戦闘開始、終了

 ……さて、しかしである。

 神様と心が通じ合って癒やされていても、周囲は緊迫した状況のままだった。

 特に、エレナさんが険しい表情で叫んでいる。


「姫様達はその場を動かず待機してください、ここは私が食い止めますッ」


 エレナさんはレイピアを振りかざすと、魔物に向かって走る。

 しかしここは城壁塔、遙か遠くを監視する為の高層建築物の中だ。

 つまり壁を破壊されたその先は、切り立った崖のようなもの。

 魔物は空中に浮いているから平気だが、普通の人間は相手と対峙する前に落下して死んでしまう。

 ……なのに、エレナさんは猪のように突っ込んでいった。


「あの、そのまま走ったら危険ですよ?」

「知っています」


 素っ気ない返事を残して、エレナさんは躊躇いもなく飛び降りた。

 目の前で開始される死の光景にゾクリ、と心臓が凍る。

 しかし刹那、たった一つの言葉が状況を覆した。


「我が身は鳥」


 ソレはまさしく魔法の言葉。

 たった一言の力によって、落下するエレナさんは重力に反発して浮遊した。


「我が身は羽根、我が身は風、我が歩みは空を駆ける、これを阻む者は無く、なお諫める者は空を仰ぎて後塵(こうじん)を拝すべし」


 続けて紡がれたその呪文はエレナさんに浮遊どころか、飛翔さえ与えた。

足場など皆無の空中なのに、まるで見えない床を蹴るように空を踏む。

 警戒し始めた魔物に対し、エレナさんはレイピアを構えて攻撃態勢を作った。

 しかし、その距離は絶望的なまでに遠い。

 いくら早く空を走った所で、敵の多さもあって簡単に対処されてしまうだろう。

 だが。


「――我は、空を泳ぐ者」


 それはまるで、射出された砲弾のようだった。

 弓矢を超える加速をしたエレナさんの切り込みに、まず三体の魔物が血飛沫を上げて地面へと落下する。


「え?」


 その光景を見て、俺は思わず驚きの声を上げた。

 落下した魔物は地面に届く前に、サラサラと砂のように掻き消えたからだ。


「……魔物は生物じゃないのよ、魔力の塊が実体化した存在。動物や死体に憑依する例外もいるけれど、基本的に遺骸は残らず消えてしまうの」


 尋ねる前に答えてくれたソフィア姫は、崩壊した床の手前まで近付く。

 どうやら、大人しく控える気は無いらしい。


「何をする気なんですか?」

「判るでしょ、戦うのよ」

「俺には止めろというのに、自分は戦うんですか」

「当然。貴方と違って、私には戦う義務と手段があるもの」

「……それって、まさか」

「もちろん、魔法よ」


 そう喋っている間にも、ソフィア姫の周囲に火の粉が舞い始める。

 なのに、気温が上がる気配は無い。

 蝶みたいに舞う冷たい炎は、誘蛾灯の如くソフィア姫の右腕へ集中する。

 ……そして当然のように、ソフィア姫はソレを空へと向けた。


「我が敵意は焔となり、憎悪の灼熱は人魔を散らせ、破滅と灰燼を生むだろう」


歌うように語られる短い詠唱に、俺は状況を忘れて聞き惚れる。

 戦うことを恐れない声色に、頼もしさしか感じられなかった。

 ……ただし。

 その威力は是非とも魔法を使いたい俺でさえ怖気が走った。


「――出でよ、煉獄の塔」


 刹那、昼間の青空が真っ赤な夕焼けと化した。

 まるで地獄。

 そんな錯覚をしてしまう程、巨大な火柱が大気を焦がす。

 ……空中戦が繰り広げられている位置とは無縁の、遥か遠方で。


「あれ? コントロール、間違えた?」


 動揺しながら首を傾げるソフィア姫。

 しかし結果は疑いようもなく、火を見るよりも明らかだった。

 ……この魔法による犠牲者はゼロ、魔物は健在だ。

 重苦しい沈黙が訪れる。

 敵味方問わず、その場にいた全ての視線がソフィア姫へ集中した。


「し、仕方ないじゃない、実践は初めてだもの」


 誰に対しての言い訳なのか、ソフィア姫は顔を朱に染めて俯いた。

 まぁ別に反省するのは構わないけれど、今はその時では無いと思う。


【不味いな。今の攻撃で完全に、こっちの方が脅威だと認定されたぞ】


 神様の指摘通り、十体以上の魔物がこちらに押し寄せる。

 エレナさんが足止めしようと頑張っても、間に合わない。

 ……だから。


「神様、今すぐ俺に魔法を授けてください。女子二人を盾にして生きるくらいなら、戦って死にます」


 正直に言えば、怖い。だが、それがどうした。

 今の俺は、危機的な状況に無力である事の方が恐ろしい。

 命惜しさに誰かを犠牲にする行為は、もう絶対にしたくない。


