戦勝祝賀会

「あ、れ?」


 気付いた時には、見知らぬ天井を見ていた。

 どうやら寝ている間に運び込まれたらしく、ベッドの上だと自覚して起き上がってみれば、沈む太陽が眩しい夕方だった。

 服装などに異常はあるかと確認するが、特にない。

 倒れ込んだにも関わらず脱がされずにいたのは、きっとソフィア姫から貰った魔法服のおかげなのだろう。

 安全であったことに感謝しながら目を細めて景色を眺めていると、何故だか急に胸が苦しくなって咳が出た。


「コホッ」


 反射的に口元を手で覆うと、びしゃっと粘りついた液体が付着する。

 それは夕焼けよりも目に焼き付く、純粋な赤に染まった血だった。


【当然の代償だな。一日であれだけの高等魔法を使ったのだ、だからそうなる】


 不機嫌そうな声に振り向く。杖ではなく、人間形態の神様だ。

 部屋の隅の壁に背中を預けて、腕を組みながら俺を睨み付けていた。


【お前には色々と言いたいことがある。だが、それは後回しだ。まずはアッカド基地の面々が、我らの歓迎会を開きたいと言っている事を伝えよう】

「それはつまり、ご馳走が出るという事ですか?」

【やれやれ、己の安否より食事が優先か。連中が言うには、久方ぶりに死者の出ない戦いだったらしいからな。感謝と礼を兼ねて普段の食事よりは豪華だと思うが】

「なら起きます」

【血は拭っておけよ、ソフィアに見つかれば小言を聞く事になる】

「はい。食事前の手洗いは大切ですものね」


 側にあった水桶でゴシゴシと手を拭いながら、俺は今日の戦いを思い出す。

 ……命を削って救えた数は、たった二十人。


【それでクローよ、自覚して人を救えた感想はどうだ?】


 感情でも読み取られたのか、神様が痛いところを付いてくる。

 おかげで嘘を吐く余裕など無く、正直に話してしまった。


「想像以上に、達成感が皆無でした。助けられた命の数より、魔物を殺せた量の方が嬉しいくらいだ」


我ながら、どうかしている。

 命さえ厭わない自己犠牲を払えば、自分の過去を清算できると思い上がっていた。


「やはり大勢の命を救わないと物足りないのかも知れません。そういう意味では、あの場で命懸けの攻撃をするべきではありませんでした。死んでは誰も救えない」

【……救えないのは貴様自身だ、馬鹿者め】


 呆れた様子の神様が【まぁ良い。食堂まで行くぞ】と部屋を出る。

 毒づかれた訳は不明だが、御飯と聞いて俺は喜んで神様の背中を追った。

 なにしろ空腹だった。今後の為にも、栄養は必要なのである。

 ……さて、と目的地に到着した俺は当惑していた。

 具体的に言うと、全身に突き刺さる視線が痛い。

 なにしろ牛丼屋のチェーン店くらいの広さを持つ食堂に、五十は超える人影が詰めかけていたのである。

 まぁ考えれば当然ではあるが、兵士の全てが戦いに出ている訳では無かったのだ。

 そんな人集りの中心で、イーシュさんが俺を見据えて頭を下げた。 


「まずは異界の魔法師に謝罪を。戦いに不慣れな者を、囮のように扱ってしまって済まなかった」


 そう言って直角に腰を曲げる相手を前にして、俺は戸惑うほか無い。

 粗雑な扱いには慣れていたが、罪悪感を持たれての謝罪など初めてだった。


「謝られるより、俺は喜んで欲しいです。だって、ご馳走が食べられるのでしょう?」


 その言葉に、場の空気がフニャッと弛緩したのを感じた。

空腹を満たしたい本心だったのだが、それで悪意が無い事は伝わったようだ。

 イーシュさんは顔を上げてから、安堵の表情で微笑んだ。


「了解した。では早速、感謝とともに食事を持て成そう。ささやかではあるが、喜んで貰えると幸いだ」


 ……そして歓迎会が始まってから、十五分が経過した。

 食堂に詰めかけた兵士達が戦勝記念だ、と祭りのように賑わっている。

 場の空気は人の熱気に蒸され、ここが死地とは思えないほど盛況だ。

 ……俺の横にいる人は、ソレが特に顕著である。


「異界の魔法師、いやクローよ。今日は本当に助かった」

「いえ、お気になさらず」

「吾輩は、今日という奇跡を永久に忘れないだろう。我が部隊以外の者が、命を賭けて同胞を守ってくれたことは初めてでな」

「なるほど」

「まして誰も死ぬことのない勝利など久方ぶりだ。この恩は、必ず返す」


 ワインを片手に顔を赤らめるイーシュさんが、余った左手で俺の肩をバンバン叩く。

 初対面の鬱屈していた雰囲気とは一転、どうやらイーシュさんは酒を飲むと上機嫌に絡む性格のようだ。

 まぁ、酒を飲まない俺には関係が無かった。


「それはよかったですね。俺は食べる事に忙しいので」


 酔っ払いは、適当に相槌を打つに限る。

 しかし困った事に、紅い顔で笑顔を向けているのはイーシュさんだけではない。

 ……食堂の中央には特等席が用意され、俺の両隣にはイーシュさんと神様、そして対面座席にいるソフィア姫とエレナさんが座っている。

 そのテーブルを囲むように飲食している兵士達が、興味津々な表情を隠さないまま注視してくるのだから食事に集中できずにいた。


