第10話、知られざる過去

 フルート、2本。 ピッコロもあるが、総タンポ交換が必要。

 クラリネット、3本。 内、2本は、組み立て中。

 1本は、最近、ネットオークションで、杏子が8千円で購入したもの。

 テナーサックス、1本。 バリトンサックス、1本。 これは、最低音が出にくい。

 トランペット、4本。 内、1本は3番ピストンの上がりが悪い。

 トロンボーン、3本。 内、1本はテナー。 しかも、細管。

 フレンチホルン、3本。 内、フルダブルは2本。 1本はF管。

 ユーフォニウム、1本。 しかし、フロントアクションのもの。

 チューバ、1本。 ロータリーではあるが、3・4番ロータリーが動作不良。

 更には、1番管が、激しく陥没。


 ・・整備し、使えそうな空いている楽器は、これだけである。 あとは、修理に出さないと手に負えない。

 特管としては、オーボエやファゴット、バスクラもあるが、リードが無い。 おそらく、本体の音出しも、不能な状態であると判断される。


 パーカッションに至っては、まともに使えそうなのは、スネア2台とバスドラムくらいだ。

 ティンパニも、ペダル式のS・M・L、手締め式のLLが1台、とスタンダードな4台があるが、ヘッドのリム部が擦り切れていたり、ヘッド打面に凹跡がある。

 ヘッド全体が伸び切っているらしく、ペダル式のモデルに関しては、フットペダルが踏み込めない。 ヘッドの締め過ぎでペダルが固定出来ず、戻って来てしまう状態だ。 ヘッド交換が必要である。


 鍵盤類の損傷は、それほど酷くはないが、スタンド系統の溶接がはずれており、立てる事が出来ない。

 マリンバは無く、グロッケン、シロフォン、ビブラフォンの3台。


 組みシンバルは、18インチが出て来たが、センターホールにトリムが無く、どうやらドラムセットのものに、無理やり手皮を付けたものらしい。

 ジルジャンのシンフォニックトーンがあったはずなのに、どこへ行ってしまったのか・・・ 確か、サスペンド用に、イスタンブールの18インチ・ライドも購入したはずなのだが、それも無い・・・


 杏子は、リストアップした各パートの編成を見て、ため息をついた。

( 修理代、モーレツにかかるなあ・・ 今、稼動出来る楽器は、これだけか。 高井さんと少しずつ直していっても、部品は仕入れなきゃならないし。 工具の要る修理は、やっぱり楽器屋さんに出すしかないわね・・・ )

 今日から打楽器小物と、ドラムセットの整備だ。

 パーカッションは、2人しかいない。 必然的にポップス中心の演奏機会が多くなる事だろう。 そうなれば、ドラムセットの使用頻度が高くなる。 合奏室の片隅に、てんでバラバラに置いてあるドラムセットを、後方の中央にセットし、キチンと組み直す必要がある。

「 ・・よしっ、今日も労働だ 」

 楽器リストの紙を折りたたむと、杏子は自分に言い聞かせるように、独り言を言った。


 部室の前まで来ると、中から数人の声が聞こえる。 最近、出席率が格段に良くなった。 もっとも、活動と言っても、片付けや整理ばかりなのだが、みんな楽しそうにやっている。 今日も、もう何人か来ているようだ。


 ドアのノブに手をかけた杏子の耳に、突然、かなり大きなボリュームに上げた音楽が聴こえて来た。 合奏室の方からである。

( ホルストの第3ね・・! )

 合奏室に備え付けのデッキで、CDでも聴いているらしい。 杏子にとっては懐かしい、想い出深い曲である。

 ドアの外で、しばらく杏子は目を閉じ、当時の・・ あの夏の記憶に、想いを馳せた。


 アクセントを揃えたアーティキュレーション・・!

