7-3 真夜中の死闘①

 組織ダルヴァザの、地下一階部分にに造られた巨大なる秘密の神殿。

 それは丁度、ドクター・サンセットがあの奇怪なる神下ろしを行った部屋の、更に奥に存在していた。


 完璧に外界と隔絶された、暗黒の大広間。

 地上部分まで吹き抜けになっている天井は遥か高く、どこまで続いているのかすらわからない。


 広間に横たわる空気は恐ろしいほど密度が濃く、獄の底を思わせるように冷たい。

 あらゆる生命の繁栄を拒絶しているかのようにさえ感じられる。


 高窓に連なるステンドグラスは、かつてこの施設が死体安置所モルグとして運営されていた頃、亡者の魂が少しでも安らぎを得られるようにと、前の管理人が苦心して造り上げた清浄の絵巻物語である。


 だがそれも、今はアイロニー以外の役割を果たしてはいない。

 いかに光に満ちた物語であろうと、生まれながらにして不幸な人の魂を救うことなど、出来はしない。

 悪徳が跳梁跋扈するこの幻幽都市にあって、救済を求める祈りほど、無意味なものはないのだ。


 それこそが、バジュラが導き出した答えだった。


 外陣から内陣へ。バジュラは歩く。

 深淵を思わせる、闇を纏う身廊をしめやかに。


 視線の先にあるのは、合成獣キメラの彫金が施された決戦の玉座。

 その周辺のみが、紫炎灯る数多くの燭台で邪艶に染め上げられていた。

 まるで、かつての同胞を滅討する覚悟に燃ゆる魔女の鎮座を、今か今かと待ちわびているかのように。


 バジュラの出で立ち――金や銀の豪奢な装身具。黒色のビキニ・アーマー。

 ゆったりとした薄紫色のハレム・パンツ。素足の爪は虹色のマニキュアで彩られていた。

 さながら中東の踊り子といった姿だった。


 しなやかな人工筋肉と強化筋骨を搭載された肢体は小麦色に染まり、大小の傷痕が刻まれている。

 その戦闘に特化した体つきが淫靡な服装に彩られていることも相まって、なんとも形容しがたい鮮烈な恐怖感を演出していた。


 ゆっくりと歩みを進めながら、バジュラは昔の想い出を呼び起こしていた。

 ひび割れた記憶の断片をかき集め、組み上げ、脳裏で甦らせていた。

 今となっては、硝煙と血糊に溢れた忌まわしき過去となってしまったが、致死攻性部隊サイトカインに籍を置いていた頃は、糧になる経験も多く積んだ。


 その一つが、読書であった。

 お気に入りの本は創世記。

 アダムとイブが禁断の実を口にし、楽園を追放される下りが大好きだった。

 そのシーンを読んで以来、彼女自身の心に『解放』の二文字を強く刻まれた。


 人が神に追放されたのではない。逆だ。

 逆に人が神という名の縛りを追放してやったのだ。

 アダムとイブは禁断の実を食べた事で、人類が歩むべき『運命』を神から簒奪してやったのだ。


 考えは今でも変わっていない。

 アダムとイブのように、大いなる見えざる存在からもぎ取ってやると決意を固める。

 自分の運命を正しく歩く権利を、ここで手に入れてやるのだ。


 ようやく玉座に腰かけ、バジュラは気持ちを新たにした。

 いまごろ外では、ドクター・サンセットの『血の生贄』を引き金に完全召喚された邪神が、都市を破壊せんと暴虐の限りを尽くしているだろう。

 しかし、蒼天機関ガーデンの底力は侮れない。

 相手は魂性起動兵器を持ち出してくるに違いないだろうが、それも大した問題ではない。


 最悪、もし邪神が滅ぼされるような事態になっても、最終的には己の手で死の審判を下してやりさえすればよい。

 都市を奈落に叩き落すには十分過ぎる、恐るべくも凄絶な力が、この身に宿っているのだから。

 それは、未来への扉を開くために行使するべき力だと、彼女は信じた。

 全力を尽くして、来るべきあのガントレットを打ち砕く為の力であると。


「……アヴァロ……ッ!」


 玉座の肘掛に置いた手を、気が付けばひび割れるほどに固く握り締めていた。

 かつての同胞にして打ち倒すべき男の事を想えば、鼓動は高鳴り、殺意の波動が波打つ。

 加えてどうしたことか、体の震えが止まらない。


 恐怖、という言葉が一瞬過るも、すぐに違うとかぶりを振る。

