第15話、マイノリティー・オピニオン

 7月下旬から、8月・・・

 吹奏楽の世界では、コンクールの真っ最中だ。

 わずか、10分少々の持ち時間の中で、半年間に練習してきた成果を発表する。

 それぞれに、金賞・銀賞・銅賞が授与され、金賞の評価を受けた団体の中から、県大会・支部大会、最終的には、全国大会への切符が渡される。


 金賞を受けても、上の大会へ行けなかった事を『 ダメ金 』と言う。

 ・・何とも無節操な響きだ。

 金賞を取ったのに『 ダメ 』なのである。

 つまり、金賞を取る事よりも『 大切 』な事が、その言葉には含まれているのだ。

 上の大会へ進めない、という意味が・・・


 聴衆に演奏を聴いてもらい、音楽を通じてのメッセージを交感する事には意義を見出さず、単に、上級の賞を獲得する事のみに終始する方向性・・・

 まあ、全てがその意味合いを持つとは限らないが、向こう回しに説いてみたところで、解釈に大きな違いは無いだろう。

 賞を取る為に、出場メンバーを削ったり、ウケの良い曲を選曲したり・・・


 本来、演奏当日までの、練習の課程こそ評価されるべきなのに、審査員たちは、そんなところまでは当然、評価はしてくれない。

 当日の演奏状況に対する審査結果のはずなのに、賞の色違いだけで、全てが、『 それまでの道のり 』の評価とされる・・・


 演奏当日、たまたま体調不良だった者もいるだろう。

 いつもミスしない所なのに、偶然、その日に限って、カン違いした者もいる事だろう。

「 頑張ったんだから、いいじゃん。 気にしないで 」

 どんな慰めも、後悔の念に押し固められている本人の悔しさを、完全に払拭する事は出来ない。 それは、どんな演奏の機会であっても同じ事だと思われるが、コンクールには、一種独特な後味が残る。


 コンクールとは、いつの間にか掛けられた催眠術のようなものだ。

 参加したほとんどの団体が、とにかく『 上 』を見る事しか考えない。

 未来的な意思の疎通など、眼中に無いのだ。


 とある吹奏楽名門校での話しだが、その学校では、1年生で入部した時から、3年生になった時のコンクールで演奏する自由曲の練習をするのだそうだ。 つまり、同じ曲を3年間、練習するワケである。 まるで、義務であるかのように・・・

 その3年間の練習の目標は、『 良い結果 』以外、何もないのだろう・・・


 また、こんな話もある。

 全国大会で、プロ顔負けのソロ演奏をし、金賞を取った学校の部員たち数人に、ある簡単な譜面を渡したところ、誰でも知っている歌謡曲だったにも関わらず、その部員たちは、一切、吹くことが出来なかったそうである。

 プロが吹いた旋律を、音の強弱・ブレス位置・リット状況・・・ 全てを、寸分違えずコピー演奏する練習を続けたが為に、読譜力が極端に落ちてしまったのだ。


 確かに、その曲の中では、素晴らしい演奏となっただろう。

 しかし、卒業して他の団体に所属すれば、当然、色んな曲との遭遇がある。 この先、演奏活動を続けていくのであれば、今までに費やした年数以上に、これからの演奏活動の歳月が存在する。 読譜力の低下は、今後の演奏活動において、大きな障害となって来る事は、言うまでもない。

 コンクールの結果で『 いい思い 』をしただけに、その評価に値する、当然あって然りとされる演奏技術準の会得には、言葉では言い表せない努力が必要となって来る事だろう。 自暴自棄になり、その後、音楽を辞めてしまった部員も何人かいる。