 完璧なアインザッツを踏破した見事なファンファーレに続き、怒涛のように迫り来る金管低音楽器群のユニゾン。

 ティンパニとバスドラムのロールに導かれ、唸りを上げたサスペンドの頂点にクラッシュシンバルが炸裂する。


 第2楽章のソロも、いい表情だ。 テンポの停滞を感じさせない、優雅な雰囲気に満ちている。

( そうそう・・ ここ少し、リットよ・・ そうね・・ )

 杏子は、指で拍子をとり始めた。

( リップスラーよ、リップスラー・・ 次、飛び出ないで、ホルン聴いて・・ クラの1拍目に、ちょんと置くつもりで・・ あ・・ 大丈夫、大丈夫よ・・! 2小節あとの頭に合わせれば・・ )


 杏子は、はっと目を開けた。

 あの時と同じ、小さなミス。 必死にタクトの先を数えた、あの日の記憶・・・!


「 ・・・・! 」


 杏子は、合奏室に飛び込んだ。

 何と、8人全員がいる。 皆、杏子の方を振り向いた。

 しばらく、その場に立ち止まっていた杏子は、2・3歩、スピーカに寄る。

 今度は、デッキの方へも数歩、夢遊病者のように歩み寄った。


 杏子は、そのまま目を閉じ、じっと流れている音を探り始める。


 星川が、イスから立ち上がると言った。

「 杏子先生・・ 分かるんだ、この音・・・! 」

 天井を仰ぎ、少し目を開けた杏子。 小さく、呻くように答えた。

「 ・・あの時の音よ・・! 私の・・ 私たちの・・・ 」

 そのまま杏子は、音に聴き入った。


 曲は、終章のアラルガンドに入り、ホルンのハイトーンが朗々と響き渡る中、あのファンファーレのワンフレーズが再度、高らかに吹奏され、全楽器の長いフェルマータが、ピアノからフォルティシモへ、見事なハーモニーを奏でながら盛り上がって行く。

 そのあとを追うように上がって来た、サスペンドとティンパニ、バスドラムのロール音が全体を包み込み、衝撃のうちに、曲は終了した。

 間髪入れず、割れんばかりの拍手。


「 ・・凄ぉ~いっ・・! 」


 部員たちからも拍手が鳴った。

「 これ・・ ホントに、46人で演奏してるのォ~っ? 」

「 トランペット、凄いよ、杏子先生~っ! 」

「 この時、1年生だったんでしょ? 何で、そんなに吹けるようになったのォ? 」

 皆、一斉に杏子を取り巻き、質問の嵐だ。

「 ・・こんな音・・・ こんな録音・・ いったいドコで・・・? 」

 杏子が尋ねた。

「 びっくりした? 杏子先生。 昨日、楽器屋さんに行って、もらってきたの。 そこの女の店員さんが、杏子先生と同じ、このステージにいたんだよ。 この録音は、その人からのプレゼント。 色々、当時のコト、聞かせてくれたよ? 」

 星川が答えた。

 続けて、鶴田が言った。

「 辻井さん、いたよ! 杏子先生のコト、覚えてた。 懐かしいですねって 」

「 辻井さん・・? え・・? まだ、いらっしゃったの? わあ、懐かしいわ。 元気だった? 」

 星川は、昨日買ったばかりの教則本を、杏子に見せながら答えた。

「 うん、杏子先生から教えてもらった教則本、すぐ出してくれたよ? 吹奏楽のコト、詳しそうな人だね 」

「 あの人には、ホント、お世話になったわ。 今度、私も行かなくちゃ・・・ それにしても、まさか録音が残ってたなんて・・ 感激よ! あの夏を、思い出しちゃった 」

 沢井が言った。

「 金管低音も、すごく響いてる。 50人以下の人数の音とは、とても思えないです・・! 」

 杏子は、指揮者用のイスに腰掛けると、説明した。

「 あの頃はね、工業科があったの。 機械科と電子技術科っていうのがね。 だから男子部員も、結構いたわ。 そうね・・ チューバとトロンボーンは、男子がほとんどだったかなあ。 ペットとホルンにもそれぞれ半々で、男子がいたわ 」

