26話 コーヒー

「ご苦労だったな、九条」

「ん? あ、ありがとうございます」


 校舎の影にある自販機で、コーヒーでも飲もうかとやってきたところ、そんな労いの言葉と共に缶コーヒーが投げ渡された。

 反射的に掴み、その主に視線を送る。センセイだ。

 今日は紺のジャージに身を包んでいる。やはり見慣れぬだらしない風貌で、ベンチに深々と腰掛けながら煙草を吸っている。そんな習慣は無かった筈だったが。


「校内は禁煙ですよ」

「固いことを言うな。どうせここにはそう人が来ない。全部屋内の安い自販機に吸われたからな」

「・・・・・・上手いこと言えてませんよ。それに、俺が来てますし」

「そうだな、こんなところにまで、何か用でもあるのか?」

「自販機に飲み物買う以外の用事があるのはセンセイだけですよ。俺は普通にこっちの方が混んでなくて好きなだけです」


 軽く礼を言って、缶のプルトップを引く。喉の奥を温かいコーヒーが流れていく。カフェインが揺蕩う思考を鮮明にしていく。


「まだ昼休みが終わるまで時間がある。少し話さないか」

「? いいですよ」


 招かれるままにセンセイの隣に腰掛ける。はっきりと煙草の臭いを感じるが、それは表情に出さず顔をセンセイの方に向けた。


「そういや、お前私のことをあいつに訊いたんだって?」

「あいつ・・・・・・ああ、刀薙切のことですか」

「それを言えば私も刀薙切だ、吹雪と呼んでやってくれ」

「分かりました。で、吹雪さんが何か」

「いやな、昨日やけに怒って帰ってきたと思ったらお前が私のことを聞いてきたと愚痴ってな。私に何か用でもあったのか?」


 やはりあれは怒りだったか。しかし本人に話せるようなことでもないので思案する。


「特に深い意味はありませんよ。話題に困ったもので、ね」

「・・・・・・本当にあいつの言っていたお前とは別人のようだな。あいつの中のお前は敬語すら使えないらしいぞ」

「それは酷い言われようですね」

「何か心境の変化でもあったのか?」

「・・・・・・あったと言えばあったんでしょうが、まあ、大したもんでもないと刀・・・・・・吹雪さんにお伝えください」


 不容易に誤魔化そうとせず、ある程度は事実のままに話す。センセイは白煙を空に吐くと、帝の方を向いた。


「そうか、だがそれはお前が自分で伝えろ、あいつはお前の言葉を待っているからな。お前がどう変わったかは知らないが、あいつだけは特別扱いしてやってくれないか」


 そのどこか悲哀を忍ばせた横顔の真意は掴めない、センセイが妹に対してどんな本心を持っているかも。だが帝は、その言葉にこれだけは曲げられないと咄嗟に答えていた。


「特別扱いは、しませんよ。俺には誰か一人にだけ優先順位をつけることも、誰か一人のために動くこともするつもりもないです。特別と言うなら、吹雪さんだろうが、他の奴らでも、センセイでも変わらないです」

「・・・・・・口説いてるつもりか」

「? そんな意図はないですよ。俺はただ、センセイも大切ってだけですから・・・・・・・・・・・・ん? ・・・・・・・・・・・・!?」


 昨日といい、今日といい! 失言が止まらない。ついうっかりが繰り返されるほど、自身が緊張感を抱いてなかったことに愕然とする。


「・・・・・・・・・・・・っ」


 センセイは目を見開いて帝を見つめている。そこにはありありと驚きが現れていた。

 それはそうだ。これまで碌に接点のなかった相手に急にそんなことを言われては驚きもするだろう。場合によらずとも変態かもしれない。


「っ、私は戻るぞ」

「あ、はい」


 慌てるように席を立ったセンセイは、目を瞬かせる帝を置いて、帰っていく。


「拙った、かな」


 残された帝はそう呟いて頬を掻いた。 

 だが、なんだろうこの思いは。

 ここでセンセイと会えてよかった。センセイがいてくれてよかった。そんな感慨を抱いたのだった。


 この世界に来て、変わらぬ縁に導かれてこうして語らうことができる。懐かしさを感じる年でもなかろうに、それでもこの瞬間を噛み締める。

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