紅色 ~傷~ 36

あらすじ──くじらさんにドロップキックを喰らい、そしてなぜか、テニスをすることになったのである、以上。


街外れにある無人のテニスコートに僕と鯨さんはいた。柵は所々破れ、ベンチは錆や鳥の糞が固まったものが多くできることなら座りたくない。メインであるテニスコートも数多のひび割れが見受けられ、ネットも数箇所穴が空いている。

夜などの周りが暗い空間だと心霊しんれいスポットになるじゃないか?と思った。

僕をここまで連れて来た(強制)鯨さんの奇行の理由を訊ねた。


「奇行?オイオイ、奇行とは酷いな。ワタシはこうして社会人らしくコミュニケーションを取ろうとしているのに」


鯨さんは体操の王道屈伸をしながら、目線を上下させて、僕はこの人いきなり体操たいそうし始めたよと苦笑する。

一般人の僕にドロップキックを喰らわす辺りで社会人とは言えないが。

ドロップキックもコミュニケーションに入っているならどんなツンデレだ。ツンツンツンデレだ。ツンが多すぎてデレなんて覆い隠してしまって可愛げもない。

コミュニケーションというなら、ドロップキックじゃなくてその胸辺りに実っているたわわな果実おっぱいを収穫させてほしい。


「ワタシのおっぱいを収穫したければ、お前の寿命が尽きる頃まで待て。その頃が収穫時だ」


「僕、死んでるだろ。それ」


「今すぐにでも死んでほしいがな」と鯨さんはボソッと呟く。

恐ろしいことを平然と言うな。

僕はまだまだ生きてしたいことがあるのだから。例えば、


「例えば?」


と、伸脚をしている鯨さんが訊く。

屈伸の後、伸脚をしてるってことは次はアキレス腱かな。


「スカート捲り、とか」


「はぁ?」とドスの効いた声でアキレス健を伸ばし(実際にはアキレス腱は伸びないけれど)た状態で首だけをこちらに向ける。

アキレス腱伸ばしまでやるのか、この人本気でテニスするつもりだな。僕も簡単に体操しとこうかな。

僕は屈伸し始めた。


「スカート捲りといえば男子なら一度はやってみたい衝動に駆られるレベル1のエロ行為じゃないですか。僕は小学生の頃から高校生になって今日テニスコートにいるまでに一度もやったことないんですよ」


「その歳でスカートめくりをしたらセクハラ行為だぞ神無月かんなづき


「僕としてもおっぱいを揉んだり、お尻を揉んだりしたいとは思うんですけど、それよりもスカート捲りを方がやりたいなぁ〜……と」


「欲望に素直なんだな」


鯨さんは、またバカにしているような哀れんでいるような曖昧な返事をする。

鯨さんに素直な受け答えをされたら僕の方が対応に困る。

僕の中の鯨さんのイメージは暴虐武人暴走列車の如く停止するという概念を持たない男子の僕より男らしい女なのだから。

調子がくるう。


「小学生の頃の僕はそれはそれはお利口さんを絵に描いたような真面目で誠実せいじつな少年でしたから、スカート捲りなんて、おそろしいことを僕にはできませんよ。あ、でも妹にはしたことありますね、スカート捲り」


そう、あれは僕がまだショタっ子と呼べる可愛い男の子の頃。小学校が終わり、一人帰路についた(別に友達がいなかった訳じゃないけれど……)道中、とても綺麗なお姉さんに出逢ったんだ。そのお姉さんは小学生の僕でも理解できる程に色気いろけがあった。一つ一つの仕草が色っぽく、髪を掻き上げた後に残った甘く蕩けるような匂い。黒いVネックワンピースを身に纏っていた。その女性の容姿は美人と呼べる程に整っていた(胸はちょっと残念だったけれど)。顔まではよく思い出せないが黒髪ボブだった気がする。

高校生になって多少の語彙力を身に付けた僕にしてみればあの女性は未亡人にも見え、

どこか退発的な美しさを持った女性だった。

あざやかさや明るい感じではなく、今にも消えてしまいそうな程に弱々しいその姿にもしかすると亡くなったお婆ちゃんを投影していたのかもしれない。

すれ違う際にほんの少し話しをしたのだが、あまり深く内容を思い出せないし、鯨さんに話したところで茶化されるのがオチか。

その後家に帰るとリビングに妹がいたので僕は真剣な表情で「スカート、捲っていいか?」と言った。

すれ違った女性の色気に充てられて僕の中に燻っていた欲求が現れたのだろう。

言った後に気付いたが、こんな欲求丸出しのお願いを聞いてくるれるとは到底ありえないだろう。それも家でも大人しい妹に。思い返すと僕の初の変態行動はこの時が初めてだったかもしれない。

