アッカド基地最後の日/中編



「――――」


 声なき叫びで、カドモスだったモノは武器など不要になったとばかりに己の大剣を投げ捨てる。とうに防具は砕き壊れているので、これで兵士の面影は消えた。

 ……いや。もはや人の容姿でない以上、目の前に居るのは化生の類いか。

 その姿はまるで、神話の生物ミノタウロスが目の前に現れたような印象さえ受ける。

 何しろカドモスの身長は二倍まで膨れ上がり、全身が黒い体毛で埋まって、頭には二本の角が生えている牛の頭という変化を見せていたのだ。

 そのくせ両手両足だけは五本指を留め、二足歩行で直立している。


「なるほど、これは魔法の失敗ではありませんね。貴方はクロー様のような理性的な瞳を宿していない。殺意の塊、純然たる魔物ですか。おかげで抵抗なく倒せますけど」

「――――」


 人語を失ったカドモスの呼吸と共に吹き出る悪意の熱が、離れた場所に居る俺にさえ肌で感じられる。じつに醜悪な魔力の渦だ。


「――ググ、ゴォォ、ウォォォォン」


 突如、カドモスは地響きかと思うほど重低音の咆哮を放つ。

 それは警告音であり、戦闘再開の合図だった。

 人間性を捨て、魔物以外の何物でも無いその異形と威圧を以て、カドモスはエレナさんに突進する。


「せめて、ここにマリーが居れば良かったのですが。仕方ありませんね」


 立ち上がり、荒い息と脂汗を流しながら、エレナさんが剣を横に薙ぎ払う。

 しかしそれは、丸太のように太くなったカドモスの左腕に防がれた。


「もはや、傷さえ出来ませんか」


 実力の格差に、エレナさんは苦渋に満ちた顔で小さく呟く。

 その悲痛な声を聞いてカドモスは唸りながら笑うと、エレナさんを殴りつけた。


「か、ハッ」


 ボコン、と。

 鋼で出来ているエレナさんの防具が、布のように柔らかく陥没した。

 カドモスの拳が腹部に喰い込み、身体が風に舞う綿のように軽々と宙に浮く。

 それと同時にカドモスは沈むように膝を曲げ、手刀を作る。

 格闘に疎い俺でも、それが致命的な攻撃をする為の動作だと瞬時に理解できた。

 ――潮時だ。勝敗は決した。ゆえに。


【クロー。介入して良いぞ、これだけ時間を稼げば準備は整っている】


 ずっと待っていた許可を貰って、黙認する理由は無いと身体が反応する。

 杖をしっかり握り、修羅場へと駆け出す。無論、魔法は間に合わない。

 それでも、肉の壁としてなら役に立つだろう。

 せめて注意さえ引きつけられれば良かった。しかし。


「クロー、吾輩に任せろ」


 俺が飛び出した直後、イーシュさんが先に現場に駆けつけた。

 そのまま素手でカドモスの顔面を殴りつけた瞬間、剣さえ無効化したカドモスの体躯がグラリと大きく揺らぐ。


「卑怯な真似をしたことは謝罪する。しかしこれ以上は見過ごせん。害獣退治はアッカド基地の最優先任務の一つなのだ」


 敵意を自分に向ける為のイーシュさんの挑発。

 そんな言葉を無視するかのように、カドモスはエレナさんの首を掴み上げた。


「うぐっ」

「ガァァッ」


 絞められ息苦しそうに藻掻くエレナさんに対し、カドモスは唸り声を発しながら、彼女を床に叩き付けようと腕を振り下ろす。


「それは失策だぞ、カドモス殿」

 バキィ、と。

 丸太のように太い腕でエレナさんを墜落させようとするカドモスに対し、イーシュさんは振り上げた蹴りによって相殺した。

 ……いや、イーシュさんの方が上回っていた。

 イーシュさんの足が向かった先は、カドモスの手首である。

 そして両者の攻撃がぶつかり合った刹那、エレナさんを捉えていたカドモスの拘束は左手ごと粉砕されたのだ。

