アッカド基地最後の日(後編)

 ――魔物の特権は無詠唱で魔術が発動できる事だ。

 この特異性を、俺は初手で活用すると決めていた。

 身体から湧き出る魔力で作った爆炎の吐息を、カドモスに解き放つ。


「ガヴォッ」


 ゴーレムと競り合った火の一撃が、目前に迫ったキメラを飲む込む。

 無論、この程度でくたばるとは思わない。

 溢れる殺意を魔力に変えて、俺は口から火炎弾を連続で叩き込んだ。


「ガヴォッ、ガヴォォ、ガヴォォォォ」


 拡張しながら粉のように爆ぜる紅蓮。

 鋼鉄でさえドロドロに溶ける熱量を幾度となく浴びて、無事に済む訳がない。

 ……普通ならば。


「――――」


 しかしカドモスは健在だった。

 炎の壁の向こう側で、蝙蝠の羽根を広げて顔を覆い隠す姿が垣間見える。

 陽炎から覗く姿に一切の損傷は見られない。

 それどころか、コチラを見る獣の顔が嘲るかのように歪んだ。


「――――」


 かけ離れている実力の差に、思わず笑ってしまったのだろうか。

 それとも未だ立ち向かおうとする俺に対し、滑稽だと蔑んでいるのか。

 なんにせよ、カドモスの意思は行動によって示された。

 シュパッ、と。

 山羊の身体に生える蛇の尻尾が、紙を切るように火の壁を切り裂く。

 ソレだけの動作で、俺が作った炎は根元から切り取られたように消失した。


【クロー、気を付けろ。次はアチラが仕掛けてくるぞ】


 神様のアドバイスは的確だ。

 とはいえ、俺自身が対策が出来るとは限らない。


「――――」


 複合した野生を得たカドモスが、大地を蹴って突進してくる。

 移動速度は獲物を狙う肉食獣そのものであり、無駄のない動作は俺の思考さえ狩り取ってしまう。

 苦し紛れに尻尾を使い打撃を放つが、キメラは予知していたように躱した。

 そして仕返しとばかりに、跳躍を伴った前足による押し潰しで俺を狙う。

 ザク、と。

 回避する間もなく、カドモスの大きな蹄が自分の背中に深々と刺さった。


「グギャァァァ」


 複数のナイフが身体を切り刻む感覚に襲われ、思わず叫ぶ。

 だが相手は容赦が無い。

 俺を下敷きにしながら追撃とばかりに、今度は首筋を噛んできた。

 グチャアァと自分の筋肉が引き千切られる音が、身体全体に伝播する。


「…………」


 余りの出来事に声が出ない。いや、出せない。

 自分の喉に、二つのフォークが上下から突き刺してくるような激痛だった。

 苦しみよりも、容易く致命傷をあった事による恐怖が正気を奪ったのだ。


【えぇい、竜の鱗でさえ歯が立たぬと言うのか】


 動揺する神様の声が遠くに聞こえる。おそらく意識が朦朧としている証拠だ。

 今の俺はカドモスの荒い息遣いを間近で感じながら、身体がガクガクと左右に揺れていることしか判らない。

 ……無論、為すがままにされるつもりもなかった。

 俺にだって竜の爪があるのだ。これだけ密着していれば逃げられる事も無い。

 反撃する手段である拳に力を込めて、勢い良くカドモスへ振り下ろす。


「ガァァァ」


 目標は足。振り絞りながら唸り声を上げ、渾身の一撃をぶつける。

 しかし、俺の爪が相手の皮膚に届くことはなかった。

 蛇の尾が、俺の腕にグルグルと巻き付いて動きを封じてきたのだ。


「ふむ、道理ですね。竜になり損ねたトカゲが獅子に勝てるはずもない。貴方は人のままで挑むべきだったのですよ、クローくん」


 牙が首にめり込む中、セレネ将軍の冷めた声が朦朧とする頭に反響する。

 その評論家めいた推論は、じつに的外れだ。

 俺自身、勝利が掴めるなんて希望など抱いてはいなかった。

 ……一矢報いたら儲けもの。コレは初めから時間稼ぎに過ぎない。

 そして、その時が来た。