返答は予想外にもOKのサインが出た。

人生初のスカート捲りに興奮こうふんする僕は、まるで歴史上の偉人の彼等が歴史に名を残す偉業を成し遂げる時のように胸を踊らせ、瞳孔どうこうを開き、息を荒らげ、時間がゆっくりなっているのを認識しながら、冒険に出発する勇者のように勇気を持って踏み出した。

でも不思議とその時の記憶が曖昧でハッキリとは憶えていないだよな。

捲ったのは確かなんだけど、肝心のパンティーが何色だったかとか妹の顔とか重要な情報が抜け落ちている。

う〜ん、モヤモヤするな。


「──で、神無月はその女性に恋をしたと。いや〜マセてるね。小学生のガキの癖に大人の女性に恋をするなんて。まさか、年上がタイプか?何、ワタシ狙われてる?」


アキレス腱を伸ばす。

僕の話に一々ボケてくる鯨さんは無視して準備体操に専念しよう。

ちゃんと準備体操しとかないと足がつったりして危ないからな。それで昔酷いことになった痛い記憶がある。何事も過去の経験から学べってな。

高校生二年生になっても僕は準備体操もキチンとする真面目で誠実な高校生だ。


「…………ふんッ!」


「ぶけらァ!!」


鯨さんに頭を殴られた……訳ではなく、かかと落としを喰らった。

なぐるではなく、かかと落としという攻撃コマンドを選択するあたり鯨さんらしいのではあるが、これは些か……威力高すぎじゃね?

埋まってるよ、僕。


「ちょ、ちょっと威力高すぎでしょ!やりすぎだー!ほら見ろよ僕、埋まってるよ。テニスコートに埋まってるよ。シュールにも程があるわ!」


「ん〜、テニスコートに埋まりながら頭だけが飛び出てるのは、思いの外……キモイな。ニョキっと生えてる突起物じみたのがこれまたキモイが、……傍からはホラーだな」


「……当然でしよ。こんなの誰が見たってホラーだよ。周りに人がいないからまだイイものを。こんな所を今までのやり取りを知らない人が見たらどうなることやら。……想像したくない」


ここは街外れ。

人口都市の都会的雰囲気も少なく、周囲しゅういには人影は見当たらない。草木を生い茂っているこの場所は人口都市という大きくも小さくもない地域にまだ一年程度しか滞在たいざいしていない僕にとっては人口都市があった世界とは乖離かいりした別世界に感じた。

首を動かし、右側を向く。

天気は良好で、遠くに赤くぼんやりとゆらゆらと祭りに配置される提灯ちょうちんのように何だか胸がポッと暖かくなるような陽光を頭だけ受けながら、ここまでの色々な出来事を少しづつ整理して、少量だが消化していった。


「さてと、テニスするか」


埋まってる僕で遊ぶのが飽きたのか、鯨さんはそう言ってテニスコートに埋まってる僕を引っこ抜いた。

畑に実っている野菜等を抜く時みたいにグッとガッとミシミシと鳴り鯨さんに反抗する地面を意も返さず腕力で屈服させた。

あぁ、絵本に登場した大きなカブは人間に引っこ抜いかれる時は、こんな気持ちなんだとしみじみと想い、テニスコートに埋まるという常人では決して体験できない今回の出来事をこれからのかてにしていこうとポディシブに引っこ抜かれるながら心に決めた。


「さあ、先行後攻を決めるぞ!」


「どうやってですか?ジャンケン?」


何故だがテニスすることになったが、テニスコートまで来てしまい、テニスラケットやテニスボールはどうするのか?と疑問にしていたけれど、直後上空から隕石いんせきの如く落下してきた黒いブツの正体を暴いてその疑問は解消された。


