第二イベント~003

「違う!!そうじゃない!!」

 放課後の練習で監督の大和田君に怒られている俺。

 そうじゃないって言われてもな…困って頭を掻いて誤魔化す。

 その仕草が癪に触ったのか、大和田君は椅子から立ち上がって俺に詰め寄って来る。

「いいか緒方!主人公はヒロインを大好きなんだよ!!友達じゃないんだ!!」

「いや、そりゃ解っているけどさ…」

「解っているならちゃんとやってくれ!!ほら、もう一回!!」

「わ、解ったよ…」

 ただの挨拶の台詞で此処まで怒られるとは…

「おはようー(棒)」

「ふざけてんのか緒方!!」

「えええ~…全力なんだけどなあ…」

 どうすりゃいいか解らんわ。

 俺は半泣きになりながら大和田君に演技指導を受けた。

 一向に納得する気配が無い大和田君は、遂に溜息を付いた。

「大根なのは仕方が無いけどさ、せめて役に感情移入してくれよ…例えば…ほら、春日ちゃんを見てみ?」

 言われてちょっと離れた所で練習中の春日さんを見た。

「……好きです…付き合って下さい…」

 あれは終盤でボス(笑)をどうにか倒した後日、自分に告白してきたヒロインの台詞だ。

 マジモンの好意を主人公に向けているのが傍目でも解った。迫真だ。つか、もう終盤まで行ったのかよ…すげえな…

「な?春日ちゃんの演技は凄いだろ?」

「本当にすげーよ。俺にはあそこまでは無理だな…」

「いや、春日ちゃんの相手が隆だからだろ…」

 おっと、居たのかボス(笑)。

 お前も大概大根だから、ちゃんと練習しろよな。

 しかし、感情移入なあ…

 ガシガシと頭を掻きながら台本を読む。やはり深い溜息の大和田君。

「緒方が大好きな幼馴染が、玄関開けたら待っているんだ。はい、おはよう!!」

「おはよう(棒)」

「だああああああああっ!!やる気あんのか緒方あ!!」

 台本を床に叩きつけて地団駄された。そんなに酷いのか俺?

「お前…そりゃあんまりだぞ…俺でももっといい演技するぞ?」

 ヒロが見かねて口を挟むが、お前も大概だってば。

「じゃあやってみせろ、ボス(笑)」

「…………おはよう(棒)」

「お前も酷いじゃねーかアホ!!溜めて言った台詞が棒読みかよ!!」

「俺は主役じゃないからいいんだよ!!引き立て役なんだからな!!」

 どんな理屈だそれは!!!大根対決だったら、俺が完敗するレベルだぞ!!

 つか、こんな奴と不毛な会話している暇はない。

 此の儘なら休み返上で稽古されられる可能性がある。

 休みに朋美の親父に文句言いに行くって決意したばっかなのに…

 この決意を揺るがせる訳にはいかない!!つい口出しして来た麻美の為にもだ!!

 ……そういえば、大好きな幼馴染って設定…俺的にはリアルだな…

 俺にも居たからな。大好きな幼馴染…

「緒方―…マジで頼むからさー…もう一回行くぞ?玄関開けたら幼馴染が待っていた」

 玄関開けたら麻美が待っていた…

「主人公の顔を見たら、とびっきりの笑顔で挨拶してきた。おはよう、と」

 麻美が笑顔でおはようと挨拶してきた。

「主人公も挨拶を返す!!はい!!おはよう!!」

 麻美に挨拶を返す…

「…おはよう」

 ………ん?

 なにか静かだな?また間違ったか?監督の大和田君は固まったし、ヒロはアホ面で口をあんぐり開けているし?

