第21話、批評と指標の葛藤

 演奏会も来週に迫った、ある日。

 見慣れないブレザーの制服を着た他校の女子生徒が、練習を見学に来ていた。

 テナーの河合の、中学時代の同級生という事らしい。

 合奏室の片隅に座り、じっと練習を聴いている。


 練習後、河合が彼女の所へ行き、話しかけた。

「 美由紀、お疲れ様。 今日は練習、終りよ。 帰りに、何か食べてく? 」

「 そうね・・ あ、でも、今日はレッスンの日だから、また今度ね 」

 杏子も近付き、声をかけた。

「 レッスンを受けてるの? あなた 」

「 あ、はい。 中学の時から。 あ、今日は有難うございました 」

 そう言うと、彼女は杏子にお辞儀をした。

 杏子は言った。

「 ハーモニックスもオーケストレーションも、まだまだ・・! 全然、と言った方が良いかもしれないわね。 勉強にはならなかったでしょう? 」

「 いえ、そんな事はないです。 皆さん、とても元気に発音してるし・・・ でも、木管のピッチ、揃えた方がいいですよ? 金管の発音も、アタックが気になりました。 テヌートの際のもたつきが、今後の課題ですね。 特に、トロンボーン。・・あと、パーカスは、基本打ちのトレーニング不足ですね 」

 杏子は、笑いながら答えた。

「 手厳しい指摘、有難うね 」

「 金管の中音域の音量が、圧倒的に足りません。 それと、最後の曲のレント。 少し、早過ぎません? もっとゆっくりのテンポの方が、叙情的に聴こえると思います。 転調前のグラディオーソも、終章のアラルガンドも、速いですよ 」

 杏子は、指摘する声が部員たちに聞こえないように、彼女を、それとなく廊下へと導いた。

「 その辺も、検討課題ね・・ あなたの学校の演奏会は、いつかしら? 」

 彼女は、きっぱりと答えた。

「 ウチは、今年こそ支部大会制覇、という目標を達成する為に、必死なんです。 そんな事に割く時間、ないですよ 」

「 そう・・ 大変ね。 今度の本大会で代表になれば、全国ね。 頑張ってね! 」

「 有難うございます。 では、失礼します 」

 河合にも軽く手を振ると、彼女は階段を降りて行った。


 杏子・河合、共に、何となく2人して、小さなため息をつく・・・


「 ・・あの子、知ってる。 立誠大 明徳女学園の松尾 美由紀でしょ? アルト吹きで、去年のソロコンで最優賞を取った子ね・・! 」


 杏子と河合が、その声に振り返ると、合奏室の入り口脇で柱に寄り掛かり、香野が腕組みをしながら立っていた。 表情は、明らかに不機嫌そうである。

 河合が手を合わせ、申しわけなさそうに言った。

「 ゴメン、由美・・! 杏子先生も、気、悪くしたでしょ? イキナリ、あんなコト言われて・・! 」

 彼女が降りて行った階段を、のぞき込むようにして見た香野は、腕組みをしたまま答えた。

「 ・・ちょ~っと、ムカついたけどね。 ま、言いたい人には、言わしておけばいいのよ・・! あたしは、今のままで、充分に楽しいもん。 ・・杏子先生だって、あの子が言ったコトなんか、気にしてないでしょ? レントの速さだって、あたしたちの今の技術で遅くしたら、息が続かないから、速くしてるんでしょ? 勉強不足の団員指揮や、学生指揮者によくあるじゃん。 感動的にしようとして、思っきし遅くしたり、リットを掛け過ぎたり・・ 息が切れて、音がブチブチになっちゃう。 ウチみたいに、技術的にもまだまだってトコは、余計にアラが目立っちゃうよ。 あの子、そこまで考えてないんだもん 」

 香野は腕組みをしたまま、更に続けた。

「 『 中音域の音量が、圧倒的に足りない 』だって? あったりまえじゃん! 21人しかいないんだから。 合奏中、いったいドコ見てたの? あの子・・! 知った風な言い方して・・・! 」

 杏子は、少し笑うと、指先で頭をかきながら答えた。

「 まあ、河合さんが卑屈になる必要はないわ。 あの子・・ 松尾さん、って言ったっけ? 悪気があって言ったワケじゃないと思うの。 アドバイスのつもりなのよ 」

 それでも河合は、申しわけなさそうである。

「 ・・要らん、おせっかいだよね・・? アレさえなけりゃ、いい子なんだケドなあ・・ 」

「 どうして今日、来たの? 」

 杏子が聞いた。

「 この前・・ 卒業以来かな?  駅で、久し振りにバッタリ会ったの。 あたしが、楽しくブラス続けてるよ? って言ったら、見学に行くって言うから・・ 」

 香野が、制服のスカーフをいじりながら言った。

「 演奏会で、プログラムにアンケートが、よく入ってるでしょ? アレに、指摘事項をびっしり書き込む人、いるじゃん? あの子は、その典型的なタイプね。 いつも、名前入りで書いてるから有名よ? 曲の練習番号も書いて、いちいち事細かく指摘すんの。 そんなん、部員や団員の人が読んで、嬉しいと思う? お世辞でもいいから『 楽しかったです 』 って書いておくのが、社交辞令ってモンでしょ? それを、ピッチがどうの、アーティキュレーションがどうのって・・ そんな基本的なコト、演奏してる自分たちが、一番良く分かってるって・・! 」