 コピー演奏の、最たる末路である・・・


 この部員は、コンクールで賞を取る為の、単なる『 駒 』になってしまっていたのだ。 部員自身も、指導者も気が付かないうちに・・・


 演奏の表情にしても、同じような事が言える。

 必ず、デモテープを聴き、その通りの演奏を試みる指導者がいるのだ。


 ・・心から尊敬する人がいるように、目指す音楽の指標は、あった方がいい。

 でも、大切なのは、尊敬する人を自分なりの創作意欲で越える事にある。

 他団体や、プロの演奏コピーを忠実に再現するのではなく、自分たちの演奏を心掛ける事に、音楽活動本来の理念は存在するのだ。

 それを表現するには、コンクールは、ある意味、小さ過ぎるのかもしれない。 ・・いや、カン違いをしやすいと表現した方が良いだろう。


 コンクールに出場する事自体は、何も問題ないのだ。 むしろ、経験として、1度は出場してみるべきであろう。 しかし、出場するにあたり、気が進まないと言ったような、奏者に啓発の意志が沸いてこない場合、その選択には、一考の余地があると考えられる。


 仲間と共に、『 音 』を『 楽しむ 』。 それが、『 音楽 』でなくてはならない。


 これは、全ての音楽演奏に通じるものでもあると信じる。 しかし、吹奏楽の場合、これから育っていく若い世代が気軽に経験する事が出来るが為に、尚更、その意味合いの解釈を理解しておかなければならない。


 合奏の基本的概念とは・・・?


 そこには、協調性の存在がある。

 皆で協力し合い、各パートが集まり、一つの曲を完成させる・・・

 それが合奏であり、演奏なのだ。

 互いに、意見の相違や音楽性の違いから相手を受け入れず、いがみ合ってばかりいる奏者を何人集めても、良い演奏は絶対に出来ない。

 音楽は、感情を表現する意志の伝達手段でもある。 奏者同士のいがみ合いは、そのまま聴衆に『 不協和音 』として伝わる事だろう。


「 あの人の音色は、気に入らない 」

「 音程が合わなくて、吹き難い 」

 発言者に悪意は無くとも、決して団員・部員の皆には、公にして言ってはいけない発言である。

 ならば、自分は、万人に受け入れられる音色を発しているのか?

 ピッチを合わせる技術を持ち合わせていない事を棚に上げ、他人のせいにしてはいないか?

 音程などは、チューナーで確認出来る。 発言より、実質的なメーター目視の方が、本人の自己啓発を促す事にもつながる。

 音色は、それこそ十人十色。

 自身の嗜好に、相手をはめ込もうとしてはいけないのである。


 長年、楽団に所属していると、よくこんな話を聞く事がある。

「 あの人と一緒に演奏していると、自分が下手になったように聴こえる 」

「 あの楽団にいると、自分が下手になって行くような気がする 」

「 演奏法・指導内容などを注進すると、高飛車的に思われるので嫌だ。 演奏を辞退、もしくは楽団を退団したい 」

 3つ目などは、結果的に争いを避ける形を選択している訳ではあるが、それが本当に、最適な判断と言えるのだろうか・・?

 これは、1つの意見ではあるが・・ 相手に意見するのではなく、自分の演奏力をもって、無言のうちに皆をリードしていけば良いのでは?

 その場を去る事など、一番簡単な方法だ。 おそらく、その後、他の演奏の機会でも、ただ去るだけで、『 仲間 』に対しては、何の助言も残していかないと思われる。

 それでは、あまりに寂しい・・・


 実際、楽団の成長には、かなりの時間を要する。 技術力を持った奏者を集めればそうでもないが、それでは成長ではなく、単なる『 増強 』だ。 奏者同士の音楽性の違いなどから、解散に至る経緯は、むしろ、早まる場合が多い。

 まあ、何を持って音楽の楽しみを感じるのかは人それぞれだが、『 不揃い 』でも良いから、ゆっくりと成長していく過程に立ち会える事が、何より楽しいと思える。

 あえて、劇的な上達は望まないのだ。 楽しみは、永い方が良いに決まっている。


 演奏技術の差・・・

 スクールバンド( 部活 )でも、アマチュアの一般バンドでも、団員の年齢・演奏歴は様々。 スクールバンドですら、1年生と3年生とでは、2年の差がある。

 当然、ある程度の演奏技術を持った者は、初心者のメンバーに対して、物足りなさを感じる事が多いだろう。

 初心者ではなくとも、演奏技術・音質は、人それぞれの違いがある。 自分の気に入らない音色・演奏に遭遇する事は多々ある事なのだ。

 また、練習法に対しても、それなりの要望を持つに違いない。


 ・・だが、思い出して欲しい。


 自分だって、最初は『 初心者 』だったのだ。 先輩たちに『 迷惑 』を掛けていたはずである。 いつから自分の演奏技術に自信を持ったのかは知らないが、今、自分を主点にした視野に立ち、後輩への指導をないがしろにしての、上記の発言・行動・・・

