我輩は軍犬である 下

 犬である我輩にとって、夜は暗闇ではない。


 犬の眼によって黄緑色に輝く市街の夜景で、サナダと共に医療施設の通りにある民家の裏路地で冷えた風を浴びる。


 散発的な戦闘音が遠くから投げ込まれてくるのを他所に、医療施設の方では内部のスタッフ達が大慌てで患者達を移送している。


 やはりまだまだ時間は掛かりそうである。


 重症の人間も多いのだ、当然と言えば当然だが簡単には動かせない患者もいるのだろう。命に関わらなければいいが。


『体の調子は大丈夫か、マル』


 体が不自由な患者を背負って車に乗せていく民間の有志を影で見守りながら、サナダは我輩に尋ねてくる。


 別に聴かなくてもヘルメットに情報が映るだろうに。


『問題無い、それより我輩との接続は上手く行ってるのか?』

『ああ、お前との肉体の接続は正常だよ。だからお前が危険に感じたものはバッチリとこっちのヘルメットに反映されるさ』

『じゃあ、ヘルメットを見てれば解るだろう。我輩はやる気満々だぞ』

『言葉を交わさなきゃ、理解出来ない事が沢山あるもんだよ』

『交わしても解らん場合は』

『うっ』


 サナダが言葉を詰まらせ暫く黙ると、苦悶をする様にヘルメットを振り回し考えあぐねる。


『……解らないって事が解ったんなら、後は無理せずどう付き合うかだと思うぞ。お互いの認識の落とし処を探ったり、程々に妥協できる位置を探すのは大切な事だと思う。ほら、世界は広いし、やり方は考えていけば幾らでも創って行けるだろ』

