紅色 ~傷~ 22

「何かしたんですか?」


少女は眼前かんぜんでこちらを見下ろす女に問う。


「何も。まだ何も。まだまだ何も」


──してないよ


と、女は少女に素直に現実のとても残酷で非常な現状を″確認″させる形で返答した。


「そうですか……」


──とても信じられない。

少女は信じられないとわかっていながらも「わかった」と無理矢理肯定するしかないことが悔しかった。

目の前にいるこのクソ野郎に自分の今にも逃げ出したくてたまらない衝動を気付かれないよう平静な顔を装っているが、その表情は徐々に苦悶くもんの表情へと変わる。


「あの私との″約束″、ちゃんと守ってくれますか?」


「どうかな。私もできれば守りたけど、何事も不確定事項イレギュラーは起きるものだし……」


不確定事項イレギュラー?」


「そうだよ、イレギュラー。例えば、君が私との″約束″を守らないって、こともありうるってこと」


「私は一度決めた約束を破るほど適当な人間ではありません。……それは、私の今までの人生への侮辱ぶじょくあたいします」


少女は自分の豊満ほうまんな胸の前でギュッと拳を握りしめて女に鋭い視線を浴びせる。

明らかに少女のかんに触ったらしい。

女はやれやれと肩をすくめ、


「君がどんなに立派な人間で、どんなに人に誇れる人生を歩んで来たとしても、このことに関しては全くの無価値だ。君が周りがどれだけ値を上げようと、ね」


女は満面の笑顔で言った。

少女の視線には意に介さずに平然と笑顔のままでずっといる。

最初に出逢であってからずっと……。


「(……何、この人。怖い。どうして、そんな平然とあんなことをして笑顔ままでいられるんですか。本当に妹と同年代?)」


少女は次第に女の目に見えない得体の知れない″何か″に気圧されていた。

踏ん張っても吹いてくる風は全て向かい風。

女の方から、少女の追い風にはならない。


「(ですが、私のするべきことは変わりません。何とか、この女から少しでも私の家族の情報を聞き出さなければ)」


気圧されながらも顔を上げる。


「何度も言いますが、私は約束を反故ほごにはしません。それにどう考えても、現在、貴方の方が有利な立場にいるでしょ」


「立場とか有利とか、そんなことは関係ないんだよ──さん。どれだけ盤石な場面でも、どれだけ有利な立場にいようと、人ってのはそういった逆境を奇しくも超えてくるんだ。その結果に至るまでどれほどの苦難が後悔があっても、人は諦めない。特に今回みたいな誰かの大切な人が関わるかもしれない事件なら尚更、ね」


「私にどうしろと?」


「ん?」


少女の言葉にピンときてないのか、女は首を傾げる。

そんな人を馬鹿にした仕草に少女は我慢していた女に対する怒りが爆発しそうになった。


とぼけるのは止めて下さい。貴方が無理矢理私に了承させた貴方あなたとの″約束″を破らせない為のかせが私の家族だけではないでしょ」


怒りの衝動を何とか沈め、精一杯耐える。


「うん、あるよ。今回の出来事は一本道じゃいけない。途中に複数ある分岐点を、作らなければ『もし』に辿り着くかもしれない。これは、そのための保険。保険もかけすぎるとかえって違和感を感じさせる。だから、ほどほどにするべき。だから────」


「──ッ!?」


女は少女に恐怖した。

女の性格、雰囲気、言葉、思考、行動……。

確かにそれらは、少女の心を麻痺させ、諦観漂わせるまでいたったが、それは些細なことだった。

少女はだだ一言だけ女に言った。


「…………狂ってる…………」


すると、女はその美しい神秘的な髪をなびかせて近寄ってくる。

女は少女の身体の頭の天辺から足の爪先まで視線を動かす。

再び二人の視線がぶつかる。

そして、女は、


「ふふふ。可愛いね、君」


「──!?」


笑った。

愛おしそうな、そんな慈悲深い気持ち悪い視線を向けて。

少女は上半身から下半身まで隅々まで舐め尽くされたような感覚に身悶みもだえる。

肩を震わせ、足がすくみそうになる。

目の端に涙が貯まる。


「あ……あ、の…………ッ!」


「どうしたの?そんな顔を真っ青にして。さっきまでの強気さはどこいったの?そんな、涙目して、何か怖いことでもあった?なら、相談に乗るよ。私は君に共犯者になってほしいと言ったけど、何も一方的にって訳じゃない。君が悩んでいるなら、私は精一杯協力するよ。これは強制じゃないから、無理にとは言わないけど、何か困っている聴くよ。暫くは一緒に行動する仲間なんだし、さ。だからね、逃げないで……ね♪──さっ、身体が震えてるから暖かい紅茶でも飲む?私、いつも水筒には紅茶を入れて行くんだけど……飲みます、か♪?」


「……ゔっ、………あ、あぁ……ど、どうして……………あぁ……」


少女は口をはさめなかった。

ただただ、女の話しに耳を傾けることしかできなかった。

少女は思う。

ただ普通に生きることはとても幸せことなんだと。

少女は想う。

母さんと父さん、そして、最愛の妹との何気ない談話している風景を。


隣で流れるこの人口都市の名所の一つの『三途川さんずがわ』の沿って雄大に生える並木道の木からひらひらと一枚の葉が枝から千切れ、川の中へと沈んでいった。

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