倒すべき敵との出会い

イーシュさんの案内で森へ探索に出かけてから、二時間が経過している。

アポクリュフォンと呼ばれる森の中は獣道しかなく、背丈の高い木々が鬱蒼と覆い茂った天然の要塞とも称さる所らしい。

 つまり歩きにくいし、視界も悪い。散歩するのは遠慮したいスポットだけれど、俺としては不機嫌になる程ではなかった。だって場所が何処でも、人が救えればそれで良い。

 まさに今が、そんな瞬間だ。


「グ、ガァァ」


 犬がカラスの鳴き真似をしたような声が、森の中に響く。

 羊の頭に人間の身体を持つ魔物が、出会った俺達に威嚇した音である。

 その数、六体。

 棍棒を手にした彼らは、コチラを囲むような陣形を作ろうと動き始める。

 まぁ正直、敵である俺からすればソレは逆効果だと思う。

 だって先制攻撃しなかった時点で、相手の死は確定しているのだから。


「我が憎悪は爪牙と化し、敵意を穿ち食い荒らす、悉く粉砕せよ、不浄の獣」


 新しく脳内に思い浮かんだ詠唱を終え、既に杖と化した神様を振りかざすと、俺の影から漆黒の狼が次々と出現して魔物へと飛びかかる。

 産まれた狼は十五匹。そのどれもが夜闇の如く染まっているくせに、口から生えた牙だけは月光のような白い輝きがあった。

 だがそれも、すでに獲物の血によって紅く染まっている。

 人間の肢体を持った魔物達は、両手足を同時に噛まれて身動きを封じられ、そのまま首元を食い千切られて塵と化す。


「まずは、三つ」


 魔法の効果は切れたが、残りは三体だ。次の獲物に狙いを定めて、杖を向ける。

 敵の反撃も想定はしていたが、杞憂に終わった。


【逃げるか】


 神様の指摘通り、数秒で仲間を失った魔物側は動揺した様子で背中を向けた。

 その光景に、ふと懐かしさを感じる。昔の自分も、よく逃げ回っていたものだ。

 だから、その無意味さも知っている。彼らにも、身体で理解させなければ。


「――待て、クロー。ここは吾輩に任せろ」


 駆け出したくなる気持ちが、その言葉によって止められた。

 拒否する前に魔物を追いかける姿を見せられては、杖を振る訳にもいかない。

 あぁ、仕事を奪われた。

 悔しいが歯を食いしばって耐える。何しろ、イーシュさんが悪いわけではない。

 まとめて倒せなかった俺が、弱すぎたのだ。


「ふん」


 たった一息。

 イーシュさんはあっという間に魔物達の背後を捉え、拳と蹴りを繰り出す。

 その威力は、どちらも一撃必殺。

 追いついてから約三秒で、二つの命が塵と化した。

 しかし魔物も、土壇場で必死の抵抗を見せる。


「ぐ、ぅおおお」


 体勢を反転させ、次の攻撃に移るイーシュさんに向かって、魔法を放つ。

 それは昼間の明るさの中でも燦然と輝く紫電であり、まるで大蛇の如く広がりを見せてイーシュさんに襲いかかる。


「惜しいな。六体同時なら脅威だった」


 それも想定内、と冷静な表情で語るイーシュさんは、敵の魔法を拳で砕く。

 敵に同情したくなるような歴然の差である。

 渾身の一撃がアッサリ敗れた魔物は、絶望した顔で敵を見据えた。


「――――」


 最後は無抵抗のまま、イーシュさんの一撃を受けて塵と化す。

 弱肉強食の一端を見ながら、俺はイーシュさんを労う。


「お疲れ様です。あと、すみません。手こずってしまって」

「気にするな。せめて雑魚は吾輩に任せて欲しい。クローの魔法の威力は、誰でも出せる物ではないのだ。いざという時、また倒れたらどうする?」


 心配してくれているのは嬉しいが、過保護だとも思う。

 ……たとえ倒れる要素であろうとも、仕事を取り上げられるのは嫌だ。


「まぁ、その部分に関しては大丈夫でしょう。なんたって上級魔法の使用は禁止しているんだから」


 その声は後方からだった。

 安全確保した獣道から姿を見せたソフィア姫が、エレナさんを連れて会話に加わる。


「不満そうね、クロー。でも駄目よ、あんな広範囲魔法を放てば、逆に魔物を呼び寄せてしまうもの。なにより万が一にでも帝国の兵士を巻き込んだら、洒落にならないわ」


