第十一章 熔接・熔断・ロックンロール!

        1

 神楽奉納の太鼓の音が二回、どんどーん! と響き、一拍置いて、歓声と拍手が巻き起こった。ミヤコは旋盤チームと応援の後輩たち、ワタセンに向かって声を掛ける。

「行くぞ、作業開始だ!」

 旋盤チームは社務所の玄関前に用意してあった黄色い工事用ヘルメットと工具バッグを装着した。保安用のカラーコーンを担ぎ上げ、帰路に着く大勢の見物客の間を縫って、社務所北側の回廊から大拝殿、舞殿の建つ敷地へと進入していく。

 中島先輩が「舞殿を中心に半径十メートル、間隔一メートルで配置」と指示を出し、旋盤チーム六名は、舞殿を中心点として円を描くように手際よくカラーコーンを配置した。ミヤコは、酸素ボンベとアセチレン・ボンベを載せた手押し車を、社務所北側の回廊から舞殿前へと搬入しながら、旋盤チームの機敏な動きに感心する。

 おお、旋盤チームめ、急にハイパー本気モードに切り替えたな。ったくよ、普段からこうだったら、モテただろうによぉ。

 煙水中と辻村が、反物のような縦に長い防炎シートをくるくると丸め、旋盤チームに向かって投げる。旋盤チームは丸めた防炎シートを受け取ると、《太公望釣具店》の会長が用意した釣り竿に軽く引っ掛け、舞殿の屋根を目がけて釣り竿を撓らせた。屋根の天辺に防炎シートが引っ掛かったところで、くいくいと釣り竿を引っ張り、釣り針を外す。防炎シートは屋根の傾斜で滝のように下に向かって広がり、舞殿を包み込んだ。

 旋盤チームは釣り竿を片付け、次の作業へ。水を汲んだバケツを担ぎ、地面に向かって散水を続けた。

 煙水中が舞殿東側の石鳥居に目を凝らし、辻村を呼んだ。

「五十鈴。音響と照明、来たぞ」

 辻村は舞殿前を離れ、一度、石鳥居まで駆け抜けると、すぐさま戻ってミヤコに聞いた。

「ミヤコくん、調整の段階で、ステージの熔接に掛かる時間は、十五分弱。再計算をお願いします」

 ミヤコは酸素ボンベと熔接トーチと繋ぎながら、鼓笛隊のイラストが描かれたトラックに視線を向けた。トラックは石鳥居を超えた先の長谷通りに停車している。後輩がアンプを毛布で包み、慎重に台車に載せていた。

 さすが、辻村。熔接が生き物だって、分かってるじゃねえか。それにしてもすげえぞ、辻村。ざっと見た感じ、王道の《マーシャル》や《オレンジ》を、しこたま持って来たのかよ。つうか、こんな大量のアンプ、一体どこから?

 煙水中がアンプを運び込みながら、先回りして答えた。

「五十鈴が昨晩、市内のイベント屋や楽器屋に声を掛けまくって集めたんだ」

 なるほどな! やるじゃねえか、辻村。しっかし、このアンプと器材全部で音を作るとすると、辻村の腕でも、かなり熔接作業の時間配分を食われることになるぜ。

 ミヤコは足元に置かれている十個に分けられた、ステージの主軸パーツを睨み付けた。

 熔接部分を確認し、作業時間を再計算していると、煙水中がミヤコの肩を叩いて囁いた。

「お前の腕なら、五分でできる」

 へん、嬉しいこと言ってくれるじゃねえか。つうか、言われるまでもねえ、五分キッカリで片付けるつもりだ。でも、アタシだけじゃなくて、中と辻村の腕を合わせて、五分だからな? そこんところ、忘れんなよ。よろしく頼むぜ、鬼ども!

        2

 ミヤコ、煙水中、辻村は熔接用の装備を整え、トーチを握って、熔接用ライターで点火した。

 神楽奉納が終わった途端、突如として舞殿前を占拠した作業着の集団に驚き、足を止めた見物客は、オレンジ色の炎を吐き出す三本のトーチを見て、おお、と低い声で唸る。

 すかさず、沖本先輩が、光る剣を工事用の誘導灯に見立て、見物客の前に立ち、両手を前に出して「火花が飛ぶ場合がありますので、離れてご覧くださぁい」と優しい口調で説明した。

 旋盤チームが主柱を構築するための十個のパーツを「ニ」の字に並べ、照明を吊り下げるためのパーツを主柱両側に渡して「コ」の字を作る。ミヤコ、煙水中、辻村は、それぞれ等間隔に、「コ」の字の外側に立った。

 旋盤チーム、本当にアンガトな。五分間で作業しちまうからよ、ちょっくら、休憩しといてくれ。休憩の後は、小手先云々じゃなくて、ステージを固定するための力仕事が待ってるから、覚悟しとけってんだ。

 ミヤコは、旋盤チームに視線を送って頷いた。

 辻村がパーツを注視し、スッと左手を高々と挙げた。目を見開き、ハッキリとした口調で、ミヤコと煙水中に宣言する。

「パーツに問題なしですね。さて、作業時間は五分間。集中して作業しようじゃありませんか。なあに、頭の中で曲が再生されれば、すぐですよ、曲にして一曲、名曲だと一瞬ですからね」

 煙水中も左手を揚げ、抑揚のない声音で辻村に返した。

「俺の頭の中では、熔接作業中は延々と、サティスファクションが流れるから、嫌になる」

 辻村がすぐさま「僕は、バーンです。ずっと急き立てられている感じがするんですよねえ」と大袈裟に震えて返す。

 なんだ、てめえら。てんでバラバラじゃねえか。まあ、そういうアタシも、モビー・ディックなんだけどよ。まあ、いいや。頭の中で流れてる曲が、ロックンロールってだけで、アタシは最高に幸せだ! 名曲の一瞬とやらを、味わおうじゃねえか。

「さあ、作業開始だぜぃ!」

 ミヤコが宣言し、各々、熔接トーチの摘みを調整した。炎をオレンジ色から、青白く変化させていく。

 熔接棒を左手で摘み、パーツの熔接面が赤々と滲んできた部分へと、挿し入れる。熔接棒が音もなく熔け、鉄と鉄を繋ぐ関節に姿を変え始めると、熔接トーチで楕円を描くようにして動かし、ロックンロールの軽快なリズムを刻んだ。

 ミヤコ、煙水中、辻村は『バーン』と『サティスファクション』に『モビー・ディック』三曲のメロディー・ラインを探るように神経を尖らせ、お互いの作業に気を配っていた。

 三人の中でいち早く、ミヤコがステージの一箇所目を熔接し終わったのを確認し、煙水中と辻村は、熔接作業のペースを上げた。

 軽快なペースから、ドラムの連打の嵐のような熔接作業へ。

 赤い炎が飛び散り、頬を霞め、作業着を焦がそうとも、三人は全く怯まずに熔ける鉄に意識と持てる技全てを集中させた。

 ミヤコ、煙水中、辻村が、ほぼ同時に、二箇所目の熔接部分へと移動する作業の速さを目の当たりにした後輩たちが「早っ!」と叫んだ。

 舞殿の前に置かれた十個のパーツが瞬く間に熔接され、見る見る野外ステージへと姿を変えていく。

        3

 鎌倉は、《鎌倉・零式》を追って、浅間通り商店街の大鳥居を潜った。地上約十メートルの高さを飛ぶ《鎌倉・零式》を睨み付けながら、浅間通り商店街を駆け抜ける。

《鎌倉・零式》は、地上約十メートルの高さを飛んでいた。

搭載している七基のバッテリーのうち、右左翼両側二基ずつのバッテリーが切れ、残るバッテリーは右左翼一基ずつと、胴体のみだ。

 飛んでいるというよりは滑空している状態だ。辛うじて主翼で風を捕まえて高度を保っているが、三基のバッテリーのどれか一つが切れれば、急激にバランスが崩れ、角度が落ちる結果は安易に予想が付いた。

 鎌倉はコントローラーを両手で操作しながら、人混みを掻き分け、後方を見た。客は一様に阿呆面で口をポカンと開け、《鎌倉・零式》を目で追っていた。

 小学生くらいの年齢の子供たちが、歓声を上げて最初に《鎌倉・零式》を指差して追い掛け始めると、子供連れ、高校生、大人、浴衣姿のカップルと続く。追い掛ける客の年齢が高くなるに比例して、鎌倉の背中に向けられる視線が、羨望から好奇へと変わっていくのが、痛いほどよく分かった。

 ちっくしょうめ、前半でちぃとばかし、余裕ぶっこきすぎた。こりゃあ、ラジコンっつうより、グライダーじゃねえか……。浅間さんの舞殿まで、なんとしてでも飛べよ! じゃなきゃ、俺ぁ、物体が空を飛ぶ凄さをてんで分かってねえ、クソつまらねえ大人に笑われる、もっとつまらねえピエロになり下がっちまうんだからな!