「――待たせたな、クロー」


 その言葉は、他の誰よりも鮮明に聞こえた。

 無論、カドモスにも届いたのだろう。

 獅子の牙は俺の首から離れ、相手を確認する為に顔を上げた。

 直後、俺の腕に巻き付いていた蛇の断末魔が周囲に木霊する。


「――――」


 だが、そこから数秒間は無音が空間を支配した。

敵に背後を取られ、キメラの身体が時間停止したように硬直している。

 ……その原因は、幸いなことに俺の視界でも捕らえることが出来た。


「交戦中の背後は気を付けるべきだ、カドモス殿。部下もいない戦場では、貴方は孤独なのだから」


 感慨深そうに呟くイーシュさんの右手に、血が滴る蛇の頭が握られていた。

 キメラが振り向いた瞬間、見せつけるようにブチと身体から引き千切る。

 と同時、蛇に締め付けられた腕が紐を解くように自由となった。

 おそらく、それが引き金になったのだろう。


「――――」


 怒りによるカドモスの咆哮が轟く。倒すべき優先順位も変わったようだ。

 俺の背中を押さえ付けていた蹄を持ち上げ、イーシュさんと対峙する為に身体を反転させる。

 そして蝙蝠の翼を広げ、俺を組み敷いたように飛びかかった。

 イーシュさんは逃げ惑わない。相手の動きを見定め、敵の凶器が届く前に長い足を絶好のタイミングで蹴り上げた。

 ……その対象はカドモスの背中に生えた蝙蝠の羽根である。


「ギャンッ」


 それは初めて上げたカドモスの悲鳴だった。

 ほんの少し靴が擦っただけなのに、まるで大怪我を負ったかのように身体を転がしながらイーシュさんと距離を取る。


「やはりな。尻尾と羽根は、頭と胴体ほど物理的に強くはないようだ。合成獣とは危険極まる存在だが、狙った部位の破壊だけならば容易いかも知れん」


 そう言いながらイーシュさんは、折れていた方の拳をギュッと握る。

 俺の未熟な回復魔法で効果があるか心配だったが、杞憂だったようだ。


「感謝するぞ、クロー。おまえのおかげで活路を見出せた」


 笑顔でそう語る様子は、一足先の勝利宣言にさえ思えた。

 だがカドモスは簡単に倒せる相手ではない筈だ。

 事実、余裕な態度こそ消えたもののキメラに焦燥感はない。


「――――」


 俺とイーシュさんを睨み付けるカドモスはバサッ、と蝙蝠の羽を大きく広げた。

 扇状に広がったソレを仰ぐように動かすと、カドモスの巨体がフワリと浮く。


【……まさか、飛行能力もあると言うのか。まずいぞクロー、今の我らには空を飛ぶ手段がない。空中戦を仕掛けられたら手に負えん。今の内に打ち落としてしまえッ】

「ガヴッ」


 神様に従い、地上から急速に上昇していくカドモスへ向けて火炎弾を放つ。

 しかし弓矢のように射出された攻撃は、キメラの片翼によって弾き返された。


【これだから合成獣は厄介だな。各種族の特性が集合した魔物ゆえに、弱点が統一されていない。尻尾を失った現状でさえ、物理攻撃は頭と胴体で、魔法は羽根で対処されてしまう。その上、一方的に空域を支配されては勝ち目がないぞ】

「……制空権を奪われても、攻撃する際には接近してくるはず。その隙を突けば勝機はあると吾輩は愚考します」

【馬鹿め、妄言は止めよ。貴様も理解しているはずだ。我らの相手は獣ではなく魔物なのだとな。爪や牙など所詮は児戯。本来の戦い方は、魔法に他ならん】


 神様の予測はすぐに証明された。

 上空で停止したカドモスは無詠唱で自分の足場に魔方陣を作り出すと、青白く発光する雷の剣を幾つも出現させる。

 ……総数は十五。その剣先は全て地上へと向けられていた。


【空から降り注ぐ魔法の回避は容易ではない。魔弾としての数こそ少ないが、あの魔方陣は連射可能と考えるべきだ。おそらく、我らの動向を窺いながら攻撃する方向を調整する腹づもりだろう】