 憎しみが生じさせる武者震いだと、バジュラは結論付けた。

 再牙の激しくも鮮烈な光を放つ彼の瞳を見れば見るほど、怒りの萌芽が芽吹いて成長を止めないのだ。


 再牙の瞳――あれは希望を得た瞳だ。

 自分にはない光だ・・・・・・・・

 恵まれた境遇の者が湛える輝きだ。

 未来への希望を勝ち取らんとする、戦士の覚悟だ。


「……………………ッ!」


 無意識に背筋に鳥肌が立つ。

 バジュラの血のように赤い唇から、絶大な殺意の籠った吐息が漏れた。

 思わず、ジェネレーター能力の片鱗が漏れそうになり、必死に内なる衝動を抑え付ける。


 早く来い。そう願わざるを得ない。

 アハル・サイバー・ランナーが死んだ以上、彼の電脳データは機関の手に渡っているはずだ。

 そこに、ここの居場所が印されているのは百も承知。

 決着の時はもうすぐだ。


 バジュラは、獰猛な肉食獣のような瞳で、真っすぐ正面を見据えていた。

 地上からこの部屋へ繋がる唯一の入り口が、そこにあったからだ。

 そこを通って、必ず火門再牙がやってくる。確信していた。


 しかしその希望は、意外な形で破られることになった。


 特にこれいった前触れもなく、突如として爆撃と激震が辺り一斉に炸裂した。

 光と硝煙の奔流が室内に雪崩れ込む。

 怒涛の勢いでステンドグラスが破壊され、壁が地鳴りと共に崩れていく。


 虚を突かれた形で戦いの火蓋が切って落とされた。

 そのことに憤慨する暇もないまま、バジュラは全神経を集中させ、次に自身が取るべき最善にして最良の行動にとってかかろうと、真上を見上げた。


 大きく崩れた天井。

 夜空を背景にしてバジュラの瞳に映り込む、無数の白き殺戮の矛。

 機関の空挺艦から撃ち落とされたD式地殻貫通弾・アグニの群れが、すぐそこまで迫っていた。


 しかしバジュラはこの絶望的状況にあって、悲嘆を漏らすのではなく、歓喜の雄たけびをげた。

 ようやく、あの因縁ある昔の仲間を、この手で存分に甚振ることができる。

 そんな喜びを最大限に表現するかのように、彼女は夜空へ向けて両手を大きく広げた。


 その瞳が、白い輝きを帯びる=能力の発動。


 バジュラの周辺空間が大きく歪み、虹色に輝く異相空間が無数に現れた。

 空間の群れが、物凄い速度で標的目がけて伸長を始めた。

 一つ一つの軌道が、実に精緻に計算されつくした、絶なる妙技。


 異相空間は虹色の煌きを伴って光線のように天井へ奔り、網目模様を形成し、あっという間に全てのアグニを飲み込んだ。

 爆発炎上したものは一つも無く、その全てが虹色の輝きに丸呑みされて『消失』した。

 これこそ、《果てなき絶海ナインスゲート》が備えた特殊能力の一つ。

 エントロピー増大の効果が直撃し、対象の乱雑さが極限にまで膨れ上がり、貫通弾は粉みじんに『分解』された。


 危機を凌いだにも関わらず、バジュラはなおも警戒を解かない。

 星が一つも瞬かない漆黒の天空を見上げ、次なる攻撃を察知せんと優美な眼差しを細めた時、闇夜が二重にだぶるのを感じた。

 錯覚ではなかった。

 夜空の中に、見覚えのある人影を見た。


 バジュラは衝動に任せるまま、爆裂の雄たけびを胆の底から響かせた。

 それこそ、一生分の感情を爆発させたのではと思うほどの、激情の嵐であった。


 彼女の止め処ない殺意と未来への希望に応えるかのように、異相空間が再度煌めいて、伸長。

 その身を粉々に分解せんと、乱入してきた人影へ襲い掛かる。

 しかしどうしたことか、全くもって手ごたえの一つもなかった。


「(ダミーかッ!?)」


 気づくと同時、バジュラは表情を一変させた。

 偉大なる暴力に身を晒されたかのような、胸がつまりかける圧迫感。

 戦慄を覚えて、彼女は背後へ振り返った。


 先ほどの攻撃に巻き込まれて破壊された玉座。

 それを押しのけ、轟然と拳が迫っていた。


 ほんの数瞬のうちの出来事だった。

 容易に侵入を許しただけでなく、何時の間にか背後を取られてしまっていた。


 打倒すべき、昔の仲間に。


