第22話 本音と感情


「あんな人、特に何もないわよ。

 血が繋がっているだけね。

 お金は貰ったけど、金庫みたいなもんでしょ」

「そりゃ、いいな。

 そんなデカい金庫に、俺も憧れるぜ」

「馬鹿にしてるの?」

「そう感じるか?

 まあ、間違ってはいないな」

「なによ! さっき謝ったくせに!

 そんなのおかしいじゃない!」

「俺が謝ったのは、娘の安全のこともあって感情的になり過ぎたからだ。

 話の内容そのものじゃない。

 勘違いするなよ。

 ……で、そのデカい金庫がなくなった今、どうするんだ?

 そもそも今夜どうするんだ?

 明日は?

 1週間後は?

 ……だいたいな、俺は監禁している訳じゃない。

 自由は茉莉花の、その手にあるんじゃないのか?」

「政治家になったら、私が自由だって言うの?

 そんな訳ないでしょ。

 いくらお金を与えられたって、結局ずーっとずっと、選択の自由なんか無かったわ。

 全部が全部そう。

 それなのに私が自由なんてはず、ないわよ!

 お洒落をすれば、『可愛すぎる政治家に選ばれる』だの『政治家の娘には派手過ぎる』のどっちか。

 テストで良い点を取っても、『優秀な政治家になれる』、『こんなのがわからないんじゃ政治家になれない』

 判断基準はすべて、政治家や国会議員にふさわしいかどうか。

 じゃあ何、私の将来って国会議員の政治家しかないの?

 お父さんもお爺さんもそうだと、私も自動的にそのあとに続けって?

 そんなの私じゃなくてもいいでしょ。

 それとも国会議員にならなかったら、私には存在価値がないってこと?

 はくをつけるために海外へ行けって……

 言われて行って、やっとのことで慣れてきたら、急にこんな騒ぎで呼び戻される。

 そりゃ死んじゃったのはかわいそうだと思うけど、死んだら死んだで、『そのために育ててきたんだ。後を継げ』だなんてみんなに言われて。

 1人で考えたくても、今度はさらわれて『出るな』とおどしてくる。

 おまけにこんな知らないおっさんにまで、ギャーギャー馬鹿にされて!

 責め立てられて!

 なんなのよ!

 もうっ、嫌!

 好きで攫われるなんてわけないでしょ!」


 茉莉花はだんだんと興奮し、声を大きく早くしていくと、クッションやリモコンを投げつけてくる。

 終いには両手を振り上げてテーブルに叩きつけた。

 カップは倒されて割れ、ジャスミンティーは水たまりをつくった。


 ――非常に効果があったようだ。


 茉莉花が怒り狂う様子を眺めつつ、俺はそう思った。

 しかし凜々花といい、茉莉花といい、なんの罪もないテーブルが可哀想じゃないか。

 まあ、そうさせるべく、あおっているのは俺か。


「悪いな。

 『気が済んだか?』って優しくなぐさめるつもりは、俺にはないんだわ」

 すでに涙ぐんでいるかもしれない茉莉花に、冷たく断って続ける。

「で、それが……

 南雲茉莉花の人生か。

 つまりはこうだ

 選ばないことを、選んできた。

 反抗する選択肢を、捨ててきた。

 先延ばしすることを、選んできた。

 “だから私は自由じゃない”

 そういう人生なんだろ?」

「いったいなんで、私なんかを助けたのよ!

 なんでそんなに、私なんかに構って、面白がって煽るの?

 そうやってあざけり笑うため?

 汚いお金の為?

 ホント最低ね。

 あなたは誰かと冷静に話し合うことで、わかり合おうとできない人なんでしょ?

 可哀想な人!」

 茉莉花のたかぶった声は、震えていた。

「フン、そうかもなぁ、うん。

 なるほど俺は可哀想な人か、面白いことを言う

 じゃあ、聞こう。

 ……今まで茉莉花が誰かと冷静に話し合って、いったい何が決まった?

 どうわかり合った?

 俺は確信を持って言えるね。

 たいしたことは決まっちゃいないはずだ。

 そんなことは聞かなくても、わかりきってるぜ。

 アンタはわかり合ってなんかいない。

 相手の言い分を理解して、嬉々ききとしてか嫌々かはともかく、ただそれを受け入れただけだ。

 そんなの決め事はただのあきらめで、妥協だきょうでしかない。

 わかり合うだと?