「やめなさい、貴方は私以上に未経験者じゃない。そもそも魔法は学ぶモノ、授けてくれと願って使えるモノではないのよ。戦う手段が無い以上、素直に逃げるべきだわ」


 なんとも親切な忠告だ。

 だが不機嫌な眼差しでギロリと睨まれたって、俺の意思は変わらない。


「逃げた先が、この世界なんです。もう次なんてありません。さぁ神様、早く願いを叶えてください。寿命で足りないというなら、魂だって捧げますから」

【よし、心得た】


――瞬間、神様が泡のような光の玉に包まれる。

 ソレがパン、と弾けた時には神様は消え、代わりに白銀の杖が出現した。

 突然でてきた異様な武器に警戒し、魔物さえ進行を止める。

 ……ソレは俺の身長を超える長さを持ち、穂先から柄に至るまで魔的な魅力に囚われてしまうほどの妖艶(ようえん)を纏っている。

 特に、上半分の扇が開いたような放射線状を背景に、十字架にかけられた一体の髑髏(どくろ)の装飾は見事なものだった。


【戸惑うな、コレが我よ。我が半身、神造兵器ソウルテイカー。術者の生命力を効率よく魔力へ変換して魔法を放つ優れものだ。大切に使うが良い】


 武器から神様の声が聞こえた。

 言っている意味が良く分からなかったが、とりあえず握ってみる。

 重い、と思っていたのに羽根のように軽かった。


【ただ我を持つだけで良い。覚えるべき技術も耐えるべき修行も必要ない。お前の得意とする呪文が、自動的に頭脳へ打ち込まれる。あとは、ソレを口にするだけだ】


 論より証拠だ、と神様の言葉が途切れた直後。

 ――ドクン、と。

 心臓が溶けそうになるくらい熱くなる。

 ソレと同時に、額がジリジリと刃物で抉られるように痛い。

 けれど苦痛を訴える為の口は、何故だか勝手に知らない単語を並べ始めた。


「……風の刃に慈悲はなく」


 途端、自分の身体を軸に小さな竜巻が発生する。

 下から吹き上がる風に髪が巻き上げられるのを感じながら、身体は俺の意思とは関係なく杖を槍のように空へと突き出した。


「弓より早く、その身を喰らう、無色の咆哮」


冷静を取り戻した剣や斧を持った魔物達が、目前にまで迫っている。

 おそらく、このまま三秒も待てば惨殺されるだろう。

 ――だが遅い、と思わず笑みがこぼれた。

 こっちの方が一秒は早くて、それだけで敵を百回は殺せると確信する。


「死神の嵐」


 直後、百を超える風の刃が魔物に向かって進撃する。

 ソレは、空気を圧縮して繰り出される見えない凶器だった。

 大気を切り裂きながら敵を喰らい尽くす、無慈悲な必殺だった。


「――――」


 断末魔さえ上げずに、こちらに向かってきた魔物達はミンチと化した。

 色彩もなく、実体もないので目視で避ける事など不可能なのだろう。


「……嘘。私と同じ初陣なのにこんなあっけなく、しかも上級魔法を扱えるなんて」


 そんな雑音が耳に入ったのは、魔物達が理解できないといった様子で動きを止めていたからだ。

 ソレを見て、俺は口元が釣り上がる。


「あぁ、嬉しいな。ようやく、ようやく」


 ――叶えられるのだ。かつて俺を助けようとしてくれた人のように。

 ようやく俺は、強い人間に成れたのだ。


「反撃です」


 溢れ出る気持ちが、つい声に漏れる。

 先程まであった美しい景色が、一瞬にして残虐な光景にすり替わる。

 だがそれは誰かを助ける為に必要な事だ。だから、これほど嬉しいことはない。

 魔法、魔法、魔法。


「……素敵だ」


 あぁ、ようやく無力だった自分にも戦う術が出来たのだ。

 満たされる優越感、踏みにじることで優位に立てるという勘違い。

 だがソレが良い。飢えた人間が食料を求めるようなもの。

 魔物を殺して、人を救うことで、ようやく俺は罪を清算できるのだ。

 そう思うと『次』が欲しくなって周囲を物色する。

 しかし残念なことに、近場の魔物は今の攻撃で死んでしまった。

 だから、次は未だに散らばる敵を殺そう。

 遠慮することはない、これは正しい人助けなのだ。


「我が誘うは、堕天より産まれし破滅の水」 


 気分が高揚するのと同時に、洪水のように頭の中に言葉が溢れてきた。

 その意味は理解できないけれど、覚えのある言葉を口ずさむ。


「我が意を汲みし傀儡の鞭なりッ」


 さっき神様が使って見せた魔法を再現する。

 呼び出された黒蛇たちは、広かった室内を手狭に感じさせるほどに湧き出た。

 そして空に点在する敵へと食らい付く為、一斉に首を伸ばす。

 ……本来、蛇は鳥類に捕捉される存在だという。

 しかし今回に限って言えば立場が逆転した。

