第15話 駆け込んだ先で

 さっきのは何だろう。

 亜紀の声がした、変な巨大な鳥……。確かあの鳥は前にも見たことがある。

 交差点で、車に向かって突き飛ばされそうになった時だ。


「学校で……まだお昼なのに」


 暗くない間なら大丈夫だと思ったのに、どうして。

 亜紀の声がした理由もよくわからない。やっぱり私、恨まれてるの?

 とりあえず学校から離れたかった。だから私は玄関で靴を履き替えると、足早に歩き始めた。


 学校の周辺は、他の生徒たちも一杯いる。人がいることを確認しながら、駅へ向かった。

 でも時々、ふっと冷たい視線が自分に突き刺さるのを感じてしまう。

 振り返りたくない。

 気のせいだと思いたい。

 だから前と横ばかり向いていたのだけど……駅の前に、亜紀の姿が一瞬だけ見えた。


 思わず立ち止まった。

 その一瞬の隙に、駅の近くに立っていた亜紀の姿は消える。幻覚を見たみたいに。


「どう……」


 どうしよう。

 このまま地下鉄へ入るのなら、階段を下りなくちゃいけない。人はそこそこいるけれど、この間の交差点だって、すぐ目の前にいた人の姿さえ一瞬で消えてしまった。

 まるで私一人だけが、どこか別な場所に放り込まれたみたいに。


 階段で何もなかったとしても、ホームに並んでいる時に、後ろから突き飛ばされたら……。考えれば考えるほど、駅にそれ以上近づけない。

 でもどこへ行けばいい? 学校もだめ。こんなんじゃ家にも帰れない。

 途方に暮れた時に思い出したのは、記石さんの言葉だった。


 ――ここは、不必要な人には見向きもされない店ですよ。


 亜紀が、本を読んでほしいというあの喫茶店を、必要としているようには思えない。

 それに記石さんは、衝立がなくても外にいる人は気づかないと言ってくれた。


「行こう」


 私は駅から離れた。目的の場所が決まったこと、走っていける場所だからか、進むたびに自然と足が速くなっていく。

 その間も、あの冷たい視線を感じた。亜紀が、もしくはあの片羽のカラスが追いかけてきている。

 そう思うと、もどかしいけれど明るくて人の多い道をえらばざるをえなくて、少し遠回りをした。


 信号を渡った向こうに、白壁の喫茶店「オルクス」の姿が見えた時、ほっとした。

 けれど信号の向こうに、黒い靄がふわっと湧き上がる。

 息を飲んだ私だったけれど、


「いらっしゃいませ。お待ちしていましたよ」


 肩に手を触れて、そう言った人が側に現れた。

 横を向けば、そこに記石さんがいた。白いシャツに黒のエプロンとズボン姿。

 喫茶店からわざわざ出て来てくれたような服装で。


 でも私は、思わず悲鳴を上げそうになった。

 だって亜紀も変なカラスも、さっきから突然に現れる。

 同じように居ないと思っていたはずの場所に記石さんがいて、彼も亜紀みたいにおかしなことになっているのかと疑ったからだ。

 離れようとする私の腕を、記石さんが掴む。


「落ち着いて下さい美月さん。僕はお店に来て下さったんだと思って、迎えに来ただけですよ」


「お店……」


 そうか、と記石さんの言葉に納得する。

 お店に通っている常連さんがいたから、たまたま肩に手を置いて声をかけた。

 確かに不自然じゃないかもしれない。

 ふっと息をつきかけたけれど、お店の方を見れば、まだあの変な黒いカラスが見える。


 迎えに来られても、あれがいる限り、お店には行けない。

 本当に、誰にも見えないんだろうかと横を向いたら、周囲にいたはずの人の姿が消えていた。

 慌てて記石さんを見れば、彼はいた。 


「大丈夫、僕はここにいます」


 私の考えを察したかのように、記石さんがそう言ってくれる。


「それにあちらも、問題ありませんよ。そろそろいい頃合いです」


 記石さんがそう言った時、ふいに片羽のカラスに襲いかかる赤い生き物があった。

 煙が虎のような輪郭をとったようなソレは、カラスを食いちぎるように引き裂く。

 鳥の悲鳴が上がった。


 すると、カラスから抜け出るように亜紀の姿が現れた。

 彼女は青白い顔をしたまま、虎の口に吸い込まれるように消えるカラスを、ぼんやりと見つめていた。

 散り散りになったカラスは、もう泣き声も上げずに黒いモヤになって、亜紀の体にまとわりつこうとする。

 虎から人に姿を変えたものが、黒いモヤを唐揚げみたいに摘まんだ。

 赤みがかった髪色の、記石さんにとても良く似た人だ。

 彼の姿を見てはっとする。


「ごちそうさん」


 毒々しい笑みを浮かべた赤髪の記石さんを、私はぼんやりと見つめるしかない。

 これは一体何なのか。

 自分は夢でも見ているのかもしれない、という気がしてきた。


「さ、行きましょう」


 あっけにとられていた私の手を、記石さんが引いて歩き出す。


「え、でも」


 まだそこに亜紀がいるのに。

 近くを通ったら、きっと何か言われるのでは。

 もしくは階段の上から突き飛ばそうとしたようなことを、またされるのではと思った。

 でも記石さんは大丈夫だと言う。


「彼が止めているから」


 そう言って指さすのは、あの毒々しい雰囲気の記石さんそっくりの人だ。


「あの人は……」


「説明は中に入ってからにしよう」


 記石さんは私の腕をひいて進んで行く。

 釣られて歩く私は、やがて亜紀の横を通り過ぎ、


『ひどい……なんで私だけ……』


 ぶつぶつとつぶやく亜紀の声に、背筋が寒くなりながら、無事に喫茶店の中に入った。

 店内はいつも通りに静かだった。

 音楽もかかっていないから、外を走る車の音や、歩いていく記石さんの足音しか聞こえない。いつも二人か三人はいるお客さんの姿も見えない。

 私の手を離した記石さんは、


「まずは座って」


 と私を促して、先に窓際のテーブルの前に座った。

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