40話 希望

 その前には、如何なる存在も形を保つことを許されない。

 曇り空を引き裂いて飛ぶ二筋の軌跡は違うことなくパンドラの核を貫いた。

 一際激しい光が放たれ、たまらず帝たちは目を覆った。

 目を開けないながらも、そこに宿るは勝利の確信。胸が高鳴る。


「・・・・・・やったか」

「まだ、見えない・・・・・・」

「これなら流石にやつも・・・・・・いや!」


 その違和感を最初に抱いたのは帝。誰よりも至近距離でその力を浴びてきたからこそ感じられるあの悪寒がどうしても拭えない。

 薄っすらと開けた瞳の端に映したのは、空中を漂う黒い点。それは、妖精残滓。

 心が恐怖を感じるよりも早く、叫んでいた。


「全員、伏せろおぉぉぉぉぉ!!」


 闇が膨れ上がり、絶望は実体を持った破壊の渦となって帝たちを包みこんだ。

 絶望、その具現となって濁流の如く脳内に入り込んでくるのは、未知の記憶。

 失われた過去、脳の許容値を超えても尚容赦なくそれは流れ込む。

  

 記憶が、蘇る。


「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 

 激痛に身を捩り、うずくまる帝の横では、絶望の波動に後退を余儀なくされる仲間たちの姿。

 死んではいない、そんな安堵が生まれてしまうくらいにその闇は濃すぎた。

 地面にクレーターを作り、灰燼を撒き散らし、光すら影に追いやる圧倒的な闇。

 聴覚を奪われ、視力も同様に機能を停止させる、痛みばかりがより鮮明になって全身を揺さぶる。


 脳内にはかつての記憶が今の記憶を侵食するように暴れまわっている。


 闇が落ち着きを取り戻す。破壊が一旦は収束するころには、まともに立っている者は一人としていなかった。

 闇が徐々に形成するそれは、今度こそ明確な人のカタチとなっていく。それが、パンドラの本来の姿なのだと直感に理解していた。


 恐ろしく顔立ちの整った美女だ。雪のように白い肌にそれに負けじと、透明なくらい透き通った銀の髪が風に靡く。黒色のドレスを纏い、一切の感情を覗かせない氷の目で帝たちを見下す。


「・・・・・・来なさい、使徒達よ」


 その美麗な唇が紡いだ言葉が何を意味するか、考えるまでもなくそれは、それらは空間を斬り裂いて現れた。

 大気がまるでガラスか何かのように砕け、異次元の門を開く。そこから二つの世界の境界を食い破るようにして、鎌首をもたげた。


 蛇のような姿をしているが、それは妖精だ。全長にして十数メートル。個体差こそあれ、そんな巨大な妖精が計十体、明白な敵意をもって、鳶色の目で辺りを睥睨する。舌先のピット器官が霊力切れの妖精師たちを感知した。


 そいつが何か、瞬時に判断が出来たのは帝のみ。しかし、蘇る記憶の奔流に身悶える帝には、それを口にすることが出来ずにいた。


 妖精、バリオルカ。記憶の中に存在し、かつて倒したと思っていたその妖精が十体以上。

 たった一体で壊滅的な被害をもたらしたそいつが十倍以上になって現れたのだ。パンドラは一言も発さずに、ことの成り行きを高みの見物と決め込んでいる。


 ふと、一体のバリオルカが動かない帝に狙いを定めた。逃げなければ、そんなことは分かりきっているが意思に反して体は言うことを聞かない。


「帝さま!」


 その絶対絶対の危機を救ったのは、横から剛腕を薙いだティルティ、綾乃の妖精だった。

 その怪力に、バリオルカは思いっきり吹き飛んだ。大方他の妖精師に結界維持を任せて飛び出して来たのだろう。


「大丈夫ですの!?」

「はぁ、はぁ、何とか・・・・・・な。・・・・・・っ!?」


 強がろうと笑みを浮かべようとして、再び訪れた痛みに頭を押さえる。自我を保てなくなる、記憶に飲まれて、九条帝というひとつの自己が音を立てて崩れようとしている。


 ・・・・・・そんなのは、嫌だ。


「ぐぁ、ぐっ、ぎっ、ぐっ・・・・・・」


 呻き声が血とともに漏れ出て、それでも片膝をついて立ち上がろうとする。

 そんな帝に、パンドラは冷ややかに言い放つ。


「・・・・・・まだくたばらないのね。希望を捨てないというなら、もういいわ、あなたが来たとかいう世界を滅ぼして、あなたの全てを奪うわ。一欠片の希望も残さない。帰る場所も仲間も何もかも失って絶望するがいいわ」


 身を翻してパンドラはどこかへ飛んでいく。その先に何があるのかは分からないが、その言葉を信じるなら途轍もなくよくない、場所であろう。

 センセイが、伊草が、綾乃が、元の世界に残していた何も知らない大切な仲間たちがいる。殺させはしない。

 しかしそれを追うにも体が、バリオルカが、そして恐怖心が邪魔をする。


「シャキッとしろ! 帝!!」


 そんな舐め腐った魂に喝を入れたのは、バリオルカを切り払った伊草だ。それだけではない、いつの間にか駆け寄ってきた仲間たちが満身創痍の肉体に鞭を打って、帝の代わりに戦っている。


「行ってください、ここはわたしたちがどうにかします!」

「オレたちのことは心配すんな! 仮にも帝さんの仲間だぜ!? 信じてくれよ!!」

「帝さまの苦しみを肩代わりすることはできませんが、一緒に寄り添うことを、支えることができると教えてくれたのは帝さまですわ! 今度はわたくしが貴方のためになる番ですわ!」

「そういうことだ、こいつらは今のお前が好きなんだ。だったら、お前が揺らいでいてどうする! 少しはかっこいいとこ見せてみな、なあ、会長さん?」

「ああ、そうだな。・・・・・・みんな! ここは頼んだ! 俺は・・・・・・パンドラを倒す!!」


 我ながら、単純なやつだ。

 仲間から応援されたくらいで、痛みも、絶望も忘れて、前に進む勇気が持てるとは。

 濁っていた思考はクリアになっていく。

 全ての過去を乗り越えて、九条帝は。会長さんは心に火を灯す。

 そして、帝は思い出す。閉ざしていた、その思いを。 

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