ガーデンメイド・チルドレン -おそらく花の中に最初の視覚が試みられた-

扇智史

ガーデンメイド・チルドレン -おそらく花の中に最初の視覚が試みられた-

「そんな目で見ないで!」


 美鳩みはとは声を張り上げ、佳弥かやの視線を拒んだ。


「何よ、何か文句でもあるの!?」


 あくまで高圧的に言いつのる美鳩に、佳弥は無言で首を振る。美鳩の横暴で無邪気な罵声に、佳弥はあくまで冷ややかだ。どうせふたりとも、同じ目をしているのだから。

 大垣おおがき美鳩と竹縄たけなわ佳弥の目は、同じDNA配列からできている。薄い鳶色は、彼女らが生まれる頃に流行ったコミックの主人公と同じ色だ。円い瞳はあまり大きくなく、目尻が気持ち切れ長で、細い睫毛はわずかに外に跳ねている。

 けれど、美鳩の輝くように熱を持った瞳と、佳弥の冷たく感情を殺した視線とは、衝突し合って相容れない。


「言いたいことあるならはっきり言いなさいよ、んな仏頂面してないで」


 佳弥より10センチも背の高い美鳩は、あえて机に手を付き、表情と姿勢で佳弥を威圧する。佳弥の眼前で、美鳩のやわらかい金髪が、ぞっとするほど美しいうねりを描く。


「……別に、何も」


 佳弥は座ったまま首をかしげ、


「怒ってないし」

「だったらそう言えば!? いっつも同じ顔して、コピペしたみたいに、気持ち悪いのよ!」


 美鳩の怒りが勝手にエスカレートするほど、佳弥は逆に冷めていく。


 ほんのちょっと、美鳩が机に足をぶつけたのだ。ほとんど反射的に佳弥が無言で顔を上げたら、まるで因縁をつけるみたいに美鳩が突っかかってきた。佳弥は何か言う気にもなれず見つめ返しただけだったが、それが美鳩の怒りの炎に油を注いだようだった。


「美鳩ぉ、ほっときなよ竹縄さんのことなんか」


 取り巻きの佐伯がにやにや笑い、他の数名も追従する。


「そうそう」「それより美鳩、足平気?」「せっかくのふくらはぎに傷ついたら大変」「うんうん」「特注で世界にひとつだもんね」「うちらとは違うし」


「ありがと、みんな。平気だよ」


 微笑んで、美鳩は軽くスカートを上げる。すねには傷どころか腫れの一つもない。まっすぐな骨格とほどよい肉付きは、オーダー時に算出された脚線美を見事に再現しているのだろう。そのたおやかな色気は、顔立ちの闊達さと対をなしている。一から計算された造型だけが持つ総体的な完成、というものかもしれない。


「もう行こ、怒鳴ったらおなかすいた」


 美鳩の軽口と、取り巻きたちの笑いをまとうようにして、彼女たちは教室を出て行った。つかのま静まりかえった教室に、佳弥が椅子を引く音が響いた。

 刺さるような視線を感じる。ARで[空気]を読めば、クラスメイトが佳弥を責める赤い矢印が投影されるだろう。じかに攻撃されはしないだろうが、面倒につき合う義理はない。そもそも、彼女の昼休みの居場所はここじゃないのだ。


 うつむいて目だけ向ける桜庭さくらばと露骨に睨んでくる小野寺をそろって無視して、佳弥は教室を出た。廊下の窓から見下ろすと、校舎裏の花壇のそばで伊吹いぶきがしゃがんでいる。顔を上げた伊吹の、額から生えたベージュ色の角が、陽射しを浴びてつややかに光る。

 伊吹から飛ばされた【喜】タグ付きのスマイルマークが、視界の隅でポップする。マークをタップして【すぐ行きます】と返答し、佳弥は心持ち早足で歩き出す。廊下はタグ付き会話と拡張装飾でひしめいていて、何ともかしましい。視界の隅の×マークに触れて、投影を消す。


 空間を掃き清めてすっきりした廊下には、ガーデンメイドもオーダーメイドもNSも入り交じった生徒たち。かれらを横目に、佳弥はぼんやりと、さっきの美鳩の瞳が思い出している。[ガーデン]でデザインされた、佳弥と同じ目。


 ――この30年ほど、世界最大の発生シミュレーターであり続ける[ガーデン]では、日夜、様々な特徴を発現する遺伝子配列が多数発見されている。[ガーデン]製作者の理念により、それらはすべて公開され、オープンソース配列として誰でも利用できることになっている。

 [ガーデン]は、任意のDNA配列から生物の発生を現実の数万倍の速度でシミュレートするシステムだ。成長した姿はARで表現され、問題のある部分は即座に特定、世界中の「ガーデナー」コミュニティの手によって改善される。