 鎌倉は腹に力を入れ、大きく息を吸った。焼きトウモロコシの香ばしい醤油の匂いと、掻き氷のシロップの甘い匂いが、綯い交ぜになって喉に突き刺さり、吐きそうになった。ガクガクと震える太股を拳で何度も叩き、頭を振って、髪の毛を伝って目に入りそうな汗を吹き飛ばした。

 もう一度、大きく息を吸う鎌倉に「鎌倉くん、がんばれよう、もう少し!」と声が掛かった。

 鎌倉が声の方向に視線を投げると、ミヤコの母親と《太公望釣具店》の会長を筆頭に、浅間通り商店街の住人がアーケードに陣取り、鎌倉に向かって拳を振り上げていた。広告のチラシを繋ぎ合わせて、即席で作った、巨大だが貧弱な横断幕の姿も有った。《魚しず》の女将さんと板前たちが冷凍マグロをブンブンと振り回し、《湯川計器》の社員たちが定規を日本刀のようにヒュンヒュンと振るう。ミヤコの母親は拳を振り上げ、鎌倉に向かって叫んだ。

「鎌倉ぁ、もっと走れ! うちでタダ飯、食った分、気合入れて走れ! 男なら走れ!」

 うるせえ、クソババア! うおおお、超絶に恥ずかしいっ。俺はマラソン選手じゃねえっつうの。ぬおおお、背中と内臓がむず痒い。どうぞ、お構いなくしてくれ。

 なんだ、あれか? 鎌倉さんを恥ずかしさで殺してみよう企画か。公開処刑か、火炙りか。しかも、横断幕の文字が「がんばれ、鎌倉くん!」じゃなくて「がんばれ、嫌倉くん!」になってる。

《鎌倉・零式》は二番街のゲートの上を抜け、一番街に進入していく。

 鎌倉は恥ずかしさを燃料に、走る速度を上げ、《佐々木桶屋》の前を通り過ぎた。

 そこで鎌倉は、隣の《ミセス・ロビンソン》の扉を開けて出てくるアイロン・ワークスの姿を見付けた。ロイド、ダニーは大事そうにギターとベースを抱え、エリックは台車にドラムを載せ、慎重に押していた。扉を出たところでアイロン・ワークスは背中を丸め、顔を付き合わせ、ゴニョゴニョと小さく相談する。

 なんだ、おい、まさかここまで来てビビってやがるのか? しっかりしろよ、お前ら外人だろ? 借金こさえてる得体の知らない外人が、タダでステージで演奏できんだぞ、無料だぞ。もっとテンション上げろよ。カッコイイ俺が、こんなブサイクに走ってるんのは、お前らのためだ。客は集まらねえだろうけどよ、腕はあるんだからよっ。自信、持てよ。あと、無料だぞ!

 鎌倉は《ミセス・ロビンソン》の前を走り抜け、《鎌倉・零式》に驚くアイロン・ワークスに向かって声を掛けた。

「ハリーだ、急げ、バカ野郎! 頑張れよ、なんつうか、もう、頑張れ!」

 鎌倉の言葉にロイドがいち早く頷き、駆け出した。ダニー、エリックも追従し、鎌倉の後に続いた

《鎌倉・零式》は一番街のゲートを、すれすれの高さで通り抜けた。続けて、大歳御祖命の赤鳥居を飛び越す。ところが、笠木で腹を擦った。衝撃で右翼のプロペラが停止し、ガクッ、と右に大きく傾いた。すぐさま鎌倉はコントローラーを操作し、左翼のプロペラを止めて、どうにかバランスを取る。

 赤鳥居を超えたら、あとは高度を落とすだけだ。上出来だ、零式、よく飛んだ!

《斎館》の玄関前で通行人の整理をしている袴姿の宮司が、通り過ぎる鎌倉の背中に声を掛けた。

「行けっ! 鎌倉くん!」

 分かってるっつうの! さて、最後の呼び水だ。鎌倉さんの、出血ドロドロ大サービスだ、食らいやがれ!

 鎌倉はコントローラーの側面に取り付けたスイッチの電源を入れた。

《鎌倉・零式》の主翼の装甲が開き、玩具花火が弾けて、火花が一列に噴き出た。落下傘を開いた兵隊のマスコットが空に舞うのを見て、舞殿を離れかけた見物客が、次々に足を止めた。

 落下傘を指差し、子供たちが歓声を上げ興味を示すと、大人たちの足が自然に《鎌倉・零式》の進行方向へ向く。

 よっしゃっ、花火プログラム成功! ハーメルンの笛吹き男みてえだな、俺は!

 鎌倉はガッツポーズを取ると、《斎館》と社務所を通過し、舞殿前まで一気に走り抜けた。

        4

 舞殿前には、野外ステージが完成していた。

 銀色に輝く二本の主柱に、足場を固定するために置かれたH鋼は、しっかりワイヤー・ロープで固定されていた。二本の主柱に架けられたアーチには、照明器具が取り付けられており、ステージ脇に設けられた操作席で、点滅や消灯、自動車のハイビームのような激しい発光などの操作確認が行われていた。辻村がいつになく真剣な表情で器材を操作し、離れたところに配置した後輩たちに、照明の強さや方向などを確認するように、トランシーバーで的確に指示を出していた。

 照明の黄色が、大拝殿の奥に僅かに強く滲む夕焼けの朱色や、陽が落ちて暗くなり始めた景色に、ぼんやりと融け始める。

 鎌倉は手水舎の前で「大」の字で仰向けに倒れ、息を整えながら、花火を打ち上げた衝撃で主翼が捥げ、見るも無残な姿になった《鎌倉・零式》の胴体を優しく撫でた。

 お前は、よく頑張ったぜ。まあ、俺はもっと頑張ったけどよ。仕方ねえから、廃材屋に売り飛ばさずに、久米田と小澤に高値で売り付けて修理させて、時々フライトさせてやらぁ。

 鎌倉はよろよろと上半身を起こし、舞殿前に集まった観客に視線を投げる。

 応援に駆けつけた後輩が、ステージ前に柵を設置して「押さないで」と書いたボードを高く挙げて歩き回っていた。観客にこれから行われるライブの内容を事細かに説明し、ステージ前方と後方に観客を分ける。前方はライブ慣れしてる若年層、後方は子供連れの親子や、ライブに余り慣れていない客、といった配置だ。

 声を嗄らして、まぁ、よくやるぜ。「押さないで! モッシュ・ダイブ禁止!」って書いたボードだって、手作りだろうによ。ご丁寧に、ごてごて色まで塗りやがって、時間も金も掛かってるじゃねえか。馬鹿だなぁ、お前らも。「押さないで」なんて呼び掛けなくても、オール・スタンディングなのに、一曲目で座れるぐらいの隙間ができらぁ。モッシュやダイブは、改めて禁止するまでもねえさ。起きっこねえよ、そんなもん、奇跡じゃねえんだ。

 フッと鼻で笑い、観客から視線を逸らして足元を見る鎌倉の頭をミヤコが蹴り飛ばした。

 鎌倉が「アペッ」と短く悲鳴を上げて、ギッと睨み付けると、ミヤコは作業着のポケットから缶ジュースを一本ひょいっと取り出して放り投げた。手水舎の柄杓で水を汲んで、熔接作業で火傷した頬と手の甲を冷やしながら、鎌倉に話し掛けた。

「缶ジュース、アタシの奢りだぜ。一応、礼を言っとく。しっかし、まさか、てめえが客寄せするとはなぁ。明日にゃあ、世界が滅びるかも知れねえな」

 この、クソ女……感謝の言葉の後に、先輩を罵り放題かよ。俺は報酬分の仕事をして、てめえらお人好しの尻拭いをしてやったんだ。

 鎌倉は缶ジュースを受け取り、くるくると回転させて不自然な穴が穿たれていないかを確認してから、口を付けた。濡れた手を作業着の裾で拭うミヤコに視線を向け、強い口調で返した。

「たとえ明日、世界が滅びたとしても、俺の所為じゃねえ。世紀末に予定をすっぽかした恐怖の大王の突然の訪問が原因だ。だから、世界が滅びようとも、ここに集まった客が全員、尻を捲って帰ろうとも、俺には一ミリも責任はねえからな」

 ミヤコはステージに視線を向けながら、豪快に大きく笑った。ステージ脇の操作席で、辻村からステージの説明を受けているアイロン・ワークスがミヤコに気付いて手を振ると、ミヤコも大きく振り返した。

「バーカ、寝言は、進級してからほざきやがれ、バ鎌倉。客は帰んねえよ、アイロン・ワークスの演奏は最強なんだ」

 最強、ねえ。どのレベルで最強なんだか、教えてほしいもんだぜ。まあ、幼稚園のお遊戯レベルだったら、全世界の幼稚園児を相手にしたとしても、最強だけどよ。地球が引っくり返っても、俺にはとても最強だとは思えねえよ。確かに、アイロン・ワークスの演奏は超絶に上手いぜ。ボーカルのロイドの声も、なかなかだ。ルックスだって、そこそこ、成績でいうなら百点満点中、九十九点の優等生だ。

 だがなぁ、大鳥居。九十九点の優等生なんて、世界には山ほどいるんだ。観客は九十九点の優等生には即行、背を向ける。客が求めてるのは、百点満点の天才だ。満点まであと一点、その一点が見付からずに、どれだけの優等生がリタイアすると思ってやがる。

 ただ、俺は、お前らと同じでアイロン・ワークスが好きだぜ。

 正確には、好きになった、だ。途中までは、ただの借金塗れのクソ外人だとしか思ってなかったけどよ。

 夜通しずーっと笑顔で、ロックンロールを演奏してる姿を見たら、ああ、こいつら、本当にロックンロールが好きなんだなって、分かったからよぉ。それに、バカみたくお人好しだし、バカみたいに純粋で、涙もろくて、犬みたく愛嬌が有るところもいいと思うぜ。今度、ゆっくり酒でも飲んだら、きっと楽しいだろうさ。携帯電話の番号やメールアドレスを交換して、頻繁に連絡を取り合うのもいいし、脚がキレイで乳がデカイ、スケベそうな女をナンパして、全員で揃って、頬にビンタを食らうのもいいじゃねえか。

 ただ、アイロン・ワークスのロックンロールじゃ、金は稼げねえ。それだけの話だ。

        6

 ステージの説明を受け終わったアイロン・ワークスは、手水舎に駆け寄った。

 真っ先に、ロイドが大きく手を振るミヤコを抱き締め、続けて、ダニー、エリックがミヤコを抱き締めた。アイロン・ワークスは口を揃えて「アリ、ガトー、ミヤコ」と片言の日本語で、お礼を言った。ミヤコは頬を赤く染めて照れ笑いを浮かべながら、アイロン・ワークスを激励する。

「おう、礼なんか要らねえよ。暴れてきやがれ!」

 続いて、アイロン・ワークスは座っている鎌倉の元へ。

 あ? 俺はいいって。やめろ、恥ずかしいじゃねえか。なに、その、上京する日に、田舎の駅で、見送りに来た家族や友達と別れの挨拶を交わす、みてえな光景は。やめろ、痒い、痒いって! おい、手を握るなっ、男に手を握られる趣味はねえんだ。どうしても手を握るなら、金を払え!