 フン、一方的に相手の意向を、飲み込まされただけだ。

 “私は自由じゃない”からって、逃げの理由と共にな。

 げんに今だって、オマエは自由だと言った俺に噛み付くだけで、席を立とうとしなかった。

 この場から出て行こうとしなかった。

 違うか?」


 茉莉花は天井をにらみつけるように上を仰ぐ。

 泣いたら負けと、堪えていたのだろう。

 けれどついに、両手で顔を覆い泣き出してしまった。

 よほど悔しいのか、意地なのか、もともとそういう泣き方なのかは、わからない。

 ほおが一筋濡れ、声を出さずに泣き続けた。


 重い沈黙が部屋によどむ。

 俺にとっては、30分にも1時間にも感じる、長い苦痛な時間だった。


 ――そもそも、追い込んで泣かせたのは俺だしな。


 だから罪悪感という、居心地の悪いぬかるみから逃げ出すことはしない。

 そのあいだは姿勢を変えたり、立ち上がったり、わずかでも物音を立てることがためらわれた。

 茉莉花が静かにさめざめと泣くなら、それを邪魔したくなかった。


 時として、気の済むまで泣くことは大事なこと。

 俺はそう思う。

 安易な励ましは、その意味が、価値が薄れる。


 実際のところ、泣き止むまで15分くらいだったろうか。

 その間に俺がしたこととは、ティッシュ箱を渡したことだけだ。

 ひとしきり泣いたあと、センターテーブルの上はティッシュの山ができていた。

 いまだにときおり啜り上げ、ティッシュを鼻や口元に当てている。


「もちろん冷静に考えること、判断することは大事なことだ。

 が、それは時と場合による。

 これからの将来を決める大事な選択に、冷静に判断するだと?

 そんなものは、『まやかし』に過ぎん。

 ――その方が社会的に正しいから。

 ――みんなの想いに応えられるなら。

 ――誰だって、そうしてきたんだから。

 じつにくだらんね。

 そんなのはな、自分で自分を納得させようとしているだけだ。

 まあ、それで納得できて先々も後悔しない奴は、それでいい。

 それは結果として幸せな決断だったということだからな。

 それで十分だ。

 後悔していないことについてまで、いちいち間違ってると騒ぎ立てる気はねーよ、さすがにな。

 で、オマエどうだ、茉莉花。

 そうじゃないんだろう?

 だからずっと昔から繰り返してきた後悔を、愚痴を、不満を……

 本当にブツけるべきだった相手の代わりに、今ここで俺に向かって、並べ立ててるんじゃないのか?

 俺は思うね。

 『感情を動かさないことに、真実はない』とね。

 『こうするべきとか』、『期待されているから』ってヤツは、テストの答えで、望ましい模範解答に過ぎない。

 それ以上でも以下でもない。

 そんなのは評価する他者のための答えだ。

 自分自身のための、答えじゃないのさ。

 本当に怖きゃ、身体が震えるだろ。

 嘘も偽りもなく感動すれば、自然と涙も流れる。

 逆もまたしかり。

 怒れと無理に強制されても、それは演技でしかない。

 みんなが泣いてるから泣いたほうがいい訳じゃないし、ある結果について『おめでとう』と言われたって、本人にはとても喜べるような、望むほどの結果じゃなかったことだってあるはずだ。

 何もかもが、周りの奴、期待してくる奴と、同じに感じる必要があるのか?

 そんなのは、違うのが怖い、期待を裏切るのが怖い、そういうことだとろ」

「そんなわかったようなこと!

 私だって、反対したし、嫌だと言ったわよ」

「……けれども、結果受け入れた」

「それは……」

「大きなことを決めるには、自分をつらぬいて、押し通す明確な意思が必要だ。

 なんとなくこうしたいとは、押し流され易い。

 茉莉花が議員になるにせよ、ならないにせよ、な。

 ここで最悪なのは、時間切れという選択をすることだろう。

 それは何も決めていない、そうも言えることだからな。

 それではこれまでの人生の後悔を、なぞるように繰り返すだけだろう」


 結局、感情が昂ぶっているのは泣いた茉莉花だけじゃない。

 自分の意見をいっぺんに押し付けようとするかのごとく、くし立てる俺もまた、冷静ではないのだ。


「そしてまず、茉莉花には今しなきゃならないことがある。

 そもそも逃げおおせて、服も与えられた今、どうして出て行くことをしないんだ?

 もう出て行く自由を手にしてる。

 俺は首輪をつけた覚えはない。

 それとも恐怖か、呪いか、見えない何かの糸で、俺が縛り付けているのか?

 そうじゃないだろう」

「そう、わかった。

 今の私には、反論の余地もないわね。

 それを決める前に、私もあなたに聞きたいことを聞くわ。

 どうして、どこの誰ともわからないうちに、私を凜々ちゃんに会わせたの?

 安全を考えるなら、どこの馬の骨とも知れない私に大事な娘を会わせるなんて、最悪の手よね?」


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