 ヒトのDNAを出生前に組み換える技術は[ガーデン]以前にも存在した。が、問題なく機能する配列を発見し、それが親の希望通り作用するかを確認する困難さのため、その利用は皆無に等しかった。道楽にしてはリスクが高すぎたのだ。

 しかし[ガーデン]は、理想のDNA配列を発見する速度を早め、同時に親の欲求も加速させた。無数のバリエーションから気に入ったデザインをチョイスし、精子や卵子へ導入して、人工授精によって妊娠、出産するというプロセスが普及したのである。

 その一方で、遺伝子組み換え全般のコストとリスクが低下したことから、子どもの外見をゼロからデザインし、他の誰でもない自分たちだけの子どもを作ろうとする親も増えた。DNAデザイナーに依頼し、完璧で理想的な身体を生み出す遺伝子を設計してもらうのだ。


 完全にデザインされた【オーダーメイド】の子ども、オープンソース配列を組み合わせて生まれた【ガーデンメイド】の子ども――もちろん、遺伝子を改変しない【ナチュラル】な子どももいる――様々な生まれが入り交じっているのが、佳弥の世代の様相なのだった。


 典型的なガーデンメイドの佳弥は、目の形も耳たぶも髪質も、骨格や爪の形までオープンソースだ。バストやヒップのサイズになると、生活環境もあってゲノムだけでは完璧には決まらないが、だいたいの成長範囲は分かるという。


 対して美鳩はオーダーメイドの体を自負し、それを堂々と見せつけている。アクセサリや私服、そして遺伝子だけでは決まらない体型を維持する努力、そのための時間や小遣いを準備する家の裕福さと寛容さから、その自信が根拠のあるものだと分かる。


 ……なのに、佳弥と美鳩の目は、まったく同じ形をしている。それは、美鳩の目を生み出した遺伝子配列がガーデンメイドであることを示唆していた。


 電書のサムネや動画のロゴに既製のフォントを用いるグラフィックデザイナーのように、オープンソース遺伝子をデザイナーが流用することは多いし、それは[ガーデン]の理念上も許されている。

 たいていの親も、全体の調和さえあれば、ガーデンメイドが利用されていても文句は言わない。当の子どもも、自分がガーデンメイドだと自覚していれば、他人との一致は当たり前と思うし、どちらかといえば共感を持つだろう。


 ただ、美鳩はそうはいかないらしい。沽券に関わるとでも感じているのかもしれない。そんな美鳩がいちいち突っかかってくるのに、佳弥はうんざりしているのだった。


 ――ため息をついた時には、佳弥は校舎の裏手にある小さな花壇に到着していた。縁取りのブロックにハンカチを敷いて腰を下ろした伊吹が、丸顔をほころばせてこちらを見上げ、


「おにぎり食べる?」

「……いただきます」


 美鳩のせいで、お昼を食べそびれていたのだ。伊吹の気遣いに感謝しつつ一口食べると、塩味が利いて食欲をいっそうそそる。無言でおにぎりを口に運ぶ佳弥の様子に、伊吹は満足げだ。常よりいっそう垂れ下がった眉の上、額の角がぴくぴくと震える。

 角とか牙とか鱗とか、時には余分な目すら持つ【NS】――非標準体格の子どもも[ガーデン]と遺伝子工学の産物だが、佳弥たちにとっては見慣れたものだ。尖っていないし邪魔にもならない、触るとつるっとしている伊吹の角を、佳弥はむしろかわいらしいと感じる。


 伊吹はお茶をすすりながら、


「あまり雨降らないから心配だったけど、最近の花はやっぱり強いね。みんな元気」

「【目の花】はどうです?」

「もちろん順調、見てみなよ」


 伊吹が目顔でうながすので、佳弥は花壇のいちばん奥を見やった。

 コスモスに似た花が、陽射しに向けてめいっぱい花弁を開いている。ただ、一般的な花と決定的に異なるのは、本来ならめしべがあるはずの花の中央……そこに、やわらかなガラス玉、とでも言えそうな球体が生えているのだった。球体の中央には、黒い塊がわだかまっている。


「元気そうですね」


 指で球体に触れると、ゼリーのように波打つ。ヒトの水晶体を思わせるその球体にちなみ、それは【目の花】と呼ばれている。[ガーデン]で発生実験が行われていた頃からの名称だ、と、佳弥が種子を買ったストアのページに書いてあった。