 間違ったんなら一応謝罪をしようと口を開きかけた。

 だが、それは大和田君が先に喋った事で取り消される。

「そ、それだよ緒方!!それそれ!!」

 合っていたのか…だけど感情移入って、そう言う事で良いのか?あれは嘘偽りの無い俺の本心から出た台詞だし…

「隆…お前結構やるじゃねえか!!よおし!こうなったら俺も負けてらんねえ!!」

 興奮して一呼吸置き。

「おはよう(棒)」

「……変わってねーじゃねーか…」

 安定のヒロは置いといて、なんか賑わってきてしまった。そんなに良かったのか?演技の世界は解らん。

 だが、俺は気付いた。

 春日さんが笑っていない。寂しそうに俺を見ている事に。

 大和田君は何故か興奮して、演技を其の儘一回通すと決めてしまった。

 春日さんとヒロを交えて、一回通すと。

 ヒロの大根は相変わらずだが、何か春日さんが元気ないな…

「どうしたの春日さん?」

「……なんでもないよ?」

 にこっと俺に微笑むも、無理して笑っている感じがする…体調悪いんなら無理はいけない。

「今日はもう上がる?送っていくよ?」

「……ううん、頑張る。頑張りたい」

 充分頑張っていると思うけどなあ…俺以上に。

「解ったけど、無理しちゃ駄目だよ?」

「……うん」

 そう言って笑う。

 しかし、やはりどこか無理している笑顔だった。

「あー…疲れたなあ…」

 物凄い疲労を感じて帰路に着く。お供はヒロだけだ。春日さんも誘ったんだが、バイトがどうのと言って断られた。どうせ駅に向かうんだから同じだと思うんだが。

「疲れたって、台本を読み進めて行っただけだろうが?」

「感情移入がどーのとか言われてんだよ俺は。大根でも問題ない脇役とは違うんだよ」

 マジこいつが羨ましい。あの棒読みでも何も言われないんだから。

「脇役じゃねえよ!!ボスだよ!!」

「それが脇役だってんだよ…」

 つか、返事するのも億劫だ。国枝君が居たら、こいつの面倒を丸投げできたのに。

「国枝君、明日は大丈夫なんだっけ?」

「ああ、今日は用事があるから出られないだけで、なるべく練習には参加したいって言っていたからな」

 そうか、良かった。今日出席率が悪かったからな。

 ヒロインの友達の里中さんも来なかったし、サッカー部のマネの黒木さんも来なかったし。

「それにしても、春日ちゃん凄かったな。とても演技とは思えん」

「マジ凄かったな…才能あるんじゃないか?」

 台本通しただけだが、その風景が脳裏に写り込むような…そんな力強さだった。

 これから動きとか入れて行くんだが、それも完璧なら驚きだ。

「お前も後半から良くなって行ったよな」

 麻美の事を思い出してからか…まあ…思う所もあるし。

「お前は全然駄目だから、マジ精進しろよな?」

「お、俺はアクションが良ければいいらしい…」

 何で震え声なんだよ。何で目を逸らすんだ。

 後ろめたいと思うんなら、やっぱ精進すればいいだけだろ。

「あ、そうだ。オッチャンが文化祭の練習が入る前に顔出せって言っていたぞ」

 そういやこの所サボっていたな。そろそろ顔出さなきゃマズイかな。

「じゃあ今日行くか。文化祭の練習に入ったら、完璧に行けなくなっちまう」

「だよなあ。主役とライバルだしな、俺達」

 俺は兎も角、お前は…まあいいや。

「ん?つー事は、お前も行くのか?」

「…お前以上にサボっているからな…そろそろ行かないと、家に押し掛けられちまう…」

 溜息を付くヒロ。親戚だから、しがらみが俺以上なんだろう。

「じゃあ軽くなんか食ってこうぜ。俺腹減っちゃったよ」

「だな。演技は意外と腹が減る」

「お前…あの棒読みを演技だと言うのか…」

 ヒロの謎の空腹の原因は置いといて、取り敢えず電車に乗る事にした。

 向こうならマックもモスもあるし。あのファミレスは普通の食事になるから却下だけど。

「そんな訳で駅に着いたぞ」

 誰に言っているのか不明だが、俺ん家から五つ先の駅に到着。此処は俺達の生命線と言っても過言では無い街だ。糞の西高の最寄駅でもあるが。

 尤も、西高はこの電車から更にバスに乗らなければならない、ちょっと遠い所にあるけど。

 あのファミレスもそうだが、春日さん御用達の本屋さんも、あの天むすしか食えないお好み焼き屋も、槙原さんの無料チケや割引クーポンが使えるハンバーガー屋、カラオケ店…いろいろあるのだ。

 因みに楠木さんの家もこの街にある。朋美が入院している病院も、外れにある。

「んじゃ軽くだからマックに行くか」

「ええー…俺モス派なんだけど…」

「金持ちかお前は」

 まあ、モスは高いからな。うまいけど。

「マックもいいけど、ホットサンド食いたい」

「めんどくせえなお前…」

 いや、ほら、寒くなって来たからね?