 小山が言った。

「 男子の部員が、いればなあ。 恋の1つでも出来るのに 」

「 亜季、それとこれとは、意味違うじゃん 」

 坂本が言う。

「 同じじゃん。 練習にも、張りが出るってモノよ 」

「 杏子先生。 亜季ったらね、1年の勧誘、男子の時だけ自分がやるのよ? しかも、色仕掛けよ 」

「 まあ、見てらっしゃい。 あたしのこの魅力で、今年は1年男子、ウハウハ来るわよ 」

「 アタマのぼせた、ノータリンがウハウハ来たら、どうすんのよ 」

「 その時は、あたしの召使いね。 あんたにも、1人あげる。 楽器掃除、させたら? 」

「 ドコまで本気なのか、分からんトコが、コワイわ・・ 亜季 」

「 あまりムチャな勧誘、しないでよ? 飯沼先生に怒られちゃうから 」

 苦笑いをしながら、杏子は言った。 デッキから、CDを取り出しながら続ける。

「 ・・何か、今の音、聴いてたら、無性に合奏したくなっちゃった! 1年の新入部員が入って来る体制は、ある程度、揃ったし・・ どう? 今日は、合奏してみない? ちょうど全員いるし、やろうよ! みんな、楽器出して 」

 杏子の言葉に、弾かれたように、皆、楽器を出し始めた。


 久し振りに、合奏室に音が響く。

 杏子の合奏指導は、今日が初めてである。

 10人に満たない、偏った編成ではあるが、杏子は、ロングトーンからハーモニックス、リズム打ちと、一通りの基礎練習をしてみた。

「 もっと、音量を出しなさい! この際、チューニングなんて考えないで! アインザッツよ! 今は、音色より・・ 音の頭、音のツブを揃える事を大前提にして! ・・それと、胸を張りなさい! ベル・アップよ! ナニ? その猫背のようなカッコ。 それでも、青雲のブラス部員っ? あたしの後輩なら、もっと堂々と音を出しなさいっ! 」

 音程も、音色もバラバラな、ハッキリ言ってヒドイ合奏である。

 しかし、不思議な事に、校舎に跳ね返って響き渡る頃の音は、意外と不自然さを感じないものだ。


 音を出す事・・・ それは吹奏楽部にとって、唯一のデモンストレーションでもある。 その存在を、不特定多数に知らしめる、絶好の機会となるのだ。 また、活動をしているという満足感・達成感を満たし、当然、既成事実ともなる。 杏子には、その狙いがあった。

 部員と共に、トランペットを吹いた・・・ 未だ見ぬ、新たな仲間に、そのメッセージが届くよう、願いながら・・・


 陽が、西空に傾きかけた頃、練習は終わった。

 楽器の水をウォーターキーから抜き、ケースに収めようとしている杏子に、星川が聞いた。

「 杏子先生、何でペット、左手で吹いてるの? 」


「 ・・え? 」


 新品の楽器に付いた指紋を拭き取りながら、星川は続ける。

「 辻井さんから聞いたんです。 杏子先生がいた頃、パート全員が、左で吹いてたって 」

 杏子は、ピストンに軽く指先を触れながら、沈黙している。

 沢井も言った。

「 あたしも、気になってたんです。 何でかな~・・? って 」

 他の部員も、皆、注目している。

 杏子は、しばらくしてから答えた。

「 ・・・約束だったの。 みんなで、左で吹こうって・・・ 」

 杏子は、楽器ケースの蓋を閉じると、指揮者用のイスに腰かけ、部員たちに向かって言った。

「 あの頃ね・・ 機械科に、ペットのセンパイがいたの。 私の1つ上で、2年生の男子のセンパイだったんだけどね。 ・・そのセンパイ、実習で大ケガをしちゃって・・ 右手の親指と小指だけ残して、機械で全部、切断しちゃったの・・・! 」


