第4話、受け継がれていくモノ

 翌日、杏子は考えていた。


 つまらない偏見を気にし、練習を休んでいた子。

 成績の低下を恐れ、塾に通っていた子。

 楽器を買う為にバイトしていた子・・・


 理由は様々だが、彼女たちの希望は、部の存続であった。

 しかし、それらを無視して廃部の方向性を打ち出した杏子。


 はたして、これで良かったのだろうか・・・?


 言い過ぎたとは思っている。 強行したのも認める。

 しかし、惰性で運営している現在の部の体制には、どうしても杏子は、同意する事が出来なかった。

 今月末から始まる新1年生の入部希望者が、ゼロという事は有り得ないだろう。

 見学者が来たら事情を話し、必ず納得させ、入部へとこぎ着ける・・・!

 杏子は密かに、そう決意していた。

( 架空部員の列挙ではなく、正部員の名前で名簿を埋めてみせる・・! )

 誰にも言わなかったが、杏子の頭に『 廃部 』の2文字は無かった。


「 副顧問とはいえ、全てをお任せしたのです。 鹿島先生が、最善と思えるやり方でやってみて下さい。 結果については、何も責任を問うような事はありません。 OGだからこそ出来るやり方、というものがあるはずです 」

 昨日、廃部する事になるかもしれないと告げた杏子に、高田は、そう言った。

「 ・・あの子たちを、信じるしかないわね 」

 部室の鍵を開けながら、杏子は呟いた。


 部室に入り、職員室から持って来た、水の入ったバケツと雑巾を床に置く。

 西側の窓から差し込む西日に照らされ、部室内は、どことなくセピア色に見える。

 鼓動を止めて久しい、無機質な楽器たち・・・

 静かな空間に漂うは、哀愁ばかりの追憶の記憶のみ・・・

 杏子は、小さなため息をつき、呟いた。

「 まず、整理からだなあ・・・ 」

 楽器棚の楽器ケースを全て降ろし、絞った雑巾で水拭きだ。 バケツの水は、すぐに真っ黒になった。

 ケースに積もったホコリも拭き、楽器別に仕分けをして、棚へ戻す。

 無造作に立て掛けてあったバスドラムの足や、スタンド類、ドラムのハードウェア、ビブラフォンのペダルなどを整理する。


 ホコリに混じって、ボールペンやクラリネットのキー、サックスのマウスピースなどが出て来た。

「 部品入れは、ドコだったかな? え~と・・ あ、そうそう! 」

 棚の隅にあったブリキ製の菓子箱を見つけた杏子は、そのホコリの被った蓋を開けた。

 譜面台のネジやスネアのスナッピーに混じって、ナゼかピッコロが入っている。

「 ・・・? さっき、ピッコロのケースはあったわよね・・・ ナンで? 」

 木管楽器の棚からピッコロのケースを出し直し、開けてみた。


 ・・・精密ドライバーのセットが入っている。

 しかも、ケースの蓋には『 ドライバー入れ 』と書いたテープが貼ってあった。


「 ・・・・ 」

 理解に苦しむ、意味不明な状態。

 おそらく吹き手がいなくなり、演奏会の持ち出し用道具入れとして使われたのであろう。 お粗末な話しだ。


 部室の隅から、ホコリにまみれた古い写真パネルも出て来た。 杏子にも覚えのある先輩が2・3人、幼い顔で写っている。

 撮影時期は判らないが、多分、杏子が入部する2~3年前だろう。 夏のコンクールの出場の際に、撮ったもののようだ。 どこかの会館の玄関前だと思われる。

 杏子はパネルの汚れを拭くと、落ちていたピンを拾い、壁に掛けた。

「 ・・・センパイたち・・ あたし、この部を潰しちゃうかもしんない・・! でも、もしそうなったら・・ せめてこの部室をキレイにして、元通りにして幕を閉じるつもり。 立つ鳥、跡を濁さずって言うでしょ? センパイたちも言ってたよね? 演奏会で一番大切なのは、終わり方なんだって。 アンコールに応えたら、カッコ良く、さっと退場するんだって・・・ 」