 黒蛇達は積年の恨みを果たさんとするかのような猛攻を見せ、魔物を次々と飲み込んでは消えていく。

 俺の魔法が、敵を蹂躙したのだ。

 もはや誰かの命を犠牲にして生き残った、弱い自分ではない。


「これが、俺の力」


 たった二回。それだけで魔物は全滅していた。

 脅威は完全に取り除かれ、いっそ呆気なさを覚える幕引き。

 それでも俺にとって生まれて初めての『勝利』には違いなかった。

 しかし。


「思ったより、味気なかったですね」


 戦いの高揚感は、氷のように冷めてしまった。

 なんというか、達成感が湧かない。想像以上に簡単すぎたのだ。


【不満そうな顔だな、クロー?】

「いえ。国の危機と聞いていたので、もっと苦戦するのかと思っていたのですが」


 害虫に殺虫剤を撒いた程度の感覚で死なれては、勝者という余韻に浸れない。

 はっきり言えば、物足りない。

 遊びに飽きた子供みたいに溜息を吐くと、震えた声が耳に届いた。


「……ずるい。一人の魔法師だけで国が救えるわけが無いと思っていたけど、この成果を見せられたら理性が揺らぐわよ。本当、我ながら現金なものだわ」


 その悔しそうな表情を見て係わらないでおこうと心に決めていると、エレナさんが荒い呼吸を整えながら剣を納めて戻ってきた。


「お見それしました、異界の方。いえ、これからはクロー様と呼ばせて頂きます。姫様の安全が守れたのも貴方の尽力あってこそ。心から感謝します」


 跪いて礼を述べるエレナさん。

 数年ぶりに聞いた感謝の言葉に、俺は慌てて止めるよう声をかける。


「役立てたなら何よりです。まだ戦いには不慣れですが、これからも活躍できるように頑張ります」

「……殊勝な方ですね。邪神の使徒であっても、貴方は良い人のようです」

【おい待て。どういう意味だソレは】


 拗ねた子供みたいな声を出す神様に、残っていた緊張感がほぐれて笑ってしまう。

 一件落着、と場の空気も静かに流れ始めたその直後。


「うぐっ」


 ドクン、と。

 突如、ハンマーで心臓を殴られたような激痛に襲われた。

 道路を走っている最中、背後から車に衝突された事を思い出す。

 何にせよ耐えがたいほど息苦しい。


「ああもう、やっぱり負担が大きいのね」


 ソフィア姫が心配した声で駆け寄って、労るように俺の背中をさする。

 その行為には何の癒やしも感じないけれど、気遣いは嬉しく思う。


【むぅ、初陣での上級魔法は控えるべきだったか?】


 唸る声と共に、手元の杖がシャボン玉のように弾けた。

と同時に、元の姿に戻った神様が大人に怒られる前の子供みたいな態度で俺を見る。

 無論、俺にそのつもりは無い。望んだ結果に悔いは無いのだ。


「いやだなぁ、神様。ようやく過去の清算が始まったんです、感謝してますよ」

【戯け、眉を歪ませて言う台詞ではないわ】


 叱るような口調で語る神様に、俺は苦笑いを向ける。

 本心からの台詞を否定されてしまっては、返す言葉が見つからない。

 だから代わりに出てきたのは、愚痴のようなモノだった。


「残念です。苦痛なんてお釣りが来る、この喜びを分かり合えないのは」

【……貴様はマゾヒストか?】


 神様が不可解そうに首を傾げるが、別に理解を求めていないので構わない。

抗い、戦い、勝つ。 

 かつて瓦礫の中で無力に苛まれるしかなかった自分が、誰かを犠牲にして生き延びたことに対しての劣等感が、ほんの少しだけ和らいだ。

 こんな風に心が癒やされるなら、身体の苦痛など幸福さえ感じる。

 だから、もっと多くの魔物を倒したい。

 空腹に似た感情が芽生え始めた最中、それを遮るようにドカンと爆発が周囲に響く。


「まさか、まだ魔物が居るというのですかッ」


 警戒したエレナさんが、咄嗟にソフィア姫を庇う。

 しかし敵の姿は何処にも無い。異変が起きているとすれば、それは場所だった。


「……通路の瓦礫が、消失している?」


 そう。破壊された壁が障害物となり、埋まった筈の出入り口。

 ……脱出の妨げになっていたソレが綺麗さっぱり取り除かれていたのだ。

 そして、そこから人影が見えた。


「合格、素晴らしい戦果だ。この強さなら、安心して次の仕事を任せられるよ」


パチパチと手を叩きながら、階段を登り切った人が姿を見せた。

 後ろには四人ほどの兵士を連れて、コチラに近付いてくる。


「モート伯爵」


 そう呼ぶと、泣いた子供も安心するような優しい笑みを浮かべてくれた。

 馬鹿な俺にでも判る、偽りの仮面だけれども。

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