其の三 俺は色んな怨霊に祟られている由

 【番町皿屋敷ばんちょうさらやしき

 昔々の江戸時代、荒れ果てた屋敷の井戸に夜な夜な女の幽霊が現れた。

 幽霊は井戸から火の玉を伴って現れ、「一枚、二枚…」と恨めし気な声で皿の枚数を数える。

 その名を『お菊』。かつてこの屋敷に下女として仕えていたが、十枚ぞろえの家宝の皿を一枚割ってしまった角で苛め殺され、その恨みにより幽霊となって現れたのだ。

 「三枚、四枚、五枚…」お菊は皿を次々に数えていく。

 そして最後の十枚目を数えるところで、酷く低く恐ろしい声で唸るのだ。

 「一枚、足りない…」


 そんな前情報俺が知ってるわけないだろう。

 現代文も日本史もろくに受講していない貧乏学生、この無頭詠一が。

 と、ゆーわけで俺はスマホでこのお菊さんとやらの情報を読んでいた。

 「すごい!すごいですねぇ、ぎやまんの板が光って文字まで出てます!」

 読んだのは良いけどさ。

 いや、うん、こいつが何者かも大体理解したけどさ。

 「現代は凄いですね。町はきらきらだし、こんな凄い物はあるし。お店に並んでいるお皿はどれもこれも素敵なモノばっかりだし。承応じょうおうの時代とは大違いですっ」

 とてもじゃないけど、そんなおどろおどろしい霊に思えないんだけど、この

 今だってほら、俺の後ろからスマホ見て目ぇキラッキラさせてるし。幽霊っぽい暗さとか影とか一切ないし。何ならこんな純粋そうな瞳をした人、現代社会じゃ生きてけないし。

 「…あ、あのー、あんたこの、お菊さん?」

 俺の質問を聞くや、お菊さんは子供みたいな笑顔で喜んでいる。

 っつーか、普通に可愛い女の子だし畜生。

 「むっ!さん付けとは何だかさっきと態度が変わりましたね?察するに、この私が何者なのか、ようやく分かってくれたのですね?」

 「分かったは、分かったっつーか」

 何でここにいるのかはさっぱり分からないっつーか、とはさすがに俺も言わない。言えるか。

 だけどお菊さんはとても嬉しそうに両手を腰にやり胸を張った。

 「そうです!私こそが、お岩様におるいちゃんと並ぶ日本三大幽霊の一人、お菊なのです!まだお江戸が公方くぼう様の天下だった頃には、町衆にそれはもう大人気で毎晩引っ張りだこだったお菊ちゃんなのですっ!思い知りましたかっ」

 なんだろう、ものすっごいドヤ顔だよこの霊。

 オイワサマやらオルイチャンやらというのは同じ幽霊仲間のことなんだろうか。ひょっとしてどっちかがさっき玄関にいた黒い女か?

 まあ、何であれどう見たってこのお菊さんはおっかない霊に見えない。見えない筈なんだが。

 「えーと、で、お菊さんは俺をタタリに来たと」

 「はいっ」

 そんなに元気いっぱい答えられても。

 「タタルってのは、つまりそのー、どういう風に」

 「それはもうてってー的に。産まれてきたことを後悔する程度には苦しめて追い詰めて発狂しても死なせてあげない感じに祟るつもりです!」

 鬼畜の所業だよそれ。

 「それは、どうしてもしなきゃいけないわけ」

 「はいっ!貴方の事を、いいえ、無頭家の血筋の方を子々孫々末代どころか!畜生に生まれ変わっても!例え異世界に転生しようとも!大サービスで祟っちゃおうと決めているのです!」