 嫌がる鎌倉の手を無理矢理ぎゅうぎゅう握り、ロイドがふにゃっとした柔らかい笑顔を浮かべ、アイロン・ワークスは「キャバクラ・タイラー、アリ、ガトー」と、頭を下げた。

 なんだ、その、ババアしかいねえような場末の飲み屋みてえな名前は! しかもタイラーって……あのなぁ、俺はお前らの国の、口がカエルみてえにデケえ、カリスマ・ロッカーじゃねえの。俺の名前は、タイラーじゃなくて、平良だからな。間違えんなよ。

 ステージ脇の操作席から、辻村が腕時計を叩くジェスチャーを取り、アイロン・ワークスを呼んだ。観客の視線が後方に向き、疎らに起こる拍手に急かされるようにアイロン・ワークスはステージへと向かった。

 照明がカッと光を強め、すっかり暗くなった舞殿前を明るく照らした。ステージの光は周囲にも、ぼんやりと届き、大拝殿の北西に、浅間神社を抱えるように存在する賤機山の輪郭が浮かび上がった。

 賤機山の山頂広場付近に煌々と灯る光を見た鎌倉は、そこが煙水花火商会の花火打ち上げ場所だと気付き、ジーンズのポケットの中に捻じ込んであった《浅間神社大祭記念花火・関係者特別席》と印刷されたチケット三十枚を取り出した。

 さてさて、俺は今から、このありがてえチケットを、花火が見たくてやってきた金持ちどもに高値で売っ払いに行かなきゃなんねえからなぁ。金持ちどもは金に糸目は付けねえし、三十枚もありゃあ、そこそこの儲けになる。あー、涎が出てきたぜぇ。

 チケットを見てニヤける鎌倉をよそに、ミヤコはステージに上がるアイロン・ワークスに声を掛けた。

「がんばれよ!」

 ダニーがミヤコに向かって小さく手を振り、ベースにジャックを差し込み、コードをアンプへと繋げた。ロイドはギターの音に変化を加えるため、エフェクターやワウ・ペダルをぎっちりと並べたエフェクト・ボードをステージの床に置いて、エフェクターを経由してギターをアンプへと繋げた。ロイドが右足の爪先でポンと軽くエフェクターを踏みながら、撫でるようにしてギターを鳴らした。尖ったギターの音が急降下するようにして歪み、違和感なく浮上する。アクロバット飛行で敵を翻弄する戦闘機のようでもあるし、浮上を繰り返して敵の艦隊を撃沈させる潜水艦のようでもある。ギターの波打つメロディー・ラインの下を、ダニーが弾くベースの音が、何万もの歩兵の行進の足音のように、踏み固めた。エリックが、キック・ペダルを踏み、バス・ドラムを叩いた。

 ドン! と衝撃波が観客を伝い、鎌倉の鼓膜がビリビリと振動した。敵地に一発、繰り込む戦車の砲弾のような衝撃に圧倒された観客は、ぐっと押し黙った。

 まるで戦争でも始めようってな音だ。悪かねえな。やっぱお前ら演奏の腕はピカイチだ。

 鎌倉は脚に力を入れて立ち上がり尻を叩くと、ヒュウッと口笛を鳴らして、ステージの盛り上がりに少しばかり加勢した。ミヤコが手を叩くと、ほんの少しだが観客からも拍手が起こった。

 観客の跳ね返りが遅くて、どうにもなんねえや。コール&レスポンスを糸電話でやり合ってるんじゃねえんだぞ。ったく、こりゃ、予想していた以上にコケるかもな。

 ロイドがステージ脇の操作席に視線を投げた。辻村が親指と人差し指で「○」を作り、合図を送った。

 ロイドは視線をダニー、エリックの順に向け、ニッと笑って肩を竦めた。ステージ・マイクの前に立つと、地面に引かれた平行線をなぞるような柔らかい視線を観客に送り、息を吸い込んだ。

 囁くでもなければ、吠えるでもない、癖の無い声音に、鎌倉は鼻白む。

 一歩ずつ、探りながら踏み出すように、ロイドの歌声がゆっくりと加速し、その加速にアイロン・ワークスが乗るが、観客がすっかり乗り遅れているからだ。

 ほーれ、見晒せ、煙水中の豚のケツ。とっかかりの部分だけでも観ていこうと思ってたが、やっぱり現実の厳しさってやつには、目も当てられねえぜ。惨めだけどよ、まあ、そういうことだな。怨むなら、煙水中を恨めよ。

 そういうわけだ、じゃ、俺は、金儲けに出かけるからよ。

 鎌倉は一人ごちて、ぐっと背伸びをして、手水舎から離れた。ステージに視線を向けると、盛り上がり始めた曲に完全に置いてきぼりを食らった観客同士が顔を見合わせ、遠慮がちに眉を顰めているのが見えた。

 鎌倉が二歩三歩と回廊に向かって進んだところで、突然、ミヤコが鎌倉の髪の毛を、ぐわしっと掴んだ。体ごと後方に引っ張られ、首の骨がミシミシと悲鳴を上げる中、鎌倉は「へ」の字に仰け反った体勢で、足をバタバタと動かす。

 なんだ、俺は金儲けで忙しいんだ! さくらなら、誰か別の奴に頼めっ、つうか、首! 首! 折れる、首! 禿げる、頭っ!

 もがく鎌倉に、ミヤコはステージに視線を向けながら、聞いた。

「おい……ロイドって、あんな声だったか?」

 は? なに言ってんの、大馬鹿鳥居。ああ、現実逃避ってやつか? 逃避中のところを髪の毛ぇ掴んで現実に引き摺り戻すと、ロイドはあの声で間違いねえよ。夜通し、聴いてたんだ、俺は。声はおろか、歌詞までバッチリ覚えちまったぜ。

 ミヤコは首を横に振り、呟いた。

「違う……」

 だから、違わねえって。あの声は、ロイドの声で、ロイドはボーカル……

 鎌倉は眉を顰め、ミヤコと同様にステージに視線を向けた。金色の髪を揺らし、汗を垂らしながら歌うロイドの様子は、慣れない靴を履いて徒競争をするかのように、どこか遠慮がちで、どこか怖れを感じる。

 ミヤコは少しの間、ロイドの歌声に耳を傾け、再び首を横に振った。

「違う。アタシがCDで聴いたのと、声が全く違う。もっと、もっとずっと、上手いんだ!」

 ミヤコの発言と同時に、鎌倉は駆け出した。後に続こうとするミヤコに、鎌倉はピシャリと言葉を放つ。

「テメエは、アイロン・ワークスの最初で最後の観客だろうがっ。ここに残れ!」

 ミヤコは足を止め、深く頷いた。鎌倉は人混みを掻き分け、回廊を通って、社務所へと走り抜けた。賤機山の山頂広場付近へと続く石段を駆け上がり、樹木で構築された深い闇の中に煌々と灯る光を睨み付ける。

 やい、参謀! てめえ、なにを企んでやがる! 

        7

 鎌倉は疲労で思うように動かない脚を拳で叩き、縺れる足を叩き付けるようにして石段を上った。

 昼間、あれほど枝葉に光を蓄え、生命力に溢れていた樹木は、陽が落ちた途端に鬱蒼と枝葉を伸ばし、月光を遮っていた。暗闇の中にどっぷりと沈み込んだ石段の輪郭が、足を差し出すたびに、ぬっと浮かび上がった。鎌倉は何度も転びそうになりながら、石段同様に、頭の中に突然、ぬっと浮かび上がる計算式に思考回路を占拠された。

 頭の中に浮かび上がる計算式は、百マイナス九十九の引き算で、正解は一だ。

 百点満点の天才バンドから九十九点の優等生を引いたときに、イコールとして弾き出される「一」は、そもそも、どこに消えたのか、どうして消えたのか、ばかりをぐるぐると頭の中で何度も循環させる。

 たぶん、きっと、大鳥居の言う通り、本来のアイロン・ワークスには、もっとずっと、人を惹き付ける、九十九点の優等生を天才に押し上げる「一」が存在していたに違いねえ。大鳥居の耳が確かなら、その「一」は間違いなく、ボーカルだ。ロイドの歌声とは比べものにならねえ才能を持ったボーカルがいた。少なくとも、大鳥居が聴いた、発売する予定だったアルバムの製作段階までは。

 おそらく、本来のアイロン・ワークスは、四人だ。

 どうして、ボーカルがいなくなった。借金取りにビビって、一人だけ逃げちまうほど、アイロン・ワークスの仲が軽薄なもんだとはとても思えねえし、たとえボーカルだけが一匹狼みたく毛色の違うフラフラした野郎だったと仮定しても、ロイドが逃げたはぐれ狼のケツを拭いて歌う義理が見付からねえ。

 くそったれ! 煙水中の野郎、一番必要なことを、黙っていやがった!

 樹木の枝葉は、鎌倉の視覚だけでなく、ざわざわと揺れて、聴覚も奪う。耳を澄ましても、舞殿前で行われているライブの音は少しも聞こえず、響くのは呼吸と足音だけだ。

 鎌倉は突如として出現する石灯籠に右肩をぶつけた。進行方向が左側に逸れたところで、今度は樹木の根の窪みに足を取られて、体勢を崩した。

 しかし、すぐに立ち上がり、賤機山の山頂広場付近に灯る光を目印に、再び駆け出した。

 おい、浅間、オカルトの分際で俺の邪魔をするんじゃねえっ。いいから黙って、賽銭でも数えてろっ、俺は、煙水中に用がある!

 鎌倉は石段を上り切り、山頂広場へと進入した。樹木の深い闇が消え、視界が開け、空の面積がぐっと広くなった。月明かりのお陰で、濃霧のように眼前に纏わりついていた黒色が、灰色程度まで薄まり、数メートル先までぼんやりとだが捉えることができる。

 鎌倉は息を整えながら、目を凝らした。黄色と黒のビニールテープが張り巡らされ、「危険、立ち入り禁止」と立て看板が並べられたバリケードの前に、煙水中は立っていた。

 花火の打ち上げ時刻が迫っているのだろう。作業着の上から藍染の法被を着て、防火用のヘルメットを被り、無線機で煙水長太郎や終治郎たちと連絡を取り合っていた。鎌倉の存在に気付くと、無線機の電源を切り、浅く会釈をした。

 てめえ……よくもまぁ、一番に話さなくちゃいけねえことを黙っていやがったくせして、平気な顔でいられるもんだな、この野郎! 

