第3話

 艦長室へと移動した宗介は、テッサに促されるまま、部屋の中央にあるソファに腰かけた。艦長室への入室こそ何度か経験はあるが、来客用のソファへ座るのは初めてで、宗介は何となく据わりの悪さを感じる。

 テッサがコーヒーを入れる間、宗介は落ち着かない様子で辺りを見回した。華美な装飾の無い、シンプルに統一された部屋の中央奥には、大きな執務机があり、山のように書類が積み重なっている。テッサの私物と見えるのは、壁際の本棚をびっしりと埋め尽くす、タイトルだけで宗介には理解出来そうにないことが伺える、専門書の数々だけだ。

「お待たせしました」

 香ばしい匂いをたてたコーヒーを手に、テッサが宗介の向かい側に座る。宗介が礼をして一口啜ると、初めてテッサの私室に招かれた日と同じ味がした。

「さて、何から話しましょうか……。そう、まずはガウルンのことですね。ご苦労様でした。そして、サガラさんの身を危険にさらすような命令をしてしまって、ごめんなさい」

「いえ、お気になさらず。危険を冒すのが自分の仕事ですから」

「でも、私は信じてました。サガラさんならきっとやってくれるはずだ、と」

「それは……恐縮です。ですが、正直に言って奴の機体トラブルに助けられました。奴のラムダ・ドライバが健在だったなら、結果は変わっていたでしょう」

「私はそうは思いません。あなたが〈アル〉に選ばれたのは偶然ではなく、必然だったのだと、私の『ささやき声』が、そう言ったからです」

「『ささやき声』、とは……?」

 テッサがもう一口コーヒーを啜る。カップを置いた時の、かちゃり、という音が、やけに静かに聞こえた。

「サガラさんは、不思議に思ったことはありませんか?なぜ、〈ミスリル〉だけが、現代の十年先をいくと言われる技術を有しているのか。なぜ、そんな組織の戦隊長と、数十億ドルの潜水艦を、あなたと同い年の小娘が任されているのか」

「それは……」

「これらは全て、『ささやかれた者ウィスパード』という一部の存在からもたらされた事象なんです」

「ウィスパード……」

 その言葉には、不思議な響きがあった。秘め事のような、怪しく、甘美な響きが。

「ウィスパードがもたらす技術こそ、『存在しない技術ブラック・テクノロジー』と言われるものです。ラムダ・ドライバだけでなく、ASや電磁迷彩システムECSといった技術は、全てこのウィスパードからもたらされてきました」

「つまり……その『ウィスパード』とは、一部の天才を指した呼称である、ということでしょうか?」

「一部の天才。そんな言葉では飽き足らないでしょうね。ウィスパードは、文字通り『この世に存在しない技術』を受信する存在なんです」

 テッサの話は、早くも宗介の理解を超えそうだった。だが、食らいついていくしかない。宗介は、テッサの話に全意識を集中する。

「ウィスパードは、確認されているだけでは全世界でも数人、潜在的にも恐らく数十人ほどしかいないとされています。ウィスパードとして覚醒するかは人それぞれですが、一度ウィスパードとしての覚醒が始まると、その者の知性は急激に高まり、知り得るはずの無いこと……即ち、ブラック・テクノロジーを受け取り始めます。このブラック・テクノロジーをウィスパードに伝えてくる声が、私たちが『ささやき声』と呼んでいるものです」

「『ささやき声』……先程大佐殿が聞いたという声、ですか」

 つまり、どういうことか。

「はい。私は、そのウィスパードの一人なんです。この艦、〈トゥアハー・デ・ダナン〉も、私の『ささやき声』が造らせた、と言えます」

「ということは、〈アーバレスト〉も大佐殿が?」

「いえ、〈アーバレスト〉は別です。ウィスパードにはそれぞれ専門領域のようなものがあって、残念ながら私に〈アーバレスト〉のようなラムダ・ドライバ搭載型ASを建造することは、出来ないんです」