「 由美、やっぱ怒ってるぅ~・・! 美由紀・・ 演奏会にも来る気みたいだし・・ あ~ん、どうしよう・・ みんなにも、ヤ~な気、させちゃうんだろなあ・・! 」

 心配気に言った河合に、杏子は、笑いながら答えた。

「 まだ、ホントに来るか判らないし、アンケートに、ムカつく事を書くとも限らないじゃないの。 とりあえず、第3者の意見は聞くものよ? 」

 河合が提案した。

「 あまりに刺激的かつ、攻撃的なアンケート内容だったら・・ 最初に閲覧する杏子先生が、抜いちゃってね・・! 」

「 ダメよ、そんなの。 せっかく書いてくれたんだもの。 有り難く拝見させてもらうわ 」

 香野が付け足した。

「 技術が足りないから、OBに頼んでプロを呼んだ演奏会など、笑止千万! ・・な~んてコト、事情を知らないあの子なら、書きかねないわよ? 杏子先生 」

 杏子は、しばらく考えると答えた。

「 ・・そこまで言われたら、あたしだって黙ってないわよ? 丁重なお返事と、ご挨拶を兼ねて、一筆、申し上げなきゃ・・! 」

「 あ~ん、杏子先生もコワイ~ どうしよう、由美い~っ・・ 」

「 アンタが悩んで、どうすんのよ。 あの子がびっくりするような演奏、聴かせりゃイイでしょ? 」

「 だって、美由紀の行ってる学校、松蔭学院に並ぶ、吹奏楽の有名校よ? 演奏技術で負かすなんて、普通にムリよぉ~ 」

「 音楽は、技術じゃないって・・! どれだけ感動を伝える事が出来るか・・ どれだけお客さんの前で、ノッて吹けるかよ? 今度のウチの演奏会には、戸田さんのバンドとの、合同ステージがあるのよ? みんなでノリまくって、楽しく演奏すれば・・ そうそうヘタは書かれないと思うわ。 だってポップスに関しては、あの子にも、そんなに経験がないはずだもん・・! 」

「 いい事言うわね、香野さん・・! 音楽の意義に関しては、それぞれ演奏する奏者によって違うから、一概には言えないケド・・ 少なくともウチは、そのスタンスに重要性を置いた解釈をして、みんな練習活動してると思うわ 」

 香野は、続けた。

「 ウチは、ウチの演奏をすりゃ、いいの・・! どう思うかは、その人次第よ 」

 そう言うと、香野は、河合の肩をポンと叩いた。

 足元に視線を落とし、ポツリと呟く河合。

「 上手な演奏をしたい、っていうのは、美由紀も同じなんだけどなあ・・ 」

 同級生でもある河合は、何とか、松尾との合意点を見出したいようである。

 杏子は言った。

「 それは、誰しも同じよ? そこに辿り付くまでの道のりと方法は、色々あるってコトなの。 どれを選ぶかは、個人の意志や所属した楽団のやり方によって違って来るのよ。 松尾さんは、あたしたちとはちょっと違う道から、ゴールを目指してるってワケ。 楽しみ方も千差万別なんだから、基本的には、お互い、その楽しみ方や活動方針をけなす事は出来ないんだけど・・ アドバイスの範囲を超えて、指摘事項・・ 批評として、それをやっちゃうから、みんなアタマ来ちゃうのね 」

 香野も、杏子の話に付け足した。

「 あの子は、その辺がよく理解出来てないのよ。 進む道は、自分がいる道が最適だと思ってるから、他を誘おうとしてると思うの。 いわば、親切心かもしれないね? 」

 杏子が言った。

「 香野さん、大人ねえ~ 高校時代のあたしだったら、実際、キレまくってた所だわ 」

 香野は、小さく笑うと、杏子をチラッと見ながら答えた。

「 あたしは、この部活入って、変わったの。 楽しく吹いて行くコトに決めたんだから・・! 大体、杏子先生が、そういう発想だし・・ 」

 河合の方を向き直ると、香野は続けた。

「 あの子見てると、あたしの中学時代と同じなの。 でも、あの子なりに満足してるんだから、それでいいんじゃない? そういう、シビアに音楽と向き合う、という楽しみ方もあるんだし・・・ もっとも、楽しんでいるかどうかは、分からないケドね 」

 何だか難しい話しになり、河合は戸惑っていた。

「 要するに・・ 気にするな、ってコト? 」

 杏子が答える。

「 そうね。 ウチには、ウチのやり方があるって事よ・・! 」

 河合は、納得したようである。

「 うん、分かった。 大体、美由紀の学校の部員数とウチじゃ、比較にならないもんね 」

 香野が言った。

「 戸田さんのバンドの演奏、聴いたでしょ? たった4人で、あれだけの演奏すんのよ? 人数じゃないって・・! ウチは、この限られた人数で、やれるだけの演奏を、精一杯やればいいのよ・・! 」

 合奏室のドアを開けて、片付けが終わった部員たちが出て来た。

「 ん? こんなトコで、なに語ってんの? 」

 アルトの前島が聞いた。 ・・どうやら美由紀の指摘発言は、部員たちには聞こえていなかったようである。

 香野が、笑いながら答えた。

「 裕香のアルトソロも、入れてもらおうかな~? なんて思ってね 」

「 やあ~ん、ヤメてよぉ~! マジでぇ~! 」


 演奏会、1週間前。

 いよいよ本番が、目の前に迫って来ていた・・・!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る