『ふむ、思考する事だけは諦めるなと言う事か。――人間の世とかけて、犬と説く』

『その心は?』

『どちらも人との関係が大切でしょう』


 ふっと、お互いに締まらない笑みを浮かべると我輩の鼻、続いて耳が不穏を拾った。


 甘い爆薬の臭いに運ばれてくるのは乾いた土の上を疾走する足のリズム。軽快な足取りとは程遠い、重く打ち鳴らす靴音。


 破裂した怒声が聴こえ、声が波の様に徐々にせり上がり近づいて来る。

 ――来たか。


『サナダ』

『ああ、解ってる。んだよ、思ったより数が多いな』


 サナダがヘルメットの耳側を強めにダブルタップを行い、隊の方へ呼び掛ける。


『隊長こちらウオッチドッグ、来ましたよ。隊長の方も確認出来てます? ――了解、今夜は激しい夜になりそうですね』


 サナダが情報の伝達を手早く済ませると、小銃を両手に抱え闇の彼方を見据える。


『隊長からの連絡だ、反対側にいるチップス達の方もマナーの悪いお客さんが来たってよ』

『……囲まれているのか?』

『ああ、旗が悪眼立ちしちまってるらしい。付近の味方もこっちに合流する手筈なんだが……どうにも統率の取れてない敵と鉢合わせちまったらしくてな』

『周囲で敵味方が入り乱れているのか、それは恐い。ちゃんと避難できるといいのだが』

『逃げるが勝ちだよな、この状況』


 待ち伏せている通りの路地から、境界線へと侵入する様に影が幾つも走って来た。

 国連兵士の物とは程遠い、統一性の無い雑多な装備を両手で抱えて、存在も定義もあやふやな者の名と聞き覚えの無い単語を声高々に上げている。


『『じはーど』とは何だ?』

『聖いなる戦いって意味だ、大儀ってやつだな』


 サナダが小銃を構え、路地裏から何時でも飛び出せるようにすると、我輩は何時も通りに立ち上がり身を締める。


『難儀だな、大儀の正当性を一体誰に対して謳うのか』

『皆が証明したいのさ、こう考えて行動している自分がここにいるぞってな』

『ならば出向いて対応してやろう、それ相応に』


 敵兵が我輩達に気付かず、横切ろうと民間の非営利施設へと殺到していく。


 サナダと同時に路地から飛び出し、体全体の筋肉を何時も通りに伸ばし広げ縮めて疾走する。


 サナダの小銃が背後で乾いた発砲音を短く三つ上げると、背中を見せていた敵兵の1人が後頭部に三つの重ねた穴を開けて走り転がる。


 他の敵兵が漸く事態に気付き我輩の方へと振り向くが、既に此方の走りは十八番の速度に移っている。


 地面から弾ける様に跳んだ。


 ――ほら、お前達の行動の結果だぞ、受け取れ。


 5人の敵兵に速度を殺さず飛び込み、左側の男の二の腕に噛み付き勢いのままに押し倒す。


 我輩によって突如押し倒された男の喚きに、他の4人が意識をそちらに向ける。


 ぱっ、ぱっ、ぱっと地味な射撃音が連続し物陰に潜んだ隊長達の火線が敵兵へと集中した。

 我輩の目の前に物言わぬ人の体が五つになった。


 動かなくなった敵兵の腹に巻かれた即席の爆発物が赤い血により滑り、我輩の夜目には光沢を帯びて輝いてみえる。


 生温い鉄の臭いが嗅覚を遮ろうとするが、それでもこの体は正確に近づいて来る者達を把握できた。


『これで諦めてくるような奴らだったら苦労しないか』


 ――だな。


 我輩の背後を護るサナダの溜め息に同意すると隊長がオクイズミ達を連れ立って待ち伏せ場所から出てくる。


 ヒロエが一度だけ事切れた敵兵の顔をチラリと覗くが直ぐにソッポを向いた。


『上等だ、建物の影を利用して前に出るぞお前たち。地形を利用してガンガン闇撃ちだ、やつらを俺達の後ろに通すなよ!』

『了解!!』

『犬の耳と嗅覚を視覚情報に得た、人間の群れの恐ろしさを見せてやるぞ』


 我輩を先頭に6人の兵士が血風荒けっぷうすさぶ夜の市街へと、境界線を犯す者達を始末する為に潜り込む。


 間近で銃声を聴いたからなのか、似た様な家屋の隙間へと二波の敵兵たちが散って隠れようとしていくのが鼻と耳で伝わって来る。


『どこに隠れているかバレているとも知らずにな、オクイズミ! かましてやれ、盛大にな!!』


『お任せあれ! よっと!!』


 オクイズミが腰から野球ボール程の黒い球体を、ピンを外して大仰に振りかぶって見当を付けた方向へと投げ込む。


 視界にそれが入らない様に我輩は咄嗟に顔を背けると、甲高い破裂音が夜の市街に木霊して閃光の端が僅かに視界を横切った。


 サナダ達が一斉に動き出して暗闇にのたうつ敵兵へ一方的な攻撃を行い沈黙させていく。


 当然の帰結だ。


 我輩の存在そのものが先陣を駆るセンサーとなり標的を探し出して捕捉し、首輪式の機器がその情報を伝達してサナダ達のヘルメットに軍事衛星から作られた地図と共に視覚情報として出力しているのだ。


 人間の『隠れる』基準では、我輩からは逃げられない。


 敵より先に相手を捉え有利に位置を押さえ、強襲して狩る。

 これが我輩達の戦場における戦い方だ。


 息をつく暇も無く、無傷の敵兵が視界が視えぬまま猛け狂った雄叫びを上げて、こちらへと突っ込んでくる。

 勿論甘ったるい臭いの原因が、そいつの胴体に撒きつけらていた。


 止めるべく体当たりを敢行して敵兵が転ぶと、ハラダの射撃が敵兵の胸から首にかけて命中していく。噴出する敵兵の血液を他所に、サナダが急いでこちらに駆けつけて叱るのか褒めるのか解らない様な強さで我輩のデコを撫で付け、即席のアンブッシュ場所へと連れ込まれる。


