第8話、タイムカプセル

 約5日間で、楽器棚や書庫の整理は、一通り終了した。

 部室の床に散乱していたゴミも片付けられ、窓ガラスも綺麗に拭きあげられた部室は、見違えるほど整頓された部屋となった。 新たに、机の上には、真っ白なシーツが掛けられ、戸棚の片隅から出て来た一輪挿しの花瓶に、赤いバラの造花が入れられて、机の上に置かれている。


 撮影した年代の違う写真パネルは、合計で6枚出て来た。 すべてホコリを払い、キチンと壁に掛けられた。

「 こうしてパネルが掛けてあると、部活としての歴史、感じるよねぇ~、杏子先生 」

 鶴田が、しみじみ言った。

「 そうね。 そのうち、みんなのも撮らなくちゃね 」

 新たに運び込んだ作業台の上に、トロンボーンのスライドを置きながら答える杏子。

 鶴田が、杏子に言った。

「 優子と亜季たち、今日も1年生のクラス、廻ってるみたい 」

「 熱心ねえ~ 」

「 でもね、ナンか・・ コンパニオンの勧誘みたい。 亜季、毎日ネイルアート変えてやってるのよ? チャラチャラした子が入って来たら、あたし、ヤだなあ 」

「 坂本さんも、一緒に廻ってるんでしょ? 大丈夫よ 」


 星川が、壁紙を抱えて部室に入って来た。

「 わあ~、すごいキレイになったね、部室! なんか、部屋、ってカンジ~ 」

「 なに持って来たの? 美里 」

 鶴田が聞いた。

「 壁紙じゃん。 そのシミの付いたトコ、これ貼って隠すのよ。 どお? イイ感じでしょ? 」

 壁紙を広げて見せた星川が、作業台の傍らに並べてあった楽器の部品を見つけ、言った。

「 わあ~、ナニこれ? バラバラじゃん、このクラリネット 」

「 触っちゃダメ! どの部品か、分かんなくなっちゃう 」

 制服の上からエプロンを着た高井が、楽器棚の陰から出て来て、部品に触ろうとした星川の手を、さえぎった。

 高井が、誇らしげに言った。

「 全部、バラして磨いたのよ。 スゴイでしょ? タンポも替えたんだから 」

「 これ、あんた組めるの? あとで部品、余ったりして 」

「 小学生のプラモデルじゃあるまいし、バカにしないでよ。 杏子先生もいるから、大丈夫! 」

「 ふ~ん・・ 私、こんな面倒な作業、出来ないなあ。 ・・杏子先生、このローソクみたいなの、なに? 」

 バーナーの横に置いてあった、鉛筆状の物体を手に取り、星川が尋ねた。

「 ラックよ。 火であぶると溶けるの。 それでタンポをくっつけるのよ 」

「 ふ~ん・・ ボンドか何かで、くっつけるのかと思ってた 」

 高井が、自慢気に補足する。

「 ボンドでくっつけたら、あとで交換出来なくなっちゃうでしょ? 」

「 ・・あ、そうか 」


 杏子は、トロンボーンのスライドに布を巻き、高井に渡した。

「 布を滑らせてごらん。 凹凸が判るでしょ? 中管にダメージがあるのよ。 だからこの楽器、スライドが引っ掛かるのね 」

「 ・・ホントだ! 目じゃ判りにくいのに、こうすると、感触がある・・・! 」

「 凹出しは、ここでは出来ないから、仕方ないわね。 ストック部に、多少、多めにクリームを塗っておきましょう。 ・・そこの箱の中に、スライドクリームがあるわ。 星川さん、取ってあげて 」