 鎌倉は疲労でバカ笑いしている膝に力を入れ、地面を蹴った。煙水中の胸倉を掴もうと、指を鈎爪状にして両手を伸ばす。

 ところが、ヒラリと躱され、逆に牽制程度の軽い回し蹴りを食らった。

 鎌倉はよろめきながら後方に下がり、煙水中の足元に唾を吐いた。煙水中は唾を避け、無表情のまま、颯爽と鎌倉に歩み寄ると、さらりとした淡泊な口調で、言葉を放った。

「本来、いるはずのボーカルは、死にました」

 煙水中の声は、灰色の闇の中に、すっと馴染むようにして消えた。

 突然、放り投げられた言葉に、鎌倉は戸惑った。煙水中の言葉は、力いっぱい地面に叩き付けたゴムボールが、突拍子な方向に跳ね返るような無責任なものではなく、かといって泥団子のように脆く、重く湿ってもいない。「明日、晴れるんだって」と天気の話をするかのように、さっぱりと、漠然とした事実だけを鎌倉に伝えていた。

 鎌倉は煙水中に殴り掛かろうと右手で拳を作った。だが、いきなり突き付けられた事実に肩透かしを食らったせいで、思ったように力が入らない。鎌倉は、とりあえず一歩だけ前へ踏み出す。ところが、石を踏み付けて体勢を崩し、舌打ちをして地面を蹴るだけに留まった。

 なんだよ、それ。いきなり事実かよ。てめえをボコスカに殴って、事実をゲロさせようと思って、ここまで駆けてきたっつうのに……なんだよ。

 よりによって、ボーカル、生きてねえのかよ。

 鎌倉は視線を足元に落とし、首の後ろをボリボリと掻いた。爪先で地面を穿るように、何度も蹴る。

 俺は、ボーカル不在の理由なんてよお、ボーカルの野郎が借金返すために、イギリスに残って必死こいて働いてるとかよぉ、他のバンドで頑張って金を稼いでるとかよぉ……最悪、怪我で渡航できないんじゃねえか、ぐらいにしか考えてなかったっつうの!

 そんでもって、お前がボーカル不在の事実を、ずーっとここまで黙ってた理由だって、ステージ製作のモチベーションを下げないためとか、大鳥居のロックバカをがっかりさせたくないとか、そういう、くだらねえ理由程度にしか考えてなくて……なんだよ、それ!

 俺は勇者みたく、ラスボスのてめえをぶっ飛ばして、説教を垂れるつもりだったんだ!

 ボーカル不在のバンドは、ギターやベース、ドラムがどんなに優れていたって、エンジンがぶっ壊れた高級車と同じだ。走らねえんだ、音が! それが分からねえほど、馬鹿なのか、てめえは! とか。

 今、ステージで必死こいて歌ってるのは、ロイド! ギターの、ロイドだ。ギターだけ、ずーっと弾いた奴なんてなぁ、どうやったら器用に歌えるかなんて、どうやったら客を引き付けられるかなんて、分かんねえんだ! とか。

 お前は、お前は……お前はアイロン・ワークスが、全力で演奏して、でも客は少なくなって、心の中でめちゃくちゃ狼狽して困ってる姿を見て、楽しいのか! とか。

 なんだよ、全部すっかり分かってたうえで、黙ってたんじゃねえか。

 鎌倉は顔を上げ、煙水を睨み付けて聞いた。

「お前……アイロン・ワークスにボーカルのこと、口止めされたな」

 煙水中は肩を竦め、淡泊に答える。

「口止めされてるので、ノーコメントで」

 ふざけやがって、クソ眼鏡。肯定してるようなもんじゃねえか。

 鎌倉は煙水中を睨み付け、強く舌打ちをした。

「いいから、話せ。舞殿前のライブは、もうすぐ終わる。したら、てめえの黙秘権なんざ、期間の切れた福引券と同じで、ゴミ箱行きだ。ドゥーユーアンダスタン、アーハン?」

 頭のいい煙水中くんなら分かってると思うが、このままライブ大失敗で槍玉に挙げられんのは、てめえ自身だ。知らぬ存じぬじゃ通らねえし、黙秘権は集団の前じゃ免罪符にはならねえことは、充分過ぎるほど分かってると思うけどよ!

 ライブは大失敗、アイロン・ワークスを庇って、てめえは自分だけを悪者にしようって腹積もりだろ。なにせ、ボーカル不在を知ってたのは、煙水中、お前一人だからな。ボーカル不在でも客が集まるとか思ったとか、いかにも甘ちゃんな受け答えをして、道化を演じるんだ、お前は。

 お前が全部ふっ被るっていうんなら、俺は止めねえよ。ただ、俺まで道化にされちゃあ、お門違いってもんだからよ。俺が問い詰められた時には、それなりの事実を話すつもりだ。

 その時のために、煙水中、お前は優秀な先輩であるこの鎌倉様に、全ての事実を話して置く権利がある。

 花火の打ち上げ時刻も、迫ってるんだろ? まあ、同時に、俺が特別観覧席のチケットを売り捌く時間も迫ってるわけだけどよ。時間が許す限りで、俺はテメエが全部話さない限り、食い下がるぞ。なにせ、俺の名誉がかかってるからな。

 煙水中は山頂広場北側に煌々と灯る明かりに視線を投げ、肩を竦めた。鎌倉の言いたいことは全て分かっているように、鷹揚として頷き、右手でVサインを掲げた。

 おい、なんだ。なに急にテンション上がっちゃって、はしゃいじゃってるんだ、お前。

 首を傾げる鎌倉に、煙水中は平べったい口調で語り掛けた。

「彼ら、アイロン・ワークスは、今、道の分岐点に立っています」

 ん? ああ、そのVサインは道の分岐点ってわけな。お前の頭がいきなりアッパラパーになっちまったと思って、ちーっとばかり焦ったぜ。

 鎌倉は煙水中に聞いた。

「で、その分岐点ってやつは、なに、と、なに、だ?」

 借金塗れと借金完済の分かれ道か? だったとしたら、残念だけど前者だな。進む道は決まってらあ。

 煙水中は首を横に振り「いいえ」と先回りして否定する。

 だから、人の心を読むなってんだ、気持ち悪いな。だったら、なに、と、なにだ? 分岐点つったって、右左折すりゃあ、どっちかの道に移行できるんだろ? いちいち大袈裟な野郎だな。

 せせら笑う鎌倉に、煙水中は左手人差し指で右手のVサインを差し、平べったい口調で説明した。

「解散か、継続か、の分かれ道です」

 鎌倉は止まった。笑い飛ばそうと思っていた声が、鉛のように重くなって、ズドンと胃に落ちた。緩んだ表情が痙攣したようにピクピクと震え、蒸し暑いはずなのに、手足がぐっと冷たくなるのが分かった。

 ちょっと待て、解散って、なんだよ、それ。

 あいつらは、アイロン・ワークスは、まだバンドを続ける気で、ステージに立ったんじゃねえのかよ。だから、てめえに口止めしたんじゃねえのかよ。普通そうだろ、なあ、あいつら、あんなに楽しろうに、演奏してたじゃねえかよ!

 鎌倉が問いただす前に、煙水中は淡泊に続けた。

「昨日、アイロン・ワークスと話しをしたときには、既に、彼らは、解散か継続かの分岐点に立っていました。ボーカルを失った状態で、バンドが機能するとも思えない。しかし、曲はロイドが書いていましたし、歌も上手いので、もしかしたら……という希望も持っていました」

 だから、なんだよ、それ。ボーカルなんて、他で見付けりゃいいじゃねえか!

 あいつらは、腕はあるんだ! 今日のステージが大惨事でも、明日のステージは大讃辞かも分からねえだろ。煙水、お前、それをちゃんと言ってやったのかよ。

 煙水中は狼狽する鎌倉を余所に、静かに語る。

「イギリスに戻ったところで、借金取りに追われてライブは難しい。しかも、ボーカルを失ったという同情の色眼鏡を掛けて、観客は拍手を送るだろうと予想が付いた。ボーカルなしで、果たして自分たちは通用するのか、彼らは、彼らのことを全く知らない観客の前で、ライブを行うことを希望した。この、日本のこの場所で、彼らの事情を全く知らない、興味本位で集まった観客の前で、彼らは、失ったボーカルと、自分たちを天秤に掛けようとしたんです」

 ふざけんじゃねえ、羽と心臓を両腕に載せた、エジプトの天秤じゃねえんだぞ。心臓に天秤が傾けば、そいつは地獄行きで、羽に傾けば天国行きなんて例え話、笑えねえんだよ。分岐点どころじゃねえだろうが! 分かれ道どころじゃねえだろうが! 天国と、地獄なんだぞ! 這い上がってこれねえんだぞ!

 鎌倉は頭を掻き毟りながら聞いた。

「お前は、それに協力しようと、申し出たっつうのか」

「ええ。演奏するなら、ステージは大きいほうがいいですからね」

 煙水中は深く頷き、鎌倉を見た。眼鏡の奥の涼しい目の輪郭が灰色の闇の中で、ぼんやり浮かび上がる。全てを見透かされているような気になり、鎌倉は少しばかり身じろいた。

 なんだ、なんだよ。お前は、俺がなにを言いたいのか、全部すっかり分かるってのか。

 煙水中は鎌倉に宣言する。

「俺もね、アイロン・ワークスの天秤が傾くのは、心臓だと思っていますよ」

 そうだよ。俺も、お前と同じでアイロン・ワークスのステージじゃあ、金は稼げねえって、思ってるよ。でもよ、あんなに楽しそうに演奏する、あいつらを見てるとよ、別に楽しけりゃあ、貧乏しててもいいかなって、思ったんだぜ。

 本当だ、こりゃあ、マジなんだ。

 あいつらが楽しそうに演奏するのを見て、ロックンロールも悪くねえって思った。

 ド貧乏なのは困るけどよ、ちょっとぐらい腹ぁ空かすのも悪かねえかな、って思ったんだ。

 本当だ、本当なんだ。だから、俺は、あいつらが、今日は駄目でも、明日があって、ずーっと続くもんだと思ってた。あいつら、ずっと笑ってたもんだから、ずーっとバカみてえに、続くもんだと思ってたんだ!