 子供に言い聞かせるような説明をされなくとも、理解しているつもりだ。

 ただ、納得していないだけである。


「せめてイーシュさんみたいに接近戦用の魔法を使えれば、面倒なことを気にしなくても良くなるのに」


 こんな風に人を羨ましく思うなんて、久しぶりの感覚だ。

 しかも無い物ねだりなど、数日前には考えられなかった甘えた思考である。


【仕方なかろう、クローには適性がなかったのだ。だが、良いではないか。お前は攻撃型の遠距離魔法に関しては優秀だぞ?】

「うむ。たった一度の魔法で数百の敵を屠ることが出来る。これほど効率的な戦い方は隊を預かる者としては心強い限りだ。だからこそ、守るべき者でもある」


 神様はともかく、強さを体現しているイーシュさんに褒められるのは嬉しい。

 ……しかし大して魔物を狩れない現状では、今の俺など無価値だろう。

 せめて、役立つ魔法の種類を増やして欲しい物だけれど。


【贅沢なことを考えているな? 無学のまま魔法を扱えるだけで破格なのだぞ。これ以上を望むなら、自ずと努力するが良い】

「ケチくさいです、神様」


 不満を先読みしてくる神様を八つ当たり気味に、ブンと振り回す。

 スイングした先にあった小枝にぶつかり、ソレは弧を描いて木々の中へ潜った。

 瞬間、カンッと。

 枝が飛んでいった方向から、金属で木を弾く音が響いた。


【人間の気配だ】


 その場にいた全員が顔を見合わせると同時に、戦闘体勢を組む。

 俺は心の中で自分の頭を叩きたくなった。

 忘れてはいけなかった、ここは既に敵地なのだ。


「――チッ。思わず反応しちまった。しかし悪くねぇ殺気だな。上等上等、戦う相手として不足は無さそうで何より」


 直後、野太い声と共にガサガサと草木を押し倒して正体を表した。

 その身体を漆黒の鎧で固めた短髪の戦士である。


「おう、イーシュか。元気そうで何より」

「……カドモス殿。帝国の副将軍たる方が、どうしてお一人で森を歩かれている?」


 厳しい顔で睨むイーシュさん。

 現れた男は悪気のない顔でニカッと笑う。


「いやなに。部下から報告を受けてな。少数で森を徘徊する王国の猛者たちに挨拶しておこうと思ってよ。さぁこい。殺し合いをしよう」

「――――」


 そう言って背中から大剣を抜く男に、俺達は例外なく絶句する。

 完全な想定外だ。

 目の前の相手からは、あからさまな殺意しか感じない。


「おいおい、面食らってんじゃねぇよ。そのつもりで此処まで来たんだろうが?」


 まるで、猛獣が人間の形をしているような男だった。

 鋭い眼光に獰猛な笑みを浮かべ、縦に走る刀傷を右頬にもち、肉体こそが武器であると言い張るような巨躯を揺らしながらコチラに近付く。

もはや見た目だけで凶器と言える容姿に、襲われたら嫌だなと思いながら呪文を唱えようと大きく息を吸う。

 しかしソレを止めるように、右手で俺の視界を遮ったイーシュさんが前に出る。


「冗談が過ぎるぞ、カドモス殿。そちらに向かう事は昨日の内に知らせた筈。何より吾輩達の関係性はできるだけ穏便に、と帝国側から望んだ事だろう?」

「随分と昔の話だな。それに、そのガキは応じる気のようだぜ?」


 ブォン、と。

 射貫くような視線で睨み付けてきた男は、剣を勢い良く振り下ろす。

 あ、死んだなと思った。

 頭が割られる寸前、イーシュさんが拳でガツン、と殴打して堰き止めなければ。


「随分と固いな、吾輩の拳で砕けんどころか弾けもしない。鋼鉄より頑丈とは」

「おう、帝国でも指折りの名品だ。壊したければ最上級魔法で挑んでこい」

「……吾輩達は戦いに来たわけではない。剣を納めて貰おう」

「そういう台詞は、まず握り拳を解いてから言うんだな」

「承知しかねる。万が一にでも魔物と人間相手の両面戦争など御免だ」


 体格差の影響か、イーシュさんがジリジリと力負けしていく。

 俺を斬首しようと徐々に近付く分厚い刃。けれど不思議と怖くはなかった。

 守られているからと言うよりは、相手の余裕の方が気になる。

 こちらに害を加えたい割りに、悪意が足りないのだ。


