セルキー



 水は人の還るべき場所なのかもしれない。この惑星は水で満たされ、生命はその水を源泉として生まれてきた。羊水で満たされた哺乳類の子宮は原初の海の再現ともいえるし、その点において女性は体の中に海を抱いているといえるのかもしれない。

 海からやってくる人ならざる者たちが今のメディアにおいて女性として描かれることが多いいのも気にかかる。ユング心理学において深い海や森は人々が共通して持つという集合的無意識を表し、そこからやってくる無意識の使者(アニマもしくはアニムスと呼ばれる理想の女性像及び男性像の事)は女性の姿をとることが多いい。もっともこれは、男性の側から見た心の内側のイメージのことを表しているが。

 水に関係の深い女性像の中で主流なものと言ったら、人魚が挙げられるのではないだろうか。特に海に囲まれた島々には人魚の伝説が多く残っている。

 ヨーロッパの人魚たちの原型は、古くギリシャのセイレーンまで遡ると言われている。セイレーンたちは美しい歌声で船に乗る者たちを海に引きずり込む魔性の存在だ。

 イングランド諸島にも多くの人魚たちがいる。

 マン島の支配者であり、海神マナナーン・マクリールが治める常若の国は海の底にあり、そこには彼に仕える美しい海の乙女たちが棲んでいるという。

 アイルランドにはメロウと呼ばれる赤い帽子を被った美しい人魚たちがいる。彼女たちには夫がおり、雌のメロウが人間の女に近い容姿をしているのに比べ、雄のメロウは全身緑色で醜い容姿をしているという。だが、彼らはとても陽気であり、人間と酒を飲み交わすほど社交的な性格をしている。

 中には人の魂を集めることが好きなメロウもいる。

 ジャック・ドハーティにはメロウの友達がいた。このメロウはクマーラといいジャックのお爺さんの飲み仲間だった。クマーラはジャックを海底の家に呼び寄せるほど社交的な性格をしていた。

 彼の家には漁師たちの魂が入った籠があった。海が荒れるとクマーラは自分で編んだ籠を海にばら撒く。そうすると海で溺れ死んだ漁師たちの魂が、あたたかな籠の中に入るというのだ。彼はその魂たちが逃げないように籠を逆さにして置いていた。

 漁師たちの魂を何とか開放したいと思ったジャックはクマーラを酔いつぶらせ籠から彼らの魂を救うことに成功する。その後も彼とクマーラの交友は続いたが、いつの日かクマーラはジャックの前に姿を見せなくなってしまった。

 またアイルランドには日本の天の羽衣伝説と似たメロウの逸話が残っている。あるメロウが地上に遊びに来たことがあった。たまたまメロウを目撃した男は彼女に一目ぼれしてしまい、彼女の赤い帽子を隠してしまう。

帽子を隠されるとメロウは海に戻れなくなってしまうのだ。泣きじゃくるメロウを宥め、男はメロウを妻にする。2人の間には子供もでき幸せな時間が過ぎるが、ある日メロウは帽子を見つけてしまい海へと帰ってしまった。

 スコットランドにもこのメロウと似た話が伝わっている。

 スコットランドの人魚は海豹の姿をしているという。

 スコットランドの北東部沖にいるセルキーは大アザラシの皮を纏った妖精だとされている。これらのアザラシ人間たちもアザラシの皮を脱いで陸に上がることがあり、その皮を隠されると海に戻れなくなるのであった。

 ある男がそんなセルキーの女に一目ぼれし、彼女の皮を隠して妻にしてしまったことがある。男が妻にしたセルキーには夫があったが、彼女は自身のアザラシの皮を取り戻さない限り海には戻れない。仕方なく彼女は自分を捕らえた男の妻となった。

 セルキーを捕らえた男は、彼女のために懸命に働き幸福な家庭を作る。だが、男と彼女のあいだに生まれた子供がアザラシの皮を見つけてしまい、セルキーは家族を残して海に帰ってしまうのだ。男は後妻を迎えるが、生涯1人目の妻であったセルキーのことを忘れることはなかったという。

 スコットランドの高知地方にいるアザラシ人間は、セルキーより温和な性質をしているという。ローンと呼ばれる彼らは、王国を持っておりときおりその場所に人を招くことがあった。

 ある男がアザラシを狩ることを生業としていた。そんな彼はある日1匹のアザラシを仕留めそこなってしまう。彼はその夜にローンたちの王国へと連れ去られてしまう。彼の仕留めようとしていたアザラシはローンたちの王だったのだ。怪我をした王の傷を癒すように懇願された男は、ローンたちの言う通り傷口に手を充てる。

するとローンの王の怪我はすっかりと癒えてしまい、男はたくさんの金貨を持たされ家に帰ることができたという。その金貨は2度とアザラシを捕ってはならないというローンたちの言葉に従った男のために、ローンたちが贈ったものだった。



参考文献

元型論 C.G ユング著 林 道義訳 紀伊國屋書店

妖精 who,s who キャサリン・ブリッグズ著 井村 君江訳 ちくま文庫

ケルトの神話 井村 君江著 ちくま文庫

ケルト妖精物語 W.B.イエイツ編 井村 君江編訳 ちくま文庫

妖精 草野 巧著 新紀元社

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