「あ、んじゃスタバはどうだ?コーヒー飲みたいしな」

「ええー…俺ドトール派なんだけど…」

「ホントにめんどくせえなお前!?」

 いや、どっちでもいいんだけどね?一応要望を言っただけだから。

 なんやかんやでマックになった。

 理由は安いからだ。まあ、頼む物にもよるけど。

「俺ハッピーセット」

「絶対頼めよな!!」

 写メ撮ってばら撒いてやるから。

「マックジョークにそんなに突っ掛るなよ」

「そんなジョーク初めて聞いたぞ…」

 頭悪そうなジョークだな。こいつ本気で頭悪いけど。

 結局定番のハンバーガーとコーヒーを注文したヒロ。俺もそれに倣う。

「つか、マック久し振りだな」

 本当に久しぶりだ。外食は基本あのファミレスに偏っちゃっているから。

「量少ねえな…」

「これから練習だからいいだろ」

 練習前にがっつりはいけない。間違いなくリバースしちまう。それだけハードにしごかれるのだ。

「……お前、次の日曜に須藤の所行くんだろ?」

 いきなり切りだして来るヒロ。思わず咽そうになったが、何とか堪えた。

「別にそこに拘ってないかな。機会があれば明日にでも」

「俺も…いや、この前断られたんだっけな…」

 一緒に行くってヤツな。心強いけど、気が引けるからな。

「行く前の日には連絡くれるんだよな?」

「ああ」

「一応近くで待機するからよ。何かあったら…」

 そこまで言って口を噤んだ。

 何かあったら連絡できない。

「……あんま遅けりゃ迎えに行くからよ」

 …有り難いなあ…だけど気にしなくてもいいのに。

 親父は何もできない。する気も無い。だって麻美が大丈夫だと太鼓判を押したんだから。

「…ちっと時間食ったな…オッチャン待ちくたびれているな」

 ハンバーガーの包み紙を無造作にくしゃくしゃにして立ち上がる。

 何かやるせないような…ヒロにしては珍しい表情だった。

「…そうだ隆」

「な、なんだ?」

 思わず身構える。

「今日は実戦形式で行こうぜ。アクションの練習にもなるだろ」

 な、何だ…そんな事か…深刻そうに溜めを作りやがって。

「無論、いいぞ。ボッコボコにしてやるぜ」

「ふざけんな。返り討ちだ」

 ……いつもの冗談交じりの口調じゃない…決心したような…そんな感じの口調だった…


「はあっ!!はあっ!!はあっ!!」

 第二ラウンド終了のコングが漸く鳴り、俺は自分のコーナーに息を切らせて戻る。

 セコンドの青木先輩が慌てて俺のマウスピースを外してうがいをさせる。

「博仁の奴本気じゃねえか…何かあったのかお前等?」

「はーっ!!はーっ!!な、何も無いっすよ…強いて言うなら、文化祭が近いくらい…」

「いや、いい。もう喋るな。回復に専念しろ」

「う、うす…」

 お言葉に甘えて、深呼吸して息を整える。

 対面にはヒロがマジモードで俺をじっと見ている…

 第一ラウンド、いきなりの右ストレートを顎に喰らった俺は、それからダメージが抜けていない。

 それが一回目のダウン。二回目は立ち上がってから速攻で食らった右フック。俺は一ラウンドで二度もダウンを奪われたのだ。

 二度目のダウンは最初のダウンのダメージが全然残っている状態で、運よく足がもつれてパンチが掠っただけ。まあ、それでも倒れてしまったんだけど…

 第二ラウンドはダメージ回復に専念する為に、逃げ回っていたけど…

 コーナーに追い込まれてボディに集中攻撃を喰らい、磔状態になった。

 どうにかガードして堪えたが、がっつりスタミナを削られた…

 くそ…最初のストレート、油断していなければ…いや、油断していた俺が悪い。何で本気で潰しに掛かって来たか解らないけど。

 あいつはアホだが、意味も無く潰しには来ない。何か理由があるんだろう。

 その理由は大体見当ついている。まあ…俺も大概だが、あいつも超が付く程不器用だからなあ…

「緒方、もう直ぐ始まるぞ…いけるか?」

 青木さんに声を掛けられ、思考を戻す。

「うす」

「そっか…お前、いや、お前等はプロでもやっていける程強いけど、あくまでも練習生だ。無理と無茶だけはするなよ?俺も向こうのセコンドの会長も、タオルを投げるのに躊躇しないからな」

 うわ、バレテル!!まあそうだろうなあ…俺も解り易い性格だしなあ。

 さて、第三ラウンドだ。

 さっきまでは気にしていなかったけど、向こうのセコンドの会長も真剣モードになっている。

 この場合、タオルを投げるタイミングを見極めるって事だが、ヒロの本気も、俺よりも早く気付いたんだろう。会長がセコンドに付く事なんか滅多に無いからだ。

 ジムに入って直ぐに気付いたんだろうな。だからセコンドに入った。

 ヒロを止める為に。そして…

 俺を止める為に…!!