 バカだなぁ、あいつらバカだなぁって笑いながら、ずっとだ、ずっと! そんな天国と地獄のことなんか、考えてるなんて、分からねえだろ! あいつらずーっと笑ってんだから、分かるわけねえだろ!

 分かってたら、止めてたよ! あいつらに明日がねえなんて分かってたら、分岐点に差し掛かってたら、非情なお前と違って、ちょっと待てって、俺は止めてた!

 煙水中は無表情のまま、呟く。

「でもね、鎌倉さん。彼ら自身が、天秤が傾くのは羽のほうだと目を輝かせて信じていたら、ステージに上がる彼らを、俺には止める権利はない。そうでしょう」

 鎌倉はグッと言葉を飲む。ワッと熱くなる胃を冷たくなった手で擦り、煙水中を睨み付けた。頭を垂れ、足元をジッと睨み、爪先で地面を掘った。手に力を入れてみるものの、冷たくなって指先が痺れて思うように力が入らない。脚も同様だ。

 煙水中の無線機に、打ち上げ時刻が迫っている、と通信が入った。煙水中は踵を返し、煌々と明かりが灯る頂上広場北側へと足を向ける。

 鎌倉は顔を上げ、煙水中の背中に声を掛けて呼び止めた。

「おい、待て。てめえはまだ、俺に言ってないことがあるんじゃねえのか!」

 煙水中は足を止め、肩を竦めた。濃紺色の法被に染め抜かれた《煙水煙火》の文字が、風に揺れて歪んだ。

 お前は知ってるはずだ。アイロン・ワークスから聞いて、知ってるはずだ!

 煙水中は空を仰いで、鎌倉に聞き返す。

「本当に、聞きますか?」

 ふざけんな、俺は聞く。俺が最後まで、お前がわざとその部分を回避し続けていたのに気付かねえと思ったのか!

 俺は聞く。俺は知りたいんだ。ボーカルが死んだ理由を!

 じゃないと、じゃないと、動けねえ! 全部、しょうがねえなぁって笑い飛ばして、金儲けしに行くために、動かねえ!

 煙水中は背を向けたまま黙ったまま歩き出し、鎌倉と距離を開けて、地面に視線を落とした。両手を腰にあてて、肩の凝りを解すように動かし、少しの沈黙を置いて振り返った。煙水中は鎌倉の目をジッと見て、はっきりとした口調で答えた。

「ボーカルの名前は、サイラス。犬を庇って、ダンプカーに撥ねられ、内臓破裂で即死。借金返済のために家財道具の一切合切を売り払っていたため、撥ねられたときに背負っていた黒のレスポールが、彼の唯一の形見です。……黒のレスポールは、息を吹き返しましたがね」

 鎌倉の肩がビクッと震えるのを見て、煙水中はすぐさま踵を返し、足早に立ち去りながら、付け加えた。

「聞かなきゃ良かったってことは、世の中に恐ろしいほど無限にありますよ、鎌倉さん」

 うるせえ! 俺は、今、ちょうど、そう思って、後悔の真っ最中なんだよ!

 鎌倉は、力なく呟いた。

「馬鹿じゃねえの? 犬ごときで」

 なんだったって、どうして……そうなんだ。どうして、ボーカルの野郎は、そんな、お人好しなんだ! 犬なんて、放っておけばいいだろ! 尻尾を振って、ワンワン吠えて、人間との距離を測るだけの、憎めねえ……ただの、動物じゃねえか!

 ……ああ、俺、昔、同じこと言ったんだよ。

 他人の借金の保証人になって、借金塗れになって、死のうと思って、海に自動車ごと飛び込んで、なんだか知らねえけど、通りかかった漁船に助けられて、ずぶ濡れになって、明日の食う飯がねえことに怯えながら親父と二人で、笑って帰った道で、そういや、同じこと、言ったんだよ。

 親父に、向かって、言ったんだ。馬鹿じゃねえの? 犬ごときで! って。

 帰り道、犬を庇って、車に撥ねられて動かなくなった、親父に!

「ち……っくしょう! めんどくせえなぁ! もう!」

 鎌倉は叫んで、全速力で駆け出した。

       8

 鎌倉は山頂広場から、石段を一気に駆け下りた。膝がバカ笑いをして力が入らず、腿の筋肉は痙攣し、足は縺れ、顔から地面に転がった。鼻や口に入った泥や土を吐き出しながら、鎌倉は、すぐさま立ち上がった。肺に大穴が空いたように呼吸が苦しく、肋骨と鳩尾が死ぬほど痛いのは、きっと気のせいだと誤魔化しながら、鎌倉は再び石段へ。

 転がるように石段を降り切った先の、石灯籠に頭をぶつけ、目の前に星が飛ぶのを、擦り傷だらけの手で振り払った。纏わり付くヘドロのような闇に向かって、鎌倉は叫ぶ。

「退け! オカルト! 人が死にそうなときに助けもしねえくせして、邪魔ばかりすんじゃねえ!」

 良い奴ばっかり殺しやがって、死にてえときにも死なせてくれねえくせして!

 俺だって、本当は、中学生になる前に、借金取りのヤクザにド突き回されて死ぬ予定だったんだ! それが骨の一つも折れずに、ひょっこり生き残ったのが運のツキだ。

 美人だった母親は、錯乱して鬼ババァみたくなっちまって、家にガソリン撒いて、火ぃ点けた。

 突然の大雨で、俺と親父だけ生き残っちまって、フラフラしてたら、再びヤクザに捕まって、海に車ごとドボン。

 今度こそ死ねるとおもったら、また生き残っちまった。そしたら親父が犬を庇って、ドンって撥ねられて、即死だ。ふざけんな。

 ガキの頃の俺は、毎日、てめえに祈ってただろ、神様!

 明日は良い日になりますように、って祈ってたのに、奇跡もなにも、人をいとも簡単に地獄に突き落として、大事なもんばかり、良い奴ばっかり、てめえのもんにしやがるじゃねえか、てめえは!

 今回も、持ってくのか、てめえは! サイラスっていう良い奴だけじゃなく、ロイドやダニー、エリックを地獄に落とすのか、てめえは!

 ふざけんな、ふざけんな!

 鎌倉は最後の一段を踏み外し、コンクリートの地面に、無様に背中から転がった。

 舞殿前のステージから離れて帰路を急ぐ観客に「大丈夫ですかぁ?」と声を掛けられ、鎌倉は社務所前まで下りてきたことに、ようやく気付いた。

 流れる観客の動きに、鎌倉は舞殿前のステージに視線を投げた。耳を傾けると、耳鳴りと綯い交ぜに、ロイドの歌声が響いてくる。

 へったくそ! てめえは、ギターだけ弾いてろ!

 鎌倉は、四つん這いの状態から、脚と腰に力を入れ、前傾姿勢で走り出す。人混みを掻き分け、流れに逆らいながら、回廊を進んだ。

 ふざけんな! 神様、俺は、お前を信じてねえぞ!

 結局、身寄りのない俺を引き取って、借金まで返してくれたのは、得体の知れない金持ちの、子供のいないジジイとババアの夫婦だ。

 結局は、金じゃねえか! てめえは、なんもしてくれねえ! 結局は金じゃねえか! だから、俺は金でしか動かねえ! 義理や人情なんざ、くそくらえだ!

        9

 鎌倉は崩れるように手水舎に辿り着いた。手水舎の前に立つミヤコを見付けると、両肩を掴み、ガクガクと揺すり、鎌倉は叫ぶ! 

「金、よこせ!」

 その瞬間、ミヤコのアッパーカットが顎を砕き、呆気なく鎌倉は玉砂利の中に沈んだ。俯せの状態で、ミヤコの足首を右手で掴み、顔を上げ、左手の掌を差し出す。すると今度は、がつーんと踵落としが後頭部に命中した。ミヤコは声を震わせ、鎌倉を怒鳴りつけた。

「行って帰ってきたと思ったら、開口一番、金か! アイロン・ワークスをどうにかしようと思って、てめえが息切らして帰って来たのかと思ったアタシが、バカみてえじゃねえか! 金、金って、金しかねえのか、てめえは!」

 そうだ、俺は、金だ。俺を動かすのは、金だ。俺は、金がねえと動かない。そうやって生きてきたから、今さら、義理や人情じゃ、動けない。

 そんなつまんないもん(・・・・・・・)で動いたら、神様っつうもんを認めたような気がして、動けねえ!

 鎌倉は顔を上げ、ミヤコに訴えた。

「一円でもいいから、よこせ!」

 一円でいい。一円じゃなかったら、金目のもんでも、ネジでもゴミでもいい。俺が動くための口実をよこせ! 俺が、神様と戦うための、口実をよこせ! 

アイロン・ワークスを地獄に落とそうとしてる神様と、戦う口実を、俺に、よこせ!

 ミヤコは鎌倉の顔を見て、眉間に皺を寄せ、聞いた。

「お前、なんで……泣いてんだ?」

 鎌倉は左手をさらに上へ掲げながら、答えた。

「悔しいからに、決まってんだろ!」

 ミヤコは鎌倉に気圧される形でポケットを探って五〇〇円玉を見付けると、鎌倉の掲げた左手の掌の上に載せた。

 サンキュー、投げ銭!

