望みが叶うとき

 ――今現在。

 俺は要塞の内部にある、城壁塔という展望台みたいな見晴らしの良い高所に居る。

 手を伸ばせば触れられそうな青い空と白い雲。

 もちろん不可能だが、地上よりも間近に感じられる景色を小さな窓で眺めていた。


「どう、クロー? この世界の景観は」


 風景を楽しんでいた俺に、背後に立つソフィア姫が感想を求めてきた。

 クローではなく九郎なのだけど、まぁ発音の問題など今は些細なことだ。

 ここに連れてきてくれた御礼も兼ねて、俺はクルリと振り返って頭を下げる。


「楽しいです。上を見れば高い山が竹の子みたいに生えていて、下を見れば草原が海みたいに広がっていて、こんな自然を見れた事に感謝です」

「そう。私も好きよ、この景色。でも、それは今だけ。このままでは遠くない未来で焼け野原と化すでしょうね。自業自得なのだけど」

「つまり、どういう事です? そもそも俺が騙されているっていう話も、まだ教えて貰っていませんし」


 そう言いつつチラリ、と神様へ目を向ける。けれど視線は合わない。

 神様は悪戯して怒られた小学生の如く、居心地が悪そうに顔を背けた。


「駄目よ、親に縋る子供みたいにミウルを見ては。あれで小心者だから、良心が耐えきれなくて死んでしまうわ」


 良く分からない叱責をしながら、ソフィア姫は石畳に用意された椅子に近付く。

 その隣に控えていたエレナさんが椅子を引くと、そのまま座って話し始めた。


「改めて確認するわクロー。貴方は望んで、この世界に召喚されたのよね?」

「そうですね。自宅に帰ると、玄関先で謎の本が風船のように浮いていたので。怪しいと思いつつ本を開いてみたら、神様が現れて」


 異世界に連れて行ってくれるというので、はいと頷いた。

 そして気が付いた先が、モート伯爵の部屋だった訳だ。

 ここまでの顛末を語ると、ソフィア姫は頭を抱えて溜息を吐いた。


「……バカな取り引きをしたものね。異世界召還は契約者の寿命と引き替えなのよ? おそらく残りの余生は老人と変わらない。貴方、人生に対しての未練が無いのかしら」

「神様からは、それでも安い対価だと聞きましたが」

「……ミウル?」

【に、睨むではない。我は嘘など言っていないぞ。異世界での生活など、金銭では得られぬ体験だ。なにより本人が納得している事だ、他人が文句を言うものではないぞ】

「神様の言う通りです。この方は、俺にチャンスをくれました。人を助けることで俺も救われるというなら、これほど素晴らしいことはありません」


 一片の後悔もない気持ちと共に、堂々と言い放つ。

 なのにソフィア姫は納得できないといった顔で溜息を吐きながら、言葉を続けた。


「……元の世界で犯した罪を異世界で償うって発想は理解できないけど、まぁ良いわ。けれど貴方、人助けの為に魔法を使う意味をキチンと理解しているのかしら?」

「……どういう意味ですか?」

「やっぱり知らされていないのね。魔法の使用には術者の寿命が必要なの。つまり魔法を使えば使うほど、早死にするってこと」

「――――」


 さすがに絶句する。

 老人並みと言われた寿命から、さらに引かれるのか、と。


「……もしかして短命になればなる程、人を救うのは困難になるのでは?」

「ええ。ましてや国を救うなんて無謀に過ぎる。騙されているって言ったのは、そういう事よ。掲げた目的を達成できないこと前提で、貴方は召還されたの」

「でも俺が役立つと判れば、そうならない為のサポートくらいはしてくれますよね?」


 一縷の望みにかけたが、ソフィア暇は首を横に振る。

 そこに躊躇いは無く、いっそ慈悲深ささえ感じる即断だ。


「有用だからこそ、大切に扱うより酷使する方を我が国は選ぶでしょうね。強力な魔法師は魅力的だけど、必須という訳でも無いもの」

「大事に管理するより、使い潰しても惜しくない道具みたいなものですか」

「そうよ。たとえ国を救えたとしても、見返りの少ない報われない役目だわ。それでも貴方は躊躇せず魔法を扱えるのかしら?」


 それは取り調べをする刑事のような、鋭い視線だった。

 動揺したり、薄っぺらい嘘を言えば直ぐさま糾弾しようという意思を感じる。

 だが。


「その程度の損失で済むなら、喜んで魔法を使います」


 とびきりの笑顔で言い切った。

 ソフィア姫が目を丸くして驚くが、こちらからすれば心外だ。


「……なにを言っているの、貴方。正気?」

「どうせ人は死ぬんです。俺だって早死には嫌ですが、命を惜しむ気はありません。そもそも、国を救う見返りなんて要りませんし」