 リング中央にゆっくり向かう俺に、ヒロが険しくなる。

「……そのツラ…久し振りだな…中学以来か?」

「そうか?あの時よりはマシだろ。ぶち砕きたいって思っていないからな。強いて言うなら…ぜってー勝つ…って決めた程度か?」

 お前の気持ちはよーっく解った。やっぱお前は俺の親友だ。

 だけど、俺は、ほら、お前も知っている通り、頑固だから。

「おう青木!!」

 ヒロのセコンドの会長が青木さんを呼ぶ。

「解ってますって!!」

 タオルを見せる青木さん。洒落にならん事態に発展する前に、スパーを止めるとの意思疎通だ。

「だってよ、ヒロ」

「ちっ」

 舌打ちして構える。考え直す気はないようだ。

 まあ、此処まで来たら、引けないのは解るけど。引く気も無いのも知っているし。

 タンタンタン、とリズムに乗るステップ。いきなり慎重になったな。

 俺のダメージが全然抜けていないのも知っているだろうに。慎重に、確実に『潰す』つもりか。

 入院になっちまったら、朋美の親父に会いに行けなくなるからな…お前は優しい奴だよ。

 俺はあまり動かない脚を踏ん張る。

 今のダメージじゃ追いかけても追いつけない。撃って出て来た所を迎え撃つ作戦だ。

「……どうした隆?向って来なけりゃ倒せないぞ?」

「お前こそ。いつまでも間合いを保っている儘なら、俺の体力が回復しちゃうぜ?」

 ステップを繰り返しながら考えているヒロ。

 こいつはアホだが、冷静だ。頭は悪いが試合巧者だ。

 俺の回復と追い打ちのリスクを天秤に掛けているんだろう。

 俺はじっと待つのみ。脚が止まっている状態だから、選択肢が乏しいからな。

 ふっ、とヒロが接近してくる。

 俺は亀のように丸くなってガード。だが、また離れる。

 それを繰り返すヒロ。俺の精神疲労を狙う気か?それとも、焦れて追って来るのを待っているのか?

 どっちにしても無駄だ。俺の脚は、お前が思っている以上に動かないんだから。

フェイントを何度か繰り替えしたヒロは、今度は後方に飛んで間合いを大きく取った。

「隆、お前、脚動かないんだろ?」

「今気付いたのかアホ」

 クックッと笑う。一種の挑発だ。乗って来るとは思わないが。

「……!!ダメージ抜けてねえくせして舐めやがって!!」

 あれ?乗って戴ける?こいつ煽り耐性無かったっけか?

 まあいいや。チャンスと思おう。

「お前なんざ脚が動かないくらいで丁度いい相手だっつーの」

 言いながらシュッシュッとジャブを繰り出すシャドーをして見せる。

「……!!後悔しやがれ!!」

 アホが突っ込んできた――!!

 チャンスだ!!大チャンスだ!!

 ガードを固めて亀のように丸まる俺。

 だが、これはダミーだ。狙いはカウンター。それを察知されない為に、敢えてガードを固めたのだ。

 大振りを期待したが、意外と冷静なのか、コンパクトに攻めてきやがった。

 基本のジャブでガードを崩して、開いた箇所に大砲をぶち込む、と。

 俺はその大砲狙いなんだけど、こつこつとジャブが鬱陶しい。俺の方が先に我慢できずに放ちそうだ。

「ち!!丸まりやがって!!」

 ジャブが段々大振りになって来た。やっぱ短気だこいつ。焦れてきやがった。

 いつかはジャブが左ストレートになりそうだ。

 カウンターを合わせるなら右の方がいいんだが、あんま贅沢は言えないか。この状況、なんだかんだ言ってピンチだし。

 つか、威力あるジャブでガードがヤバい。俺の方が先に崩れそうだ。

 これは我慢比べか。ヒロが大振りになるのが先か、俺のガードが壊されるのが先か…!!

