれども俺の部屋は、茉莉花をさらった奴らにはバレている。

 赤い太字で書かれた紙を投げ込まれてからここまで、具体的な脅威きょういとなるような相手の動きはない。

 だが相手が動かない理由は、『茉莉花にさして動きがないから』とも言えるだろう。

 ましてや年末年始だ。

 あらゆる思惑も、正月休みなのかもしれない。

 たとえ茉莉花を連れて出掛けても、近場をウロつくだけ。

 そんなだから、張り込む方がバカバカしいほどだろう。


 だが、あからさまな動きをすれば、向こうも動くだろう。

 駅へ送るとか、高速に乗ったりすれば、きっと大騒ぎになる。

 かといって、もともとの依頼主である西のチカラを頼みにはできない。

 西の奴も、自分のライバルグループの動きを掴みきれていない様子だった。

 それなのに無理を頼んでも、あまりいい結果は期待できない。

 ならば苦渋くじゅうの選択ではあるが、消去法で東田の応援を呼ぶしかないだろう。

 警察の保護で茉莉花を戻してやれるなら、それ以上に安全なことなどないはずだ。

 それが俺の結論だった。


 東田とはショッピングモールの駐車場で待ち合わせ、警護を頼むことになっている。

 広大な駐車場ならば、見通しもきく。

 もし尾行がいても、そうそう近づけないはずだ。

 だから合流に支障はない。

 丸見えなのにピッタリついてくるなら、誰の目にも不審であることが明らかだ。

 バカでも気づく。

 そのときは職質でもなんでも、足止めさせればすむ。


 凜々花がついてくることだけが予定外だが、そんなのはたいしたことじゃない。

 別れの涙で、車内の湿度が上がる程度だろう。

 それだって、冬の乾燥した空気には、かえって丁度いいお湿りだ。


 凜々花が支度を整えてくるのを待ち、俺たちは3人で車に乗り込み、出掛けた。

 もう3人でこの車に乗ることも、最後だろう。

 また凜々花と俺の、2人だけの生活に戻るのだ。


「ねえ、茉莉花さん。

 その銀のブレス、パパがしてたのじゃない?」

「気づくなんて、さすがね。

 お年玉にね、もらったのよ」

「その年でお年玉は、ちょっと痛いと思いますけど」

「オイ!

 凜々花、ずいぶんな言い方じゃないか?

 凜々だって、年末にくれてやったのに、正月に年玉もらったろ。

 おつかいの費用とお年玉は別だって言って――」

「――パパには聞いてない」

「凜々花!」

「北見さん、いいの。

 いいから……

 私が答えるべきだわ、ちゃんとね」


 茉莉花は俺を制して、車を停めさせた。

 コンビニの駐車場に停めた車の助手席から降りると、凜々花の乗る後部座席に乗り直す。


 わざわざ席を乗り替えたのだ。

 駐車したままで会話に聞き耳をたてるのもどうかと思い、俺は小さな音でFMをかけ、市内を適当に流す。

 東田には少し遅れると、連絡を入れた。

 それから茉莉花と凜々花は、ときおりカーブや信号に従って揺れる車内で2人話し合った。

 俺は茉莉花に制された以上、2人のけじめに割って入るつもりもない。

 バックミラーやサイドミラーに気を配り、運転することだけに集中した。

 これまでのところ、露骨に追い回す車はいない。

 予定外に車を流すことになったから、周囲を確認する時間がかえって生まれていた。

 相手がどう動くのか……

 それはわからない。

 相変わらず姿を見せない監視者は、不気味ではあった。

 が、それもここまで。

 茉莉花を引き渡せば、終わりだ。

 気を抜いたわけではないが、先が見えたことで俺の緊張感もいくらかやわらいでいた。

 すでに後援会にも連絡済みで、今日戻る段取りも、出馬の意思も伝えてある。

 凜々花と茉莉花の時間も、終わりが迫っていた。


 凜々花はときおり声を大きくすることもあったが、今では2人、肩を寄せ合っている。

 赤信号で停車すると、後席の2人に目をやる。

 小さな鏡の中に映る2人の様子を見て、俺は『そろそろ頃合いかな?』と感じた。

 すると、鏡の中の茉莉花と目が合う。

 ゆっくり1度、茉莉花が頷き、俺はウィンカーを出し、進路を変えて走り出した。




          ◇




 大きなショッピングモールでは、誰もがガラス張りできらびやかな店のそばへと、車を停めたがる。

 歩く距離も少なくて済むし、買った荷物の運びもラクだ。

 大きい施設であればあるほど、大勢の人を受けいれる広大な駐車場が必要になってくる。

 都会や駅近と違い、郊外こうがいは立体駐車場より、だだっ広く伸びて広がった平面の方が安くすむ。

 だから人気の少なく入店まで何分もかかるような遠い場所へ止めるのは、物好きかサボリーマンくらいと決まっている。


 俺が駐車場の南の端に車を向けると、黒と銀のスバル車が数台、適当に散って停車している一角があった。

 ――あれか……

 その一角へと近づき、その真ん中に車を停めた。

 サイドブレーキをかけ、俺は運転席のドアを開けて降り立った。

 スバルの1台のドアが開き、東田とその部下らしい男と女が2人、降りてくる。

 女はグレーのスーツ姿。

 東田はカーキというかベージュというか、そんな色のトレンチコートに、同色のパナマハットを被っている。

 車内にいる娘の凜々花が気にはなったが、いまさらだ。

 こんなところで東田が親娘の名乗りを上げるなんてことは、あり得んことだろう。

 俺は歩きながら手を上げ、声をかけた。

「よお、本当に会うことになるとは、思わなかったぜ。

 東田よ……面倒掛けるな」

「いやいや、大歓迎だよ。

 頼ってもらえるなんて、こんなにいいことはないね」

 パナマを軽く振りながら俺に応えると、両手で胸の前へ大事そうに持ち直した。

 気障ったらしさに顔を顰めたくなるが、頼んでいるのは俺の方。

 表情に出さぬように気を引き締めた。


「それほどたいしたことじゃ、ないだろ?

 正月そうそう、手間が増やしてスマンな」

 東田は俺の車の方へと目をやる。

「いや……

可愛い女の子の顔も見られた。

 おまけに北見くんの窮地に、嫌われている僕が救いの手を差し伸べられる。

 それで十分だよ」

「フン、そうかい。

 ……東田よ。

 オマエにその気があるなら、いつか父親を名乗ってくれてもいいんだぜ?

 実の父を知らないってのは、いったいどういう気分になるもんなのか、俺にはわからんしな……」

 俺は自分の車を振り返り、後部座席に座る凜々花を見た。

 凜々花と茉莉花は、こちらの様子をただ、見守っていた。

 すると凜々花は俺の方へと腕を伸ばし、手を振っているように見えた。

 

 ――感動の対面、か……

 もしそんなことが起こるなら、俺はどうなるんだろうな?

 『そんなことは起こらない』と確信してはいるものの、そういう感傷を感じずにはいられなかった。

 俺と凜々花は別の人間だ。

 もちろん家族ではある。

 けれど結論が違うことだって、あり得ることだ。

 俺の幸せが、絶対に凜々花の幸せとは言い切れないものだ。

 大人へ成長すればするほどに、成長して自立すれば、なおのこと……



 そんな一瞬のセンチメンタルが、俺の時計の針を止めていた。



 そしてそれは、仕事に徹しきれなかった俺の、大きなミスを呼び込んだ。

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