「コミュに写真上げたらけっこう評判だよ。うちの、よく育ってるんだって」


 嬉しそうに言いながら、伊吹は空中をタップする。「ガーデナー」のコミュニティSNSが開き、【目の花】グループのメンバーが送った花の映像とコメントがずらりと並ぶ。

 「ガーデナー」のコミュニティは、オープンソース植物の種子を代理店で買ったユーザーから、ゲノム調整に参加したデザイナーまで誰でも参加できる。育成の成果を共有して遺伝子の改良に活かすという共通の目的があるから、みなコメントが温かくて真摯だ。


「今日の映像もさっき送っといた」


 伊吹がその映像を浮上させると、


≪[結高園芸]さんはうまく育ってますね≫≪【羨】≫≪目のサイズは平均より5ミリ大かな≫≪【求】肥料と水質≫


 賞賛と羨望のコメントが流れてきて、自然と笑みがこぼれる。


 佳弥にとっては、こうして【目の花】の話ができるこの時間が、いちばん心が安らぐ。おにぎりを食べながら、彼女はエアロキーボードでコメントへの返答を入力していく。

 それに応じるように誰かのコメントが、


≪まるでカメラの方を見てるみたいですね【笑】≫呼応して≪それって生体カメラ?≫≪ネットゲノムと聞いて≫


「ネットゲノムって、そんなに有名なんですかね?」


 佳弥でも聞いたことのある都市伝説の名称――[ガーデン]で作られた、人や生物の五感をじかにネットにつなぐ遺伝子配列のことだ。その遺伝子を体に導入すれば、ネットの空間を肌で感じ、自在にブラウズできるという。

 その代償は、現実にはあり得ない感覚がもたらす精神の錯乱と、現実からの遊離。危険性ゆえにデータを抹消されたはずの配列がひそかに流通し、ガーデンメイドの生き物や子どもの遺伝子に紛れ込んでいる、という噂は、定期的に聞こえてくる。


「まあメジャーなんじゃないかしら。もともとはSNSから湧いた噂らしいし、それなら世界中に流れてて不思議はないもの。ネットゲノムとか、あとドッペルゲンガーとか」


 伊吹の言うドッペルゲンガーは、AR上を闊歩するもうひとりの自分のこと。

 ガーデンメイドチルドレンのゲノムは、すべて[ガーデン]で試験されていることになる。ゆえに[ガーデン]内では、実在の子どもと同じゲノムを持つ子どもが発生、成長し、それらがネットを徘徊している――というドッペルゲンガーの噂もちょくちょく耳にする。

 もちろん[ガーデン]で発生した試験体はその外には出られないし、ネット上で現実と同じように成長できるとも考えにくい。

 理屈ではそう分かっていても、


「……ちょっと怖いですね」


 佳弥はその噂に、いやなリアリティを感じることがある。伊吹は年上の貫禄でそれを笑い飛ばす。


「そんなの真に受けるなんて、佳弥ちゃんて意外にかわいいところあるのね」

「……もう」


 照れながらそっぽを向く佳弥。


「でも、何となくぞっとしません? パーツが一致するのとは、またレベルが違う、っていうか」

「分からないでもないけど」


 首をかしげた伊吹は、


「そういう不安は古いもので、ガーデンメイドだけのものじゃないしね」


 空中にずらりと文字が並ぶ。電書のタイトルリストだ。


「もうひとりの自分への恐怖は、ホラーの題材にはメジャーなのよ」


 伊吹はリストを指さしつつ、


「いくつか読んでみれば?」

「いやですよ、恐いんでしょ?」

「お話だもの、読んで恐いだけよ、閉じればおしまい」

「……それでもいやです」

「やっぱりかわいい」


 伊吹の角がぴくぴくと震えて、佳弥はまた頬を染める。



 いつもの帰り道から脇道にそれて、住宅街の奥まったあたり、雑居ビルの二階にある小さなアクセサリーショップが佳弥のお気に入りだ。半年前は彼女以外の客を見かけなかったが、最近はたまに同じ制服の女子と階段ですれ違うこともある。

 廊下の突き当たり、ドアの脇に浮かぶ控えめな拡張広告のそばに、新作のペンダントのデザインが表示されている。指でくるりと回してみると、涙滴型のトップのなめらかな曲線がキュートだ。と、ぽん、と【一点売れました!】の表示がポップした。好調らしい。


 ドアをくぐれば、ふんわりした間接照明で彩られた店内におだやかなBGMが流れ、奥では店長が作業台の上で拡張表示されたデザインをいじっている。佳弥に気づいて小さく会釈した後は、またデザインに戻った。過干渉でないのが、佳弥の好みでもある。

 店内に客はいなくとも、ウェブではそれなりに繁盛しているらしい。ARでデザインを直感的に見られ、注文後にデータを実物に起こせばいい、というのは、こういう地方の小規模店舗にはありがたいのだ、という話を聞いたことがある。