「な、何ですかそれ!?」


落下してきた黒いブツを指差して、鯨さんとブツを交互に視線を泳がす。


「これか?見りゃわかるだろ?ここはテニスコートだぞ。そして、ワタシ達はこれから手に汗を握る試合を行うんだ。なら、わかるだろ?」


そう言うわれ、僕は黒いブツを女の子の身体を隈なく舐め回すように見る時の目をする。

縦長い鞄のようだった。

外側には二口のポケットが付いていた。

黒い鞄の中央にはスポーツメーカのシンボルが描かれていた。

黒い鞄のてっぺんと横腹には中に入っている物のでっぱりが見てとれた。


「……テニスラケットですか」


僕の結論に「それとボールもだ!」と鯨さんは付け加えた。

付け加えたところで、テニスバックが隕石の如く周囲一帯に粉塵ふんじんを撒き散らすほどの高度から落下してくる理由にはならない。


「……何ですかこの状況」


「どうした神無月。まるで人間が核ミサイルを受けたかのような顔をして」


「何度も言うけど僕死んでるよね。そんなに僕を死なせたいんですか?」


「うん」


真剣な表情で言わないでほしいものだ。

鯨さんがもし本当にそう、『神無月を殺したい』と思っているなら、僕はとうの昔に人間に蠅みたいに簡単に為す術もなく呆気なく殺されているだろうから、これは冗談なんだと受け流せる。


「そんことよりも、と言うには些か物騒だけれでもあの鯨さん、鯨さんはどうしてここに落ちてくると知ってたんですか?」


「あれ、ワタシそんな知ってる風なこと喋ってたっけ?」


「こんな場所に来て、こんな状況でそんな意味ありげな笑みを見せられたら誰だって推理できますよ」


「アハハハ!そりゃそうだ。持ち運ぶのがちと面倒めんどうでな、知り合いにここまで投げてもらったんだ。塞がることはないし、ワタシも楽だ。一石二鳥だろ」


と高笑いをする。豪快ごうかいに男らしく。

ここまでほおり投げてもらった、と鯨さんはボールを投げるのと同じ程度の認識しかないのかもしれないが、せやかて鯨さん、そんな『力』だけでやってみましたと笑いながら言われても僕の知っている人間には到底不可能なアクションに思えるのだが。

その知り合いは人間ですか?


「少し失礼します」


テニスバックを持ち上げてみるが、テニスラケットとテニスボール以外何も入ってなくてもそこそこの重量だ。

これを上空にほおり投げることは僕にもできるにはできるが高度などたかが知れてる。

その知り合いも僕の常識では計れないくじらさんと同類かもしれない。

……その知り合いもそうたけど、どんな耐久度してるんだそのテニスバック。


「昨日観たアニメが予想外に面白くてな、お前とテニスするつもりで探していたんだ。という建前を語っておき、実際のところだだのパトロールだボランティアだ。依頼いらいだ。このテニスバックを投げ込んだ奴もこの付近でワタシと同じくパトロール中だったんだ」


パトロール?

ボランティア?

依頼?


「それは一帯──」


何ですかと訊ねようとしたが、何んだか知らないが厄介事に巻き込まれたくない僕は喉まで上がってきた疑問をごくりと飲み込んだ。


「さ、テニスやるぞ」


夕方にこうして鯨さんの純度100%我が儘でテニスをすることになった。

家族に頼まれた買い出しはこれが終わってからにしよう。ここで逃げ出しても鯨さんに首根っこ掴まれて連れ戻されるだろうし、僕も色々とあってモヤモヤしているのを発散したいし。

とまぁ、いざテニスを始めてみると自分の浅はかさを思い知らされた。

考えてみてほしい。

人をまるで紙屑のように簡単に吹き飛ばす暴力。人をまるでスーパーボールのようにバウンドさせる暴力。人を安易に理不尽に殴り飛ばせる暴力。一撃一撃の拳圧で大気が震える程の理解不能な威力を合わせ持つ手足を自由に扱える暴力。例え相手がロリでもショタでも無情に非常にその拳を血に染めれることができる割り切れる暴力。