 鎌倉は左手の中の五〇〇円玉をぐっと握り、よろよろと立ち上がった。尻ポケットに入れた特別席の券の束を投げ捨て、観客が疎らになったステージへと足を向ける。

 鎌倉は左手を広げ、掌の中の五〇〇円玉に視線を落とし、肩を竦める。

 なんだ、万札じゃねえのか、バカ野郎。

        10

「よお! 元気がねえじゃねえか、へったくそぉ!」

 演奏の切れ間に、ステージ正面から鎌倉はロイドに向かって声を掛けた。操作席の辻村に一瞥くれて、辻村が表情を変えて操作席を離れたのを確認し、正面から柵を伝って、ステージへと攀じ登った。鎌倉は、戸惑うロイドの肩をポンポンと叩き、話し掛ける。

「なんだぁ、思ったより、結構、高ぇのな。ステージの位置」

 ロイドは自分の腕や頬を指差して、鎌倉に英語でなにかを訴えていた。

 ん? ああ、全身が傷だらけってことか? まあ、名誉の負傷ってやつだよ。ま、てめえらがひた隠しにしていた、事故死したサイラスくんってやつよりは、随分と軽傷だから、安心しろぃ。けど、まぁ、消毒液の風呂に入ったら、沁みまくって死ぬ程度だな。

 鎌倉は客席へ向き直ると、突然の客席からの乱入にざわめく観客の人数を数え始めた。指を折って数えながら、ロイドの背中をバシバシと強く叩いて、肩に右肘を置いた。深刻な表情を作り、ダニーとエリックに手招きして、演奏を中断させ、ステージ中央に集合させる。鎌倉は、風を送るように手を動かし、アイロン・ワークスとの距離を縮め、一塊になったところで、呟いた。

「ハロー、アイアム、サイラス」

 発言にアイロン・ワークスが肩をビクつかせ一斉に怯んだところで、鎌倉はロイドの金髪を掴み、勢いよく頭突きを食らわせる。続けてダニー、最後にエリックに頭突きを食らわせた。

 尻餅を付き、狼狽を隠せずに視線を泳がせているロイドを睨み付け、鎌倉は叫んだ。

「お前ら、本当、ばーかっ!」

 ボーカルなしでバンドが機能しねえのは、当たり前だろ! 解散もクソもあるか!

 こんな、他人様が汗水たらして作ってくれたステージを、てめえら三流バンドの墓標にするんじゃねえ! 解散するなら、CDが売れてからにしろ、イギリス以外でツアーしてからにしろ、女優やモデルの乳をこれでもかってぐらい揉んでからにしろ、ウンコめ!

いいか、ロックンロールは死んでねえぞ! てめえらがロックンロールを殺しても、てめえらの立っているステージを作った奴らの心ん中には、ロックンロールは生きてんだ!

 サイラスのことはよく知らねえが、生きてたら、きっと、こう言うぜ! 死んじまったけどな!

 鎌倉は唾を吐き、踵を返して颯爽とスタンドマイクの前に立つ。突然の鎌倉の発言にしんと静まり返った観客に向かって、ホホホと笑ってみせた。手を帽子のツバのようにして、額の前に掲げ、ぐるっとステージ周辺を見回し、鎌倉は大袈裟にガックリと肩を落とした。

「えー……お客様、だいぶ減ってしまいました。ここまで残ってしまったお客様には大変申し訳にくいのですが、ここで自己紹介です!」

 最前列で柵に凭れ掛かっている中学生と思しき少女三人組が「えーっ、今さらぁ」と声を上げ、客席からぱらぱらと笑い声が起こった。鎌倉が少女三人組に向かって、顔の前で両手を合わせて深く頭を下げて謝ると、笑い声は、さらに大きくなる。笑い声が大きくなったところで、顔の前の両手を頭の上まで掲げ、パンパンと叩いて、リズムを刻んだ。

「じゃ、まず、ドラムス、エリック!」

 鎌倉は振り返り、額を擦るエリックを睨み付け、顎をしゃくってドラムを差した。エリックが「え?」と聞き返すので、鎌倉は眉間に皺を寄せながら、右足を動かしてステージの床を何度も強く踏み付けた。

 エリックは表情を明るくして頷き、ドラムへ。椅子に座り、これでいいのか? と確認するように控えめにペダルを踏む。そんなエリックに、鎌倉は首を横に振った。

「ノー、モアだ、モア! モア、踏め、もっと、えーと……ステップ・オン!」

 ドラムの刻むリズムが重く響いてきたところで、観客から鎌倉に合わせて手拍子が送られてきた。ドンドンドンと続くバス・ドラムの音に、観客の手拍子が重なって響き渡り、離れた観客が少しずつ、様子を窺いに戻ってきた。

 ようやくか、レスポンスが遅っせえなぁ。まあ、返してくれるだけ、ありがたいけどよ。

 どーれ、ここらで、いっちょ、ご挨拶だ、ご挨拶。どんな田舎のサーカスだって、ゾウかクマかヒョウが出てきて、適当に吠え散らかして、ご挨拶するもんだ。

        11

 ミヤコは手水舎の前で、盛り上がる客席とステージに交互に視線を向けた。

 なんだよ、鎌倉の野郎、傷だらけで突然わんわん泣いて、でもって、金ふんだくって、急にステージに上がったと思ったら、いきなり頭突きだろ? 意味分かんねえよ!

 スタンド・マイクの前に立った鎌倉は、拍手を止めて、すっと息を吸うと、スタンド・マイクを右手で掴み、抜けるような高音で叫んだ。

 流れるように滑らかな英語の歌詞が、高音から低音へと滑空し、一番低い音からふわりと中間地点へと浮かび上がった。中間地点から、歌詞は消え、鎌倉は「ラ」の音だけで、真っ直ぐな直線を引いた。

 直線は強力な磁石のように客席を、観客を、音を、ぐっと引き込む。鎌倉は観客の反応を見て「ヨーホー」と口笛混じりに戯け、スタンド・マイクから離れ、再び両手を叩いた。

 すげえ、初めてまともに聴いた。アドリブじゃねえか。鎌倉の歌声、なんだありゃ。上手いってもんじゃねえ、桁が違う、桁が! ……あいつ、やっぱ、天才だ!

 ミヤコは鳥肌が立って震える腕を撫でながら、客席を見回した。観客からの手拍子が倍以上に膨れ上がり、拳を振り上げる観客の姿も出てきた。

 鎌倉は「ベース、ダニー、背筋伸ばせ!」と紹介し、ダニーの丸まった背中に軽く蹴りを入れた。痛みに顔を歪ませるダニーに女子の「やめて、可哀想!」という悲鳴と歓声が、同時に起こった。

 ダニーは、鎌倉に促されるまま、指先で巧みにベースの弦を弾く。ドラムとベースの音が、交互に響き、大波のように押し寄せた。鎌倉はふざけて、スタンド・マイクをエルヴィス・プレスリーのように担ぎ、今度は「ン」の音だけで、ジグザグに、ドラムとベースが作り出すリズムの上を駆け回った。

 段々とリズムが速くなるにつれ、ダニーの表情が綻び、ドラムを叩くエリックと視線を交わして笑い合うまでに解れた。

 鎌倉はスタンド・マイクを乱暴に置き、杖のようにぐっと体重を掛け、ロイドを睨み付けた。鎌倉は、怯えるロイドの襟首を掴み、無理矢理がっちり肩を組んで、スタンド・マイクを通して大声で語り掛けた。

「ギター弾けよ、ギター。お前のエフェクターの配置、どう見てもボーカル向けじゃねえよ。えーと、あ、はい、ギターのロイド!」

 ロイドも鎌倉に促されるまま、フレットに指を走らせた。歌っていたときには聴けなかったギターの斬り込むような尖った音色と歪みに、客席が湧き立ち、拍手が起こった。

 鎌倉は、拍手に思わずはにかむロイドを羽交い締めにしながら、スタンド・マイク片手に「あ、俺、鎌倉」とぶっきらぼうに紹介し、操作席に視線を投げた。

 ミヤコも操作席を見ると、辻村が肩で息をしながら、黒のレスポールを両手に抱えて立っていた。

        11

 辻村は呼吸を整えながら、黒のレスポールを両手で柔らかく掴み、鎌倉を見た。

 全速力で《ミセス・ロビンソン》まで往復したので、喉の奥が焼けるように熱く、胃がひっくり返ったように気持ちが悪い。辻村は吐き気をぐっと堪え、肩で顎から滴る汗を拭い、鎌倉を睨み付けた。

 遅いんですよ、鎌倉さん。ライブのときは、いつも遅刻じゃないですか。あなたの遅刻に、毎回、誰が一番、肝を煎っていると思っているんですか。

 僕ですよ。僕がどれだけ苦労して音を作って、光の角度を計算して、楽器の状態に気を配っているか、あなたは、遅刻ばっかりで全く分かっていない。今回だって、そうじゃないですか。僕や煙水中は、アイロン・ワークスに足りないなにかが、鎌倉さんだってことに、早くから気付いていましたよ。……なのに、あなたときたら、人の気も知らないで、遅刻ばっかりだ。

 辻村の視線に気付いた鎌倉は羽交い締めにしていたロイドを放し、操作席へ。黒のレスポールを受け取るために、右手を差し出し、辻村に話し掛けた。

「やい、なぁに睨んでいやがる」

「あなたは遅刻ばっかりだ」

 辻村は、あからさまに尖った口調で返した。鎌倉は肩を竦め、鼻でフンと笑い、右手をズイッと前へ差し出した。

「いいから、よこせ、そのレスポール。俺が弾く」

 辻村は楽器を持った両手を曲げ、黒のレスポールをスッと引っ込めた。背筋を伸ばし、鎌倉の目を見てピシャリと言い払う。

「いい加減にしなさいな、鎌倉平良。それが楽器を受け取るための手ですか」

 アイロン・ワークスがどれだけステージで怯えていたか、分かりますか。ミヤコくんがどれだけ一生懸命に拍手を送っていたか分かりますか。煙水中がどれだけ頭を下げて回ったか分かりますか。それら全部を知っていてもなお、この場に黒のレスポールを持って来た、僕の気持が分かりますか。

 遅刻してきた、あなたに……自分が天才だということに気付かず、やるべき仕事から逃げてきたあなたに、この楽器を受け取る意味の重大さが、分かりますか!