 細かくなった真っ赤な肉が、辺り一面に飛び散る様は石榴を連想させた。


「グオオ」


 獲物を取りこぼし悔しそうに呻くカドモスに、休む暇無くイーシュさんは歯を食いしばった顔で敵の胸元目掛けて握り拳を殴りつける。


「沈め」


 言葉は事実となった。

 ドカン、という轟音と共に魔物の巨体が小屋の壁を壊しながら倒れ込む。


「ほう、鋼の身体を得たカドモスに生身で打ち勝つとは。なるほど、姫殿下の護衛やイーシュ殿は自分と会う前に強化魔法を発動していたのですね。準備の良いことだ」


 他人事のように、セレネ将軍が感心した様子でイーシュさんを評価する。

 だが褒められた本人は眉毛を歪めて吐き捨てるように語った。


「何と言うことはない、吾輩は初めから平和に終わると思っていなかっただけだ。信用できない相手に、武器も持たずに会うものか」

「……興味深い。平和的解決が無いと警戒しておきながら、今まで共闘せず傍観に徹していた理由が知りたいですね」

「勝負が決するまで待ったに過ぎん。それまで辛抱していたと言うだけのこと」


 そう言い放ち、イーシュさんは床に倒れ込んだエレナさんを抱きかかえる。

 ……しかしイーシュさんの顔に仲間を救った、という安堵は無い。

 無理もない。間近で無くとも、エレナさんは重症だと理解できた。

 口から血を流し、ぐったりとして動かない人形のような姿を見て、チリッと胸の奥が焦げるような感情が俺の中を支配する。

 だがそれ以上に辛い思いをしているのはソフィア姫だ。


「男爵、エレナの容態は?」


 危険なのは承知の上で、ソフィア姫がイーシュさん達に駆け寄った。

 未だ目を開かないエレナさんの頬に手を当てて、今にも泣きそうな顔を耐えながらイーシュさんの言葉を待つ。


「……当面、意識は戻らないでしょう。回復魔法が必要ですが、こんな状況では丁寧な治療など出来るはずも無い」

「分かった。なら速攻で安全確保するわ。……あぁそうだ。一応、聞いておくわね、セレネ将軍」

「さて、なんでしょう?」

「貴方個人は、私達と敵対する気はないのよね?」

「もちろん。現状、自分は傍観者だ。そちらとしても自分が敵に回るのは嫌でしょう?」

「そう。ならクロー、将軍の手を握ってあげなさい。それで効果は出るわ」

「……仕方ありませんね」


 トコトコ歩いてセレネ将軍に近付くと、俺は左手でギュッと彼女の手を掴んだ。

 こちらの意図が分からず首を傾げられるが、抵抗は特になかった。

 そんな様子を見届けたソフィア姫は、一言だけゆっくりと呟く。


「うん、これで心置きなく壊せるわね」


 冷たい殺意を浮かべたソフィア姫が崩れた壁、つまりカドモスに向き直る。

 砲台に見立てた右手をかざし、精神を集中する為に両目を閉じて詠唱を開始した。


「――我が怒りは熱砂、万物を溶かす停滞、芽吹くこと無く滅し、逃れること叶わぬ絶対の終焉」


 ソフィア姫の右手から白色に輝く球体が出現する。

 と同時、室内に太陽が産まれたと錯覚するほどの熱気が充満した。

 ……まだ発動前の状態なのに、思わず目を瞑りたくなるほどの魔力の塊だ。近くに居るだけでも肌が焦げるような痛みさえある。

 破壊力だけなら、死神の嵐を軽く凌駕すると確信できた。

 つまり、これから起きることは周囲を巻き込んだ大惨事だ。

 しかし限りなく敵である筈のセレネ将軍は、慌てること無く冷静に分析する。


「ティマイオス王家の攻撃魔法ですか。先日のゴーレム戦で理解してますよ。その魔力では被害が広範囲に及ぶでしょう。良いのですか、自分の見立てだと味方を巻き込むどころか基地が吹っ飛びますが?」