【……むぅ。たとえ好意であっても、酒を口にする度に感謝を呟かれては食事に集中が出来んな】


 悪態を吐きながらパンを囓る神様の言い分に、思わず頷きかける。

 兵士の人達は各々で食事を楽しんでいるようだが、時折ふとコチラに視線を投げかけてくる。大勢の注目が絶え間なく来るのは正直、苦痛だ。

 けれど、とソフィア姫とエレナさんを横目に見る。

 俺や神様とは違い、二人は何事もないような態度で丁寧に料理を口に運んでいて、文句を口にするのは憚られてしまう。


「衆目には慣れておきなさい。もし貴方達の活躍が認められたら国を挙げての祝賀会が開かれるでしょうから。今みたいに周囲の感情に乱されていては、悪態を吐く暇さえ贅沢だったと嘆くことになるわよ」


 手本にしたくなるほど綺麗に木製スプーンでシチューを掬い終わったソフィア姫は、特に味の感想を述べることなくデザートのフルーツパイに手を伸ばす。

 このままのペースだと、俺よりも早く完食するだろう。


「姫殿下、お味の方は如何か」


 さきほどまで茹で上がった蛸みたいだったイーシュさんが、キリッとした顔でソフィア姫に声をかけた。


「心配せずとも、美味しいわ。王都でも、これほど新鮮な食材を使った料理は口にした記憶が無いくらいよ。えぇ、歓迎会に相応しい華やかさだわ」


 笑顔で褒めるソフィア姫に、イーシュさん達は顔を見合わせながら喜んだ。

 ……ちなみにワイバーンの上でした食事でさえコレの何倍も美味しかったので、ソフィア姫の言っている事は嘘だと思う。


【まぁ、王族を持て成す歓迎会でシチューとパンにワイン、フルーツパイしか出さないほど状況が悪いようだしな、そう考慮すれば不味くはない】


 さすが神様、小者みたいなことをいう。

 けれどソレで食堂の雰囲気が悪化すると言う事は無く、むしろ遠慮する気持ちが砕けたのかイーシュさんはあっさりと神様の言葉を肯定した。


「……あぁ。その通りだ、デミウルゴス。いや、デミウルゴス様」

【む。随分と露骨な手の平返しだな】

「部下の命を助けられて横柄な態度など出来るはずも無い。それだけ危機的状況を、貴方達が改善してくれたのだ、故に改めて礼を言いたい。ありがとう、と」


 椅子から離れ、直立して手を差し伸べるイーシュさんに神様はオロオロと困った様子を見せた後、ばつの悪そうな顔でコホンと咳払いする。


【邪険にされるよりはマシだがな。戦力になると判った途端に懐かれるというのも、居心地が悪いものだぞ。使えないと思えば、再び厄介者扱いだろう?】

「ミウル、天の邪鬼が過ぎるわよ。まともに感謝されたのは初めてでしょう? 嬉しいのなら素直に喜びなさい」

「いいえ、姫殿下。この方の言い分は正しい。吾輩達は余所者に厳しい。ですが、命の恩人に悪態を吐くほど愚かではない。ここに居るのは、たった一度でも救われたのなら報いようとする者達ばかりです」


 胸に手を当て、頭を下げるイーシュさん。ソレに倣って、食堂にいた兵士の皆さんまで神様に御辞儀した。その雰囲気に釣られたのか、神様も怖ず怖ずと席を立つと複雑そうな顔で小さく呟く。


【……悪かったな、少し言い過ぎた。我は信仰を糧とする者だ、貴様らの意思は体感で知覚できる。なるほど、確かに我らへの感謝は本物だ。いっそ、仲間意識さえ感じるほどにな】

「仲間、ですか」


 いまいちピンと来ない言葉を聞いて、リピートしてみる。

 独り言のつもりだったけれど、俺の呟きに反応したイーシュさんが答えてくれた。


「あぁ。出会ったときの非礼を許してくれるなら、吾輩達はそう言う間柄でありたいと思っている。そう願うほどに吾輩達はあの時、救われたのだ。神の使徒よ」


 そう言いながら、イーシュさんはスッと開いた右手を差し出してきた。

 鈍感な俺にも判る、友好を求める合図だ。


「吾輩達は、多くの者から見捨てられていた。身の危険は自分たちで解決しなければ許されなかった。故に、久方ぶりだった。誰かの助けに感謝するのは。そして思ったのだ。貴方から貰った行為に報いねば、と」

「……理解できます。俺も、似たような経験をしていますから」


 苦い気持ちと共に過去を思い出し、同じ後悔をしない為に異世界まで来た事を改めて自覚する。ゆえに躊躇うことは許されない。必要ならば全て利用すべきである。


「む。顔色が悪いな、クロー殿」

「……さっきみたいに、クローで良いです。じつは俺も、協力する事は戦う上で重要だと学びました。良ければ、友達から始めてください」


 俺は立ち上がって、スッと右手を差し出す。

 そして、互いの意思が交わされた。


「年下の友人か。初めての事だが、クローがそう言ってくれるなら、喜んで」


 ワァ、と様子を窺っていた室内から一斉に歓声が沸き上がった。

 どうやらこれで、アッカド基地の頼もしい仲間として認められたようだ。

 祝福は素直に喜ばしい。なにより、長年の夢が叶ったのだ。


「良かった。ようやく俺にも、初めての友人ができました」

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