「……くそ。あの時、吾輩が片翼でも破壊していれば、こんな事には」


 後悔に沈むイーシュさんの言葉を聞きながら、俺は天を仰ぎ見る。

 たしかに絶望的な状況だ。それでも、諦めたくない。

 仲間が助かる可能性があるのなら、命は惜しくない。

 ゆえに成功確率が限りなく皆無に近くても、俺は対抗策を実行しよう。


「……我ガ身ハ鳥」


 それは、かつて一度だけ聞いたことがある呪文。

 空を飛ぶ魔物を倒した、今は意識を失っている彼女の魔法。


【止めよクロー、ただでさえ失敗した竜化の護身を纏っている状態なのだぞ。飛翔魔法など使用すれば、魔力の乱れによって四肢が破裂しても不思議ではないッ】


 分析能力の高い神様の忠告は、じつに的確で身に堪える。

 魔力の乱れによる影響か、たった一言呟くだけで消費魔力が凄まじい。

 爪を剥がすようにベリベリと鱗が剥がれて、小さな出血と共に人肌へと戻った。

 瞬く間に人の身体となった瞬間、今度は生命力が蒸発するように吸われていく。

 内蔵の機能が低下して血の巡りが停滞していき、体温も奪われる。

 それでも俺はページを捲り返すように記憶を辿り、言葉を噤むことを止めない。


「我が身は羽根、我が身は風、我が歩みは空を駆ける、これを阻む者は無く、なお諫める者は空を仰ぎて後塵(こうじん)を拝すべし」


 あと、一言だ。

 身体の内側から産まれる魔力を全て消費すれば、きっと完成する。

 沸き上がる感情を抑えながら俺は必死に喉を振り絞る。


「ゴホッ」


 だが、その結果は吐血だった。

 もはや呪文の続きを唱える体力はなく、俺は地面に平伏すように倒れ込む。


【杖たる我も持たぬ以上、その結果は当然だクロー。貴様はまだ未熟、補助無しでは魔法を操れる技量はない】


 神様の厳しい言葉が心に突き刺さる。

 だが心身共に傷付いている暇はない。

 カドモスの攻撃に備えて、魔法を作らなくてはならない。


「わ、われは」 

「――我は、空を泳ぐ者」


俺の言葉が遮られ、代わりに誰かの詠唱が完成する。

 声の主を探す為に顔を上げれば、気絶していた筈のエレナさんが居た。


「お待たせしました。ここからは私もお手伝いしますよ、クロー様」


 思いも寄らぬ人の登場に目を見開いていると、エレナさんは姿勢を低くして回収していた神様の杖を俺の手に優しく届けてくれた。


「……あ、ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ感謝しております。クロー様が時間を作ってくださったおかげで戦場に再び立つことが出来たのですから」