 執拗なジャブを繰り出すヒロだが、そのうち右まで使うようになってきた。

 ワンツーだ。コンパクトながらも必倒出来るコンビネーション。

 念願の大砲だが、右ストレートが戻るスピードと、左ジャブが来るスピードが殆ど差が無い。

 焦れて来てやがるが冷静…こいつマジ厄介だ。

 しかし…待てよ?右ストレートのタイミングはリズムに乗って完全に解っている。相打ちには持ち込めるんじゃ?

 問題は俺のダメージが深刻に近い事。相打ちで俺が倒れる可能性の方が高い。

 しかも相手はヒロ。相打ち狙いがバレている可能性もある。正直言ってやってもいい賭けじゃないような気がするが…

 っち、またワンツー!!

 この分だとガードが壊される方が早いな…

 だったら、と、俺は覚悟を決める。

 どっちにしろ、どこかで決めなきゃいけない覚悟だ。

 またワンツー。

 一回確認する為にもう一度打たせたが、やはりタイミングはドンピシャで取れる。

 つか、ガードしている腕が痺れて来て、感覚が無くなってきた。

 これ以上はもう駄目だ。次で打つ!!

 俺は集中する。相打ちのパンチを完全なタイミングで放つ為に。

 ジャブがきた。ブロック。そして…右!!

 俺は右に合わせてパンチを放った!!

 だが!!来ない!!右ストレートが来ない!!

 代わりにパンチを放った俺の方が隙だらけになった!!

「目が座ったのを見逃すか!!」

 ヒロの右ストレートが遅れて俺の顔面に突き刺さった!!

 そうか…集中したのが仇になったか…

 踏ん張りの利かない身体を其の儘投げ出して、俺は自分の馬鹿さ加減に自分自身で呆れた。

 目の前が白い。マットの色だ。

 まだ倒れた感覚が身体に伝わっていない。だが、意識はある。

 意識があるんだから…

 俺は右足を大きく開いてダウンを拒否する。

「やっぱしぶてえなお前!!!」

 ヒロの左アッパー…いや、左フック?違う…これは…スマッシュ!!意識を刈り取りに来たか!!

 こんな大技、俺に使った事は無い。今の俺なら確実に決まると思って放ったか。

 まあ、概ね正解だ。俺の脚が死んでなきゃだが。

 がくん、と俺ん膝が折れる。躱す目的じゃない。ただのダメージで踏ん張りが甘くなっただけ。

「な!?」

 スマッシュは喰らうと必倒のパンチだが、躱されると無防備になる。大振りで身体も流れやすい。

 ほら、俺の目の前にヒロのリバーががら空きで誘っていやがる!!!

 ヒロのボディに左フックを突き刺す俺!!

 それは急所であるリバーを的確に捉えた。

「ぐっふ!!」

 ボディを押さえてたたらを踏むヒロ。追撃したいが…俺も脚が動かない。

 だけど届く!!俺のパンチが!!

 硬く握りしめる拳!!そのまま右ストレートをボディに入れる!!

「がっ!!!」

 綺麗に入った!!ヒロ相手に珍しい程!!

 左脚を引き摺って前に出る俺。がら空きの顎がそこにある。

 ぎりりと固く握りしめる左拳。

「おぁぁああああああぁああああああ!!!!」

 渾身の左ストレートが顎に入った!!

「ダウン!緒方、ニュートラルコーナーに行け!!」

 レフェリーの幸田さんに言われて、脚を引き摺りながらコーナーに行く。

 これで二回対一回のダウン。もう一度マットに転がしてやるから、起きろよヒロ。

「ワン!ツー!」

 カウントが始まる。ヒロは動く気配すら見せない。

「スリー!フォー!ファイブ!」

 今右手が動いた。そうだ。そのまま起きて来い。

「シックス!セブン!」

「カウントやめろよ幸田さん!!」

 右腕を突っ張りながら起き上がるヒロ。だけどファイティングポーズを作らなきゃカウントは止まらない。

「エイト!!」

「だあああああああああ!!ほら!!これでいいんだろ!!」

 ファイティングポーズを作った。そうだよ、まだこれからだよ。レフェリーストップなんて、水を差す真似は勘弁してくれよ幸田さん。

「……正直、もう止めたいんだが…」

「隆の時は止めなかったよな!?」

 困った幸田さんは会長を見る。会長は首を振るのみだ。諦めたのか、それとも続行不可能は自分が判断するって事なのか?