 自分が思い描く演奏にならず、イライラするのは、己の演奏意識が未だ発展途上である以外、何ものでもない。 特に、アマチュアの世界では・・・


 実際、本当に『 腕 』のある者は、どんな状況下においても、『 それなりに吹く 』事が出来る。 テンポ、音質の違い、独特なアーティキュレーション、指揮者の振り方から、更には楽団の雰囲気、奏者の音楽的解釈の差異に至るまで、自分のフラストレーションを押さえ込み、瞬時に周りに合わせて、吹き切る。

 まあ、自分にピッタリと合った雰囲気・演奏レベルの楽団は、中々に巡り会えないのが現実だ。 ここにも、先に記した『 協調性 』が必要となって来る訳である。


 一般バンドを例にとってみるならば、個々の団員の演奏技術に凸凹があるから楽しいのだ。

 あえて上手・下手とは言わない。 凸凹なのである。

 この凸凹は、長い年月をかけて差が縮まる。 その年月を、大いなる目で見つめていられるか、否か・・ だ。

 長い年月を共にしていれば、初心者の者も、自分の音色・音程・吹き方の違和感に気付くものである。 初心者なりに切磋琢磨する。 特異な音色・吹き方をしていた者も、いつしか、その所属する楽団の 『 音 』 に不思議と溶け込んでいくような音色・演奏法へと変化する。 その 『 わずかな成長 』 こそが、団の成長であり、進歩なのだ。

 この『 変化 』は、オーケストラより、吹奏楽の楽団に見られる事が多い。


 もう1つ、楽団内の『 不協和音 』に至る、実質的な例を挙げておこう。


「 フルート、その音程、何とかならない? 」

「 クラ、そのリズム、違うでしょ? 」


 実は、こういった発言も、部員・団員からは、出来ればしない方が良い。 他のパートの指摘をする場合、どうしても『 個人攻撃 』になってしまうからだ。 指摘されたパートの団員たちも、決して良い気持ちにはなれない。


 指摘は、指導と同じ事である。


 つまり、指導者( 指揮者 )からコメントされるのが一番、最善なのである。 指導者に伝え、指導者の口から指摘してもらうようにするべきだろう。

 本人は、良かれと思って指摘したつもりでも、陰で『 ムカつくヤツ 』と思われている。

 団内・部内の不協和音は、こんな些細な事から響きを始めるのだ。



 吹奏楽部・吹奏楽団の円滑な運営要点として、『 指導者 ( 指揮者 )』が周知しておくべき、吹奏楽の基本的概念と言うものがある。


 近代、吹奏楽は、クラシック音楽の奏法に近い、シンフォニックな演奏に移行しつつある。 コンクールは、特にその趣向が強い。 指導者も、クラシック愛好派が多いのも事実だ。

 しかし、吹奏楽をやるのであれば、その嗜好も譲歩しなくてはならないだろう。

 ポップス・ジャズ・歌謡曲から、マーチ・ラテン・民謡・演歌・唱歌に至るまで、吹奏楽の守備範囲は、限りなく広い。 全ての音楽コンテンツに対して、最低限の理解と勉強が必要とされる。 自分の好きなジャンルだけに浸っていては、吹奏楽は出来ないのだ。

 演奏技術などの音楽性も、さることながら、まずは、広く浅く興味を示す事に、吹奏楽の基本的概念は存在するだろう。 苦手だからと言って、クラシック以外の曲に興味を示さない奏者や指導者は、基本的には、吹奏楽には向かない。 いずれ、奏者同士の意見衝突に遭遇する。


