第3話 起死回生




1.身支度



 「宝生さん、それ、持っていくんすか?」クルマのラゲッジスペースの武器庫からマテバユニカ自動式回転拳銃を取り上げた世津奈に、相棒のコータローが硬い口調で尋ねた。


「こういう物は使いたくないけど、相手がどう出てくるかわからないから。昨日のことがあるしね」昨日、世津奈とコータローは機密漏洩調査で聴取に訪れた先で、聴取対象者が3人組の男に連れ去られかけるのに出くわした。世津奈が特殊警棒で、コータローが空手で闘って聴取対象者を救い出したが、あの連中が、これから現れる産業スパイの一味だったら、仲間に重武装を勧めているかもしれない。最悪、実弾入りの銃を持っている可能性もある。それに対して、世津奈の銃に込めてあるのは、非殺傷性のゴム弾、それも、ソフトタイプだ。世津奈は、不安を抱えながら、3丁のマテバユニカを右肩から斜めがけしたバッグに詰めた。


 「そんな重い銃を3丁持ち歩くより、10発以上装填できる自動拳銃1丁と予備弾倉を持つ方がよくないすか?」コータローがこの質問を投げかけてくるのは、これでもう、20回目くらいだ。


「警察時代に回転式拳銃で射撃訓練を受けたから、自動拳銃はシックリこないの」


「とか言いながら、回転式拳銃の発射速度が自動拳銃より遅いことを気にして、回転式では唯一、発射時のガス圧で撃鉄を起こして弾倉を回転させるマテバユニカを使ってる。それって、中途半端だと思いません?」


 中途半端だなんて、全く思わない。自分の経験を活かして、なおかつ、弱点も補強できる合理的な対応だ。一丁の回転式弾倉には非殺傷性ゴム弾を6発しか装填できないが、3丁持っていれば、銃を取り換えながら、18発まで撃ち続けることができる


 「ほかに、何か必要な武器があるかしら?」これ以上、拳銃の話をコータローとしたくないので、世津奈は話題をそらした。


「催涙手榴弾はあった方がいいすね」


「そうね」世津奈は催涙手榴弾を3個、右肩から斜めがけしたバッグに入れた。


 世津奈はナイロン製の強靭なバッグ2つを、ストラップが身体の真ん中で交差するようにかけている。右腰にくるバッグにマテバユニカを納め、撃ち終わって空になったマテバを左腰のバッグに移す。以前、バッグを1つしか使っていなかったころ、コンバットシューティングの訓練中に空になったマテバユニカをもう一度取り出すというヘマをしたことがある。それ以来、弾の入った銃を納めるバッグと空の銃を戻すバッグを別にしている。


 「防弾ベストは、どうします?」コータローが尋ねてきた。


「悩むね」今日は8月16日、真夏ど真ん中。しかも、今は午前11時で、これから暑くなる一方だ。通気性ゼロの防弾ベストなんか着ていたら、歩くサウナ風呂になってしまう。


「やめとく。撃ち合いになる前に熱中症で倒れたら、阿呆みたいだから」


「持ってって、いざという時に着たらいいじゃないすか?」


 世津奈は首を横に振った。「いざという時」に取る行動は最小限にしておいた方がいいと、直感が告げていた。


「コー君は、冷房の効いたクルマの中にいるんだから、防弾ベストをつけて、銃も手元に置いた方がいいよ」


「銃は持ってきますが、ベストはやめときます。あれをつけると、身体が締め付けられて、動きにくいんすよ」コータローは、武器庫から15連発のベレッタ92と予備の弾倉だけを取り出した。


 「さて、これで道具はそろったね」宝生が背を伸ばして立ち上がると、長身を折り曲げてラゲッジスペースをのぞいていたコータローも背筋を伸ばした。たちまち、世津奈はコータローの顔を仰ぎ見るかっこうになる。身長190センチ近いコータローと159センチの世津奈は、同僚から「でこぼこコンビ」と呼ばれている。年齢も世津奈が35歳、コータローが27歳と、8歳ちがいだ。コータローの本名は菊村幸太郎だが、社内で一番若いので、周りからはコータロー、世津奈からは「コー君」と呼ばれている。


 「宝生さん、水を忘れちゃダメです。熱中症になったら、アウトっすよ。これなら、バッグの中にはいるでしょ」コータローがスポーツドリンクが500ミリリットル入ったペットボトルを2本差し出した。いつの間にか、後部座席のクーラーボックスから持ち出していたのだ。「サンキュー」ペットボトルを受け取る時、コータローに後光が差して見えた。


 「これも、あった方がいいっす」とコータローが次に差し出したものを見たとたん、後光が消えた。それは、袋に「お漏らしバスター」という商品名をがでかでかと記してある携帯トイレだった。「ああ・・・」と言って、世津奈は受け取る。興ざめだが、あった方が良い物では、ある。