 在庫も持たず場所も取らない、きわめて趣味的なその手の店は、商店街やオフィス街の空きフロアに潜り込むようにして増えているのだとか。佳弥の知らないどこかの街にも、こんな隠れ家みたいなスペースがあるのを、彼女は想像する。


 店の中には実物はほとんどなく、ガラスケース内のタブレットから投影されたARモデルを適当に選べる。オリジナルだけでなく、オープンソースの作品を廉価でプリントするサービスもしている。

 どこか遠くの誰かが、こことよく似た店で、佳弥と同じデザインに興味を抱いて、購入する。そんな瞬間があるのかな、とも思う――ひょっとしたら、そのデザインを見つける少女の目は、佳弥と同じ、[ガーデン]製の鳶色の瞳かもしれない。


「――これ、いいな」


 小さくつぶやいて、佳弥は花をかたどったピンズのモデルを指ではじく。ちりん、と、鈴のような音が鳴って、「毎度」と遠くで店長がぼそっと言う。同時に、店の片隅の3Dプリンタが駆動音を発し始めた。



 ……ピンズを制服のポケットに挿した佳弥がビルを出ると、ぽつり、と雨粒が額を打った。見上げると、空が黒い。


「降るなんて言ってなかったのに」


 愚痴っても雨は止まないし、いくらクラウド計算が未来を予測しようとしても、通り雨ひとつ予想できないのが現代の限界だ。


 小走りに裏通りを駆けていくうちに、雨はまたたく間に強さを増し、広い道に出る頃には完全に本降りになってしまった。びっしょりになった服にうんざりした佳弥は、のろのろと、小さなカフェの軒下へと避難した。全身から、水滴が滝のように落ちる。


「参ったなあ……」


 声は、佳弥のものではなかった。はっとして振り向いた佳弥は、屋根の下に先客がいたのを知り、内心で苦虫を噛み潰した。


「……」


 そこにいた少女は、佳弥と同じ瞳でこちらを見つめ返し――顔をゆがめた。

 大垣美鳩は、口を閉ざして、バッグの中からタオルを取りだしてぎゅっと髪をしぼる。佳弥も無言で、がしがしと頭を拭いた。乱雑に扱われた黒髪がほおの横で跳ね、水滴があちこちに飛ぶ。どのみち、あとできちんと洗わないといけない。あまり髪質はよくないのだ。


 ちらりと、横目で美鳩の様子をうかがう。金髪は細くやわらかで、しかし体育の授業や豪雨のあとでも弾力を失わない。まっすぐ肩に落ちる濡れ髪を、美鳩は耳の後ろにかきあげる。クリップフォンの細いつるから、雨水がしたたる。


 しばし、それに見とれていた佳弥は、ふと目をとらえた銀色の光に、


「……あ」


 つい、声を出していた。こちらを疑わしげににらむ美鳩を、佳弥は意に介さない。彼女の注意はただ、美鳩の髪――それをひっそりと飾るヘアピンに奪われている。


 菱形の四枚の花びらに、佳弥はついさっき出会ったばかりだった。今、同じ形のピンが、佳弥の胸ポケットを飾っている。


「それ――」

「何?」


 問い返す美鳩の声は頭からけんか腰で、


「あたしがびしょ濡れになってるのがそんなにおかしい? ざまみろって思ってる?」

「違う、そうじゃなくて、その……」


 体が冷えたせいか、うまく声が出ない。


「何なのよ、文句あるならはきはき言いなさいよ」

「――その、髪の、ピン」

「え?」


 一瞬きょとんとした美鳩は、そっと自分の髪に触れ、いぶかしげに佳弥を見、


「あ」


 制服の胸元で視線が留まる。濡れて重たい色の制服に、銀色のピンはきらりと映えた。


「ひょっとして、」


 佳弥が店の名前を出すと、美鳩はびくっと肩を震わせる。


「そ、そう、あそこで買ったの。偶然ね」


 今度は美鳩がしどろもどろで、佳弥はやっぱり調子が狂っている気がしてならない。互いの間に流れる空気は、ARで見たらきっとちぐはぐな色をしている。


「好きなの?」


 佳弥が訊ねると、美鳩はきょとんと


「えっ?」

「あそこのアクセサリ」

「……まあ、まあね」


 あいまいな答えを返す美鳩に、佳弥は不審を抱きつつ、


「でも、よく見つけたね、あの店」

「……たまたまよ」

「あんな隠れ家みたいなとこに、たまたま?」

「そうよ!」


 頑なにうなずく美鳩。佳弥はため息混じりに、


「……そう。秘密にしてたのに、目ざといのね。みんな知ってるの?」

「そうなの! 話題なんだから!」


 手を叩いた美鳩からメッセージが飛んできて、佳弥の眼前に浮かぶ。クラスメイトのアカウントが並んだストリーム。

 件の店のピアスやリングの評判が語られ、詳細な地図も載っていた。どうやら身内だけの狭いブームのようだけど、本当に評価は高いらしい。誇らしいような、悔しいような気がして、