 指導者の場合、楽譜の初見の時に、その影響は極度に現われる。

 初見であるにも関わらず、アレンジ・オリジナルの曲に関しては、最初から各セクション・小節に、細かい指示を出す。

 反対に、よく分からないポップス系の曲に関しては、インテンポに近い指揮で、

最初から最後まで、一通り流して、切り上げてしまう。


 しかし、現実的には、かなりのそういった『 嗜好要素保持奏者 』や指導者が、吹奏楽の世界には多く存在するのも事実である。 本人も気付かないうちに、吹奏楽をオーケストラの『 代用品 』と考えてしまっているのだ。 従って、やたらとオーケストラの習慣や、やり方を持ち込みたがる。

 コンサートマスター、ミストレスへの花束贈呈や、偏ったクラシックアレンジの選曲。 ポップス演奏における、指揮者絶対論。 過剰なエキストラの導入・・・ 『 乗る 』『 おり番 』などの、オーケーストラ用語が飛び交い、『 オケ吹き 』だの『 ブラス吹き 』だの、やたらウンチクが多いのも、その特徴である。


 統計的に、吹奏楽で育った奏者は、比較的、ポップス志向になる。

 オーケストラの経験がなく、吹奏楽のみで育ったにも関わらず、ポップス志向でない奏者は、基本的には、オーケストラ向きなのかもしれない。


 ポップス志向に傾く奏者は、根底に、楽しく演奏したいという基本意識が先立つと言われている。

 逆に、クラシック志向の奏者は、その曲の持つ雰囲気を表現しようとする意識が、何よりも先に、優先するのだそうだ。

 演奏後、

「 テンポ、速くなったけど、それなりに楽しかったね 」

 という感想を述べるブラス派に対して、オケ派は、

「 あそこで、ホルンが落ちた。 自分も、テンポが悪くて、イマイチ 」

 と、頭の中で描いていた最高の出来栄えの演奏と比較する。

 どちらの意見、感想も、悪い事ではない。

 しかし、あえて吹奏楽というジャンルで活動するのであれば、その本質や嗜好を理解しておかなくてはならないだろう。


 ここで更に、特記しておくべき観点がある。

 吹奏楽の為に作曲された楽曲コンテンツに、『 オリジナル 』と言われるカテゴリが存在するが、注目すべきは、その作曲者である。


 外国の作曲者による作曲・・ いわゆる『 洋モノ 』と、日本人作曲家による作曲『 邦人作品 』だ。

 

 どちらも面白い。

 だが、クラシックに傾倒した指導者は、基本的に『 洋モノ 』を演奏したがる。 クラシックは欧米発祥のものであるし、そちらを好むのは仕方の無い事だとは思うが、『 邦人作品 』を毛嫌いするのは避けた方が良いだろう。

 演奏しているのは、ほぼ『 日本人 』である。

 当たり前の事実だが、その当たり前の事実に隠された『 事実 』を、今一度、認知するべきである。


 日本には、日本独特の感性があり、古より培って来た『 演奏法 』なるものが存在する。

 拍子木の叩き方に代表されるように、一撃目の後、急速にテンポを落とし、徐々にテンポUP&クレッシェンド。 最後に、急激なリタルダンド。 最終的なテンポ表現は『 リテヌート 』とも違い、表記・表現共に苦しむが、日本人なら何となく理解し、演奏してしまう・・・

 邦人曲が、欧米の初演で絶賛される理由は、ここにある。

 楽曲のあちこちに、こう言った独特な演奏が必要とされる旋律が網羅されており、クラシックには、絶対あり得ない演奏表現なのだ。

 その演奏技術会得が、絶対に必要か否かは判断する者によって変化すると思われるが、少なくとも、経験・会得しておくべき演奏法である事は、間違いの無い事実だ。

 『 洋モノ 』ばかりを手掛けて演奏していると、邦人作品曲が指導出来なくなる。


「邦人作品は、ワケ分からない 」


 クラシック愛好指導者・指揮者によくある『 言い訳 』だ。

 実は、旋律をソロで演奏する際、表情を込めて演奏出来るようになる『 きっかけ 』が、この日本独特の和楽にある。 これは、来日した著名な指揮者のインタビューの中でも紹介されていた。 自然に理解する日本人奏者の、有能さをも称えていたが、吹奏楽が全国的に盛んな理由は、ここにあるのではないか・・ とさえ思ってしまう事例である。