 晴れやかな笑顔で言われても困る。いらない。そのサービス絶対いらない。

 何なんだ。俺、なんかしたのか。このどうやら有名らしい白っぽい幽霊に。

 頭痛くなってきた。

 「どうしましたか?青ざめてますけど、具合でも悪いんですか?」

 「あ、ああ、体調とかは、心配してくれるんだ」

 「はいっ!祟る前に倒れられても困るのでっ」

 そっかー、そうだよなぁ。って納得してもなー。

 「んで、それは、何で?何で俺そこまで恨まれてるの?」

 俺はもう、いよいよ畳に手をついてしまった。

 自分でもびっくりだけど、この状況をすんなり受け入れている自分がいる。だってしょうがないじゃん。目の前に現実にいるしさ、幽霊。どう見たって本物だしさ。

 「それはですねぇ…」

 「汝があの娘の孫であるからよ」

 知らない声がした。

 野太く力強い、男の声が。

 がばっと顔をあげる。するとお菊さんの着物の袖から、ごろりと何か大きなものが転がり出てきた。妙に膨らんでるとは思ってたけど。

 それはごろごろ音を立てて床の上を転がると、案の定ふわりと浮かび上がった。

 「無頭めの孫であるからよ」

 空中に浮いているそれは、切り口も生々しい生首だった。

 ごつい男の真っ白な生首だ。髭は伸び放題。髪はざんばら落ち武者ヘアー。目はぎらぎらと光ってて、おまけに額には真っ赤な風穴があいている。

 これも幽霊なのか。お菊さんとは全然違うベクトルだけど、幽霊なのか。

 ガチ悪霊じゃん。こんなの。

 「ありゃま新皇しんのうさま。お出になられて良いのですか?」

 お菊さんが生首に声をかける。シンノーさま?誰ですかそれ?