 星川は、整備小物が入った箱を取ると、その隣に置いてあったバケツの中を、何気なくのぞいた。

「 ・・えっ? なに? このトランペット・・・! バケツの中で、行水してる~っ! 」

 星川が、また奇声を上げた。

 高井が言った。

「 洗剤混ぜた水に浸して、汚れを取ってんの! 美里、触っちゃダメよ 」

「 サビちゃうんじゃないの? 」

「 あのね、鉄で出来てんじゃないからサビないわよ。 真鍮なんだから 」

 杏子が笑いながら付け足した。

「 真鍮を英語で言うと、ブラスよ。 だから、吹奏楽の事を、ブラスバンドって言うの 」

「 あ、なるほど・・! へえ~、知らなかった・・! 」

 星川は、いたく感銘したような表情を見せた。

 杏子が補足した。

「 元々、吹奏楽は、金管バンドから進化したものなの。 それに木管や打楽器が加わって、吹奏楽という形態になったのよ。 オーボエがソロをとったり、弦バスなんかが加わって、低音パートでも、より繊細な響きを追求するようになった現在は、シンフォニックバンドと呼ばれるのが、順当ね。 ただ、昔からの呼び名で、全体的には吹奏楽=ブラスバンドで通ってるの。 でも、『 ウチは、吹奏楽ではありません。 シンフォニックバンドです! 』って、こだわる先生もいるわよ? 」

「 そっかあ・・ なんとなく呼んでたけど、歴史あるんだなあ・・・ 」

 星川が、感心したように言った。

 高井が、杏子に聞く。

「 杏子先生、このペット、まだ浸けておくの? 」

「 もう1日、浸けとこうか。 ・・それより、これ開けるの手伝って 」

「 何ですか? このデカいケース。 古そう~ 」

「 中を確認しておきたいんだケド・・ 金具、サビちゃって開かないのよ。 星川さん、そこのドライバー取って。 そう、それ 」

 ドライバーを渡しながら、星川が聞いた。

「 杏子先生、あたし、このケース・・ おやつ食べる時の、机がわりにしてたんだけど・・楽器なの? 」

「 れっきとした楽器よ。 たぶん、スーザフォンだと思ったケド・・・ えいっ! 」

 ミシッという音がして、サビた金具のストッパーが外れた。

 星川が尋ねた。

「 スーザフォンって・・ 何? サックスの親戚? 」

「 違うよ美里、マーチングで使う、こう・・ ベルが、頭の上にあってね、管体が、ぐるぐる巻いてて、肩に掛けて吹くチューバだよ 」

 高井が答えた。

「 へええ~、そんなのあったんだ、ウチ 」

 ドライバーを机の上に置きながら、杏子が言った。

「 蝶番もサビちゃってる。 みんな、手伝って。 ほら、いい? せぇ~のっ・・! 」

 ミシミシッと、きしみながら、棺おけのような蓋は開いた。

「 あ、すご~いっ! でんでん虫の、お化けだ~! 」

 狂喜する部員たちに、杏子は、手に付いた埃を払いながら言った。

「 あたしがいた頃は、毎年、体育祭の時に、これが登場したのよ? このケース自体は、元々あった古いブラス製スーザのものだけどね 」

 初めて見るスーザフォンに、皆、目を見張った。 ファイバー製の、白いスーザフォンである。

「 すご~い・・! 」

「 樹脂だから、ハゲてないし、キレイだよね。 あれ? 杏子先生、このスーザ、ピストンが無いよ? 」

 高井が、杏子に言った。

「 1年に、1回しか使わないでしょ? 固着を防ぐ為に、抜いてあるのよ。 その辺に、布に包んで置いてない? 」

「 あ、これじゃない? 千穂! 」

 鶴田が、ケースの片隅に置いてあった、布の包みを見つけた。 布を開くと、中からは油紙に包まれたピストンとエンドキャップ、スプリングが3セット出て来た。 綺麗に整備してあり、まるで新品のようである。

 高井は、ピストンを手に取り、しみじみ言った。

「 すごいなあ・・ キレイに整備してあるよ。 何年も経ってるのに・・ オイル注せば、すぐ吹けるよ、これ・・! 」

 皆からも、ため息がもれた。


 ・・まるで、タイムカプセルのように現われた、スーザフォン。

 しかし、年代をまったく感じさせない完璧な状態である。

 当時の部員たちの、楽器保管に対する配慮の深さが感じられる・・・


 杏子は言った。

「 使わないピストン楽器は、ピストンを抜いて、油紙に包んでおく・・・ そんな、ちょっとした事なんだけどね。 でも、その完璧な状態を見れば、先輩たちが実践していた知恵は、いかに重要で実質的なものであったか、が分かるでしょ? ・・あなたたちは、その素晴らしい知恵者を先輩に持つ、伝統ある青雲学園高校 吹奏楽部の後輩なのよ? 」