 つくづく、吹奏楽とは面白いものである。


 吹奏される楽器にも、目を向けてみよう・・・

 吹奏楽のシンフォニック化は、楽器の機種選定にも影響している。

 元々、吹奏楽は、野外でマーチを演奏する金管バンドとして発祥した。 当然、元気よく、明るい音色が必要とされ、演奏者にとっても、吹奏される楽器は、軽い感じの吹奏感が好まれていた。

 しかし、屋内演奏の機会が増え、曲想もクラシック志向に向かうようになった昨今、明るく軽い音質だけでは、演奏する曲に合わなくなって来たのだ。

 トランスクリプション( クラシックを編曲し、吹奏楽用にアレンジした曲 )ではなく、吹奏楽で演奏される事を念頭に置いて作曲されたオリジナル曲は毎年、多数発表されている。

 情緒を込め、感情の起伏を表現しながらの演奏も多くなった為に、吹奏感にも、ある程度の『 抵抗感 』を求められるようになって来ているのだ。

 特に金管楽器は、その影響が濃く、高音・旋律を吹奏するトランペットは、最も変化が著しい

  以前の『 ブラスバンド 』では、イエローブラス仕上げ( 一般に言う、ラッカー仕上げ )が主流であったのに対し、現在の『 シンフォニックバンド 』では、シルバー仕上げ、もしくはレッドブラス( 銅の含有率を増やした、いわゆる赤ベル )のシルバー仕上げが多くなって来ている。 深く、落ち着いた音色が好まれるようになって来ているのだ。

 この辺りは個人の趣味もあり、一概には言えないが、管楽器専門店が販売した吹奏楽器をトータルに見ると、圧倒的にシルバー仕上げの楽器が大多数を占めている。 全国販売の実績を見ても、やはりシルバー仕上げの楽器が多いのが実情である。

 これは余談ではあるが、シルバー仕上げの楽器の方が、ラッカー仕上げの楽器より表面劣化が遅く、ルックス的にも良い状態が長く保てるという利点もある。 つまり、ラッカー仕上げの楽器は、『 ハゲ易い 』のだ。

 管楽器本体の材質である真鍮( しんちゅう )。 これを、磨き上げた状態に保つ為、透明なクリアラッカーを塗布したものがラッカー仕上げである。

 シルバー仕上げとは、このクリアラッカーの上に、銀のメッキを施した仕上げを指す。 つまり、ミクロ単位ではあるが、ラッカー仕上げより、シルバー仕上げの方が、メッキ部分が厚くなるのだ。

 銀は酸化し、黒ずんでは来るが、磨けばまた綺麗になる。 ハゲてしまうラッカーとは違うのだ。

 ミクロ単位とは言え、管体が厚くなれば当然、音の響きは違って来る。 ラッカー仕上げの楽器とシルバー仕上げの楽器の音色の差は、ここから生まれる。 ちなみに、金メッキ仕上げ( ゴールド・プレート )は、このシルバー仕上げの上に施される。 更に管厚が増す訳で、その響きは、ラッカーでは真似の出来ない、上質なまろやかさを持ったものとなる。

 クリアラッカーではなく、銅成分を混入させた、通称、ゴールドラッカー仕上げの楽器も存在する。 近年では、このゴールドラッカーが主流のようだ。

 当然、クリアラッカー仕上げより、ゴールドラッカー仕上げの楽器の方が、音質的には深い音色となる。 つまり、ラッカー仕上げの楽器も、以前に比べると、その音質には明るさが押さえられ、落ち着いた音色となって来ているのだ。