「では、あの機体は一体誰が造ったのです?」

「かつて、〈ミスリル〉には私の他に、もう一人のウィスパードがいました。名をバニ・モラウタと言います。無口だけど、優しい子で……でも、彼は亡くなってしまいました。あの〈アーバレスト最高傑作〉を遺して」

 バニ、と呼ばれた少年のことを語るテッサの声は、微かに震えていた。まるで自分を落ち着かせるように、ひどくゆっくりコーヒーを啜るテッサを見て、宗介も目の前のコーヒーの存在を思い出す。合わせるように口に運んだコーヒーは、すっかり香りが薄れ、ぬるくなっていた。

「そういうわけで、我々が持つラムダ・ドライバ搭載機は、これから先も〈アーバレスト〉一機のみです。しかし、ガウルンへの尋問で、今回の敵には新たなラムダ・ドライバ搭載機を建造する力があることが分かりました。つまり、敵にもウィスパードがいる、ということです」

 これまでの、自分の想像を遥かに超えた話の連続で、破裂しそうになっていた宗介の頭でも、今のテッサの言葉が言わんとする意味は理解できた。

 つまり、こういうことだ。これからも、あの恐ろしいラムダ・ドライバ搭載機と、何度も戦わなければならない。そして、自分が敗けた瞬間、それは即ち〈ミスリル〉の敗北となる――。

 先程弱音を吐いた時の、みぞおち辺りがずしんと重くなる感覚が、再び襲ってくる。いや、その重さははっきりと増していた。胸焼けがして、コーヒーが喉元をせり上がってきそうになる。

「これ程の重圧を、サガラさんに一人に背負わすべきではないというのは分かっています。でも、繰り返しになりますが、きっとサガラさんが選ばれたことには意味があると、私は信じています。それが、バニの遺志であり、サガラさんの“運命フェイト”なのだと」

 運命。それは何と残酷な言葉か。

 これまで宗介は、自身の運命を呪ったことなど無かった。両親を知らずに、幼い頃から紛争地帯を転々とし、殺し、殺されかけてを繰り返す中で、自分の不運を嘆いたところでどうにもならないことを知っていたからだ。

 だから、今回もまた、そのことを再確認しただけのことだ。運命は、どうにもならない。、ということだ。

「そして……」

 だが、宗介の内心を知ってか知らずか、テッサの言葉には続きがあった。

運命フェイトなのだと」

 私たち、と、テッサは確かにそう言った。その瞳を見て、宗介は自分の思い上がりを知った。自分だけが悲劇のヒーローなのではない。いや、自分など及びもしない程、目の前の少女がこれまで担ってきた重責は、あまりに大きいはずなのだ。だが、彼女は諦めも悲観もしない。ただ、抗い続けるという確固たる意志だけが、めらめらと瞳の奥に燃えていた。

「この世界は、何かが歪んでいる……そう、ずっと思い続けてきました。私たちは、なぜ争い続けるのか。なぜ、ブラック・テクノロジーが送られてくるのか。そもそも、ウィスパードとはなんなのか。なぜ……私だったのか」

 膝上に置かれたテッサの拳に、力がこもる。

「ですが、幸か不幸か、私たちはこの歪んでしまった運命の輪ホイール・オブ・フェイトに抗う力を得てしまった。だから――戦って欲しいんです。私と、一緒に」

 その言葉を聞いた時、なぜか宗介の脳裏を、テッサの「私たち、友達になれませんか?」という言葉がよぎった。そして唐突に、何の脈絡もなく、彼女のことを『テッサ』と呼ぶのは、今なのではないかと思った。