 鎌倉は、目が据わった辻村に身じろぎ、チッと舌打ちしながら、ボリボリと頭を掻いた。泥だらけの両手をジーンズの尻部分でゴシゴシと拭き、グッと胸を張って両手を差し出すと、鎌倉は辻村に宣言した。

「そのギター貰えんなら、貧乏でも、いい!」

 俯く鎌倉の鼻から、鼻血がドッと流れ、鼻の下から唇を伝って、Tシャツにぽたぽたと落ちた。突然の鼻血に顔を歪める鎌倉を見て、辻村はプッと吹き出し、ギターを鎌倉の両手へ優しく渡した。

 なんですか、鎌倉さん。貧乏になることが、鼻血を吹くほど悔しかったんですか。筋金入りというか、逞しいというか……バッカですねえ、鎌倉さん。まあ、鼻血吹いてまでの宣言だったら、許します。許すというか、認めるというか、信じましょう、覚悟を。

 歌を唄うと決めた、あなたの覚悟を。

 ギターを受け取ってストラップを肩へ掛ける鎌倉に、辻村は声を掛けた。

「そのギターの前の持ち主も、ヘッタクソでしたよ」

 ジャックをアンプに繋ぎ、辻村が投げるピックを受け取って、人差し指と親指で挟んだ。ジャンと下へ一度、ダウン・ピッキングして音色を確かめる。美しく、力強い音色に、鎌倉は肩を竦めてニッと笑った。

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 ミヤコは目を凝らし、鎌倉の持つギターを観察した。

 黒のレスポール……あの傷は、間違いねえ、アタシたちが直した《ギブソン・レスポール・カスタム》だ! まだ完全には直ってねえはずだぞ! 弾いたら、またバッキリ折れちまうかもしれねえ! なにやってんだ、辻村の野郎!

 ステージに向かって駆け出そうとするミヤコの肩を、到着したジミヘンが掴んだ。ジミヘンはミヤコの頭をぐしゃぐしゃと撫でて「いいんだよ、ギターが弾いていいと言ってるぞ、たぶん」と目尻を下げて優しく笑った。ミヤコは鎌倉の弾くギターの音色に耳を傾けた。

 えーと、どう考えても間違っているギターコードに、ピック・スクラッチは幽霊が出そうなほど不気味な音で、どれを取っても吐き気がするほどメチャクチャな奏法の、どこがギターが弾いていいって言ってんだよ? 宝の持ち腐れだっつうの! つうか鎌倉、マジでギター下手だな!

 顔を歪めるミヤコに、ジミヘンは苦笑いで応えた。

「ま、まあ、音はともかくとして、アイロン・ワークスは喜んでるみたいだから、いいんじゃないか?」

 ミヤコはステージに視線を向けた。アイロン・ワークスは鎌倉がギターを弾く度に、その不安定な音色とぎこちない奏法に、顔を歪ませていた。

 ロイドがギターを弾きながら、涙を滲ませて大声で笑い立て、ダニーも、ベースを弾きながら目を潤ませて笑っていた。エリックはヒクヒクと笑うのを我慢しながら、ドラムを叩き、ときよりポロッと零れる涙を、手の甲で拭っていた。鎌倉は口を「へ」の字に曲げて、ぐっとなにかを堪えながら、ギターをメチャクチャに演奏して、声で地団駄を踏むように歌っていた。

 喜んでんのかな。泣いてんじゃねえのかな。あれは、笑いすぎで出る涙じゃなくて、なんか色々ごちゃ混ぜになった涙じゃねえのかな。

 ……分かんねえや。アタシには、なんか、ちっとばかし、悲しい気がしてならないんだ。鎌倉の言った、サイラスって、なにかよく分かんねえんだけど、たぶん、誰かの名前なんじゃないかな。古い仲間とか、昔の英雄とか、分かんねえけど、なんかきっと、ものすごく、いい奴なんだろうな。

 もしかして、この場にいない、ボーカルかな? うん、きっとそうだ、優しい響きだから。犬が好きそうだな、サイラスって奴は、きっと。そんな気がする。

 ミヤコは足元に視線を落とし、くしゃみをする振りをして、ジミヘンに気付かれないように、自然と溢れる涙を拭った。拭っても拭っても溢れ出てくる涙を、口を「へ」の字に曲げてぐっと抑えつけて、ミヤコは気付く。

 鎌倉は、涙を我慢してたんじゃねえのか? 鎌倉が泣いていた理由ってえのは、きっと、そのサイラスっていう奴のためなんじゃないのか? サイラスは、どこに行っちまったのかな? なんかよく分かんねえけど、ずっと遠いところなんじゃないかな?

 顔を上げたミヤコの目の前には。ステージには四人になったアイロン・ワークスの姿があった。スポットライトが漆黒の空を切り裂き、いつの間にか、鎌倉の歌声とアイロン・ワークスの演奏に惹き込まれ、倍以上に膨れ上がった観客の歓声が耳を劈いた。

 エリックのスネア・ドラムが軽快に響き、シンバルが鳴り、バスドラムが客席を揺らした。ロイドのベースが、完璧に踏み固めた上を、ロイドのギターが縦横無尽に、攻撃的に駆け回った。

 震えが来るほどカッコいいイントロに、観客の拳が一斉に上がる。最前列にワッと人が押し寄せ、作業着を着た後輩たちが柵を一斉に抑えた。操作席に座る辻村は音の調整に追われているが、目を輝かせていた。

 新たに会場に押し寄せたの誘導に宮司や商店街の住人が加わった。観客を誘導しながら、《太公望釣具店》の会長が観客に向かって「投げ銭」と書かれた子供用のオモチャバケツをいくつも放り込んだ。

 ミヤコは震える。ステージと観客が一つの音の塊になって躍動する感覚に、涙腺が緩み、ワッと泣き出しそうになった。

「ちょっと、ちょっと……トイレ」

 ミヤコはジミヘンに告げて、ステージに背を向けて舞殿前から駆け出した。

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 回廊を抜けて、誰もいなくなった社務所の前までやってくると足を止めて、空を照らすスポットライトの残像を潤んだ目で追った。

 鎌倉が黒のレスポールを掻き鳴らす音が響き、スタンド・マイクに向かって、天を落とすように吠えた衝撃がビリビリと頬を伝った。重なるコーラスに、高波のように押し寄せるメロディー・ライン。

 ロイドが歌っていたときにロックンロールとは、何もかもが桁違いだ。伝説だ。きっと伝説になるぜ、こりゃあ。

 ミヤコは笑いながら、ぐっと涙を堪え、山頂広場に続く石段へと向かった。

 周囲は暗いが、歩けないほどの暗さではなく、石段や石灯籠の輪郭はハッキリと捉えることができた。石段の両脇を固める樹木の枝葉がザワザワと心地良い夜風に揺れ、月光を砕いて足元に落としてくれるお陰で、幾分か歩きやすく、ミヤコは一度も躓くことなく、山頂広場へ到着した。

 山頂広場では煙水花火商会の藍染の法被を着た作業員たちが、ヘルメットに装備したライトで目の前を照らしながら、無線機で頻繁に連絡を取り合っていた。

 あ、そっか。いよいよ花火の打ち上げ時刻か。なにやってんだ、アタシ。夢中でここまで来たけど、ここは立ち入り禁止じゃねえか。ばっかみてえ……帰ろ。

 踵を返すミヤコに、ヘルメットに装備したライトで顔を照らした作業員の一人が気付き「よお、ミヤコじゃん」と声を掛けた。

 ん? ああ、その声は、煙水終治郎か。

 聞き慣れた、少しばかり甲高い声に、ミヤコは足を止め、声の方向に体の正面を向けた。

 煙水終治郎は大きな目をくりくりさせ、柴犬のような愛嬌のある表情でニッと笑った。

「なんだぁ、やっぱ兄ちゃんの言った通りだぁ」

 ミヤコの肩に手を回し、他の作業員たちから遠ざかると「たぶん、ミヤコが来ると思うから、他の作業員に気付かれないように通せって、兄ちゃんから言われてんだ。あ、兄ちゃんって言っても、中兄ちゃんのほうな」と耳打ちした。

 煙水終治郎は黄色と黒のビニールテープをグイッと持ち上げ、自分の被っているヘルメットを渡し、ミヤコを花火の打ち上げ現場へと送り出した。

 なんだ、それ。煙水中の野郎は全部お見通しだっていうのかよ。胸くそ悪ぃな。

 広い道が続き、ミヤコは手に持ったヘルメットを前に掲げ、足元を照らしながら進んだ。たっぷりと水が撒かれ、搬入用のトラックの轍でぐずぐずになった地面が、足の裏にへばり付き、靴の滑り止めの溝を埋めていく。やたら鬱陶しいなと、不快に思い始めたとき、見覚えのある背中が見え、ミヤコは足を止めた。

 煌々と灯る明かりの手前に、一人ぽつんと座る煙水中の姿があった。逞しくもなければ華奢でもない背中に、藍染の法被に染め抜かれた《煙水煙火》の文字が揺れている。

 ミヤコはヘルメットを胸に抱き、ライトの電源を切ってから、煙水中に歩み寄った。

 煙水中は花火搬入用の木箱を引っくり返した上に、胡坐を掻いて座っていた。折った膝の上に肘を置き、頬杖をつきながら無表情で灰色の空を眺めていた。ミヤコは隣に置かれたもう一つの木箱に腰掛け、ヘルメットを膝の上に置いて煙水中を睨み付ける。

 仕事サボんじゃねえよ、花火師だろ、てめえ。

 煙水中は、抑揚のない声音で返した。

「人聞きの悪いことを言うな。今年の現場は終治郎に八分ほど任せた。だから、今年の俺の仕事は、兄貴の指示待ちだ」

 腹で思ってることに返事すんじゃねえよ、ばか!

 煙水中は灰色の空を仰ぎながら続けた。

「あと、ハンカチを持てよ。作業着の袖で涙を拭って、機械油やら鉄片やらが目に入ったって知らんぞ。あと、トイレ行くって言って強がって一人でベソベソ泣くのも、止めたほうがいい。トイレって言って、長い間、帰ってこなかったら、大きいほうと間違えられる」

 だから、アタシを見もしねえのに、アタシの行動を当てんなって! なんだよ、分かったような口、ききやがって!

 アタシはな、嫌なんだよ、感動の涙とか、そういう沁みったれたのはっ! グチグチ言いやがって、てめえは小姑か、辻村か! そのために終治郎に頼んで、ここまでアタシを来させたのか? ハンカチ持ってなくて、悪かったな! トイレって嘘ついて、一人でベソベソしちゃあ悪ぃかよ! 本当は、お前に聞きたいことがあったけど、もういいや!