 セレネ将軍の言い分は正しい。何の対策も無ければ、これは自爆に過ぎない。

 そんな真っ当な勧告に、神様が意地の悪い声で答えた。


【安心するが良い、それは承知済みでの攻撃だぞ】

「……バカなことを。気でも狂ったか、邪神」

【愚かなのは貴様だよ。イーシュが親切に言ったはずだぞ、なぁクロー?】

「はい。確かに勝負が決するまで待った、と。まぁ、あの言葉をエレナさんの敗北を指していると勘違いしていたのなら、混乱するのは仕方ありませんけれど」

「なんですって?」


 セレネ将軍の目が、不機嫌そうに細くなる。

 だが余裕が崩れたのは一瞬で、すぐに理解できた様子で頷いた。


「……なるほど。この戦い全体の勝敗が決したというのですか。では、この騒ぎで兵士が来ないのも既定路線だと?」


 その疑問は誰も返すこと無く沈黙の中に消えた。

 ただ静かに魔法の完成が宣言される。


「――開門、灼熱の極点」


 ソフィア姫の右手にあった球体は拡大し、室内を白色の発光で満たす。

 輝きは洪水のように幾重にも押し寄せ、そして爆発した。

 世界さえ破裂しそうな響き渡る轟音。生み出された破壊力は天空の雲を蒸発させ、地上に巨大な窪地を生み出す。

 天地を繋ぐ極光は、ありとあらゆる物質を消費してあっという間に燃え尽きた。

 燃料を失った魔法は僅か一秒で解ける。だが刹那の間に起きた現象によって基地は木っ端微塵と化し、花樹や岩石までもが抹消されて何も無い荒野が生み出された。

 深緑の大地が死に、砂漠で取り残されたような不安を抱いて思わず呟く。


「これが最上級魔法の威力ですか。話には聞いていましたが、凄まじいですね」

【うむ。事前に対策をしていなければ大惨事であったな】


 ……そう。神様の言う通り、万全に備えていた俺達は無事だった。

 この三日間、ずっと編み続けていた耐熱や防音など幾つも重ねた防御魔法を、今日の交渉に合わせて複数展開しておいたのである。

 ……とはいえ、これはあくまでも王国側の事情でしか無い。帝国側の安全は二の次といっても過言では無かった。だからこそ、セレネ将軍の現状は複雑な思いが交錯する。


「これは驚嘆だ。えぇ素直に認めましょう。今のは良い攻撃でした。もし不意打ちで撃たれていたら、さすがの自分も無事では済まなかったでしょうね、クローくんの握手に感謝するべきでしょうか」


 そう言うと俺の手を振り解き、セレネ将軍は感心した様子で拍手を送る。

 予想以上の旺盛ぶりだ。それは俺達が丹念に準備してきた同等の防御力を、大した対策も無しに有していると言う事に他ならない。


「こちらこそ褒めてあげるわ。確かに、結界を張ったクローと接触していた貴方にも防御機能は展開されていた。それでも私達ほどの効果は無い以上、気を失うくらいの可愛気は見られると思っていたのに」


 敵意ありと言われても仕方ない皮肉を強気で押すソフィア姫。

 対照的に、セレネ将軍は悠々とした態度で口を開いた。


「随分と嫌われた物ですね。まさか基地を吹っ飛ばす準備をしてから交渉の場を設けられるとは思いませんでした。もしや最初から基地の譲渡書を手に入れた後、邪魔者ごと消し炭にする算段だったのですか?」

