それが裏方というもので御座います

「何故勝てないのでしょう」


 道着から普段の外行きの服に着替えられたお嬢様は現在、いつもの作り笑顔を少し曇らせながら、ファッションルームでお鞄を選んでおられます。

 今朝の勝負は11秒、肩固めによるお嬢様のギブアップで決着がつきました。まぁ、お嬢様の体を出来るだけ傷付けないため、毎回決着は固め技なのですが。

 私はまたわざとらしく溜め息を吐いて、失礼ながらお嬢様、と弁論じみた主張を始めます。


「お嬢様は、普通に自分の身を守るのには充分すぎるほどにお力をつけておられます。護身術でなく純粋な格闘をしたとしても、だいたいの相手には勝てるでしょう」

「あら。自分はその『だいたいの相手』には入っていないとでも?」

「ええ」


 にこやかに笑ってみせると、お嬢様は今度こそ、少しむっとした表情になります。いつもの作り笑顔は不自然に大人びていますが、こういうお顔は小さい頃そのままで、失礼ながら少々和ませて頂きました。


「……生きてきた世界が違う、と申しましょうか、生まれの悪さ、と申しますか。練習とか試合とかではなく、私の場合、負ければ死ぬかもしれない、『実戦』の経験が多いのですよ」

「なら私も、そういう経験を積めば空岸より強くなれるのかしら?」

「そういう経験をさせないために我々がいるのですよ。お嬢様、そろそろ8時になりますが、お決まりになりましたか?」

「これにします」


 お嬢様が選ばれたのは、本革の、持ち手の長い小さな緑の手提げカバンです。

 お嬢様がお持ちの鞄の中で、最もチープ(こういう言い方は良くないのでしょうが)な鞄で御座います。私はお嬢様のそのチョイスについて、ぼんやりと意図を想像しつつ、それを受け取ります。

 お鞄に、お嬢様から指示されたアイテムを素早く詰め、蝶番くんが開けてくれたファッションルームの扉を潜り、玄関に向けて歩き出しました。後ろから、お嬢様の恍惚とした溜め息が聞こえて参ります。


「……最も庶民的なお鞄を選ばれた理由は、鳩緒様への第一印象のためですか」

「あまり主人の考えを詮索するものではないですよ、空岸」

「これは失礼しました」


 本日3月31日。

 天候はあいにくの雨で御座いますが、当然お嬢様の恋心は雨ニモマケズ我々ノ制止にも負ケズ。

 その計画は本日、雨天決行の名の元に実行されます。


「空岸。あなたのことは全面的に信頼していますが……いえ、だからこそ。余計な手出しはしないでくださいね」

「承知しております」


 雨でお嬢様を濡らさないようにと、高等な運転技術で屋敷の雨樋ぎりぎりまで車を寄せてくれた専属運転手のブルックシュタインくんに一礼し、私はそれでも一応お嬢様へ傘を差し向けます。

 お嬢様が乗り込まれ、私も乗り込んでドアを閉めます。ブルックシュタインくんの「準備はいいかね」という問いにお嬢様が「あまり飛ばさないで下さい」とお答えしたところで、車は不快な振動を全く感じさせない初動で、緩やかに発進しました。


「いつものリムジンじゃなく、庶民的な車を用意しろとか仰るから。やれやれ、手配すんのに苦労したよ」

「あら。それはご苦労様でした」

「へいへい、心のこもってない労いありがとよ」


 先代の蓮願様とも仲良く酒を酌み交わしていた仲らしいので、お嬢様への不遜な言葉に関しては、特に何も言うつもりは御座いません。

 しかし、今朝ブルックシュタインくんに紹介されてこの車を一目見た時から、私には、ずっと言いたかったことが御座いました。


「ブルックシュタインくん」

「こんなジジイをくん付けで呼ぶなっていつも言ってんだろうが。タヨリちゃん」

「私も、こんな愛想のないアラサーをちゃん付けで呼ぶなといつも言っているのですが。それは置いておいて……」


 ここで、ふぅ、と溜め息を漏らして、座席に深く座り込みます。


「たしかにこの車は、リムジンよりはずっと庶民的かもしれませんが……」

「何だよ。俺が昨日あんたに指示受けてから死ぬ気で卸して来たハチロクに、なんか文句あんのか」

「限定100台販売のハチロクのどこが庶民的なのかと聞いているのですよ」


 私には特にこれといった趣味が御座いませんが、一般的な男性の趣味として、クルマには多少興味があります。

 我々が今乗っているこの車は、あまりクルマを知らない人にも分かるように言えば、某豆腐屋兼走り屋漫画でお馴染みのハチロクという種類……そのシリーズの最新型のようなものです。本当にざっくりな説明ではありますが。

