第25話 カーネーションと硬い筆箱


<カーネーション:麝香撫子 花言葉:無垢で深い愛>



 今日も今日とて、こいつのレーダーはよく『困った』をとらえるもので。


「柿崎君がシャーペンを無くしたの。みんな、探すの手伝って欲しいの」

「これじゃねえか? 窓のに置いてあったぞ」

「それだ! ありがとう藍川さん!」


 おお!


「千歳ちゃんが宿題のノートを忘れたの」

「じゃあ、あたしの写していいよ」

「サンキュー!」


 おおお!!!


「道久君の筆箱、象が踏んでも壊れないの。試してみるの」


 ぱきぱきばきん。


 おおおおお!!!!!


「皆さん。最後のは、おおじゃありません」


 世界のすべてに優しいくせに。

 俺にだけ限定で冷たいこいつは、藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は耳の下で二つのリース風に結って。

 その中に、カーネーションを活けています。


「しかし、筆箱を踏む人がありますか」

「おばあちゃんが言ってたの。筆箱は、ゾウが踏んでも壊れないって」

「布のペンケースの場合、中身が壊れます」


 からっぽだとしても、ファスナーが痛そうです。

 ゾウが可愛そう。


 そんな平常運転な我がクラスでしたが。

 先生が教室に入ってくるなり、重々しい空気に包まれます。


「このクラスに、いじめがあるという噂を耳にした」


 にわかにざわめく教室内。

 でも、このとぼけたクラスにそんなのあるわけない。


「じゃあ、この中でいじめを受けている者は挙手」

「そんな聞き方じゃ上げませんよ」


 思わず突っ込みを入れた俺をにらむと思いきや。

 先生の目は、俺の隣に向いている。



 …………穂咲が、上げてますね。

 手を。

 ぴしいって。


「俺の見る限り、天下御免の君がいじめられているとは思えないのですが」


 眉根を寄せて、そう問いかけてみたところ。

 こいつはふるふると首を振って。


「先生、今の聞き方じゃ誰も手を上げないの」

「ややこしい!」

「本当か? 秋山に脅迫されているのではあるまいな」


 俺。

 手、ぴしい。


「……なんの真似だ?」

「今、俺に対するいじめがありました」

「まあ、そんな戯言は捨て置くとして、だ」


 手、ぴしい。


「じゃあ、全員目を閉じろ。……この中で、いじめを受けている者は挙手」


 そうそう、こうすれば本当にいじめを受けている人も手をあげやすい。

 でも、手をあげる人なんか一人もいるわけがない。


 そう思っていたのに。

 すぐお隣から、しゅばっと勢いのいい衣擦れの音が聞こえたのですが。


「目を閉じた意味ないです。君は、闇夜のフェニックスなの?」


 逆にくっきり。


 真剣な表情で先生を見上げて、手、ぴしいな穂咲に突っ込むと。

 やはりと言いましょうか、俺だけが叱られるのです。


「誰が目を開けていいと言った。今度やったらお間を犯人にするぞ」


 手、ぴしい。


 これがいじめ以外の何だというのだ。


「先生、聞き方が違うの。いじめって言われても、それをいじめって呼ぶ事に抵抗があるの」

「まあ、一理ありますね」


 先生も、うむと一つ頷くと。


「じゃあ全員目を閉じて。机の上に両手を乗せろ。そして、困ったことがある者は指だけあげろ」


 うまい言い方に切り替えて。

 クラスを練り歩いて、教卓に着くと。


「目を開け。その問題は、後で確認してやるから、まずは授業を……」


 手、ぴしい。


「……秋山。それは何の真似だ」

「先生怖いです。そんな目でにらまないで。だって手をあげてるの、隣りのヤツ」


 先生が、怖い目をようやく正しい方に向けたものの。

 こいつはそんなことにも動じることなく、自分の意志を貫くのです。


「だめなの。すぐに解決するの。……だって、急ぐことなのかもしれないの」

「気持ちは分かりますが。どうやって困ってる内容を伝えたらいいのさ」


 しゃべるわけにいかないし。

 その人だけを別室に連れ出したら、隠した意味がないですし。


「そんなの、簡単なの」

「え? どうするの?」

「道久君がぱぱっと考えだしてくれるの」

「うそだろ!?」


 くちあんぐり。


 どれだけ世間へは親切であったとしても。

 どれだけ本人にその気がなかったとしても。

 今、俺をいじめているのは間違いなく君です。


 手、ぴしい。


 …………ん? 待てよ?