「ふうん……」


 佳弥はわざとつれない答えを返しながら、ストリームを眺めて、


「あれ?」


 貼られていた映像に、佳弥は眉をひそめる。薄暗い雑居ビルの下でたたずむ、少女の後ろ姿。


「なんで私がいるの?」

「は? 何言ってるの」

「だって、これ私なわけないし」


 タイムスタンプは先月、水曜の放課後で、


「私、この時間はバイトだから」

「はあ? それならこれは誰だってのよ?」

「さあ……ドッペルゲンガーとかじゃない?」

「ふざけないで」


 冗談めかした佳弥の言葉に、美鳩は意外なほど強い声音で切り返してきた。


「あたしをからかって楽しいの?」

「からかってないよ。本当に私じゃ……」

「馬鹿にしないでよ! これが竹縄さんじゃないなら、あたしは何のために――」


 言いかけて、美鳩の表情がつかのま、魂が抜けたようにほうける。ずぶ濡れでもつややかだった頬が真っ赤に染まって、


「ち、違、そ、そうじゃなくて――」

「じゃなくて何?」

「――知らない!」


 何だかよく分からない捨て台詞を残し、まだ降り止まない雨の中に、美鳩は駆け出していった。振り乱した美鳩の髪からしたたった雨滴が、佳弥の頬をか弱く打った。

 取り残された佳弥は、胸元のピンに触れる。雨に濡れて冷えた銀色のアクセサリが、指先にぴりっとする感覚を残す。もうしばらく雨は止みそうになくて、


「……別に、雨宿りぐらい、いっしょにしたってよかったのに」


 こぼしながら、佳弥はカフェのドアを開ける。コーヒーの甘やかな香りと拡張表示メニューが佳弥の感覚をふわりと包み込んで、彼女はずぶ濡れの制服から染みこむ冷えを、いっときだけ忘れた。



 タグが自分の背中にまとわりついて離れないという感覚は、佳弥の世代の少女なら一度は味わうものだ。その、胸の奥に重たい泥が堆積するような不快さから逃れるように、佳弥は教室を抜け出していた。さぼりなんて、高校に入ってからは初めてだった。

 自然と花壇に足が向いていた。昨夜まで降り続いた雨の名残か、土はうっすら湿っているように感じられる。色も形もデタラメなほどまちまちな草花の中で、【目の花】はひときわ自己主張するように、ゆらゆらと揺れていた。


「……気持ち悪いってさ」


 自分のことでもあるし、【目の花】のことでもある。どちらもが、今やクラスメイトたちの攻撃対象だ。

 佳弥と美鳩の昨日の会話は、結局、「佳弥が嘘をついて美鳩を混乱させた」という形で広まった。美鳩が言いふらしたのか、誤解が拡散したのか、それはどちらでもいい。この種の炎上は、小さなコミュニティだといっても簡単には鎮火できない。

【嘘つき】とか【陰険】とか、もっと言葉にしたくない罵詈雑言を貼り付けられて、空気と表情と視線で攻撃される気分は、とうてい耐えられるものではなかった。そういう場から逃げることは、別に卑怯ではない、と佳弥は思う。


 ね、と、同意を求めるように首をかしげる。そよ風が吹き、【目の花】は、まるでうなずくように、わずかに萼をかたむけた。


「……あなたもそう思うんだ」


 佳弥が目を細めると、【目の花】は上を向く。

 花の真ん中で、瞳のようにわだかまる黒い塊が、ゆるやかに下に沈んだ。あたかも【目の花】が、佳弥を見つめる意志を抱いたかのように。


「……錯覚、だよね」


 風が佳弥のうなじをくすぐる。じっとしていると、何か言いしれぬ不安が頭をよぎって、昨日美鳩に見せられた映像のことが思い出されて、佳弥はおもむろに手を伸ばして【目の花】に触れる。弾力のある球体が、指先を押し返す。