 「このガキめが余りにらちがあかんのでな。こやつ、事情を全く知らんのではないかな」

 「あ、新皇さまもそう思いました?実は私もそう思ってました」

 「さもあろうなぁ。まあ祟る事に変わりはないがな」

 「ええ、変わりありませんね」

 そこは変わってくれると俺としてはとても助かるんだけどなぁ。

 って、ゆーか今この霊ズ、皆でって言ったか。間違いなく言ったよな。

 まさか、他にもいるのか。祟ってくる霊が。

 「れど何の事情も知らずただ祟られるだけなのはこやつも浮かばれまい。おいガキ、拙者が何者か、分かるか?」

 生首がずいっと俺に顔をよせてくる。俺はひきつけを起こしそうになる。でもここで気絶したらそれこそ何されるか分からない。とにかく頑張って首を横に振った。

 「左様か。まぁそれも致し方あるまいな。どうも過去の事にはあまり拘らぬのが今様いまようであるらしいからのう」

 「この人、私のこともさっぱりだったんですよっ!」

 お菊さんがハムスターみたいに頬を膨らましぷんすか怒っている。つくづく幽霊っぽくない。

 「ふむ、では名乗ろう。拙者、名を平将門。かつてこの坂東にて覇を唱え新皇を名乗りし者が成れの果てである」

 「たいらの…まさか、ど?」

 「知っておるか」

 知ってるわけなかった。口をつむいで目を逸らしていると、将門さんはアンニュイな表情でため息をついた。

 「むぅ。拙者ももうちょっと有名かと思ったがのう。何というか、流行が過ぎ去ったたれんとのような、妙な気分よのう」

 「タレントですか?役者さんたちとかですね。私のお社へもたまに来ますよ」

 「うむ。誠に面白い人種であることよなぁ。いきなり拙者の塚に飛び蹴りかましてきた豪儀な奴もおったぞ。ま、漏れなく酷い目に遭わせてやったがな!」

 カッカッカッ!とか将門さんは時代劇みたいに笑う。どんな酷い目なのかはあんまり想像したくはない。ってか、ちょっと待て。

 「あ、あのー…」

 「何じゃ、おもむろに手なぞ挙げおって」

 「俺は特にその、将門さんを怒らせるようなことした記憶ないんですけど…」

 そもそも存在自体今初めて知ったし。

 「うむ、そうであろうな。知っておる」

 えぇー。

 平然と返さないでほしい。

 「そ、それでも俺はたたられちゃうんですか」

 「おう祟るぞ。力の限り全身全霊を込めて祟りつくすぞぉ」

 何でこんなにいい笑顔かなこの生首。

 俺が頬を引きつらせていると、将門さんはゴホンと咳払いした。

 「無頭の小せがれよ。汝は無頭家の千草ちぐさという名前に心当たりはないか」

 大真面目な顔で迫ってくる将門さん。俺は必死で脳内の記憶を探った。どっかで聞いた名前だ。誰か親戚でいやしなかったか。

 あ、そうだ。

 「死んだ婆ちゃんの名前です」

 思い出した。確か俺が産まれる前に亡くなった、婆ちゃんの名前だ。何年目のだか忘れたけど、法事に出たのを覚えている。

 「左様、汝の祖母じゃ。汝、いやさ無頭の家の者らも知らぬ事であろうが、かの千草めは日本全国津々浦々の怨霊から、大層恨みをかっておるのだ」

 「怨霊、からですか?」

 「いかにも。非業の死を遂げ、世を呪い人を呪い、輪廻の道からも外れついには尋常ならざる力を得し霊たる、我ら怨霊からじゃ」

 俺はお菊さんと、将門さんを見比べた。

 「…えーとそれは、普通の幽霊とは違うんですか?」

 「どちらも似たようなものだ。我らの方が多少、格上かのぅ」

 「何かこう、凄いことが出来るんですか?」

 怨霊相手にどんどん敬語が板についてくる俺だ。大学の教授だの勤め先の先輩にもここまで丁寧っぽい喋り方しないぞ、普段。

 「おおそうじゃな。天変地異ぐらいはな」

 「てんぺんちい」

 「うむ。地震い、雷、大火、洪水、日照り、疫病にいくさなんかも起こせるぞ」

 アウト。

 全力でアウト。何それ。

 人間が勝てる相手じゃないじゃん。

 災害とか、イクサって、え、戦争?どんだけだよ。どう対応すりゃいんだよ。

 俺みたいな大学生でどうこう出来るわけないじゃん。

 「そ、そ、その怨霊さまに、うちの」

 俺はもう床に突っ伏して、生まれたての小鹿みたいに体をぷるぷるさせていた。

 「この人どんどん卑屈になっていきますね新皇さま、うりうり」

 なんて言いながらお菊さんが俺の後頭部を突っついてくる。やめて。すり抜けてるけど、体はすり抜けてるけどさ。今の俺そんなのに対応する余裕ないから、ほんとやめて。

 「うちの婆ちゃんが何を…ま、まさか⁉」

 俺は思い当たった。いや、そりゃ恨みを残す理由なんか一目見りゃ分かるじゃないか。この将門様、首だけじゃないか。ってことは。

 「その、く、く、首を…ッ⁉」

 キョドりまくる俺を、将門様はじっと見つめた後にげらげら笑った。

 「案ずるな!拙者が首をはねられたるはもう千年以上も昔のこと。汝の祖母めが関わりあう訳が無かろう!」

 そ、そうか。いや、言われて見りゃそうだ。この将門様については全く知識が無いけど、この落ち武者な見た目からして、とりあえず侍だったんだろう。うちの婆ちゃんだってさすがに侍と関わり合いがあるほど長生きしてないって。

 ちょっとだけほっとした俺は、額の汗を袖でぬぐった。

 「じゃあ、うちの婆ちゃんはその、何を」

 ずしん。

 体が浮いた。

 体どころじゃない。部屋が丸ごと浮いたような、地響きがした。

 お菊さんがぱっちり大きな目をしばたかせた。

 「…えーと、新皇さま?私、今の地震いにとっても心当たりがあるのですが」

 「うむ、来てしもうたようじゃな。神田で大人しゅうしておれと言ったのだが」

 髭もじゃの生首が、他人事みたいに言った。

 「来たって…何が?」

 ずしん。

 俺が質問を言い終える前に、また部屋が丸ごと震え上がった。

 え、いや待て。何だこれ。

 明らかに地震じゃなかった。なんだかおかしな揺れ方だ。

 ずしん。

 ちゃぶ台の上に置いてあった雑誌の束が、ざらざら床に散らばった。

 「新皇さま、あちらは置いてくるというお話だったのでは…?」

 「来てしまったものは仕様があるまい。なぁに、どうせ大した事にゃならん」

 「え、江戸の町が壊れちゃうのでは?」

 ずしん。

 そうだよ、よく映画で見かけるような揺れ方だ。

 何か恐竜とか怪獣とか巨大ロボとかが、目の前に迫ってくる時みたいな。

 お菊さんが将門様に縋り付いている。

 将門様は半笑いだ。

 俺はまた、額にぽつぽつ汗が吹いてきた。

 ざしゅ。

 突然、頭の上を風が吹き抜けたような気がした。窓も閉まってるはずなのに。

 俺はさっと天井を見上げた。

 何かがおかしかった。何か、いつも見上げている天井とは違和感があった。

 そうだ、何だかずれているんだ。

 全体的に、天井そのものが、斜めにずれて――。

 「ふお」

 変な声が出てしまった。

 天井が丸ごと、横へスライドしていく。、俺の脳みそは咄嗟にその現実を理解してくれなかった。

 そしてきれいさっぱり天井どころか屋根そのものが取り払われた。現れたのは、ぼんやりと明るい東京の夜空。それを背景に、大きな物が俺の部屋を覗き込んでいた。

 「こ、こ、こ、こいつはっ!」

 それは十メートルを軽く超える、巨人だった。

 ただの巨人じゃない。

 日本風の、侍の鎧なんか着こんでやがる。時代劇で見る系の、あれを。

 それに何よりこの巨人、本来あるはずの所に、無い。

 ものの見事に、首が無い。

 「まさかどさまぁっ⁉」

 「あー、無頭のこせがれよ紹介しよう」

 お菊さんがめっちゃ泣きわめいている。

 十メートル越えの体に見合った馬鹿でかい刀を、巨人が振り上げていく。

 「これ、拙者の胴体じゃ」

 あっけらかんとした生首の言葉と共に。

 空からビル並みサイズの刀が、降ってきた。

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大々大大大怨霊 えあじぇす @eajesu

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