「失礼ね。貴方達が仕掛けてこなければ他の兵士達は退避せずに済んだし、お互い平和に過ごせたわよ」

「それは酷い誤解だ。今でも自分は敵対する気などありません。……まぁ、カドモスの方は未だに戦うようですが」

「え?」

「おやおや。まさか、今の攻撃で勝負が終わったと思いましたか?」

「――――」


 その言葉に、誰もがカドモスが居た空間に目を向ける。

 何も無い。肉片さえ残らず完全に消失している。

 なのに、セレネ将軍は不敵に笑う。


「お忘れですか。魔物に肉体は必要ない、彼らは魔力によって出来上がるのだと。先程までのカドモスは不完全な魔物化に過ぎません。肉体という檻が壊れた今という状態こそが本番なのですよ」


 それはまさしく起動の合図だった。

 セレネ将軍の言葉を機に、白い砂場と化した場所から黒い塵がドンドンと集まって形を成す。

 そんな信じられない光景を目の当たりにして、ソフィア姫が叫ぶ。 


「復元、いいえ。まさか生成しているというの? 有り得ないわ、だってアッカド基地周辺の魔力の乱れは解消されたもの。肉体を変化させる魔法なら納得できるけど、こんなに早く土地から純然な魔物が産まれるわけが無いッ」

「えぇ、確かに。ですが、それを可能とする代物を自分たちは入手できました」


 勝ち誇る顔でセレネ将軍はソレを見せびらかした。

 ……燻製したような黒色の人差し指。

 ゴーレムを倒した時、セレネ将軍が持って行ったモノだ。


【そういえば、その邪神の指とやらは魔力を淀ませていた原因だったな。悪用すれば虚無から魔物を生み出す土台くらい作れるという訳か?】

「悪用とは人聞きの悪い事だ。実験ですよ、実験。手に入れたばかりの道具で、どんな結果が得られるかなど予測できません」

【……だが、ソレが原因であると貴様自身が口にしたのだぞ?】

「まぁ確かにカドモスに魔物化する技術を仕込んだのは自分ですが、こんな場所で披露する気は皆無でした。今回の件はお互い不運に見舞われたのです」


 神様の推察に、セレネ将軍はいっそ清々しいくらいの嘘を披露する。

 そんな不遜な態度に、ソフィア姫が強く反発した。


「なによそれ。そっちだって、こういう事態を見込んだ確信犯って訳? その割りにはあまりにも無責任な態度だわ。完全にそっちの不始末じゃない」

「これは困った。自分だけが悪いみたいだ。これは悲しい事故です」

「いい加減、ふざけないで。こっちは魔力切れ覚悟の一撃だったのに。この状況が不本意だって言うなら、罪滅ぼしの気持ちで魔物退治に協力しなさいよっ」

「ふふふ、愉快なことを」

「笑う理由など無いでしょう、何が面白いのよ」

「王族たる方が、自国内で起きた問題で他国の武力に頼ると? 別に自分は構いませんけれど、その見返りはどれほどの物になるのでしょう?」


 セレネ将軍の皮算用はソフィア姫が口を噤むには十分な脅しだった。

 明言していなくとも、謝礼に法外な要求をしてくるのは態度で理解できる。


「……ぬけぬけと、よくも。私に余力が残っていたら、貴方を狙い撃ちたいわ」


 悔しそうに顔を歪めつつ、しかしソフィア姫はそれ以上口を開かずにいた。

 それはつまり、この厄介ごとを自分たちで処理すると決めたと言う事だ。


「……悔しいけど、予定変更ね。クロー、男爵。悪いけれど、後を頼めるかしら。私は補給部隊がくれたポーション、とかいう回復薬をエレナに飲ませてみるわ」


 そう言いながらソフィア姫は、服のポケットから紫の液体が詰められたガラス瓶を取り出した。この緊急事態に見慣れない品物を前にして、俺は思わず質問する。


「なんですか、それ?」

「王都で開発中の肉体や魔力を向上させる試験薬よ。効果はあると知っているけど、使うのは初めて。私も取りたくなかった手段だけど、今はこれ以外の手立てが無いわ。だからエレナが安静に休む為にも、早めに片付けて」