「~~~~~!!ファイッ!!」

 続行だ!!そう来なくちゃな!!

 俺はヒロが待つリング中央に向かう。

「まだ一回分の借りが残っているからな。安心したぜ」

「お前のダウンの回数が増えるんだよ隆!!」

 ダメージは俺の方が深刻。たった三発で二ラウンドの差が覆るとは思っていない。

 ヒロの言う通り、俺のダウンの数が増えそうだが、そこはどうでもいい。

 ボクシングとは、最後にリングに立っている奴が勝者だ。

 即ち、俺だ!!

 ヒロがステップを踏む。しかし万全じゃない。無理やりやっているって感じだ。

 尤も、俺の方は満足に動かないんだけど。

 牽制のジャブも放って来ない。間合いの外ってのもあるんだろうが、思ったよりもダメージがあるのか?確かにあの三発は綺麗に入ったけれど。

 此の儘睨み合い、三ラウンド終了。それぞれのコーナーに戻る。

「博仁相手に綺麗に入ったな!!あれかなりダメージあるぞ!!」

 興奮しながら汗を拭く青木さん。

「やっぱ…向かって来なかったのは、ダメージがデカかったから?」

「と言うよりも、残り時間を回復に当てたんじゃないか?勿論、予想以上にダメージがあったからってのもあるだろうけどな」

 俺も助かったっちゃ助かったけど。謀らずもダメージ回復が出来た事だしな。

 それは向こうにも言える事だが。

「つってもダメージの方はお前の方が溜まっている。脚も博仁の方が上だ」

「今更だよ。知っているよ。それをどうにか覆す策をくれよ青木さん」

「カウンター狙い…と言いたいが、向こうは会長がセコンドだしな。この考えもバレバレだろうし…」

 会長じゃなくても、ヒロだって承知しているわ、そんなもん。

「よし、じゃあこっちから仕掛けてみようか?脚は動くか?」

 俺は微かに頷く。自信があまり無いからだ。このラウンド中に動かなくなる可能性の方がでかい。

「……その感じじゃあんま芳しくないみたいだな…かなり打たれちゃったからな…でも一瞬ならどうだ?」

「一瞬?」

「おう。このラウンド開始と同時に、脚と使って回り込む。まあ、博仁相手じゃ無理だろうが、それでもハッタリにはなるだろ?」

 そうか。最初だけ脚を使って、ヒロを警戒させて休んで回復に努める。

 勝負は次のラウンドって事か。

 さて四ラウンドだ。作戦通り少し回復した脚を使って回り込む真似を…

「うおっ!?」

 ヒロが突っ込んできた!!虚を付かれた!!

 マズイ!!とまた丸まる俺!!

 ガードの上からぶっ叩いてきた右!!

「こなくそ!!」

 今度は左!!またガードの上からだ!!なんで!?

「うおおおおお!!」

 構わず殴り続けるヒロ。なんか余裕が無いような?

 ひょっとして…まだ回復してない?

 試しに肩を動かしてみる。

「!?」

 仰け反ってガードの構えのヒロ。

 いつもの遠く後ろに跳んで間合いから逃げる動きじゃない…

 こいつ、やっぱりダメージが抜けてないのか!!あの三発は思った以上にクリーンヒットだったんだ!!

 脚が動かない条件は同じ。しかしまだイーブンじゃない。

 手数では俺が負ける。俺は一発屋だ。テクが劣る。

 同じ土俵で殴り合っても、三発に一発しか返せない。

 だが、それでいい。俺は泥仕合が大好物だ!!

 広くスタンスを取る俺。殴り合い上等とアピールする。

「誰がお前の土俵で戦うっつうんだ馬鹿。まともに殴り合ったら俺の方がヤバいわ」

 ジャブが届かない距離で息を整え始めるヒロ。

 やっはこいつ試合巧者だわ。乗ってこねーわ、自分のペースを崩さねーわ…

 じゃあどうするかって言うと…喧嘩しかない!!

 俺はガードを解いた儘一歩前に出る。無防備状態。簡単にパンチが当るだろう。

「!!このバカ腹決めやがった!!」

 更に間合いと取るヒロ。乗って来ないのも流石だが、俺が『切り替わった』のを見切ったのも流石だ。

 若干回復した脚に力を込めて、ノーガードで突っ込んだ!!勿論両拳を固く握りしめ!!