 高井は、ピストンを手に持ったまま、言った。

「 ・・あたし、何か、カンドーしちゃった・・!  ちゃんと整備すれば、何年だって使えるんだ。 あたしが卒業しても、楽器は残るもんね・・! 」

「 そうね・・ その為には廃部になんか、出来ないね 」

 杏子は初めて、廃部の方向性を否定するとも取れる発言をした。

「 ・・絶対、廃部になんかしないよ。 あたし来週、楽器来るんだもん・・! 」

 星川が言った。

「 え~っ! 楽器、買ったの? 」

 鶴田が聞く。

「 うん! お母さんに少し、借金したケド・・ 」

「 やったじゃん、美里! ・・杏子先生、美里、けっこうウマいのよ? サックス。 苦手なテナーでしか聴いたコトないけど、ビブラートかけれるのよ? 」

 杏子が、笑顔で答えた。

「 そう? それは楽しみだわ。 サックスは、ビブラートがかかっていて正常なんだからね? ほとんど倍音ばかりで、ビート音が強い楽器だから、響きを感じさせるようにビブラートをかけるの。 あと、音程も不安定だから、ある意味、ゴマカシをする為にもね。 ・・この部には備品が無いけど、ソプラノサックスって知ってるでしょ? あの楽器、オクターブキーを使用する音域は、音大専科卒の人が吹いて、やっとマトモな音程が出せる・・ とまで言われるくらいなの。 見た目がカッコいいから、憧れる人が多いけど・・ 音程は取れていないし、音質も、ほとんど『 チャルメラ 』のようになっちゃってる人が多いわね。 そのクセ、音量は大きいから、よく目立つ・・・ ヘタな人ほど、手を出してやりたがるのよね~・・ いっそ、いない方が良いわ 」

 星川が言った。

「 そう言えば、中学時代のコンクールでも・・ ヒサンな音程のソプラノを、よく聴きました 」

 杏子が補足する。

「 音程が合っていない事に、気付いてない人が多いのよね・・・ ソプラノサックスの場合、重要視するべきは、音色より、まず音程ね 」

 星川が、壁紙を切りながら杏子に聞いた。

「 杏子先生。 あたし、基礎からアルトを練習してみたいの。 何か、いい教則本ない? 」

 杏子は、しばらく考えてから答えた。

「 一番いいのは、教則本を買う事ではなくて、レッスンに付く事よ? でも、お金かかるしね・・・ そうだなぁ・・ ミュールの『 ラクール 24のエチュード 』なんか、どうかしら? 値段は、そんなに高くなかったと思うけど 」

「 杏子先生、あたしも欲しいっ! 」

 鶴田が言った。

「 クラリネットかあ~ いっぱい出てるからなあ~ う~ん・・ グルーサンの『 合理的原則 』。 あと、ランスロの『 クラリネットの初歩 』ってヤツは、新1年生に最適よ? 安いから、後輩の為に買っておいたら? 」

「 ドコに行けば、売ってるの? 」

「 管楽器の専門店へ行けば、あるわ。 この辺だと、そうね・・ 中町のロイヤルビルの向かいに楽器店、あるでしょ? あそこなら置いてあるハズよ。 以前は、そこの営業の人が、ここに出入りしてたの。 コンクールの時なんかに、よく楽器運搬してくれたなあ・・・ 辻井さん・・ って言ったかな? もう、いないかもしれないケド。 懐かしいなあ。 確か、アルト吹きだったわよ? 」

「 あ、じゃ、今度聞いてみます。 あたし、そこで楽器頼んであるんです 」

 星川が、壁紙を貼りながら言った。

 鶴田も、星川の作業を手伝いながら言う。

「 じゃあ、美里、一緒に行こうよ。 その、グロンサンの何とかってヤツ、あたし、買いたいし 」

 高井が聞いた。

「 ・・良美、グロンサンって・・ 内服液じゃん・・? そんな名前だっけ? 」

「 グルーサンよ、グルーサン! あなたたちってホント、突拍子もないコト言うわねえ 」

 杏子は、笑いながら言った。

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