第37話 私にできること
この日はバイトだった。
私は学校帰りに、いつものように喫茶店オルクスへ直行する。
お客さんがいなければ、隅っこの方で勉強をしていてもいいよと言われているので、今日は宿題を終わらせてしまいたいなと考えながら歩いた。
バイト中に宿題を終わらせられたら、帰ってからのんびり漫画を読んだりできるものね。
お母さんも漫画が大好きで、私が買わなくてもお母さんが新刊をそろえていたりする。今日はたしか、続けて読んでいたシリーズものの発売日だったし、家に帰ったらきっと置いてあるだろう。
楽しみだ。
ぼんやりと考えながら歩いているうちに、喫茶店の裏に到着。
裏口から入り、まずは記石さんにごあいさつする。
「お疲れ様です」
「いらっしゃい美月さん」
微笑む記石さんは、今日もかっこいい。
穏やかそうで大人っぽい雰囲気は、まさにお兄さんといった感じだ。ちなみに記石さんのカウンターの向こうには、お客さんの姿は見えない。
記石さんも本を読んでいたみたいだ。
「今日もよろしくお願いします」
私はそう言って、まずは着替えをする。
そして宿題ができそうだなと思いながら、教科書が入った鞄を手に店内へと入ろうとしたのだけど。
「美月さん」
「うわはい!」
扉を開けたら、そこに記石さんが待ち構えていた。
「おどろかせてごめんね。だけど先に伝えておかないといけないと思って」
「え、なにか重要な伝達事項ですか?」
尋ねた私に、記石さんがうっすらと微笑む。
「重要だと思うよ、君には。店舗側に入った後、決して相手の言うことに同意しないほうがいい、と言いたかったんだ」
「は?」
「見ればわかるよ」
私は首をかしげながらも、お店の中に足を踏み入れる。
さっきまで記石さんが本を読んでいた、カウンターの内側。
そこから少し横にそれると、客席が見える。そこにはまだ誰もいなかったのだけど。
ベルの音を立てて、すぐに店の扉が開いた。
「いらっしゃいま……せ……」
入って来たのは、三谷さんだ。
いや、彼女がお客としてお店に入ることが悪かったわけじゃない。普通の……せめて、前回来た時みたいだったら我慢ができたのだけど。
彼女を見たとたん、私はざわっと総毛立つ。
一見すると、普通に学校帰りに立ち寄ったという状態だ。おかしなかっこうをしているわけじゃない。
でも何かがおかしい。
三谷さんの周囲だけ、光が当たらないような暗さを感じる。はっきりと彼女の姿は見えるのに。
三谷さんは私を見つけると、にたっと口を笑みの形にする。
「一ノ瀬さん、こういうの好きでしょう?」
彼女はお客として来たつもりはまったくないようだった。席にもつかず、注文をする気もなく、私にキラキラとしたビーズのキーホルダーを見せる。
「私とおそろい、しましょう? 」
「え、でも……」
私は迷った。
嫌だと言ったら怒るんじゃないかな。そうなったら、鬼になりかけだという彼女に、何をされるかわからないと思う。
一方で、鬼になりかけの人だからこそ、嘘を言ったらそれはそれで恐ろしいことになりそうだ。
だから「今はバイト中だから」と断ろうとして、思いとどまる。
それじゃバイトの後なら、彼女の話を聞いて「おそろい」にするつもりがあると言っているようなものだ。
考えあぐねた末、私はつい、記石さんを振り返ってしまう。
彼はなんてことないように、私に言った。
「面白そうなのと、様子が見たくて彼女を入れたけれど、嫌なら嫌と言うべきかなこれは」
え、だって。
「彼女に正しいことを言って説得してみるかい? まず無理だろうと思うよ。そしてあそこまで行ってしまったら、鬼となってからしか私には対応できない」
そうだ。
記石さんの解決法は、鬼の柾人に食べさせること。
鬼になるまでは手を出せない。
それに記石さんの言うとおり、三谷さんは説得されてはくれないだろう。今のように状態が進行する前であっても。人の真似をしないでと言っても、言いがかりだと怒るだけなのは予想がつく。