「さて、これで、準備完了。あとは、打ち合わせ通り、それぞれの仕事をする。いいわね」


「了解です」。


 コータローはクルマに戻り、山中の小道からダム湖の周回道路にクルマを出し、ダムの堰堤方向に走り去った。世津奈は、ジーンズの腰ポケットからスマホを取り出し、ダムの展望塔周辺に落としてきた3個の監視用ロボッが送ってくる映像が画面に映っているのを確かめた。同じ映像がコータローが走らせているクルマのカーナビ画面にも映っていて、栗林以外の何者かが展望塔に接近したら、コータローがアラームを送ってくれるようになっている。世津奈はスマホをポケットに戻し、木々の精気でむせ返るような山中に入っていった。



2.移動


 


 世津奈が汗にまみれ、荒い息をつきながら山の斜面伝いにダムの堰堤を目指していると、腰ポケットからフォーン、フォーンと警告音が聞こえた。急いでスマホを取り出す。栗林のミニバンが堰堤の上で切り返してUターするのが画面に映し出された。JR青梅線の奥多摩駅方面に下る国道に向かうのだろう。


 栗林のミニバンが走り去った後に、人影はなかった。世津奈はほっとした。世津奈は、栗林と産業スパイは直に接触せず、展望塔内の隠し場所を使って情報を交換すると予想して、コータローと二手に分かれる作戦を取っていた。栗林と産業スパイが一緒に出てきたら、スパイを捕らえそこねるところだった。


 しかし、急がなければならない。スパイは、いつ展望塔にやってくるかわからないのだ。世津奈が展望塔近くの見張り位置に着く前に来てしまったら、スパイを取り逃がしてしまう。


 今、世津奈は危険な賭けに出ていた。


 こういうハイリスクな作戦を取ることになったのは、栗林の罠にはまって、栗林を尾行していることがバレてしまったからだ。


 奥多摩駅から小河内ダムへと向かう国道の途中で、栗林は狭い脇道に入った。カーナビで調べると、脇道は途中で二股に分かれて、一方は小河内ダム、他方は下流のキャンプ場に通じていた。どちらも産業スパイと接触しやすい場所だ。


 世津奈はジレンマに追い込まれた。世津奈とコータローは尾行をカムフラージュするために後部座席にチャイルドシートと妊婦教室で使うリアルな赤ん坊人形を載せていたが、栗林が入っていった脇道は、普通、赤ん坊連れの夫婦が立ち入るような道ではなかった。追従すると尾行がバレる危険がある。


 しかし、追従せずに、ダムかキャンプ場のどちらかに先回りすると、裏をかかれて、反対の場所で栗林と産業スパイが接触するかもしれない。尾行がバレるのは不都合だが、世津奈たちが見ていないところで栗林と産業スパイが接触するのは、もっと不都合だった。


 結局、世津奈たちは栗林に続いて脇道に入り、尾行していると明かす結果になった。栗林は行先にダムを選び、そして、ダムの堰堤でクルマを停め、妻と4歳になる独り娘を連れてダムの展望塔に入った。家族を連れているのは、産業スパイと接触するわけではないと見せかける偽装だろう。追う者、追われる者、双方が似たようなことを考えていたのだ。


 世津奈たちのせめての救いは、産業スパイの候補が、一応絞り込めていることだった。それは、栗林の上司である柳田部長が正規の手続きを踏まずに採用した中国人女性研究員だった。彼女は、現在、連絡が取れない状態になっている。すべての情報収集を終えて国外脱出した可能性が高いが、産業スパイ狩りが始まることを察知して身を隠しただけとも考えられる。世津奈たちは、後者の可能性に賭けて、彼女が栗林と接触するところを捕まえようとしていた。


 世津奈とコータローが昨日3人組と大立ち回りを演じたのは、柳田部長を救い出すためだった。世津奈のクルマ嫌いから、徒歩で部長宅を訪ねていたので、拉致犯を誰も連行できなかったことが悔やまれる。大通りに出てタクシーをつかまえて、柳田を世津奈たちが所属数調査会社、「京橋テクノサービス」に連れ帰るので精一杯だったのだ。そのことがあって、今日はクルマを使っていたのだが、結局、世津奈は肝心の所で、クルマを降りることになった。クルマを嫌うから、クルマに嫌われるのかもしれない。コータローにクルマで栗林を追尾させるのは、栗林と接触するスパイが例の女性から別の人物に代わっている場合に備えるためだ。


 世津奈の聴取に対して、柳田は、情実で採用した女性を身近に置くのは気が引けたので、女性研究員を部下である栗林研究員の助手につけたと答えた。柳田は女性研究員に様々にアプローチしたが、かわされてばかりだったと語り、「あの女とできていたとしたら、栗林の方だ」と言いつのった。


 柳田については、さらにじっくり取り調べることにして、栗林研究員の行動監視を始めたのが、今朝だった。ところが、栗林に尾行を見破られ、こうしてリスキーな作戦を選択する破目になっている。


