ケルピー



 馬というものは存外に水とかかわりの深い生物らしい。というのもギリシャ神話において馬を想像したのは海神ポセイドンとされているからだ。豊穣の女神デメテルの心を射止めるために彼は馬を想像したという。

 アイルランドで海神として祀られたいたマナナン・マクリ―ルも馬に引かせた戦車で海中を駆けていたという。

 馬と水の関係性を知らしめるようにイングランド諸島には水棲馬に関する話が数多く残っている。水に潜む馬の妖精たちは、陸に上がっては人を襲ったり、ときには人々に恩恵を与えたりもする。

 特にスコットランドには水棲馬の話が数多く伝わっている。そのなかでも恐ろしいのがナックラビ―だ。スコットランドのオークニー諸島の海に潜むこの怪物は、上半身は人、下半身は馬の姿をした化物である。眼は火のように光り輝き、腕は地面に届くほどに長い。皮膚がないこの化物の体には黒い静脈がいくつも浮かびあがり、筋肉の筋が動く様子が手に取るように観察できるという。

 この化物は家畜を襲い、毒気のある吐息でもって農作物を枯らしていく。淡水は苦手であり、ナックラビーは川を渡ることができない。

 とある老人が若い頃にナックラビ―に出会った話をしたことがある。彼は家路を急いでおり、湖と海の間にある細い陸地を真夜中に歩いていた。すると向こうから物凄い速さでナックラビーがやってくるではないか。逃げるよりも立ち向かったほうがはやいと考えてた彼はナックラビ―と対峙する。ナックラビ―は周囲にあるものを手当たり次第に拾っていたが男に気がつくと、物凄い勢いで迫ってきた。

 男はすんでの所で湖に入り込み、ナックラビ―の鍵爪が生えた手から逃れる。彼はそのまま湖の水が海に注ぎ込む小川を跳び越え、ナックラビ―から逃れることができた。

 水棲馬の中には美しい馬や人に化けて、子供や若い娘を水底に引きずり込み食べてしまうものもいる。アハ・イシュキと呼ばれるその水棲馬は肝臓が嫌いであるともいわれている。ある日、子供たちが湖まで遊びに来たことがあった。そこには美しい仔馬がおり、仔馬に夢中になった少女たちは我先にと仔馬に跨り始めた。

 ただ1人、注意深い少年は馬に跨らずその様子を眺めているだけだった。7人いた少女をすべて背に乗せた仔馬は少年を自身の背に乗るよう怒鳴りつけるが、少年は言うことを聞かない。仔馬の異変に気がついた少女たちは馬の背から降りようとするが、仔馬は少女たちを乗せたまま湖の中へと消えてしまった。

 次の日、湖にはアハ・イシュキが食べ残した少女たちの肝臓だけが浮いていたという。

 アハ・イシュキと水棲牛であるクロー・マラが戦った話もスコットランドには残されている。ある農場の牝牛が丸い耳をした焦げ茶色の子牛を生んだ。その子牛が水棲牛と告げられた農夫は、この子牛を他の牛から引き離し、七頭の牝牛の乳を与えて大切に育てた。

 子牛が立派な雄牛に成長した頃のことだ。農夫の娘が牛たちに草を食ませるため、湖の入り江にいった。そこで彼女は1人の青年と出会い、打ち解ける。彼に頼まれ髪を梳いていた娘は、彼の髪に海中にしか生えない海藻を見つけ、彼が恐ろしいアハ・イシュキだと気がついた。美しい歌声で青年を眠らせた娘は、前掛けだけを残して家へと逃げ帰る。娘がいなくなったことを知りアハ・イシュキは娘を追うが、成長した水棲牛がそんなアハ・イシュキの前に立ちはだかった。

 戦いは苛烈なものだったが、水棲牛は自身の命と引き換えにアハ・イシュキを倒す。その後、アハ・イシュキが現れることはなかったという。

 さて水棲馬の恐ろしい話ばかりを書き連ねてきたが、スコットランドには人間に友好的な水棲馬もいるのだ。ケルピーと呼ばれる彼らは他の水棲馬と同じで凶暴だと言われているが、奥さん思いで親しみやすい性格をしたものもいる。

 ガーヴ湖のケルピーの住処は冷たく深い湖底にあった。ケルピーは住処が気に入っていたが、彼の妻はとても寒がりでそのことをしきりに夫に訴え続けるのだ。愛しの奥さんに逃げられては困る。ケルピーは腕のいい大工を拉致すると、奥さんのために寒い住処に暖炉を作ってもらった。ガープ湖では今でも冬になると氷の張らない場所があり、それは湖底にあるケルピーの暖炉が燃えているためだという。



参考文献


ケルトの神話 井村 君江著 ちくま文庫

妖精 who,s who キャサリン・ブリッグズ著 井村君江訳

イギリス・妖精めぐり 井村 君江 同文書院

小作人とアザラシ女 ジュディ・ハミルトン著 先川 鴨郎 橋本 修一訳 春風社



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