「この馬鹿が!!」

 バシバシとジャブが顔面に当たる。痛え。痛えが俺は止まらない。

 振り被る。がら空きのボディにヒロのパンチがモロに入る。が、俺は怯まない。

「おらああああああ!!」

 俺の右の大振りのパンチ。当たる筈が無い。普通なら。

「舐めんな隆い!!」

 カウンターを狙って打ってきた。負けず嫌いが此処で出たな!!

 大振りな分俺の方が遅い。案の定カウンターが顔面に入る。

 来るのが解っているんだ。パンチの軌道もほぼ正確な。ナンボでも耐えられる。 少なくとも意識を刈り取られる事はない。

 カウンターパンチを放ったヒロはボクサーの性か、同じ速度で拳を戻す。

 だが、それは俺のパンチより遅い。

 俺の右はヒロの顔面を貫いた。しかし、あっちも来るのが解っているパンチな訳だから。耐える事が出来る。

 だけど、左フックは読んでいないだろう?元から本命はこっちだ!!

 返す刀で放った左フックは、ヒロの顔面を的確に捉えた!!

 テクはヒロに劣る俺だが、パンチ力だけは勝っている。

「ダウーン!!!!ニュートラルコーナーに戻って!!」

 幸田さんのコールで解る通り、俺はヒロから二度目のダウンを奪った。

 しかし、まだだ。あいつがこれで終わる訳が無い。

 左の感触がクリーンヒットじゃ無かった。咄嗟に首を捩じって威力を殺しやがった。

「ワン!ツー!スリー!」

 カウントが進むがヒロは動かない。タオルも投げられない。会長も幸田さんもヒロは立つと知っているからだ。

 俺のパンチを殺した事を知っているから、立つと。

「フォー!ファイブ!シックス!セブン!え…」

 カウントセブンチョイ過ぎで綺麗に立った。深呼吸までしてやがる。

 どうせならカウント一杯まで休めば良かったのに、余裕かましやがって。

「やれるな?」

「幸田さんも見ていただろ?」

 ヒロと幸田さんのやり取り。そして――

「ファイッ!!」

「やっぱりなあ…」

 ガチスパーのトータルで、俺はヒロに負け越している。このテクニックのおかげで。

 軽く頭を振って出て来るヒロ。充分な回復はしていないだろうが、致命的からは程遠い。

 だけど、こっちも脚がだいぶ回復してんだ。直線のダッシュ力なら俺の方が上!!

 一気に間合いを詰める俺。だが、出鼻がジャブで挫かれる。来ると解っていたからブロックできたが…速いえなやっぱ。

 だけど慎重に、って相手じゃない。

 俺もヒロを熟知しているが、ヒロも俺を熟知しているからだ。考えたって試合巧者は向こう。頭の出来は俺の方がいいけどな。

「だから力で押し通す!!」

「読んでんだよそれくらいはよ!!」

 ジャブの嵐!!被弾覚悟で突っ込む俺!!

 ギャラリーからは「いつも通りの展開じゃねーか!!」とヤジが飛ぶ!!

「アホー!!お前毎回それで押し負けているじゃねえか!!やめろ隆ー!!」

 セコンドの青木さんが叫んだ。そりゃそうだ。この展開での俺の勝率は三割を切るのだから。

 だが、逆に言えば勝ちは二割以上って事だ。勿論根拠はこれだけじゃない。ここ数か月だけで言えば、五分まではいかなくともそれに近い数値だ。

 ヒロはブランクがある分鈍っているから、強引に押し切って勝つ事も可能!!

「ジャブじゃ止まらねえか!!」

 言いながらジャブを止めない辺りスタミナはあるな。だけど俺の突進に押されているぞ。下がっている事を自覚していない訳じゃあるまい!!

 構わず前に出続ける!!

 結果、ヒロをコーナーに追い込んだ。

「くっ!!」

「チャーンス!!!」

 コンパクトに腕を畳んでの左フック!!

「喰らうか馬鹿が!!」

 カウンターを貰うも、耐えられる!!

「こいつ!!」

 もう一発俺に叩き込もうとパンチを出したが、俺の左フックの方が速かった!!

 頬にフックが突き刺さるも、手ごたえが軽い。

 首を捻ってダメージを逃がしたんだ。やっぱテクあるなこいつ。

 だけど、こっちも想定済みだ。

 左の返す刀で放った右フック!!