『今のは無理に飛び出さなくても大丈夫だ、お前がチームの中心なんだからあんまり飛び出すなよ』

『ならもう少し早く反応してくれ、観てて冷や冷やする』

『お前の動態視力を基準にしたら、俺らの行動は何だって遅いだろ、無茶言うな』

『2人とも、静に』


 コバヤシがドスの効いた一言で一刺し指をヘルメットへ添えて、我輩達が慌てて押し黙る。


 敵兵の次の動きは感じられない。


『……終わりっすかね?』

『だといいが……っと、今度はグットタイミングだな』


 我輩が嗅ぎ取れない敵兵の存在を心配する隊長に通信の光源が届く。

 隊長の応答にサナダ達が僅かに期待を滲ませて待機していると、隊長の通信が終る。

 後方から響くクランクションの音にハラダが敏感に反応した。


『移送準備完了の目処と迎えが来たようだ、俺達も一緒に撤収するぞ』

『やっりい!』

『あ、そういや反対側の防衛務めてた大国組みはどうなったんすか?』

『あっちは一足先に向って』


 全員のヘルメットに一斉赤い光源が一斉に横切りオープンチャンネルが着信した。

 これから戻る予定である医療施設の彼方から、薬品と患者たちを飛び越えて、微かにだが嗅いだ事の在る臭いが届いて来る。


 気付けば我輩は間髪を入れずに医療施設へと駆け出していた。


『なっ――マル!』


 サナダが仲間の制止も聴かずに我輩の後を追いかけ追走しようとするが、重装備を纏った人間の速力ではこちらに追い縋るのは無理だろう。


 ――大国組みの方で取り逃がしてしまったのか!?


 暗に告げられる臭いの符丁が超えては行けないラインを過ぎてしまっていることを引っ切り無しに告げる。

 身に付けているアーマーの結び目がキツクなるほどに体を疾走させているが果たして追いつけるだろうか。


 昼間に赴いた市街の惨状が脳裏を過ぎり、救助出来た赤ん坊の泣き声と匂いが耳と鼻に反芻される。

 繰り返しては、駄目だろ。


 呼吸を止めてより一層と四肢を駆動させる。

 夜目に輝く静かな夜景が風を切って流動していく。

 目的の臭いが確かに近づき、我輩の視界でぼやけていた目的地の状況が徐々に迫り輪郭を捉えていく。


 出発の手筈を終えようとする患者を乗せ込む民間の移送車と、護衛する為に後方で待機している装甲車。

 軍人たちが負傷者を運ぶのを手伝う為に、こちらへ背を向けている。


 その背後へと小柄なフードが裏路地から飛び出していた。

 間に合う事を望みながらフードへと身を跳ばす。


「っ!?」


 何とか相手の右足首に喰らいつき、押し止める。口の中に塩っけ混じりの血が滲みだす。

 フードの中からチラつく腹に巻かれた時代遅れの小型のダイナマイトで作られた粗雑な爆弾には、既に火が燻り導火線を縮めている。

 小柄なフードが頼り無さそうな拳銃を取り出し、足首に喰らいつく我輩目掛けてめくら撃ちに発砲してきた。

 8発中の3発がアーマー越しに飛び退きそうな衝撃を与えるが、より牙を食い込ませて足に力を入れる。


 背中と胴から全身へ衝撃と痛みが駆け抜けるが、それでもこの口を離す訳にはいかない。

 フードの顔が我輩へと怒りと傷みに震える煮え滾った視線を合わせる。


 ――なっ。


 発砲音に漸く気付いた軍人たちが振り向き、事態に気付いて銃口をこちらへ向ける。


 我輩が見つめるフードの頭部へ、小さな放射物が威力と共に抉った。

 発砲音が聴こえた我輩の背後で聴き慣れた息遣いと臭いが近づくと、我輩からフードの身体を取り上げて物言わぬ肉体の腕を砲丸投げの要領で一回転振り回して、我輩達の通った誰もいない通りへと投げ込んだ。