 なぜならば、朴念仁の宗介にも分かったからだ。彼女の言葉は、上官命令ではない。テレサ・テスタロッサという、一人の少女の祈りなのだと。

 だから――。

「……分かった。弱音を吐いて、すまない。……テッサ」

 最後の音はかすれた。当然だ、ひどく喉が渇いている。言葉を発する前にコーヒーを飲んでおくべきだった。空調の良く効いた部屋のはずなのに、背筋を汗が伝っている。テッサの顔がまともに見れない。

「俺でよければ……力になる」

 普段、同僚や戦友達と話す時の俺はどうしていた?こんな口調だっただろうか。多分そうだ。だがやはり違和感が強い。変ではないだろうか?だとしても、もう言ってしまった。

 宗介は、目線を宙に彷徨わせたまま、テッサの返事を待った。だが、数秒待っても返事が無い。恐る恐る、目線をテッサに向ける。テッサは、宗介の顔を見たまま固まっていた。

 はじめは、単なる驚きなのかと思った。しかし、その表情に浮かぶ感情は、もう少し複雑に絡んでいるように見えた。

 その表情は、増援を頼んだ味方が、ひどい負傷をしているにも関わらず駆けつけてくれた時、既に独力で制圧が完了してしまっていた時に浮かべる表情に似ていた。即ち――だ。

「ありがとう、サガラさん。……ごめんなさい、私が軽はずみに、友達になって欲しいなんて言ったから、随分悩ませてしまいましたね」

 確かに、悩まなかったと言えば嘘になる。しかし、今の言葉は紛れもなく、宗介の本音であり、宗介なりの返事だったのだ。

 だがテッサは、その事実から目を背けるように、俯いた。

「私はずるいです。もし今のお願いを、サガラさんが断ったとしても、結局私は〈アーバレスト〉に乗ることを、サガラさんに強いらなければいけないのに。サガラさんが、同い年だから……ちょっと、甘えちゃったのかもしれません。……だから、ごめんなさい。友達に、というのは、やっぱり無かったことにしてもらえますか?」

 宗介は、自身がその言葉にショックを受けたことに驚いた。元々雲の上の存在であるテッサと友達になるなど、想像したこともなかったし、つい先程までそうだった。だから、あるべき姿に戻るだけの話だ。

 だが、宗介には、目の前の上官が、何かに耐えているように見えた。そしてそれは、本来はテッサ一人で抱えるものではなく、自分達で分かち合うものなのではないか。何故なら、先程テッサ自身が言ったのだ。『私たち』と。

 何か言うべきだ。言わなければならない。だが、テッサが抱えるものの大きさを知った今、宗介の頭に浮かぶ言葉は、どれもあまりに陳腐に思えた。何も言えない自分に歯ぎしりする。何十キロもする装備を背負って、一日中山の中を駆け回れたとしても、自分の手足のように最新のASを操れたとしても……宗介の持つあらゆる技能は、今この瞬間は何の役にも立たなかった。

 どれくらい経っただろうか。艦長室への入電で、静寂は破られた。テッサは何かを言いかけて、結局何も言わずにソファから腰を浮かす。

「私です。……はい。では、五分後に」

 短く応答すると、テッサが受話器を置く。

「ごめんなさい。これからマデューカスさんが来るそうなので、今日はここまでです」

「……は。承知しました」

 そう返事をしたことで、テッサの申し出を受け入れることになってしまうことは、宗介にも分かっていた。分かっていて、受け入れてしまった。自分がもたもたしていたせいで、自分に勇気がないせいで――

 宗介は、残ったコーヒーを一気に飲み干し、席を立つ。執務机を挟んで立つテッサとの距離が、やけに遠く感じた。

「言うまでもありませんが、今日のことは秘密にして下さい。それから……〈アル〉を嫌わないであげて下さい。〈アル〉は、パイロットと共に成長するAIです。そして、きっとそこには、バニの意図が隠されているはずだから」

「……最善を尽くします」

 宗介は、敬礼をすると部屋を出た。逃げるように早足で遠ざかる宗介の耳には、残されたテッサのため息は届かなかった。

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