【ポーションとやらは効果があったわけだ。だが、貴様が参入したところで形勢逆転というほど甘い状況ではないぞ】

「えぇ。耳に痛いですが、その通りです。力を合わせて倒す必要がある相手だと身に染みて理解できました。ですが、ここはまず私が翻弄してきます」


 そう言うとエレナさんは空を睨み、空中漂うカドモスに向かって跳躍する。

 弾丸のように加速して、あっという間に相手と同じ高度に立つとレイピアを抜いて戦闘態勢を整えた。


「私が辿り着く前に魔法を放たなかったのは自信の表れですか? その愚策、今から後悔させてみせます。傲慢な態度を抱いたまま、落下しなさい」

「――――」


 女騎士の挑発に、カドモスは待機させていた雷刃を差し向ける。

 ただし、出現数は十五から二倍の三十となった。


【不味いな。あの雷撃の魔力では一つでも当たれば黒焦げだ。あの数では回避しきれる筈もない。せめて距離を取らねば、すぐさま串刺しになるぞ】


神様の懸念に、俺の心境も暗く淀んだ。

 だが致死に居たる攻撃を前に、当の本人は余裕の表情を見せて口を開く。


「元剣士が射手の真似事をして的中するとは思いませんが、無様を晒しても安心してください。それを補うように、私が華麗に舞ってみせましょう」


 ――その言葉が、開戦の狼煙となった。

 まさしく弓矢のように雷撃が連続してエレナさん目掛けて突進していく。

 しかし一つ、二つと、目標に辿り着いた魔弾は女剣士の跳躍によって躱され、当たることなく彼方へと消えていった。


「この制限のない空間で戦う経験は私の方が断然、上です。不利なのは其方だと身を以て教えて差し上げます」


 そう言いながら、エレナさんは接触寸前の雷撃に対し剣をぶつける。

 バチン、という破裂音と同時に蒼いイナズマは風船のように弾けた。


【……あれは、耐魔力に優れた魔剣の効果か】

「ええ、この通り雷撃さえ迎撃可能です。むしろ人型であった方が私にとっては脅威でしたからね。正直に言って、弱体化してくれて助かりました」

「――――」


 おそらく、それはカドモスにとって禁忌に近い煽動だったのだろう。

 爆発した怒りの咆哮によって、残り僅かだった雷撃の残量は急速に増殖し始めて周囲に広がり始める。


【十五、三十、六十、百二十、二百四十、馬鹿な、このままでは上級魔法の規定値を超える効果範囲になるではないかッ】


 動揺する神様の声を聞きながら、俺も上空で展開されたカドモスの本気に思わず身体を震わせた。

 ……出現した雷刃の数は五百を超えている。

 それら全てが規則正しく球体状の陣形を作り、エレナさんを取り囲んでいた。

 このまま魔弾が射出されれば、逃げ場など無いまま絶命必死だ。


【あの女騎士め。まさかとは思うが、自らを犠牲にして敵の持つ膨大な魔力を攻撃魔法として消費させる腹づもりではあるまいな】

「…………」


 神様の推察は、俺にとっても耳が痛い。

 皮肉なことだ。自己犠牲というものは、助けられる側として不愉快にさえ感じるとは知らなかった。

 しかし、そんな心の葛藤など今のエレナさんには届かないだろう。

 遠目でもハッキリ判るほど、彼女は覚悟に染まっているのだ。


「ふん、技術の無さを質量で補うのは自信を無くした証拠ですね。あまりにも滑稽だ。心配せずとも受けて差し上げますので、早く撃ってきたらどうですか?」

「――――」


 獅子の顔が殺意で満たされ、遠吠えのような仕草を以て死刑宣告を唱えた。

 破壊力だけならソフィア姫と同等であろう魔法が、情け容赦の無い速度と量でたった一人に目掛けて殺到する。

 その結果、青白い閃光が天空と地上を焼き焦がすように爆発した。

 目に激痛が走るほどの光源、そして耳が痺れるほどの轟音。

 まるで新星爆発を間近で受けたような衝撃が過ぎ去った頃には、周囲は風の音さえない静寂に包まれていた。


「エレナさんッ」


 状況確認の為に慌てて空を見上げれば、彼女が居た場所は入道雲のような白い煙が漂っていた。

 しかし青空を浸食していた漂白は長く続かない。ひゅう、と一陣の風が吹くと解けるように消失していく。

 ……最後に残ったのは半透明の球体に包まれたエレナさんと、その周囲に突き刺さる無数の雷刃だった。


【これは、反射魔法。そうか、回復したのはエレナだけではないのだな】

「ご名答よ、ミウル。正真正銘、これが最後の魔法だけど、攻撃する労力は全て相手持ちなんだから悪くない取り引きだわ」


 背中越しに聞こえるソフィア姫の声とともに、パチンというフィンガースナップが耳に届く。その直後、エレナさんに向けられていた雷刃が、全て反転した。


「――――」


よほど混乱しているのか、カドモスは硬直してその場から動かずに居る。

 いや、仮に退避しても無意味だっただろう。

 エレナさんを確殺する為に用意した攻撃手段が、跳ね返ってきたのだ。

 反射魔法に触れず自爆した数を除いても、二百近い雷刃がカドモスに殺到する。

 再び空が荒れ狂う。晴天に嵐が舞い込んできたようだ。

 紫電と狂乱に浸食された空間は、数秒を経て再び静寂を取り戻す。

 ……そして、その結果は。


【むぅ。あれでもまだ倒れぬか】