「おい小僧、どうした? まだ首は無事だ、魔法は唱えられるだろうが。遠慮はいらねぇからよ、さっさと撃ってみたらどうだ?」


 完全な挑発行為。だがそれで理解した。

 これはモート伯爵にやられた時と同じだ。相手に試されている。


「……残念ながら思惑には乗りません。この場所を貴方に教えた部下は、いったい何処に控えているんですかね。こちらの動向を見守っているんですか?」

「なんだ、気付いたのか。これじゃ仕掛けねぇか。つまらねぇ」


 俺の様子を見て、獣のような男はアッサリと剣を背に戻す。

 そしてクルリと反転して無防備な背中を見せると、森の奥に向かって声をかけた。


「どうやら賭けは俺様の負けのようですわ、セレネ様。こいつら、本当に尋ねてきただけのようですぜ」

「当然でしょう。お前のように試さずとも、戦う気ならば四人だけで来る筈が無い事くらい理解できますから。それよりも、副官の分際で上司たる自分の意見を聞かずに先走った罰は、後でじっくり受けて貰いましょう」


 男の声に答えながら、一人の女性が木々の間から姿を見せた。

 ……しかし女性といっても魔物の住処たる森の中で、ソフィア姫みたいな華奢な格好をしている筈もなかった。

 腰回りの両側には二つの剣が吊され、純白の甲冑を着込んでいる。


「部下が失礼をしました。自分はセレネ。セレネ・レア・フェミキアと申します。クリティアス帝国では第三軍の将軍として兵を預かり、この地では最高指揮官として務めております。以後、お見知りおきを」


 堂々と告げるその風体は、まるで抜き身の剣のよう。

 腰まで伸びた黒髪のポニーテールや、美術品のように整った顔は凛々しいが、近付いた瞬間に両断してくるような、そんな恐ろしいイメージを抱かせる。


「……名前だけなら知っているわ。戦闘能力に秀でた歴代最年少の女将軍。殺した相手の血で運河を作ったとまで言われた傑物だとか」

「経歴は否定しませんが、今の自分は人命救助と平穏を望んでおります。どうか安心して頂きたい」



 セレネ将軍は目は笑っていないのに、口元だけを三日月のように曲げた。

 この人は、きっと生き物を弄ぶのが大好きな人種だ。

 昔、似たような雰囲気の人達から痛い目に遭ったから良く分かる。


「……さて。事情は不明ですが、自分たちに話があることは承知しています。とはいえ何の用件なのか聞こうにも、此処では魔物が多くて落ち着きません。そこで、まずは自分たちの基地に案内しましょう。話はそこで伺います」


 穏やかな口調での歓迎だけれど、油断せず警戒すべき事だと俺にも判った。

 ソフィア姫なんか、モート伯爵を怒るよりも険しい顔で相手を睨み付けている。


「呆れた話ね、事前に話は聞いていたけれど。他国の領地に堂々と基地があると公言してくるなんて。先程の挑発行為といい、随分とティマイオスを嘗めているのね」

「まさか。尊重しているからこそ、迎えに来たのです。それに基地と言っても、最低限の生活を維持できる設備しかありません。自分たちの立場は弁えているつもりです」


控えめな表現の癖に、まるで勝ち誇るような表情を浮かべて、将軍と名乗ったその人は言葉を続けた。


「……しかしそうですね。自分たちは森の守護と平和を担っている自負はあります。貴方達に倣って言うならば魔物と人の最前線、新アッカド基地と言うべき場所です。南方で最も安全な地帯、それを王族たる姫殿下に認めて貰えれば幸いです」

「ふざけないで。アッカド基地は健在だわ。貴方達が名乗る資格は皆無よ」

「では、実際に御覧になって確かめればよろしい。ねぇ、姫殿下?」

「――上等だわ。ええ、最初からそのつもりだったけれど、俄然楽しみね。さぁ早く案内して貰いましょうか」


 売り言葉に買い言葉、喧嘩腰の応酬合戦だ。

 情報収集という当初の目的が、平和的に終わりそうに無いと確信できる。

 しかしなるほど、確かにコレは敵対関係というに相応しい。

 聞いた話以上の不仲っぷりに辟易しながら、俺は事態が好転する事を願った。

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