 皆が、シーンと静まり返った。


 杏子は続けた。

「 当然、部活は退部。 ・・でもね、当時、同じ2年だったクラの女子のセンパイが、トランペットなら左でも吹けるって・・ 辞めるな、って言ったの。 そしたら、ペットの3年の男子のセンパイも、オレも左で吹いてやるから、一緒に練習しようって言ってくれたのね・・・! 当時、1年でヘタッピだった私たちなんか、どっちで吹いたって一緒だったし、じゃあ、みんなで吹こうって・・・ それで左になったの 」

 少し、ため息をつきながら、星川は言った。

「 それで・・・ だから辻井さんは、理由は杏子先生に聞け、って言ったのね・・! 」

 杏子は続けた。

「 協力してくれた3年の男子のセンパイは、小学生の時からペットやっててね、元々、すごく上手だったのよ? それでも、その技術を捨てて、イチから運指の練習をしてたわ。 ・・そんな姿を見てて、私たちが練習、サボれる? 」


 部員たちは、身動ぎ1つせず、じっと杏子の話に耳を傾けている。


「 ・・小山さんの話しじゃないけど、最初に左手演奏を助言してくれたクラのセンパイと指を切断したセンパイは、付き合っていてね・・・ さっきの録音で聴いた、第2楽章のクラとペットのソロは、その2人の音なのよ? 」

 部員の間に、少し、緊張が和らぐような雰囲気が流れた。

「 ・・そんな事があったんだ・・・ それでみんな、必死に練習したんだね? 頑張ろ~、って程度のコトじゃなかったんだ・・・ 」

 星川は、楽器ケースの留め金を閉めながら言った。

「 ・・そうね・・ ただでさえ少ない仲間を、失うか失わないかの瀬戸際だったもの・・ 何か、異常な程の連帯感があったなあ 」

 杏子は、両手を頭の後ろに組み、天井を見つめながら答えた。

 鶴田が聞いた。

「 そのペットの先輩は、その後、どうなったの? 」

「 ペットのセンパイは、卒業してアメリカのバークレー音楽院に入ったわ。 プロのジャズトランペッターになるのが、夢だったから・・・ まだ、日本に帰国してないと思うな。 インディーズで活躍してるそうだけど、リーダーアルバムは、まだ出してないわね 」

 高井が言った。

「 かっこいいなあ~ バークレーかあ・・・ 名門だよね 」

 杏子が答える。

「 日本人のプロも、けっこう卒業者、多いわよ? ジャズプレイヤーでも、最初はクラシックを勉強するの。 基本だからね 」

 杏子は、皆を見渡しながら続けた。

「 レストランで皿洗いとかして、食費、稼いでたらしいわ。 1度、絵ハガキが、学校の部活宛てに届いてね。 何か、黒人のおっかない顔した人や、長髪のミュージシャンと一緒に、ジャズバーでバイトしてる写真だったわ。 負けず嫌いのセンパイだったから、何とかやってるんじゃないかしら 」

 星川が、遠くを見るような目をして言う。

「 サウスポーのジャズトランペッターかあ・・・ 何か、カッコいい~・・! しかも、あたしたちの先輩よ? 」

 神田も、手を胸で組み、うっとりして言った。

「 あたしも、ジャズトロンボーン練習しよぉ~っと・・! その先輩が来たら、一緒にセッションするんだぁ~ そんで、サインなんかもらっちゃってさあ~ 」

 鶴田が両手を胸で組み、憧れのような眼差しで言った。

「 もし、その人がメジャーデビューしたら、あたしたち、ちょっとイイよね? 先輩に、プロがいるなんて、カッコいいじゃない! 」

「 あ、そうなったら、バンドのドラマー、連れて来てくれないかなあ・・! あたし、ドラム教えて欲しいな 」

 杉浦が、ドラムのスツールに座り、くるくる廻りながら言った。

 杏子は、ドラムセットの組み直し作業をする事を、すっかり忘れていた事に気が付いた。

「 ・・あっ! ドラム組むの、忘れてたっ! あっちゃ~っ・・! 」

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