「ああ、やっぱり佳弥ちゃんじゃない」

「わっ」


 後ろからかけられた声に振り返れば、伊吹が佳弥を見つめていた。


「……【目の花】、どうかしたの?」


 佳弥の事情も、ここにいる理由も、伊吹は何も訊かなかった。

 佳弥は「いえ、たぶん気のせいです」と作り笑いを返す。伊吹はそんな佳弥の隣にしゃがみ込み、じっと顔をのぞき込む。角がこちらの額に触れるほどの至近距離で、


「見つめられてる、って思ったでしょう」

「……伊吹先輩、いつから読心術を?」

「たいそうなことじゃないわ」


 伊吹が肩をすくめると、意外とざらつく角が佳弥の横顔に触れる。


「コミュニティで見かけるのよ、同じような報告」


 伊吹の指が空中をなで、コミュニティのコメントを表示する。

 彼女が指を動かして画面をスクロールしていくと、【目の花】に見られたとか、自分で動いたようだった、というコメントがマークアップされている。報告は大方困惑気味で、他のメンバーに否定されてそのまま話題は立ち消えになる。

 しかし、同じメンバーが何度も類似した報告をしていたりして、いやに引っかかるものも感じられて、


「……だけど」


 佳弥はそれを素直に口にできず、目線をそらす。


「勘違いですよ、きっと」


 心のささくれが痛んで、息が詰まる。もし、万一にも佳弥の感じた【目の花】の挙動が事実だったとしても、それを共有しようとすることが、恐い。他の誰か――伊吹とさえ、佳弥は同じ世界にいないように感じる。


「……かもね」


 伊吹は肩をすくめて、そう言うだけだった。彼女は優しいから、佳弥の葛藤を知っていても、佳弥を肯定するだろう。それが、今は辛い。

 伊吹は【目の花】の様子を録画し続けて、佳弥の方を見ようとしなかった。佳弥も、強いて話しかけはしない。そのまま二人は黙って、チャイムが鳴るまでの時間を過ごした。風は、いつしかやんで、【目の花】はそよとも動くことはなかった。



 ……教室に戻ると、静電気をまとったような空気に佳弥はしりごみしてしまう。本当ならすぐに帰ってしまうつもりだったのに、教室にかばんを忘れたことに気づいたのだ。美鳩や小野寺や桜庭や、その他大勢を見ないふりをして荷物を回収し、佳弥は教室を出た。

 今度こそそのまま下校するつもりだった。なのに、急いで追いかけてくる気配につい佳弥は振り返ってしまい、


「――大垣さん」


 美鳩が一瞬だけ見せた必死の表情に、突き刺されるように足を止めてしまった。


「……竹縄さん」


 佳弥の目と鼻の先で立ち止まった美鳩は、一度大きく息を吐く。教室から5メートルも走っていないのに、やけに頬を上気させた彼女は、


「ごめんなさい」


 いきなり頭を下げた。


「……何、藪から棒に」

「あんなつもりじゃ……こんな状況にするつもり、あたしは、そんな気なかったのよ」


 回りくどい美鳩の言葉を咀嚼し、佳弥はゆっくり訊き返す。


「あの動画のこと? 私……じゃない、私の、ドッペルゲンガーが映ってたあれ」

「そう、そのこと」


 美鳩はうつむいたまま。繊細にデザインされたはずの金色の髪も、どこか色あせて、力なく胸元に垂れ下がっている。


「あたしは、竹縄さんがこんなこと言ってた、ってコメントしただけ。なのに、みんな、あなたが嘘ついたとか、あたしを恐がらせたとか、なんとか……」

「みんなって誰」

「え」


 顔を上げた美鳩の唖然とした表情からは、ふだんの凛々しさがすっぽりと抜け落ちていた。そこに、佳弥は言葉をねじ込む。


「誰かが言動を誘導したんじゃないの? 私を悪者にするように」

「そ、そんなの分かるわけないじゃない」

「ふうん……そう」


 気のない佳弥の返事がきっかけになったように、美鳩の瞳は泥のように光を失う。暗闇の奥から、美鳩は佳弥を見つめている。


「……疑ってるの? あたしを?」


 佳弥がうなずくよりも早く、平手が佳弥の頬を打った。


 ざわっ、と、廊下にいた生徒たちの注意がふたりに集まる。美鳩は自分の右手、人差し指が薬指より長くて形のいいその手を、信じられないという面持ちで見下ろしている。叩いた彼女の手の方が、あるいは、佳弥の頬より赤くなっているかもしれなかった。

 誰かが写真を撮り、別の誰かがストリームにつぶやきを流す。興味本位の野次馬が、ふたりを空気で追いつめていく。佳弥は美鳩の手首をつかんでこの場から引き離そうとするが、美鳩の足は床に貼り付いたように動かない。


