第9話 追いかける足音

 歩き始めてから、私は思い出し笑いをしてしまった。

 最初に喫茶店へ入った時は、やたら美形な店員さんがいて、落ち着かないんじゃないかとハラハラしたものだった。

 いつも微笑んでいるようで、どこか冷たい感じがしたのは……綺麗な人だからだろうか。


 そう思っていたのに、今日で記石さんの印象がかなり変わってしまった。

 サービスにもお客を増やす下心があるからとか、普通のお店の経営者らしくて、そこが逆に人間らしくて安心する。


 そんなことを考えつつ、私は先を急いだ。

 大きな道に出て、人波に混ざって地下鉄駅へ向かう。

 乗り換えもなく、地下鉄に乗って15分で家に近い駅に着いた。


 地上に出ると、もう空は暗い。道路脇の街灯が明るく光る道を、私はいつものように家に向かって歩き始めた。

 大きな道を外れて、路地へ。同じ方向へ向かう人が少しずつ少なくなって行って、前を歩いていたサラリーマンも途中のマンションへ入って行く。


 すると……なんだか後ろの足音が気になった。

 さっきまで自分一人だと思っていたけれど、後ろにまだ人がいたみたいだ。

 足音だと思うけど、なんだか変なつぶやきが聞こえる。


「……なん……私じゃ……」


 悩み事がある人なのかもしれないけど、ぶつぶつとつぶやきながら歩く人が後ろにいるかと思うと、ちょっと怖い。

 ついこの間『むしゃくしゃして』という理由での、通り魔事件のニュースも見た。不安定そうな人だったら同じようなことをするかもと、背筋がひやっとするのだ。


 こういう時は離れるのが一番だ。だから刺激しないように、でも足を早めて遠ざかろうとしたんだけど。

 なぜか、背後の足音も早くなる。

 スニーカーの私の足音と合わせるように、硬めの靴底らしい音がこつこつと続いて響く。 


 背筋がぞわっとした。まさか、変な人に目を付けられたんだろうか。

 本当に通り魔だったらどうしよう。

 怖くなった私は、走り出した。


 でも背後の足音も速度を上げる。

 追って来るせわしない靴音に、私は悲鳴を上げそうになった。

 そして気づいた。

 もしかしてこのまま家に帰ってしまったら、家にこの変な人を連れて行くことになっちゃうことに。


 うちのお母さん、私より小柄なのに戦闘意欲が強すぎて、絶対に傘とか片手に戦いに出て行っちゃう!

 相手が逃げてくれなかったら、大変なことになってしまうと思った私は、十字路を家とは違う方向へ走った。


 たどり着いたのは小さなコンビニだ。中に駆け込む直前押されるような感覚に、喉の奥で悲鳴を上げる。

 しかもレジには店員さんがいない。

 助けが呼べない!と怯えながらも背後を振り返ったら。


「……うそ」


 外には誰もいなかった。ほんの数秒前に、私を背後から押したはずなのに。



 翌日私は、気味の悪い出来事に怯えて、寝不足気味のまま起きた。

 家の外に出るのも怖かったけど、お母さんになんて相談したら良いのかわからない。

 風邪を引いてもいないのは丸わかりだし、頭が痛いと言っても見破られそう。かといって、昨晩の出来事をどう説明したらいいのかわからない。


 あともう一つ問題がある。

 亜紀の母親とうちのお母さんが会ったりしたら、具合が悪いみたいで休ませたのーと話をしてしまうだろう。そうしたら亜紀がお見舞いを口実にやってくる。

 部屋の中に来た亜紀に、ずっとのろけを聞かされたら……。


 だめだ、却下だ。

 私はお母さんに話すのはやめ、意地でも学校へ行くことにした。

 でも顔色が相当悪かったらしい。


「美月、顔色悪いわよ?」


「ちょ、ちょっと貧血気味かなぁ……あはははは。何でもないよー」


 私は元気なふりをして、慌てて家を出た。

 そして玄関を出た所で、改めて本題を思い出す。


 家から出てしまった……。また、昨日の夜のように変な足音がついてきたらどうしよう。

 ストーカーが家を見張っていたら?

 その時ふと、鍵をしまったポケットの中に、喫茶店のレシートが入っていたことに気づく。


 なんとなくだけど、喫茶店通いをしていることを親に知られたくなくて、いつもは途中のコンビニなんかのゴミ箱にレシートを入れていた。

 だけど、今回は持って帰ってきていたみたいだ。

 後で捨てなくちゃいけないと思っていると、快晴だからなのか、じりじりと日光に頭が炙られている感覚があった。


 今日は少し暑いくらいだ。

 見回せば、住宅街を歩いて出勤する人達もちらほら見える。

 人の姿は途切れていない。そして話したことはないご近所さんでも、ストーカーがいたら、助けてもらえるかもしれないと思えた。


「うん、大丈夫」


 そうして私は、学校へ向かって歩き始め……何事もなく学校へ到着できたのだった。



 学校の玄関で靴を履き替えてから、ようやくほっと息をつく。

 しかもストーカーのことで頭がいっぱいで、教室に入った後、後から登校してきた芽衣や沙也に挨拶した後で、ようやく亜紀のことを思い出した有様だ。

 でも他のことに気を取られると、気分転換にはなった気がする。

 とにかく先にやるべきは、昨日の後始末だ。


「おはよう、昨日はありがとう」


 荷物を置いた芽衣と沙也に近づき、昨日のお礼を伝える。


「気にしないでいいよー。やー、あれはさすがに逃げるよねこれ、って実感したもん。それ以上どうこうってことはなかったから」


 にっこりと笑って応じてくれる沙也。


「美月がいないからと思って、私ハッキリ言っちゃった。けど、美月に迷惑かかってない?」


 亜紀のことを一刀両断した芽衣が、私のことを気遣ってくれる。迷惑をかけたのは私の方なのに、優しい。


「大丈夫。愚痴は来たけど、予想の範囲内だもの。むしろこれで諦めてくれたら嬉しいし……。縁が切れても、仕方ないなって思って避けてたから」


 むしろ縁が切れるのなら、やんわりと遠ざかる形でお願いしたい。なにせ親同士が知り合いで、近所だと、わかりやすくいざこざが発生するのは望ましくない。


「そう? 何かあったら言ってね」


「うん。むしろここまで巻き込んだ以上は、理由とか話したいんだけど……」


 と言いかけて、私は迷った。

 学校内でこそこそ話していたら、亜紀に見つかる恐れがある。立ち聞きされた時に、彼女のことを悪く言っていると思われるだろう。

 別な場所と言っても、三人で行動をしたら、一人で逃げ回るよりも見つかりやすそうだ。


 と、そこで記石さんの言葉を思い出す。

 ――不必要な人には見向きもされない店。

 それならもしかすると、追いかけて来られても大丈夫かもしれない?

 もちろん、亜紀が追いかけて来ないようにはするつもりなのだけど。

それにあの近くで亜紀を見かけたのは一度きりだ。

 心の中で行先を決めた私は、二人に行った。


「あの、放課後に喫茶店に付き合ってくれる? 紅茶もコーヒーも一杯300円なの」


「普通の喫茶店にしては安いわね」


「いいよー。落ち着いて話したいかも」


 二人はあっさりOKしてくれる。

 そういうわけで、私は初めて他の人に『喫茶店オルクス』を紹介することにした。

  後は、亜紀が来ることを警戒してたんだけど……。

 この日は昼休みにも姿を現さなかった。

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