 今現在、マーチを演奏する場合、この音色の明るさの違いに気を付けなければならない事を認識している指揮者は少ない。

 指揮者が育った環境自体、既にゴールドラッカー仕上げの楽器が主流となりつつあった時代なのである。 音質の変化を感じ取る事は不可能であるとも推察出来る。

 クラシックに使用する楽器も、弦楽器を含め、多少の変化はある。 だが、これほどまで大胆に、かつ急激に変化するカテゴリも珍しい。


 ある意味、吹奏楽は、特殊な音楽カテゴリと言えるだろう。 それは、先に記述した通り、全ての音楽ジャンルが、その演奏の対象となるからである。 この事を、よく理解し得ない者は、吹奏楽の指揮台に立つべきではない。 当然、指揮法を学んだだけの指揮者など、論外であろう。

 先に記述したオリジナル曲に関しては、毎年、新たな楽曲が発表されている。 クラシックには、有り得ない事だ。 つまり、吹奏楽は、常に進化するカテゴリなのである。 演奏会にエキストラとして参加する際、オーケストラ( クラシック )の場合は、曲を知ってさえいれば、後は、当日の指揮者の振り方の確認だけで良い。 新曲は発表されないのだから・・・

 ところが吹奏楽の場合、常に新譜が発表される訳であり、『 ゲネプロ1発・本番 』などという事は、『 初見しつつ、本番 』と言う事になる。

 まず無理であろう。 当然、当日の本番までに、何回かの練習参加の必要性が出て来る・・・


 賛助出演者にも、吹奏楽の場合、オーケストラとはこのような相違点があり、賛助をお願いする側、また賛助を依頼された側にも、それなりの心構え・努力が必要となって来る。

 強いて言えば、吹奏楽は『 手間が掛かる 』のだ。

 ただ、何度も練習に参加する為、団員とのコミュニケーションは増える訳であり、音楽を通じた交友の輪・友人としての絆の構築など、吹奏楽で知り合った友との交流は、オーケストラの場合とは一線を画す事が多い。


 当然、吹奏楽を指導する者に至っては、こういった諸事情をも考慮して欲しいものである。 例え、演奏技術のある奏者であっても、本番前日のリハーサルだけで吹奏楽のステージに上がるのは無謀、と心得て頂きたいものだ。

 吹奏楽経験者であれば、たいていの者は、このような諸事情は、自然と認識する。 その上で、指導者自身も理解をしていなくては、奏者との意見の相違を招き、やがては音楽性の疎通不一致にも発展しかねない。

 簡単に記すると・・ 吹奏楽の指揮台に立つべくに相応しい人物とは、音楽的雑学に詳しく、あるいは興味がある者か、もしくは吹奏管楽器 経験者。 この二者しか無い、と信ずる。


 クラシックと、吹奏楽・・・

 両者共に、多くの奏者を必要とするが、その音楽の指向性には、かなりの違いがある。

 極論かつ、私的ではあるが・・・ 各パートに欠員が生じている場合、エキストラを投入してでも補わなければならないのがオーケストラ( クラシック )。

 逆に、欠損パートがあっても、何とか『 やりくり 』していけるのが吹奏楽である。

 この違いをハッキリと認識している奏者は、オーケストラ・吹奏楽、両方の音楽活動を、共に両立する事が出来る。

 だが、ほとんどの奏者は大抵の場合、そのどちらかに比重を置き、音楽活動をしている。 従って、比重の軽い方の楽団にて『 意見の衝突 』が起きるのだ。


 吹奏楽の『 やりくり 』は当然、頭を悩ませる事になる。

 演奏以外の、オプション的な憂い・・・ だが、それらも実は、意外と楽しい。

 長年、吹奏楽を好きでいられる者は、この『 手作り感 』を楽しんでいる風潮がある。



 一生の趣味としての吹奏楽・・・


 歳をとって楽器演奏が困難になったら、練習時はマネージメント、本番ステージでは、裏方スタッフとして参加する手段もある。 つまり、『 合奏に参加しない団員 』だ。

 一般バンドでは、ある意味、そういった団員も必要である。 これも『 手作り感 』を構成する要因の1つになるのかもしれない。

 まあ、私が、その考えを実行に移すのは、もう少し先の事になるだろう・・・

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