「了解です」

「言われるまでもない。クロー、まずは吾輩が早急に吹き飛ばすぞッ」


 命令を受けて、電光石火でイーシュさんが塵に拳を当てる。

 鉄さえ砕く一撃。しかし、そんな魔力の込められた攻撃にもかかわらず目の前の脅威は霧散しない。


「……バカな、霧散しないだと? これは一体どういう事だ、セレネ将軍ッ」

「では特別に忠告してあげましょう。魔力が固定化する前に攻撃しても無駄なのは実験済みです。倒したいのなら、完全に魔物として形成されるのを待つことだ」


 他人事のように語るセレネ将軍を無視して、今度こそ俺は意識を切り替えた。

 その間にも黒い塵は渦巻きながら成長していく。

 だが焦る気は無かった。自分でも驚くくらい冷静に、見定める。


「風の刃に慈悲は無く」


 唱え始めた俺を見て、イーシュさんとソフィア姫は静かに距離を取ってくれた。

 ならば、もはや憂うはない。後は待つだけだ。

 密集していく魔力の流れを観察しながら、俺は臨戦態勢を整えた。


「死神の嵐」


 実体化したと確信した瞬間、魔法を放つ。

 切り刻まれる肉片。疾風と共に血飛沫が舞った。

 これまで戦ってきた中で、最高の手応えだ。

 ……枯渇した大地を巻き上げる砂嵐さえ、目前に待つ勝利を霞ませない。

 そんな確信を抱きつつ、吹き荒れる大気が収まり視界が鮮明になった。

 ――だが訪れた光景を見て、俺は戦いが終わっていない事を理解した。


【……有り得ん。並の魔物なら一度に百体は消滅している威力だぞ】


 神様の苦々しい声を聞きながら、俺は無言でショックに耐えた。

 視線の先に佇む魔物から、かつて居た世界に伝わる神話上の生物を連想する。

 ――キメラ。

  獅子の頭と山羊の胴体を持ち、背中は蝙蝠の羽根を生やし、蛇の尻尾を併せ持つ異形がそこに居た。


 多少の傷を負っていも悠然と構える姿に、未だ折れぬ闘志を感じてしまう。


【なにより信じがたいのは形状変化だ。二足歩行だった人型の牛頭が、機動性を備えた強靱な四肢を得るなど、我にも理解できぬ現象だぞ】

「……神様も慌てる事態ですか。困りましたね、予定が狂うにも程がある」


 暗雲に包まれたような気持ちで呟くと、それとは対照的にセレネ将軍が機嫌良く笑いながら口を開いた。


「まぁ当然の結果ですね。アレは南方の魔物を多く生産してきた権能を、たった一人に向けて使用した特別製ですから。余計な肉体を捨てた今、上級魔法程度の威力では致命傷を負うことはないでしょう」


 セレネ将軍の言葉が、呪詛のように俺の心を蝕む。

 上級魔法程度、ときたか。

 絶望的な説明を聞いては、さすがに焦燥感が湧いてしまう。


「神様、無理を承知で聞きます。あの奇跡をもう一度、使って良いですか」

【無理だ。我が禁止せずとも燃料不足で扱えん。奇跡は安くないというわけだ】

「……残念です」


 それは、こちらの戦力では撃破が難しいと言われたに等しかった。

 そんな気落ちした俺を慰めるように、神様が別の案を提示してくる。


【いっそ倒さず耐える、という選択もある。どれだけ強力な魔物であろうと魔力の乱れが少ない土地に居ては長くは持つまい。倒す為の攻撃では無く、防衛に専念すれば自滅するのは確実だ】