「今さら逃げるなんて許さないわ、あんな風に、あたしを疑って、ひどいことを……」


 手首がかすかに震えていて、足元も覚束なくて、しかし、美鳩の瞳は先ほどからずっと変わらない強度と透明さで、佳弥を映し続けている。合わせ鏡のように。


「いつも、いつもそうよ。竹縄さんは、ずっと、そうやって、あたしを……」

「……何を」


 取り留めない言葉を垂れ流す美鳩を前に、佳弥は困惑して、手を離してしまう。


「何を言って――」

「どうして、あなたにその目がついているの?」


 殴り返したい、と思った。しかし、美鳩は、佳弥を突き飛ばすように手を伸ばし、そのまま後ずさっていく。


「その目であたしを見るの、さぞ、楽しかったでしょうね、竹縄さん。あたしの虚勢を見透かして、おとしめて、面白がって」


 佳弥は、一度離した手をそのまま宙ぶらりんにして、美鳩に向き合うことしかできない。それが、よけいに美鳩を追いつめているのに、うすうす気づきながら。


「だからあたしは、あなたのことが、ずっと恐くて、辛くて……」

「……同じ遺伝子、ってだけなのに」

「そうよ、最初はそれだけだった。自分と同じ目をした人が、自分を見てるだけ……でも、違うのよ。同じ所がひとつだけあれば、他の全部の違う部分が際立って、そして、色あせていくの」

「あなたに見つめられるだけで、あたしは、あたしの誇っていたすべてが、ダメになっていくみたいで……なのに、あなたはいつも、ずっと変わらなくて……不公平だわ!」


 その言葉を告げたかったのだって、佳弥の方だ。

 なのに、美鳩は声をからし、悲鳴じみて叫ぶ。


「もう、あたしを見ないで! あたしを傷物にしないで!」


 きびすを返し、美鳩は廊下を駆け出す。その姿が人混みにまぎれ、まるで消えるようにいなくなる。本当に消えたのかもしれなかった――自分を少しだけ擬態するARアプリは誰でも持っている。実用じゃない遊戯用のアプリだけれど、それさえ使って、美鳩は佳弥から隠れた。

 美鳩は、そうまでして逃げたかったのだ――佳弥から。自分を蝕む、自分と同じ目から。


 佳弥のようになりたくなかった、と表現すれば、とても失礼な話だ。だが、美鳩にとって自分の容姿、遺伝子から組み立てて育て上げてもらった理想の自己像に対する誇りは、並々ならぬものがあったろう。


 視線は時に、すべてを暴き立て、告発し、無にしてしまう。美鳩はずっと、恐れていたのだ。


 修羅場の終わりを察した生徒たちがその場を離れ、ひとりになって、取り残された佳弥はずっと、廊下の果て、美鳩の消えた方向から目を離すことができないでいる。静けさの中に、佳弥の漏らした、低く汚れた自嘲の笑いが重く沈む。


 言い訳しようもないほど、美鳩の目が見透かしていたとおりに、佳弥も、美鳩を見つめることに、喜びを覚えていたのだった。美鳩を、ぼろぼろにしてしまいたかったのだった。

 美鳩の瞳を思い出すと、引きつる笑いが止まらない。[ガーデン]ではきっと作られなかった、彼女自身の心に育った泥の色の壁が、その笑い声とともに、ひび割れて、崩れていく。

 ふと顔を上げて、窓を見やる。おぼろげに映った佳弥の顔は、涙を流しながら、笑っていた。


 ……以来、佳弥は美鳩を見ることはなかった。【雲隠れ】アプリは、佳弥の視界から美鳩をたくみに隠した。強いて見ようとすれば簡単に彼女を見つけられたけれど、佳弥も、美鳩も、それをしなかった。


 ……ある日、【目の花】が花壇から消えていた。根こそぎ引き抜かれた痕跡だけが土に残り、誰もその行方を知らなかった。その時に佳弥が感じたのは、うすぐらい満足だったような気がした。伊吹は、いつもと同じに、何もコメントしなかった。



 ……3年後。


 高校卒業以来の再会となった伊吹は、最初、佳弥を見分けられなかった。IDタグを見て、顔を二度見して、


「雰囲気変えたね」


 と嘆息した。


「高校の頃の方がかわいかったよ」

「かわいくなくなりたかったんです」


 と、佳弥は、すっかり形を変えた耳たぶをいじりながら、苦笑した。


 遺伝子治療の要領で、細胞から抜本的に外見を変える遺伝子整形も普及してきた。佳弥はそれを用いて、顔立ちをほっそりさせ、手足も少し伸ばした。それで、驚くほど印象は変わった。