変なことを言って、私と一緒にいる沙也が目の敵にでもされたらますますやっかいだ。
「何にも、できないんですね……私」
つぶやくと、三谷さんは首をかしげる。
「何の話をしているの? それよりねぇ、おそろいにしましょうよ」
彼女の言葉を聞いて、一度目を閉じ、もう一度彼女を見てから私は言った。
「ごめんなさい。おそろいにはできない。私はそのキーホルダーが好みじゃないから」
「わ、私が友達じゃないから? だったら友達に……」
「友達でも、好みが合わないものはおそろいにしないよ」
それができる相手だから、私は沙也や芽衣と友達でいる。
三谷さんの顔から表情が抜け落ちる。
同時に、寒気が強くなった。
さわさわと三谷さんから、冷たい風が吹きつけてきてるみたいだ。髪の一筋すら動いていないのに。
亜紀の時みたいに、何か起きるかもと身構えたけれど。
「久住さんならおそろいにするのに、どうして、うそつき!」
そう言って、三谷さんは店を飛び出して行ってしまった。
「うそはついていないんだけどな……」
ただ沙也に恨みが向かっては困るから、沙也のセンスがいいからだ、とは言っていないだけで。
なにせそんなことを言ったら、私が三谷さんのセンスが良いと思っていないことがバレてしまう。よけいに怒らせただろう。
でも不安だ。
心の中がもやついていると、記石さんが言う。
「もしかすると、今ので自分ではどうしようもないと諦めてくれたかもしれませんよ?」
振り返ると、記石さんはカウンターに肘をついてのんびりとした態度で私を見ていた。
「なんにせよ、あなたにはどうにもできないことです。そもそも言葉でも行動でも、一生懸命に何かしてやったところで他人を救えるものではないでしょう。他人を救えるとしたら、相手が受け入れる時期だったという、幸運がなければ難しいのでは?」
「運……ですか」
「それ以外の場合は、自分でしか自分を救えない。でもたいてい、迷走している時期というのは、目隠しをしているように何も見えないものですよ」
だから、と記石さんは付け加えた。
「もしあなたが何かするべきだとしたら、彼女の気持ちが向かうだろう相手を、守ることではないでしょうか。もちろん、今すぐに出かけていいですよ?」
私はハッとした。
慌てて沙也に電話をかける。七秒ほどで沙也が電話を受信した。
「はいはーい」
応じた沙也に急いで聞く。
「今どこ!?」
「え? まだ学校だけど……」
私はぞっとした。
ここは学校に近い。三谷さんがすぐに沙也の所にたどり着いてしまう。
「沙也、何も言わずに、とにかく人の多い所へ行ってくれる?」
「人の多い所?」
唐突な話に沙也もついていけないようだ。困惑しているのが声からわかる。
「これから私も学校に行くから! 移動したらその場所教えて? ちょっと喫茶店まで一緒に付き合ってほしいんだ」
「喫茶店に? う、うん、まぁいいけど……」
「お願いね。あと三谷さんが見えたら、なおさら人の多い所から動かないでいて」
「えっ、三谷さん!?」
その名前を聞いて、沙也の声に恐怖の色が混ざる。
少し前まで悩まされたことや、怪我をした人そっくりになったというおかしな話も聞いているのだから、得体のしれない人として警戒するのも当然だ。
私は電話を切ると、記石さんにお願いした。
「すみません、友達を迎えに行かせてください」
「はい、わかりました。ここへ連れて来た方が確実でしょうからね。いってらっしゃい美月さん」
「ありがとうございます!」
私はそのままの格好でお店を飛び出した。
だからその後の彼らの会話の内容を知らない。
***
「ねぇ柾人。これでいいと思うかい?」
「目的が達成されるといいんだがな」
人の姿を写し取った鬼は、ニッと蛇のように笑った。
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