『皆、伏せろ!』


 サナダが硝煙の臭いを洩らす拳銃を放って我輩を庇うように覆い被さった。


 緑色に輝く夜景で炎が舞い上がる。

 即席の爆発物の破片が幾つかサナダに降り注ぎ、ヘルメットとアーマーに食い込んで行く。


 破片が殺傷能力を発揮出来ずに空中から地面へと飛び散る中で、重量のある肉が落ちる音が混じっていた。


 崩れ落ちたフードの袖から、幾つもの注射器が打たれた細い腕が晒される。


『マル……お前のせいじゃない、撃ったのは俺だ』


 気付けば情けない鳴き声を自分の口から上げていた。

 サナダが寄り添い、破損したヘルメットを脱ぎ捨てて、額から血を滲ませるのをそのままにフードから晒される敵の顔を見つめる。


 あどけなさの残る表情が、瞳を瞑ったまま赤い涙を流していた。








「ワフッ」


 駄目である。コレは我輩のお気にである。


「キューン、キュフーン」


 ――負傷犬らしく振舞っても駄目である。


「ワフン」

「ちょっとくらい貸してやれよ、マル。チップスも頑張ったんだからさ」


「ワンッ」

「おおわ、チップス腹に乗っかるのは駄目だっていだああっ!?」


 首にエリザベスカラーと左眼に包帯を巻いたチップス16世殿が、脇腹の負傷が感知していないサナダに甘えまくって行く。


 ふん、他の犬を下手に甘やかすからこうなるのである。


 ジープのガラスから入り込む燦々さんさんとした正午の陽射しが眩しい。


 久しぶりにとれた休暇で我輩とサナダは戦地から遠く離れたとある病院へと向っていた。

 運転手はチップス16世殿のハンドラーだが、その左手は包帯で簀巻きの様になっている。


「こらー、チップス。何時も誰から構わずジャレつくのは止めなさいと言ってるだろ?」


 バックミラー越しに伝えてくる表情はサングラスで良く見えないが口元はどう見ても笑っている。

 人間は愛想の好い犬に甘すぎるのではないだろうか。


 ……試しに人間の真似で笑ってみる。


「うおっ!? どうしたマル? そんなに牙を剥き出しにして」


 やるんじゃなかった。


 ジープが反動強めのブレーキで停車すると、真白い大きな建物が目の前にあった。


「おし、病院に着いたぞ」

「キューン、キューン」

「チップス恐がる事ないぞ、今日はお前の健康診断じゃないんだ」


 それでも嫌々そうにするチップスを、彼のハンドラーが抱っこをして連れ出していく。

 チップス16世殿はよく軍犬が務まると偶に不思議になる。


「よし、俺達も行くぞ」


 横腹を押さえるサナダが見出しを整えながら先導するように先を行く。

 我輩も降りようとしたら意外と段差が在る事に気付いた。


 包帯が取れたばかりの身としては躊躇する高さだ。


「ああ、ほれ、こっち」

「アンッ」


 返事を一つ上げてサナダに飛びつきそのまま院内へと運ばれていく。

 一体なんだと言うのだろう、久しぶりに風呂に入ったと思ったらこれである。


 自動ドアの扉が開き、反射で見え難かった院内のホールが姿を現す。

 見知った顔の患者達が、花束や犬用のお菓子を持ってこちらを見つめ並んでいた。


 やけに嬉しそうにしているその顔に訳が解らず戸惑い、我輩を抱え込むサナダを見上げた。

 サナダが愉快そうに頬に笑窪を作る。


「不思議そうにするなよ、皆お前とチップスにお礼を言いたいんだ」


 サナダが抱え込む我輩を降ろすが、どうしたらいいか解らない身としては身動きの取れようが無い。


 無邪気に愛想を全力で振舞うチップス16世殿に続くべきだろうか。


 サナダもサナダで何時かの男性に熱い抱擁をされているし。


「ハロー、パピー」


 拙い大国の言葉が我輩へと投げ掛けられる。

 そちらを向けば、見違えるほどに元気そうにしている笑顔の母親と赤子の姿が在った。


 思わず駆け寄ると、母親が赤子を抱え込んだまま我輩へと目線を合わせるように屈み込みこちらの眉間と頬を温かい手でなぞって行く。


 その仕草を真似する様に今度は赤子が我輩の黒い鼻先へと細い手を伸ばす。

 柔らかくふっくらとした手肌の感触がどこまでも心地良い。


 ――ああ、やはり。




 我輩は犬である。

 人間と言う同じ哺乳類の仲間と共に並んで、同じ未来を歩いていく、動物である。

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我輩は軍犬である 赤崎桐也 @monnta

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