「怒らなかった? ご家族とか」

「両親は別に。ガーデンメイドの親って、そういうとこ甘いみたいです、だいたい」

「そういえば、うちもそうね」


 子どもを自分勝手に作った負い目みたいなものが、そうさせるのかもしれない。


 喫茶店に入って注文をすませ、オープンソース豆のコーヒーをすすりながら、伊吹は肩をすくめた。


「それで、よけい気にしてたのね……ドッペルゲンガーのこと」

「ええ。昔の自分が未だにさまよってるような気がして。まるで幽霊みたいに」


 知人から、昔の――高校時代の佳弥にそっくりな人を見かけた、というメールと動画が届くようになったのは、最近のこと。映っていた姿は、なるほど、3年後の【竹縄佳弥】そのものだった。きっと、よほど正確に成長を予測したものだろう。


「拡張?」

「実体みたいです。動画じゃ分からないけど、拡張なしでじかに見たって話も聞いたし」

「じゃ、これ――この人かな、も、整形?」

「たぶん」


 うなずいて、佳弥はパフェのてっぺんのイチゴにフォークを突き刺し、口に放り込む。


「で、私にどうして欲しいの? 探しだして、しょっ引いてきて欲しい?」

「そこまでは。ただまあ、見かけたら、報告して欲しいかな、と」

「それだけの理由で呼び出したの?」


 伊吹の問いに佳弥は首を振る。


「いえ、口実です。久々に、会って話をしたくて」

「それは光栄ね」


 カップをかたむける伊吹に、問う。


「【目の花】を抜いたの、伊吹先輩ですよね?」


 一瞬、伊吹の動きが止まった。佳弥は続けて、


「最近、またコミュニティを覗きました。DNAの分析、ずいぶん賑わってましたよ」

「まだやってるのね。ただの突然変異、でケリがついたはずなのに」


 伊吹はカップを手にしたまま、


「何か新しい結論は出た?」

「不自然な、人工的変異が導入された花がいくつか見つかったそうです。私たちが育ててたのも、そのひとつ」

「そう……」


 小さくうなずいて、伊吹はカップに口をつける。彼女の吐息が、湯気をほんの少し押し流す。額の角の先端を湯気がかすめて、角はほんのり桃色に染まる。


「佳弥ちゃん、恐がってたみたいだから。あんまり執着して、危なそうだったし」

「……そうですか」


 誤解だとも、ありがたいとも、佳弥は言わなかった。あの頃のことを今さらうまく説明できる自信はなく、だから何を言ってもごまかしになりそうだった。


「確認したかったの、それだけです」

「そ。……大学はどう?」

「充実してますよ」


 茶飲み話をしばらく交わして店を出、伊吹と別れる。ふわりと気の抜けたような瞬間、佳弥は街路の反対側、小さな雑居ビルの奥に人影を見たように思った。つかのま見えた横顔は、彼女がかつてとてもよく知っていた――3年前の自分の顔に、間違いなかった。

 ドッペルゲンガーを見た人は死ぬという伝説がある。が、今の佳弥は昔の佳弥とは別の顔かたちをしているから、きっと大丈夫だ。だいたいそんな都市伝説が真実なら、佳弥はとうの昔に死んでいたはず……いや、死んだのかもしれない。あの時に。

 半自動運転の車が行き交う車道を、一気に駆け抜ける。高校時代より2センチ長くなった足で、分離帯の灌木を跳び越える。クラクションの音なんか聞いていられない。薄暗い横道に飛び込みながら、佳弥は個人通話を開く。相手はすぐに出た。


「うん、私……そう、見かけた、追っかけてる――位置分かるよね。なんかあったらこの辺にいるから。……大丈夫。平気。たぶん……勘だよ勘。……大丈夫だってば。もう二度と、あなたから目をそらしたりしない。すぐ帰るよ。じゃあね」


 佳弥が通話を切った時には、目の前に、自分と同じ姿をした誰かがいる。その視線には覚えがある。ビルの狭間、日陰になった袋小路の奥から、その人はじっと佳弥を見つめている。整形しても忘れられない、記憶の隙間に、その視線は絡みついている。


「【目の花】をいじったのも、あなたなのね。『ガーデナー』に潜り込んで、【目の花】の細胞に、光の変化を感知して萼を動かす器官を作らせて……手のこんだ悪戯だったわね」


 佳弥の問いに、相手は微笑み、


「でも、おかげで、あなたは私を見つけてくれましたね」


 彼女の声が、いやに新鮮に響いた。思えば、彼女はずっと端末を見つめるか、佳弥を見るかしていて、一度も声をかけられたことがなかった。だから、懐かしいような、不思議な気持ちで、佳弥は彼女の名を呼んだ。


「……久しぶり。高校以来ね、桜庭さん」

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ガーデンメイド・チルドレン -おそらく花の中に最初の視覚が試みられた- 扇智史 @ohgi_

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