「いえ、駄目よミウル。防衛戦は止めて。相手は上級魔法に耐える魔物よ。もし生存できる場所まで逃げられたら、二次被害が生まれてしまうもの」

【では女将軍の持つ神の指を壊すか? 効果があるかは保証できんがゴーレム同様、魔物の核になっている可能性は在る。それに二次被害を生むというなら、アレこそ放置しては危険だろう】

「おっと、ソレは自分を敵に回すと言う事だ。カドモスは自分が切り捨てたから遠慮無く倒せるでしょうが、自分は違う。私物を奪われるなら戦う方がマシだ。貴方達もそれを避けたいからこそ、こちらに手を出してこないと思っていたのですが?」


 そう言いながらセレネ将軍は遠慮無く双剣を抜いた。

 ……駄目だ。カドモスよりも厄介な相手を敵には出来ない。

 どれだけ滑稽に思えたとしても、できるだけ帝国と相対しないという方針があるのだ。


【……チッ、どいつもこいつも我が出す戦略を駄目出しか。では、もう知らぬ。このままでは無策で挑むしか無いぞ】

「そう、ですか。困りましたね」


 立案した作戦が悉く破棄された事で、神様は拗ねてしまった。

 対抗策が無く、どう挑めば良いのか分からないのは正直、不安だ。

 無論、闘志が挫けた訳では無い。ただ目の前の敵が遺跡のゴーレム並みに厄介だと思うと、少し戦うのを躊躇うと言うだけの事。

 しかし。


「では王道の攻略を試そうか。つまるところ、消耗戦だ」


 そう言って、俺以上に諦めていない人が不屈の意志を行動で示し始めた。

 両手の拳を固めて、四本足で直立したまま動かないカドモスに速攻で挑む。


「……カドモス副将軍。こんな姿ではなく、せめて武人として弔いたかったよ」


 ほんの少し惜しむ声を乗せて、イーシュさんは鋼鉄破壊の威力をカドモスの眉間に叩き込んだ。だが砕けたのは、イーシュさんの拳の方だ。

 グチャり、と肉の弾けた音が俺の耳にも届いた。


「ぐっ、吾輩を上回る防御魔術か。まぁ、想定していたがね」


 血を吹き出した利き手の痛みに、イーシュさんは歯を食いしばって耐える。

 しかも挫折せず、今度は足技を使って挑みかかった。


「威力ならば、こちらの方が上だッ」


 左足を軸にして半回転の加わった右足からの一撃。

 宣言通り、拳を超える速度を伴った蹴り技は再びカドモスの顔面に炸裂する。

 しかし。


「――くそ、まだ足りないか」


 苦悶する表情をイーシュさんが浮かべた直後、骨の折れる音が周囲に弾けた。

 大樹が裂けたようにバキィ、と。

 あらゆる魔物を屠った右足が、有り得ない角度に折り曲がっている。


「……ち。ここまで強固だと、さすがにきついな」


 悔しそうに言い残すと、イーシュさんはバランスを崩したように倒れ込む。

 足が壊れたのだ、まともに立つことなど出来るはずも無い。

 そして、そんな敵の窮地を見逃すほど、魔物は甘くはなかった。


「ガァァァ」 


 複合する獣の身体となったカドモスが、前足を出してイーシュさんを横に薙ぐ。

 途端、まるで紙が舞うようにイーシュさんの身体が吹っ飛んだ。


「イーシュさんッ」


 受け入れがたい光景を見て、俺は戦うことを忘れて思わず叫ぶ。

 すぐにでも助けたい衝動が身体に巡る。だが。


「平気だ、クロー。吾輩は負けてなどいない」


 空中で体勢を整えて、イーシュさんは衝撃を和らげながら地面に着地する。

 折れていない片足と片手のみで己の体重を支え、内臓と頭だけは地面と激突しないように四つん這いという不格好で、息も荒い。

 それでも、イーシュさんは未だ闘志を燃やした視線でカドモスを睨んでいる。


「さぁ。来い、カドモス。これは消耗戦だ、吾輩が尽きぬ以上、勝負は終わらん」