 しかし、リスキーだがヒットする可能性は案外高いのではないかと世津奈は考えていた。栗林は、世津奈たちを尾行者と見破るための罠をしかけたが、そのことで、自らが機密漏洩者ですと宣言したようなものだ。栗林から産業スパイへの情報提供が終わっていたのなら、わざわざ自分の罪を認める必要はない。今後も産業スパイと接触しようと考えているなら、自分が機密漏洩者だと認めるはずがない。栗林は、すでに自分がマークされていることを承知の上で、尾行している世津奈たちを混乱させようとしたのだ。おそらく、スパイからあの作戦を伝授されたのだろう。あの罠は、素人がそうそう簡単に思いつくものではない。


 つまり、スパイの側も、すでに目をつけられ、監視されていると知りながら、何とか監視の目をかいくぐって情報を手に入れようと必死なのだ。スパイの側も、後のない戦いに臨んでいる。これは、案外、互角の勝負になるのではないかと世津奈は思っていた。




3.遭遇、そして、衝撃



 世津奈は、予定の見張り位置に30分で到着した。そこは、展望塔から50メートルほど離れた小山の中で、木々の間から堰堤と展望塔を見渡すことができた。


 この30分間、いつ、女性スパイの到着を告げるアラームが鳴るかと不安の連続だった。この位置から肉眼で見ても、人影はまったくない。スパイは、かなり時間をおいて、栗林が隠したブツを取りに来るつもりだろう。


 それは、世津奈が想定していた展開だった。スパイにとっては、コータローが転がしているクルマを出来るだけダムから遠ざけることが優先事項なのだ。


 栗林は、コータローのクルマに追尾されていることをスパイに連絡しているはずだ。世津奈の姿が見えないことも。その報告を受けたスパイは、世津奈が残って展望塔を監視していると予想するだろう。


 しかし、クルマを持たない世津奈が止めに出てきても、簡単に振り切って逃げられると考えるはずだ。世津奈を排除するために武器を持ち出すかもしれない。最悪の場合、武装した仲間を連れていることも考えられる。


 世津奈は、マテバユニカを持ってきたものの、撃ち合いをするのは、相手が単独の場合だけと決めていた。独りで複数に撃ち勝てるほどの腕前ではない。まして、装填してあるのは、相手に強烈な痛みを与えるだけのゴム弾だ。


 相手が複数だったら撃ち合いは避け、スパイたちを見逃す。スパイに逃げられても、柳田と栗林をたたけばそれなりの情報が得られるはずだ。そういう状況で、スパイを捉えるために命をかける理由は見当たらない。人間、生きててナンボだ。


 堰堤の奥から、大型の白いSUVが現れた。かなりの速度で展望塔に近づいてくる。展望塔の前に乗り付けてブツを回収し、脱兎のごとく逃げ出すつもりだ。世津奈の直観が教えてくれた。


 スマホを片手に、山の斜面を駆け下りる。スマホを見ながらなので、足元に十分に目がいかず、二回滑って転んだ。三回目に滑った時は、5メートルほど転がって、横倒しで堰堤に飛び出した。クルマのエンジン音がすぐ近くに聞こえる。


 スマホを左腰のバッグにしまい、痛む身体にムチ打って起き上がる。右のバッグからマテバユニカを取り出す。展望塔の前に乗り付けたSUVから長身の女性が降り立つところだった。女性はこちらに目もくれずに、展望塔に入っていく。


 しめた、と思った。銃を右手に、SUVめがけて走る。不思議なことに、SUVから撃たれることを恐れていなかった。頭の中で「これって危ないんちゃう?」と尋ねてくる自分がいたが、「大丈夫やん。あいつは独りで来たに決まっとるわい」と答えるもう一人の自分の声がずっと大きかった。


 SUVの5メートル手前で立ち止まり、中を見る。人影はなかった。その時、斜め左の展望塔から女性が出てきた。姿をくらました女性研究員の写真と同じ顔が、ハッとしたように世津奈を見た。


 世津奈は、女性の顔の横を狙ってマテバを発射した。乾いた発砲音があたりに響き、女性がびくんとすくんだのがわかった。発砲音だけでなく、ゴム弾が風を切って顔の横を奔る衝撃も彼女をおののかせたはずだ。


 銃を向けたまま、女性に路面に伏せろと命じようとした、まさに、その瞬間、女性の頭部から、ピンク色の花火が打ち上がった。それが、血液と脳漿が混じったものだと気づくのに、少し時間がかかった。誰かが、女性の頭を撃った!朱に染まった空気の中、顔の上半分をなくした女性がゆらりと揺れて、横向けに倒れた。


 「ウソ!」と自分が叫ぶ声に気づくのと同時に、硬くとがったものが背中に突き刺さった。「私、撃たれた?」銃を持ったまま右手を背中に回すと、硬い棒のようなものが背中に突き立っている。「マズイ、伏せなきゃ」と思っているところに、もう一撃、くらった。身体がマヒして動かない。視界が暗くなる。世津奈はコンクリートの路面にうつぶせに倒れた。顔面が路面と激突しても、痛みは感じなかった。そして、そのまま意識が消えた。


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