第46話 彼の変貌・彼の理由
見た瞬間、私はとんでもない体勢であることも頭からふっとんだ。
むしろ人に接しているおかげで、悲鳴を上げずに済んだ。
「槙野君……」
彼で間違いない。
みんなが注目する爽やかでかっこいいその横顔も、その背の高さも、肩幅も。
でも歩き方がおかしい。
まっすぐだった背中は猫背で、ふらふらとしている。
そして表情が……いつもと違う。
なんだか暗くて、誰かを恨みがましく思っていそうな。その視線の先にいたら、その恨みをぶつけられてしまいそう。
なんでも持っているはずの槙野君が、どうして。
何よりその背中に、靄がはりついていた。
もぞもぞとうごめき、槙野君の頭を食むように覆いそうになっている。
「なんでこんなことに」
「どこかでくっつけたのかもしれませんね」
じっと私と一緒に槙野君を見ていた記石さんが、あっさりとした調子で答えてくれる。
「しばらくすると通り過ぎていくと思いますよ」
記石さんの言う通り、槙野君はふらふらとどこかへさまようような歩き方でいなくなった。
そして数秒後、ふっと外が明るくなったような気がしたと思ったら、突然車通りが戻って、人が外を行き交う姿が見え始めた。
「これは……」
「おそらく、鬼になる前の者達が大勢いたせいで、異空間を作り出すような状態になっていたのでしょう。そこに僕たちが入っていたから、通り過ぎていく人達が見えなかっただけで」
「見えなかった……」
亜紀の時も、こういうことがあった。
あれは人が遠ざけられていたというより、私が一歩違う空間にはみ出していたせいで、他の人達の姿や車が見えなくなっていただけだったのだろう。
「でもあのままでは、美月さんは安全に登下校はできそうにないですね」
ふむ、と顎に手をやる記石さんに、私は今日起こった事件のことも話した。
「……というわけで、槙野君が関わっているのなら、学校内も安全とは言い切れず……。同じクラスの人なので、変に避けるのも難しいんですよね。そもそも呼びかけられると、なぜか拒否できずに立ち止まってしまうんです」
あの呼びかけを拒否できないのはどうしてだろう。
どうしても振り返らなくてはならないような、そんな強制力を感じてしまうのだ。
一瞬後には意識が途切れて、気づくと他の場所にいるのだけど。
「学校でもですか……少し、焦っているのかもしれませんね」
「はい?」
焦るとは何だろう。
首をかしげた私に、記石さんが教えてくれる。
「最近、美月さんがらみでよく育った鬼を二体、学校に関連した事件で柾人に食べさせたわけです」
「はい」
「普通、そんなにも連続して鬼の事件が起こるのは珍しい。僕としては柾人の餌が増えるので嫌ではないんですが。だから僕は、今回のこともあなたの体質的なものかと思っていたのですが」
「体質……」
「鬼をひきつけやすいんでしょうね」
とんでもないことを言われてしまった。私は鬼ほいほいですか。
呆然としている間に、記石さんが話を進める。
「おそらく先ほどの鬼の使役者というか、憑りつかれている人間は、今後も美月さんを狙うことでしょう。美月さんから聞いた状況からすると、周囲の嫉妬心などを煽って、様々な人の心に鬼を作り出そうとしているのではないでしょうか。現に僕と美月さんを取り巻いていた鬼になりかけのあの靄からすると、少なくとも八人ほどはそういう状態にあるのではないかと」
私の頭の中に、教室を覗いて行った下級生や上級生、そして他クラスの女子達や、クラス内の、渋い表情で私の話に聞き耳を立てていた人が浮かぶ。
あの人達の人数からすると、八人ではきかない。
鬼を生み出すほどじゃない人もいるけど、一方で八人も私に嫉妬心から攻撃を加えたい人がいるということで。
「なんて怖い」
どうしたらいいのか、全くわからない。
「先ほどのあれは、僕の方でなんとかしましょうか」
やれやれといった調子で、記石さんが言う。
「え、なんとかしてくれるんですか?」
槙野君は、もう好きではなくなった人だけど、クラスメイトだし、苦しんでいるところを見たいわけでもない。
だから、解決してくれるのならその方がいいんだけど。
こんなに色々としてもらって、本当にどうやって返せばいいのか。
「いつも柾人におやつをあげてくれていますし」
「柾人のことだけじゃ、私がしてもらってばかりなのは変わりませんよ。お給金ももらっていますし」
私に言われて、記石さんは少し考えて答えた。
「では、こう考えてもらえればいいです。昔、鬼に関係したことで後悔したことがあって、その人にはもう話すことはできないから……少し似ている美月さんに、お礼をしているのだと」
「私……がですか?」
「そういうことでもないと、なかなか人助けまでは手を出せないもので」
記石さんの言葉に、私は納得する。
なにせ私のことでさえ、当初は「鬼が育つまで放置していた」と言い放った人だ。
柾人の餌のために、多少人が困ったところで何も言わないだろうし、命の危機さえ救っておけば、鬼もより育つから……と放置しかねないのだ。
たぶん、記石さんの言った理由でもないと、亜紀の時に色々と教えてくれたり、喫茶店で鬼の話をしたり、亜紀を助けてはくれなかったかもしれない、という気持ちは前からあったのだ。
今までは「気まぐれ?」と思っていたぐらいなので、理由がついて少しスッキリした感さえある。
「それに、僕の鬼のことも含めて知っているのは美月さんで。本当に柾人の食事を捕まえてくれて助かっているのです。できればずっと、交流を絶たずに側にいてほしいので、嫉妬心から鬼が出来上がる前に誰かに刺されたりしても困ります」
「いや、刺されるのは絶対嫌です!」
二股三股をして自業自得で刺されるならまだしも、不可抗力の作用による嫉妬とか浮かばれない。
記石さんはにっこりと微笑んだ。
「ですから、美月さんのことは守りましょう。今回は不運にもターゲットになったようですので、そこから外れるように、おまじないをしましょう」
「おまじない、ですか?」
記石さんはうなずく。
「呼ばれても、あの人物からの呼び声には美月さんが気づかなくなるように」
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