 脚に力を入れて立ち上がろうとするミヤコに、煙水中は手を伸ばした。大きな掌でミヤコの髪の毛をぐしゃぐしゃと撫で、杭を打つようにして、ポンポンとミヤコの頭を叩いて座らせた。煙水中は首に巻いたタオルをミヤコに渡し、凹凸の無い声音で語り掛ける。

「悪いこたぁ無い。お前が聞きたいことに、俺は答える。まずは涙と鼻水を拭け。タオルはくれてやる」

 …お前さ、もう、なんつうか、そ、そういうのやめろ。うおおおお、ってなるから止めろ。こう、心臓がモゾモゾして、ムラムラッとして、ハァハァするから、読むな、とにかく、心読むな。

 ミヤコはヘルメットの顎紐を掴み、ブンと振り回して煙水中の背中を叩いた。

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 ミヤコは煙水花火商会と印刷されたタオルでカッと紅潮した頬をごしごしと擦り、潤んだ目を向けて煙水中に聞いた。

「中さぁ、お前、本当は超能力者なのか? お前は、アタシが来ることも分かってたし、鎌倉だって山頂広場に行って戻ってきてから、急におかしくなって歌い始めたんだ。鎌倉に、なんか、歌いたくなる呪文をかけたんじゃないのか? なあ、どうなんだよ!」

 どうなんだよと聞かれても、俺は超能力や呪文や魔法の類は信じていない。しかも「本当」と証明するには比較対象の「嘘」が存在しなくてはならないが、超能力自体が胡乱なものだから、その証明自体が難しいぜ。

 煙水中は欠伸を噛み殺しながら、視線を空からミヤコへと向けた。前方からの明かりを右半身に浴びたミヤコは、返答を期待して、一杯に見開いた目をキラキラと輝かせていた。

 今、泣いた烏が、もう笑ってら。

 煙水中は億劫な口調で、ミヤコに説明した。

「死んだ俺の親父は将棋が得意で、俺は鼻水くっ垂らしてるガキの頃から、相手の手の先の先の先を、常に読めって教えられてきた。それだけだ。鎌倉さんもきっと同じで、ガキの頃に染み付いたなにかが、転んで頭の打ちどころが悪かった関係で、どういうわけか引っくり返って、歌いたくなったんだろうさ。俺は知らん」

 それに、お前に鎌倉さんの過去が借金で云々と説明したって、どうなるわけでもない。情に厚いお前のことだから、きっと、鎌倉さんにやけに気を使って、気持ち悪がられるぜ。

 世の中には知らないほうがいいことのほうが多い。だから、俺は鎌倉さんの過去についてはなにも話さねえよ。と、言っても、墓まで持ってくほどの重大機密でもないけどな。

 鎌倉さんだって、お前が聞いたところで、どうせ本当のことは話さないだろよ。

 途端にミヤコの表情がぶすっと曇り、眉間に皺が寄り、口の先が尖った。

「じゃ、次の質問!」

煙水中は浅く頷き、ミヤコの質問に耳を傾けた。ミヤコは聞く。

「サイラスって、誰だ?」

 煙水中は答えた。

「さぁ、俺は知らん」

 俺がサイラスの存在を今まで黙っていたことを知ったら、お前は激怒して、ついでにサイラスに同情して号泣して、収拾がつかなくなるから、俺は知らない振りをさせてもらう。

 どちらにしろ、少しすれば、サイラスのことは分かる。鎌倉さんとアイロン・ワークスは、俺や辻村の見込みだと、近い未来、有名になるからな。

 とりあえず、明日の朝にでも、辻村が動画サイトに今日のライブの映像を投稿するだろう。バンドという《物体》がバンド活動という《斜面》を転がるのは、そこを始点に始まるんだ。あっという間に転がるか、あらぬ方向に逸れるかは、本当に知らん。

 それでもって、近い未来、お前は、サイラスの事実を誰かの口から自然と聞いて、俺に激怒する。そのときは、焼き肉でも奢って謝るさ。

 頬を膨らませて唸っているミヤコに、煙水中は聞く。

「他には?」

 ミヤコは黙ったまま、ツンと上を向いて煙水中を横目で睨み付けた。肌にビリビリと視線を感じ、煙水中は肩を竦めた。

 怒るなよ。お前がそうなのかと納得するだけで、棚から焼き肉だぜ?

 ミヤコは眉間に深い皺を寄せ、人差し指を一本、ひょいっと立てて煙水中に向けて、宣言した。

「最後に一つ!」

 なんだ、もう最後の一つか。聞きたいことが山ほどありそうな雰囲気だったらから、ある程度の量の嘘や言い訳は用意しておいたんだが、杞憂だったか。

 煙水中は首を傾げ、胸の前で腕を組んだ。ミヤコは勢いよく突き出した人差し指とは逆に、しおらしく俯くと、口の先を尖らせてボソボソと聞いた。

「お前さ、飛行機を飛ばすために、花火の特別席、鎌倉に渡しただろ。その……大丈夫なのかよ。長太郎とか、市役所の奴らとかには、怒られなかったのかよ」

 ああ、そのことか。お前のことだから、訳の分からない質問をして食い下がるのかと思った。なんだ、心配してくれてるのか?

 煙水中は腕を組んだままま、視線を伏せ、小さく唸った。しばらくして、再び空を仰ぎ見ると、ゆっくりとミヤコに向き直った。右腕で頭の上に緩やかな弧を描き、説明する。

「言い方は悪いが、馬の前に人参をぶら下げると、よく走るっていうだろ? 俺はずっと、胡散臭いと思っていたが、今日、それを本当だということ確信した。たとえ、その人参が偽物でも、な」

 ミヤコのツンと尖った鼻からドッと鼻水が垂れ、「ほええ?」と口から素っ頓狂な声が漏れた。

 ありゃあな、鎌倉さんを舞殿前までおびき寄せるための偽物だよ。

 いや、世の中ってのは便利になったもんだ。パソコンさえあれば、大抵のことは、やれちまう。花火の打ち上げだって、今はコンピューター制御で、パソコン一台で数万発を管理しちまうんだ。今に花火師なんてもんは絶滅するな、この調子だと。

 煙水中は俯き、ヘルメットのライトで腕時計を照らし、時刻を確認しながら続けた。

「俺は、あの人が、アイロン・ワークスを放っておけずに、花火が上がっている間、ずっとステージに上がっているほうに、賭けたんだよ。鎌倉さんは、そういう人だ」

 煙水中は自分の鼻を指で差し、ミヤコに鼻水が垂れていることを伝えた。ミヤコはタオルでごしごしと鼻水を拭いて、強い口調で聞いた。

「鎌倉がステージに上がらなかったら、どうしてたんだよ!」

 そうだなぁ。

 煙水中はミヤコに視線を向け、スッと人差し指で夜空を差した。

 ドン! と地面が跳ねた瞬間、なにもなかった夜空が太陽が昇ったように明るくなった。

 金と銀色が綯い交ぜになった火花が巨大な球を作り、《スター・マイン》が次々に咲いた。《スター・マイン》は次々と重力に挑み、大輪の花を咲かせると、重力に従い、深い闇の中に飲まれていく。

 煙水中は煙の流れる方向で風を読む。通信機で煙水終治郎に連絡し、花火の燃えカスが落下してくる方角に、人が侵入していないか注意するように指示を出した。

 口を開け、膝に抱えたヘルメットをギュッと抱え込みながら、パチパチと花火に拍手を送るミヤコの頭に、煙水中は自分のヘルメットを取って被せた。

 ミヤコが煙水中に向かって呟いた。

「なあ、花火って本当に、まん丸なんだなぁ」

 煙水中は深く頷いた。

 そうだ。日本の花火は球体なんだ。金持ちも貧乏人も、近くの人も遠くの人も、分け隔てなく、どこでも同じように見えるように。

 だから、鎌倉さんがステージに上がらなかったら、花火はどこから見ても球状なんですよって、花火屋の美学でグダグダ言いわけして、大人しく殴られてたさ。

 ミヤコは思いついたように、体の正面を煙水中に向けた。

「あのさ……」

 なんだ。また最後の質問を思いついたのか。まあ、いい、時間は少し余裕が……んん?

 ミヤコは右手を伸ばし、煙水中の頭をぐしゃぐしゃと不器用に撫で、左手も伸ばし、両手で頭をグシャグシャと挟み込んだ。突然のミヤコの行動に、煙水中はされるがまま、ずれる眼鏡を人差し指で押し上げる。

 あのな、俺は犬じゃないんだ、いきなり撫で回して、どういうつもりだ、お前は。

 ミヤコは撫でる両手を止め、煙水中の目をじっと捉えて言葉を放った。

「忘れてた! ステージの片付けだ!」

 ミヤコの言葉に、煙水中は言い返そうと思っていた全てと呼吸を忘れた。吹き飛んだ言葉を掻き集め、なにか言おうと口を開けたときには、すでに大声で笑っていた。

 全く、なにかと思えば、そういうことか。

 そうだよな、片付けだ。片付けが残ってた。工業の基礎は片付けだ。お前は、正しい。

 ミヤコは立ち上がり、腹を抱えて大笑いする煙水中の両手を握り、グイッと引っ張った。 「なに笑ってんだ! 熔接したステージを、今度は熔断しなくちゃならねえんだぞ!」

 分かってるさ。またあのクソ暑い状況で、バカみたく水を飲みながら、熔ける鉄と睨み合い、火花と我慢比べだ。そんでもって熔断したステージを、今度は小学校まで熔接しに行くんだろ、俺たちは。

 てめえの一番好きなロックンロールを、魂と一緒に引っ提げて。

 煙水中は立ち上がり、腹の底から湧き出る笑いをぐぐっと飲み込んで、ミヤコの手を握り返した。花火が打ち上がる夜空に向かって、抑揚のある声音で歌うように言い放つ。

「行こう。ロックンガール!」

「なんだそれ、ダッセエ!」

 ミヤコは、ニッと頬笑みながら言い返すと、煙水中の手を振りほどき、闇の中へ。

 煙水中は再び大笑いしながら、地面に転がったヘルメットを被り、ミヤコの背中を追い掛けた。

                                       了


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熔接×熔断×ロックンガール swenbay @swenbay

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