「は?」

「俺の命で人を救えれば、それで良い。それ以外は求めません」


 我ながらバカみたいな主張だと思いつつ、他人事のように淡々と語る。

 しかし、それを聞いたソフィア姫からは酷く白い目で見られてしまった。


「なによそれ。代償と報酬が釣り合ってないじゃない。自分を犠牲にして、褒美も受け取らず、見ず知らずの人間に償いたい? 貴方、自分の命を何だと思っているの?」


 こちらを心配するかのような言動に、俺は思わず目を丸くする。

 ……あぁ、この人は善人なのだ。

 見ず知らずの人間が勝手に命を粗末にしているだけなのに、それを不愉快そうに怒っている辺り、さっき会ったモート伯爵とは正反対と言える。

 とはいえ。


「随分、つまらないことを聞くんですね。でも、そんなの決まっています」


 ――無価値だ。

 自分の命を惜しめるのなら、異世界に来ることもなかった。

 身勝手な嘘で命を奪った罪人は、償う義務を果たさなければ自殺さえ出来ない。

 しかし人の為に死ねるならば、これほど救われる理由は他にない。

 きっとその時こそ、俺は俺を許せるのだ。そう口を開く、その前に。

 ドカン、と。城壁塔の壁が、盛大に爆発した。


「な、何事ッ」


 吹き飛ぶ小石から俺を庇いながら、壊された方向に視線を向けるソフィア姫。

 釣られて俺も首を動かす、と。

 ――そこには、空中に浮かぶ人間が居た。

 ……いや目をこらして良く見てみれば、人間ではない。

 上半身は人間だが、下半身は馬。

 神話上のケンタウロスを模したその背中には、大鷲のような羽が生えている。

 そんな化け物が、卵の殻みたいに粉砕された壁の向こう側から増殖するように姿を現し始めていた。

 その数は二十を超え、少数だが武器まで手にしている者まで確認できる。


「魔物めッ、まさかこの様な場所にまで現れようとはッ」


 緊張した様子のエレナさんが剣を構える。

 しかし事情を飲み込めない俺としては、何を慌てているのか理解できない。

 様子見でボケッとしていると、慌てたようにソフィア姫が腕を掴んで部屋の奥まで引っ張ってきた。


「なにしてるの、早く離れないと食い殺されるわよッ」

「え、あれってそんなに危険な生物なんですか?」

「……まったく。モートとミウルは何の説明もせずに貴方を連れて来たのね。本当、最低な連中だわ」


 悔しそうに唇を噛むソフィア姫。

 しかし気を紛らわせるように首をブンブンと振ると、再び俺を匿うように壁際まで押し込めた。


「その様子だとアレは貴方の世界には居ないのね、羨ましい限りだわ。けれど此処では人間の敵なのよ、殺し合うほどのね。魔物は世を恨み生者に仇を為すモノだから」

「なるほど。今は敵に襲われている状況というわけですか」

「そうよ。しかも最悪なことに、出入り口が破壊されて逃げ場も無いって訳」


 ソファ姫の指摘通り、壁が壊れたのは通路側で今は瓦礫で埋まってしまった。

 しかも魔物達は、思わず死んでしまいたくなるほどの殺気を向けてくる。

 懐かしさを覚える感傷に浸っていると、神様の声が俺の耳元に届いた。


【喜べ、クロー。貴様が活躍し、この国を救える瞬間が訪れた】


 どうやら、何時の間にか俺の隣に避難していたらしい。 

 爆発で飛んできた埃をササッと手で払いながら、神様はコチラに顔を向ける。


「この状況が危険なのは理解できますが、国という規模に係わる話なんですか?」

【今、この国を襲っている危機とはヤツらの事だ。そう、ティマイオスは魔物の侵攻によって滅びかけている訳だ。ココは安全だった筈だが、それも今日までだ】

「待ってください。俺が人助けする前に滅びては困ります」

【そう成る前に、貴様と我で解決すれば良い】

「……ミウル、余計な事は言わないで。自国民ならまだしも、無関係の人間を巻き込めるほど恥知らずになりたくないの」


 窘めるソフィア姫の言葉に、俺も神様も反応しない。

 当然だ。今更、優しさや安全など求めていないのだから。


「この状況をどうにかできるんですか、俺が?」

【あぁ、貴様が魔法を使って魔物を退治するのだ。結果、多くの人間は救われて貴様の目的も果たされる。これは、その為の第一歩だ。どうだ、望み通りの展開がやって来て嬉しいだろう】


 こんな危険な目に遭っているのに、神様は機嫌良く笑っている。

 ……だがそれを不謹慎だと怒る気にはなれなかった。

 だって、ソレは俺も同じ気持ちなのだから。 

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