「分かったかもしれない」

「何がなの?」

「さっき手をあげた人を困らせている犯人」

「すごいの! 名探偵なの! だれなの?」


 たぶん、平気だよね。

 他のクラスならいざ知らず。

 ここにはなぜかいいやつばかりが集まったから。


「犯人は、穂咲です」


 にわかにざわめくクラスの面々。

 うろたえる先生。


 そして、口でがーんと叫んだ穂咲は。

 力なく、がらがらと椅子を鳴らすと。


「うう、うすうす感じてたの。あたしが親切のつもりでも、たまに困った顔をしてる人がいるの」


 そう言いながら教卓までずるずると進んで。

 両手首をくっつけて先生に差し出すのです。



 ――誰より親切な、クラスのアイドルが。

 自分の罪をかぶって、生徒指導室行きになるかもしれない。


 そして、清廉潔白だと胸を張れる人などいやしない。

 犯人どころか、クラスの全員が。

 俺の狙った反応をしてくれました。



「先生! 犯人は俺です! 神尾さんが髪を切った時、悲しませるようなことを言いました!」

「いいえ、あたしです! 岸谷君から小説を借りていて、まだ返していません!」

「この間、奈緒ちゃんが旅行に行くとき、飼い犬の世話を断っちゃって……」

「だったら俺なんか!」

「それならあたしだって!」


 きょとんとする穂咲と先生の眺める先で。

 繰り広げられるは、大懺悔大会。



 誰かが誰かに謝ると。

 その人が他の誰かに謝って。


 そして今度は許しの声が。

 今来た道を逆戻り。



 ……良心を行動に移すには、声に出すには。

 すごく勇気がいるものだけど。


 このクラスが平和で優しい理由はね。

 気軽に最初の一歩を踏み出す君の姿が。

 僕らの背中を、ぽんと押してくれるからなのです。



「小学生かきさまらは! 静かにしろ!」



 先生の一喝に、ぴたりと静まる大騒ぎ。

 でも、怒鳴っておいて、先生は納得したように頷くのです。


「……秋山、どう思う」

「多分、今の騒ぎで全部解決したんじゃないでしょうか?」

「よし、もう一度全員目を閉じろ。困ったことがある者は、手をあげろ」


 しんと静まった教室に、先生の満足げな鼻息が響きます。


「どうやら問題は解決できたようだな。では、授業を始め……、うおっ!?」


 あ、いかん。

 忘れてました。


 全員が目を開くと。

 そこには、涙をぽろぽろこぼしながら手をあげる穂咲の姿があるのです。


「わたくし、どのようにしたら皆様にご迷惑をかけずに済むのでしょうか?」


 そうでした。

 君をダシに使ったわけですし。

 ちゃんと笑顔にさせてあげないと。


「穂咲。それは聞き方がおかしいです。君の迷惑は治りませんので」


 再びがーんと声を上げてへなへなと崩れ落ちましたけど。

 そうじゃなくて。


「……そんな穂咲の迷惑が、大好きだっていう人は手を上げてください」


 俺の言葉に、一斉に上がるみんなの手。

 クラス中に咲いた笑顔の花は。

 次第に大きな歓声を上げ始めました。


「いつもありがとう!」

「藍川を嫌いな奴なんていないから!」

「ずっと穂咲はそのまんまでいて!」

「大好きだよ!」


 そして盛大な穂咲コールが始まると。

 ようやく笑顔を浮かべた穂咲が、調子に乗って踊りだします。



 ああ、よかった。

 これで一件落着なのです。





 と、思っていたのですが。


「静かにせんか! こんな大騒ぎになった責任を、秋山に取ってもらおうと思うのだが。不服な者は、挙手」

「…………先生、にわかには信じがたい事になっています」

「満場一致だ。廊下に立ってろ」


 手、ぴしい。


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