「ぐあっ!!」

 手ごたえが右拳に伝わる。

 若干浅い。これはまた咄嗟に逆方向に首を捻って威力を殺そうとした証拠だ。遅かったから殺し切れていないが、こんなんじゃ、こいつからダウンを奪えない!!

 またまた返す刀の左フック!!今度はガードを固めるヒロ。だが、俺の左はガードには当たらない。当たる寸前に引いたのだ。まあ、それは結果だが。

 これはフェイントだ。本命は右フック!!

 ゴッ!!と右拳に確かな手ごたえ!!

 まだだ!!まだ!!こんな程度じゃこいつは倒れない!!

 意識を断ち切るのは、一番破壊力のあるパンチだ。流石に気絶したら立てないだろうからな。

 なので俺は右足を引いて隙間を作った。

 力の乗った左ジャブを放つ。ヒロの額に当たって更に隙間が空く。

 そこに渾身の右ストレート!!

 ヒロの身体が仰け反った。そしてコーナーに背中がぶち当たる。

 その反動で前のめりに倒れた。

「ダウーン!!」

 幸田さんのコールを聞いて、俺はコーナーに向かう。

 コーナーに背を預けてヒロの様子を見る…

「ワン!ツー!」

 立つな…立つなよ…

「スリー!フォー!」

 会長がタオルを握り締めた。って事は、立つ可能性があるのか?俺のストレートをモロに喰らったってのに…!!

「ファイブ!シックス!」

 ヒロの右手がピクリと動いた!!立つのか?あれを喰らって!?

「セブン!エイト!」

 ぐぐ、と上体が起きた!!其の儘寝てろ!!立つな!!

「ナイン!テ…」

 テンカウント寸前に投げられたタオル…

 会長が投げ入れたんだ。片膝まで起き上がっていたヒロが会長を見ている。

「試合終了!勝者、緒方!!」

 俺の右腕を持ち上げる幸田さん。勝ったと漸く実感できたが…

 あのままカウントが進んでも、ヒロは間に合わなかったと思う。それでもタオルを投げ入れたのは、ヒロのプライドを守るためか?

 そんなもん…なんつーか…

「……余計な御世話だクソオヤジが…」

 ヒロがそう呟いたのを、俺の耳は捉えた。

 そうなんだ。余計なお世話なんだよ。俺もヒロも、自分が負けた事はちゃんと認めるんだ。

 それこそ、プライドだよ。敗者のプライドだ。

 その敗者のヒロが、憎らしげに俺に目を向ける。

「……お前を病院送りにすりゃ、須藤の親父に会いに行けなくなると思っていたんだけどな…」

「アホだろお前。その病院が朋美の入院先だったらどうすんだ」

「…………あ」

 あ、じゃねーよ!!マジで目先の事ばっかしか考えてねーのな!!

「ま、まあなんだ。面会謝絶にすりゃ…」

「お前、俺を半殺し以上にするつもりかよ…」

 アホ過ぎる!!その前に、俺をそこまで追い込めると、本気で思ってんのか?

「そうは言っても、負けちまったんだから、どうしようもねえけどな…」

 ガシガシと頭を掻くヒロ。グローブなので掻きにくそうだが。

「そうだな。負け犬はすっこんでろ」

「ぐう!?ま、負けちゃったから何も言えないが…」

 足りない頭で色々考えてくれたのは有難い。そこはホントに感謝だ。

 しかし言わせて貰おう。

「お前、俺を病院送りにして、文化祭どうしようと思ってんの?主役だよ俺?大和田君の案をぶち壊すつもり?ねえ脇役のボス(笑)その辺どう思ってんの?」

「(笑)を付けるな!!俺が主役になれば問題ないだろうが!!」

「お前が?あの棒読みのお前が?春日さんの相手が務まるの?」

「そ、それは練習すれば…」

「そもそも俺とやり合って無事で済むと思ってんの?これがリング外のガチなら俺を病院送りに出来たかもしれないけどさ、お前も絶対病院送りにするよ俺は?知っているだろ?」

「知ってる知ってる。お前しつけぇからな。仲良く入院って事も充分有り得るな」

「だからさ、そうなると文化祭はどうすんの?主役と敵役が一気に居なくなるんだけど?大和田君になんて説明すんの?」

 この小言は幸田さんが止めるまで続いた。

 はよ治療しろと二人仲良く拳骨を喰らうまで。

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