 じっと、パネルを見つめながら呟く、杏子。 瞳が潤み、右手の人差指で瞼を拭いた。

「 あたし・・ センパイたちに誉められるような幕引き、出来るかなあ・・・ 」

 再び、小さくため息をつくと、杏子は、傍らにあったパイプイスに腰を下ろした。

「 ちょっと、疲れちゃったな・・・ 」

 杏子は、掃除をひとまず止め、昨日の譜面補修にとりかかった。


 相変わらず修復不能な譜面が多い。

 落書きされた個所は、カッターナイフで切り抜き、コピーする事にした。 これで部印を押せば、新しい原譜が出来る。

 杏子は、机の一番下の引出しを開けた。

 古い部員名簿や、譜面一覧のファイルに混じり、空になったリードの箱やフレキシブルクリーナー、手造りの布製スティックケースなどが、乱雑に押し込められている。

 その中の、最下部の奥から小さな木製の箱を取り出す。

「 あった、あった・・・! 」

 中には、ゴムが干からびた部印があった。 青雲学園高等学校 吹奏楽部とある。

 長い間、誰も使ってなかったようで、ゴム部は、干からびた朱肉カスがいっぱい詰まっている。 到底、印鑑としての機能を果たすとは思えない。

 杏子は、ゴム部に詰まった朱肉のカスやホコリを、シャープペンシルの先で取り始めた。何と、柄の所にまで落書きがしてある。

『 部印はな、いつもキレイにしておかなくてはならんのだぞ? 実印と同じだと思えよ 』

 恩師、宮田先生の声が甦る。

 再び目が潤み、涙が杏子の頬を伝った。

 部印を握り締め、下を向いた杏子の目に、拾い集めた原譜が映る。

 踏まれてビリビリになった原譜の上に、いくつもの涙が落ちた。

「 ・・ごめんなさい・・ ごめんなさい・・・! こんなにしちゃって・・ ごめんなさい・・・! 」

 こんな古い譜面、もう2度と、吹奏される事など無いのかもしれない。 でも当時は、少ない部費の中から、部員たちのカンパも出し合って手に入れた、大切な、部の財産なのだ。