 一見すればリムジンほど目立つ車ではありませんが、しかし。なんとこのハチロクは、一昨年に100台限定で販売された超プレミアカーなので御座います。

 庶民の庶の字もねぇので御座います。趣味酔狂人の域なので御座います。


「弁解してもいいかね?」

「是非聞きたいものですね」

「クルマ好きとしては、フツーの軽を手配するようなマネできんかったのよ。どうしても自分の中の酔狂なアレが勝っちまうっつーか。弁解になってねーなコレ」

「……来月の給与査定、中古プリウス1台分くらいの減額は覚悟しておくことね」


 つまらなそうに窓を叩いて落ちる雨粒を指でなぞりながら、お嬢様はしれっとそう仰いました。

 ブルックシュタインくんがハンドルを握りながら小さく肩を竦めます。


「そりゃねーぜお嬢様。いいじゃんかよ、これぐらい……どんなオトコ狙ってんのか知らねぇが、このクルマの良さが分からんような奴ならハナからやめときな」

「あなた趣味道楽のためにどこまで私の好感度を落とすつもり?」

「はは。年頃のお嬢様はジジイのことなんか嫌ってるべきだぜ」


 上品なのか上級なのか、或いは平凡なのか、そんな感じの冗談が反響する車内から、お嬢様はずっと雨足を確認されては溜め息をついていらっしゃるご様子。

 そのうち字幕グループが天候を操作する技術を開発してしまわないか、私は心配でございます。

 3人を乗せたハチロクは、ゆるやかな丘を下り、あと5キロほど走れば目的地に辿り着くでしょう。



「あの、ごめんなさい。ここから最寄りの駅は、どこになるのでしょうか? 親戚を尋ねて来たのですが、お恥ずかしながら、道に迷ってしまいまして……」

「あぁ。ここからなら……JRの……駅が近いですね。よければご案内しましょうか? ずぶ濡れですし……」

「本当ですか? ……では、御免なさい。お言葉に甘えさせて頂きます」


 お嬢様と殿方とのやり取りを、我々使用人2名は、少し離れた木陰から見守っております。

 流石に湿気てしまっているのか、ジッポーの火が煙草に上手く点かないことに舌打ちしながら、ブルックシュタインくんが吐き捨てるように言います。


「……次に会った時に運命を感じてもらえるように、偶然を装って相合傘をする作戦……ねぇ。俺の娘がちっこかった時の少女マンガでも、こんな幼稚な作戦はしてなかったね」

「お嬢様の考えを悪く言うことは許しませんよ。まぁ実際、アホとしか言いようがないんですが」

「俺より悪く言ってんぞ、付き人さん」

「付き人ではなく執事でございます」


 胸ポケットからメガネ拭きを取り出し、湿気で嫌に曇るメガネを入念に拭きます。私としたことが、曇り止めを塗るという初歩的な手入れを怠っていたようです。


「しかし、今日はこのあと、あの坊ちゃんにお嬢様を駅まで送ってもらって、その後俺らで回収してすぐ帰宅、だろ?」

「正確には、お嬢様にはそのまま電車に乗ってもらい、次の駅にて回収……ですね」

「アホくせぇなぁ。メインの目的である坊ちゃんとの接触は、下手すりゃ10分もねぇんだろ? そのためだけに今日まで、タヨリちゃんたちにどんだけ入念に準備させてんだよ」


 ブルックシュタインくんは、煙草を吸うのを諦めたと思ったら、内ポケットから古風なパイプを取り出し、マッチを擦って火をつけました。

 煙草類を吸いたい時に吸うために、どれだけ入念に準備をしているのやら。

 ……まぁ、私も似たようなものですかね。


「それが裏方というもので御座います」

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