「――――」


 その不屈の精神に、俺の胸はざわめいた。

 多くの人を救いたいという気持ち以上に、目の前にいる『仲間』を助けたいという欲求が芽生えてしまった。

 ゆえに。


「万物の喪失は宿命なれば、再生もまた摂理なり、慈悲を求めるのならば捧げよ、対価と共に与えよう」

【待てクロー、何を唱えているのだ、貴様には回復魔術は扱えぬと言ったはずだ。いや待て、そもそも何故、唱えられた? まさか使用できぬ魔術の呪文を暗記したのか?】


 神様の動揺した声を聞きながら、俺は自分の血液が沸騰するような激痛と幻覚を味わっている。

 相性の悪い魔法は寿命が減るだけではなく、身体に強い拒絶反応と失敗という結果しか残さないと聞いた。

 だが、知ったことか。この魔法だけは何が何でも成功させてみせる気概でいる。


「……『代償の癒やし』」


 その言葉と共にトン、と杖の先を地面に突く。

 すると水面に波紋が出来るように、魔力の波が周囲に広がる。


【……これは魔力による効果の拡大か。直接手で触れて回復させる魔法を、クローの魔力に触れるだけで回復できるようにする為の】

「えぇ。残念ながら、イーシュさんとの距離宇は少し遠いですから」


 だから魔術の効果範囲を、魔力で無理矢理風にでも広げるしかなかったのだ。

 しかし、その甲斐はあったらしい。


「……む。少しずつだが、痛みが消えていく?」


 険しい表情だったイーシュさんが、意外そうに自分の身体に目を向ける。

 その言葉通り、紅く滲み続けていた箇所も止血が始まっているようだ。


【やれやれ、回復の遅延だけで済んだか。不幸中の幸いだな】


 神様から安堵した溜息が漏れる。

 しかし問題が解決したわけではない。


「グオォォォン」


 遠吠えのような咆哮と同時、カドモスが四足で駆けコチラに向かってくる。

 その形相は怒りに染まっていた。


【どうやら、我らを放置すると面倒になると認められたようだぞ。クロー】

「むしろ望むところです」


 神様の言葉に頷きながら、敵を真正面に見据えて杖を構える。

 迫り来る脅威を前にしても、俺は恐怖など抱かない。


「グオォォォン」


 遠吠えのような咆哮と同時、カドモスが四足歩行でこちらに向かってくる。

 これでは留まって戦うしかない。いや構うまい。むしろ望むところだ。


「……良いですよ。魔物に遠慮は要りません。カドモス、お前は必ず殺す」


 敵を真正面に見据えて杖を構える。

 チリチリと焦げるような怒りが俺の脳内で渦巻く。

 その感情が燃料となって、高速詠唱という技術を俺に与える。


「我が与えしは天の羽衣。常世を喰らう王の権威にして、常勝無敗の証なり。汝、その身に纏うは、霊獣の翼にして蛇王の牙なり」


 ――竜化の護身。

 だが今回も不完全だ。俺の身体から鱗が生え、巨大なトカゲのように地を這う体勢になってしまった。

 当然、杖になった神様を握ることも出来ずに地面へと落としてしまう。


【止めよ、クロー。魔物同士の戦いと言っても、相手の魔力の密度は桁違いだ。貴様の保留している容量では敵わぬぞッ】


 カランコロンと音を立てながら地面に横たわる神様の声を聞きながら、俺はそれでもカドモスに立ち向かうことを選んだ。

 ……負けるかも知れない、なんてことは既に了承済みだ。

 だが、ここで諦めるわけにはいない。

 少なくともイーシュさんは、戦った。

 勝てない戦いでも逃げない意志と姿を、俺に教えてくれた。

 ――ゆえに、俺は命を賭けて目の前の敵に挑むのだ。

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