 苦々しい感情が込められた神様の言葉通り、カドモスは未だ健在だった。

 ただし、包むようにして身体を覆っている蝙蝠の羽根はボロボロだ。

 どれだけ耐魔力に優れていても、さすがに限界はあるらしい。


「さて、と。では仕上げに参ります」


 そう口にしたのは五体満足で上空に佇むエレナさんだった。

 レイピアを構え、ジェットエンジンでも積んだような加速力で真っ直ぐカドモスに接近戦を挑む。


「――――」


 当然、カドモスも無抵抗なわけがない。

 羽根を折り畳み、爪と牙を剥き出しにしてエレナさん目掛けて空を駆け抜ける。

 両者の激突は一瞬にして終わる。そして交錯する影が一つ、傾いた。


「だから言ったでしょう。空での戦いは私の方が有利だと」


 エレナさんが静かに呟く。

 その背後では、カドモスの羽根がザックリと身体から切り離されていた。


「――――」


 敗れたカドモスが再戦を望むように振り返る。

 ……だが両者が向き合う事は、もはや無かった。

 飛ぶ機能を失った獣は、重力に囚われて落下する。


「なんとか、私の役目を果たせたようですね」


 安堵するように溜息を吐くエレナさんだが、その顔には影が差していた。

 ……だがそれも仕方ない。彼女の腹部はジワリと赤色に染まっているのだ。


【やはり無傷では済まなかったか。あの様子では参戦できまい】

「大丈夫ですよ、神様。今度は俺達が頑張れば良いだけなんですから」


 そう言いながら俺は神様を文字通り杖にして身体を起こす。

 正直、呼吸するだけでも全身に針が突き刺さるような痛みを覚える。

 それでも戦わねばなるまい。

 何しろ俺の視界には地上に激突し、それでも身体を震わせながら立ち上がるカドモスが映り込んでいるのだから。


「――――」

「…………」


 疲労困憊なのか、もはやカドモスから嘲りや憎悪は読み取れない。

 だが俺も同じ顔をしているに違いない。感情のやり取りなんて余裕は無いのだ。

 きっとこれは単純な命のやり取り、ただの生存競争に成り下がってしまっている。


「クロー、吾輩も助力しよう。今の奴なら二人で倒せる」


 なるほど、その意見は実に正しい。今なら楽勝できるだろう。

 だが俺は首を横に振る。


【待て。朦朧としすぎであろう、クロー。どう考えても二人で挑むべきだ】


 反論の余地はないので神様の忠告を無視する。

 何しろこれは、俺個人の我が侭なのだ。


「風の刃に慈悲はなく」


 唱えるのは今の俺が扱える最強の呪文。

 一度は敗れ去ったが、あの時とは条件が異なる。

 もはや、カドモスに耐魔力の盾となる翼ないのだから。


「弓より早く、その身を喰らう、無色の咆哮」


 しかし、何よりも重要な点が一つある。

 カドモスは、俺が必ず殺すと決めていたということ。


「死神の嵐」


 途端、百を超える無色の刃がカドモスに吹き荒れる。

 鉄さえ切り裂く破壊力を前にして、鋼の身体を誇る魔獣は負けじと吠えた。


「――――」


 敵の取った行動は怯むことのない正面突破だった。

 ザクリザクリと風を纏った鎌が、キメラの身体を切り裂いていく。

 だが突進に減衰はなく、俺を殺そうとカドモスは疾走することを諦めない。


「――――」


 そして、とうとうカドモスの吐息が俺の顔にまで届く。

 だが、突き出された爪牙が俺に触れることはなかった。


【魔力切れ、か。まぁ我も予測していたことではあったが。魔力の流れが正常化しつつあるアッカドの森で大量の魔力消費を行えば、この自滅は当然だったか】


 神様の言葉通り、活動燃料である魔力は枯渇したらしい。

 俺の目の前でボトリ、と果実が落下するようにカドモスの前足が地面に沈む。

 ……そこからは、呆気ない幕切れと言えた。

 強靱だったカドモスの肉体は、まるで砂埃のようにボロボロと崩れ落ちていく。


「――――」


 魔獣は石化したように動かない。もはや死骸以外の何物でも無い。

 それでも、俺を睨み付けている瞳は未だに意思が感じられた。

 ……ゆえに、トドメを刺す必要があるのだ。


「さよなら、カドモス」


 俺は最後の力を振り絞り、神様をスイングしてカドモスの身体に当てる。

 ボフ、という音と共にカドモスは粉砕され、塵となって消えた。


【魔物の特性に追い詰められたが、魔物の弱点に救われたな】

「…………」

【む? おい、せっかくの勝利だぞ。返事はどうしたクロー】


 そんな耳元で囁かれた神様の言葉が、遠く聞こえる。

 だが、この現象は不可解ではない。自分で結論は導き出していた。

 カドモスが魔力切れを起こしたように、俺も余力を使い果たしたと言う事だ。


「――――」


 誰かが何かを言っているようだが、理解できない。

 まるで夜間、燃え尽きそうな蝋燭のように思考が弱まっている。

 朦朧とする感覚は、身体がゆっくりと倒れていく事しか認識してくれない。

 そしてフッと火が消えるように。

 俺の意識は、暗闇の中に溶けていった。

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