 パネルにせよ、楽譜にせよ、それに対する愛着と経緯を知る者がいなくなった時点で、粗雑に扱われるものだ。

 新しい者にとって、過去は事実ではなく、単なる出来事にしか他ならない。


 ・・それでは、歴史は途絶える。


 外観は同じでも、中身は全く違う他のモノに、すり変わってしまうのだ。

 それを、進化と呼ぶ場合もあるだろう。

 だが、多くの場合、そうはならないのが実情だ。

  歴史を伝えていく、伝承者の存在・・・ 学校の中では、『 先輩 』と呼ばれる上級生に、その使命はある。


 極限まで、その上級生が絶えたこの部・・・

 既に、その歴史は、閉じられてしまっていたのだった。


「 ・・先生・・・ 」


 声に気付き、杏子は涙を手で拭うと、部室の入り口を振り返った。 いつの間にか、沢井が立っている。

「 ・・ああ、沢井さん。 どうぞ、入って。 収拾がつかなくなってるけど・・ ゴメンね。 やっぱ1日じゃ、終わんないわ・・ 」

「 泣いてたの? 先生・・・ 」

 濡れた頬を、再び拭いながら杏子は答えた。

「 あは・・ ゴメン。 つい、感傷に浸っちゃってたの。 恥かしいなあ・・・ 」

 沢井は、杏子が作業をしている机の上を見た。

「 ・・・楽譜の・・ 補修ですか? 」

「 そうよ、あまりにヒドイいから 」

「 そんな面倒なやり方して・・ 補修するんですか? セロハンテープでやれば・・・ 」

 杏子は、少し微笑んだ。

「 同じ事を、あたしも1年生の時にセンパイに聞いたわ。 ・・ってゆうか、自分で勝手に貼っちゃって、すごく怒られたなあ 」

「 え? どうしてですか・・・? 光って、見にくいからですか? 」

「 それは、自分を中心に考えた答えね。 ・・逆よ? 何年かすると、粘着成分が染み出て、未来の後輩たちが読めなくなるからなの 」

「 ・・あ・・・ 」

 意外な回答に、沢井は驚いたようだ。

「 あなたたちの為に・・ センパイたちがやっていた事なのよ? 」

 沢井は、しばらく無言でいた後、ポツリと言った。

「 全然・・ 知りませんでした・・! ってゆうか、考えた事もなかったです・・ 」

 杏子は続けた。

「 こうやって面倒な事してると、譜面を大切にするようになるのよ。 ホントは、そっちの方が大事なの。 本来の主旨は、楽譜の大切さを知る事よ? 手間をかけて整理した楽譜が、乱雑に扱われてごらんなさい。 アタマ来るでしょ? 原譜が床に落ちてるなんて論外よ。 そのパートリーダーは、罰金を取られてたわ、当時。 ・・それにしても、あなた、こんな譜面が散乱した部屋で練習してて、何とも思わない? 楽譜が無くちゃ、音楽は何も出来ないのよ 」

「 ・・・・ 」

「 また、説教になっちゃうね・・ ゴメン 」

「 いえ、もっと叱って下さい。 あたしたち・・ 誰も指導してくれないし、叱ってくれる人も、誰もいないんです。 だから適当にダラダラやってたら、こんな部になっちゃった・・・ これじゃダメだ、と思って部員の勧誘をしてはみたんですけど・・ 反応はイマイチで・・・ 」

「 部が、こんな状態になったのは、あなたたちのせいじゃないわ。 ・・高田先生のせいでもない。 あたしたち、卒業生が来なかったからいけないのよ・・!  先生のせいね。 だから悔しくて・・ センパイたちに申しわけなくって・・ 」

 じっと、杏子を見つめる沢井。

 杏子は続けた。

「 よくOB・OGが、部活に来て、後輩を指導するって話、聞くでしょ? 」

 頷く、沢井。

「 在校生にしてみれば、ハッキリ言ってウザイんだケドね 」

 苦笑いしながら、杏子は続けた。

「 あれが大切なの・・! 先輩が来て、後輩を叱っていく・・ あのスタンスが大切なの。 吹奏楽に限らず、部活の名門校は、必ず卒業生たちが様子を見に来てるわ。 卒業生が来ない部活は、必ず、廃れるのよ? 廃部にはならずとも・・ 少なくとも、培った歴史は途絶えるわね・・・ 」

 身を持って体験していると言える2人だけに、その後の会話が続かなかった。

 黙々と、譜面補修を続ける杏子。

 しばらく、杏子の作業に見入っていた沢井が、傍らにあったパイプイスを出し、そこに座ると言った。

「 ねえ、先生・・・ あたしにも、その譜面の補修、やらせて下さい。 よく考えたら、ただの紙じゃないんですよね? お金出して先輩たちが買った、部の財産なんですよね? そんなものを、あたし・・ 結構、踏みつけてたもん。 あたし達の為に、先輩たちがしてくれてたのに・・ 」

「 ありがたいケド・・ 1日・2日じゃ、終わらないわよ? 補修したら、1枚1枚、元の楽譜見つけて入れなきゃならないし・・ 整理が終わったら、今度は楽器の修理よ? 」

「 構いません。 引退まで、この部室の補修と整理やってもいいですから。 だって、あたし・・ 長い伝統のある青雲学園高校吹奏楽部の・・ 最期の部長になるかもしれないんだもん 」

 ・・そうはさせない・・! と言いそうになった杏子であった。

 沢井は続けた。

「 あたし、杏子先生みたいに、芸大へ行きたいんです。 行っても恥かしくないように、吹奏楽や音楽の事、作業しながら色々教えて下さい。 お願いします 」

「 分かったわ・・・ じゃ、とりあえず、たった2人の吹奏楽部ってコトにしようか。 名簿、カンタンでいいなあ 」

 2人の笑い声が、部室に響いた。

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