暴力を暴力で暴走しないように管理することができる砂丘鯨という一人の女としての圧倒的暴虐武人としての完成度。

こちらの言うことなど全く聞きもしない扱い易いが扱いにくくもあり、取説が作らていない女の彼女が、どうしてできようか……。


「おゔぉぉぉげッ!?」


みぞにめり込むテニスボールという名の凶器が次々とラッシュで飛んでくる。


「これがワタシの──鯨式弾丸サーブ!」


「ゔッおぎゃ!?」


弾丸という比喩を力技で現実のものとした本物の色がカラフルな弾丸が僕の身体を撃ち抜く。


「鯨式ジャックナイフ!」


「──ッがはっ!?」


ナイフではなく巨漢が持っている大ぶりなおのが勢いよく振り抜かれる。その衝撃は実物の斧と何ら変わりはない。


「や、やめ」


「オラオラ!ドンドンいくぞ!」


テニスラケットという大砲からテニスボールという砲弾が発射される。

打ち出されたボールのほとんどが僕の身体を目標に迫ってくる。それ以外のボールは網にめり込み、じゅう〜とボールが黒く焦げ白い煙を出している。

──これはテニスじゃない。

サーブで打ち出されたボールは、すぐにバウンドすることはなく、暫し着弾したその場でギュルギュルと怪しげな回転音を刻み、


「に、逃げろ!」


この後起こる現象に背筋が寒くなるような恐怖を感じた僕はその場から右方向に逃げ出した。

──だが、それは愚行ぐこうだった。

ギュルギュルと回転音を刻むボールは、バシュッと破裂音を鳴らし、そのまま右方向──僕の方へと進路を変更した。

敵が逃げたかとわかれば、すぐさま追尾するまるで誘導ゆうどうミサイル。


「ぐはぁッ!?……これはツイスト──」


「違う。鯨式キックサーブだ!」


──どっちも同じじゃねぇか!

吹っ飛ばされた僕を待っていたのは熱い熱射で焼かれたテニスコートだった。

身体的苦痛と皮膚が焼かれる苦痛と何もできないまま鯨さんのサンドバックにされた苦痛が橙色の空を見上げながらひりひりと伝わる。

──これは暴力ぼうりょくだ。

宙を舞っていた感覚を未だに残しながら、僕はこんな暴力が早く迅速に終わることを心からて願った。


「オイ。こんな所で居眠りか?寝坊助ねぼすけの神無月らしいな。アレか?僕の特技はどこでも寝れることですとか、そういうアピールか?」


「あれだけ……はぁ……、殺傷能力満載の砲弾を浴びせ続けた本人が言う言葉ですか?僕のこの哀れな姿を見て何か言う言葉があるんじゃないんですか」


「ぷぷッ」


「反省の色がなーい────────!!!」


ぴょ〜ん。

テニスコートにかっこ悪く大の字に延びていた僕は飛び上がって鯨さんに持っていたテニスラケットでおもいっきり殴りかかった。


「ふん!」


「ごふぉ!?」


案の定予定調和な感じに蹴り返された。

殴りかかったテニスラケットは粉々に粉砕され、尚且つそこにカウンターで回し蹴りをぶちかますその大人気なさ。

──感服するよ、その曲げない姿勢だけは。


「ふぅ。中々イイ汗かいた。感謝するぞ神無月。中途半端ちゅうとはんぱに生きている神無月にもできることはあるんだな。調査しても不思議と進展がなかったからな、鬱憤晴らしにはちょうどよかった。また頼むよ神無月」


──もうごめんだ!


「じゃ、ワタシは帰るから。テニスラケットとテニスボール片付けよろ」


「え?あ、あの持って帰らないんですか!?」


「面倒いだろ」


一言そう言い、鯨さんはテニスコートから出で行こうした時、一度僕の方を向く。その顔はいつものだらしない顔ではなく、珍しく真剣な表情で真剣な口調くちょうで、何か確信かくしんめいた物言いで、


神無月かんなづき、お前は近い内嫌が応でもこちら側の世界に関わることになるだろう。お前の性格を考えれば容易に想像がつく。その時は精々頑張れ。それにお前は以前──」


──こちら側にドップリと浸かっちまったんだからな。


と、鯨さんは滲み出る感情を押し殺したかのような声色で言い残し去っていった。

残された僕は再び大の字に寝そべる。

鯨さんに言われたふわふわと現実味のない言葉が僕の頭の上を漂う。

結局、鯨さんが何のために何をしているのかはわからない。あの人を制御することは神様かみさまにだって難しいだろう。

鯨さんは何かを知っている。

けれど、問い詰めようとは思わなかった。

僕には何かができると過大評価することはできないし、僕に今のところ被害はないし、僕の方のごく普通の日常はいつも通りに通常運転だ。

でも、くじらさんのあの言葉に返答するなら、


「……わかってるよそんなこと。だから思い出させるなよ」


買い出しもどうしよう。




















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