「アヴァロッ!」


 あらゆる障壁を打ち壊そうとする決意に満ちた、黒きガントレット。

 その主たる者の表情は、これまでの人生の中で最も覚悟の決まったものだった。

 双眸は青々と満ち、彼のジェネレーター能力が万全であることを、これでもかと主張している。


 黒き右の拳が、黒き衝動を纏いて襲い掛かる。


 バジュラも同じく、右腕を裏拳気味に振るい、真っ向から応戦した。





 ▲





『情報によると、バジュラ率いるダルヴァザの本拠地は、旧ライフトロン死体安置所と、その周辺一帯にあるみたいだ』


 遡ること一時間前。

 機関本部庁舎の最上階。

 蒼天機関ガーデン総本部の第三ヘリポートで、大嶽左龍と火門再牙の二人は、最後の確認をしていた。


『確認できた内容では、本部と思しき地下施設を備えた研究実験棟が一つと、訓練場、プラント設備等を備えた予備施設が十棟。それ以外にもあるかもしれない』


『中々の規模だな』


『今、緊急要請で呼び戻した大隊が三つある。これを十の小隊に臨時編成し、周辺施設へ突入させ、隠し部屋も含めて手当たり次第に捜索し、破壊工作を行う予定だ』


『すると、本拠地には俺が単身で乗り込むという算段か』


 大嶽は、ゆっくりと頷いた。


『彼女は自分の戦う相手に、君を指名してきたんだろう? こちらが下手に刺激して、損害を出すのだけは避けたい。バジュラを誘き寄せる為に、無人爆撃機による地殻貫通弾投入を初手で実行する予定だけれど、我々にできるのはそこまでだ。あとは再牙、君にしか頼めない』


『ああ』


『突入して三十分経過しても何の連絡もよこさなかった場合、こっちは最後の手段に打って出る事になるけれど――』


『構わねぇよ』


 言外に含まれた意味も考え、再牙は頷いた。

 戦闘時間が三十分を過ぎても何の音沙汰もなかった場合。あるいは、再牙が殺された場合。

 最悪の事態に備えた攻撃手段を考えるのは、蒼天機関ガーデンとしては当然の判断である。


『……死んでこい、と言ってるようなものだね。これでは』


 自分の発言を少し後悔するように、大嶽はぼやいた。


『そんなこと、アンタが気にする必要ないって』


 再牙がつまらなそうな視線で見つめながらそう言った。


『心配するなよ。俺は必ず生きて帰る。生きて、バジュラをここに連れ帰ってくる。それまで、大将はどっかり腰を下ろして、茶でも啜ってなよ』


 意外な返答を前に、大嶽が目を丸くした。


『連れ帰るって……』


『人殺しは、もうやめたからな。重傷は負わせても、殺すことはしない』


『何を考えているんだよ君は!』


 ここ一番の大嶽の怒声は、しかし、既に離陸準備を整えた風力機動戦闘ヘリのローター音に掻き消されてしまった。

 だがそんなことには構わず、大嶽は必死に捲し立てた。


『自分が何を言っているのか分かってるのか? たしかに数値上の計算では、ジェネレーターとしての格は君も負けてはいない。いや、唯一、対等に渡り合える可能性があると言ってもいい。しかし、それにしても生け捕りというのは、余りにも無謀過ぎる!』


『殺しを強要されるくらいなら、俺は愚かなままで十分さ』


 再牙は大嶽の怒りを真正面から受け止め、それでも、自身の覚悟を曲げることはしなかった。


『大体な、俺にもいくつか策はあるんだよ。膂力の面でも、こちらに分がある。危惧すべきは、奴が多重展開する次元の門。だがそれも、俺の全感覚を同時に集中させれば、躱すことは出来る』


『……君は……』


 全く理解できないといった表情の大嶽に向かい、再牙は不敵に微笑んだ。


『まぁ、なるようになるさ』





 ▲





 膂力という点に着目してみれば、確かに間違いではなかった筈だ。

 ぞっとする程の冷たい殺意を感じながらも、再牙は自身の見立てが誤りでなかった事を再確認する。


 なぜ全力で放ったはずの拳の一撃を、バジュラは容易く右腕だけで受け止めることが出来たのか。

 その理由を死に物狂いで考えた。


 だが、彼がこの状況ですべきことは、打ち砕かれた結果に未練を残すことではなく、いち早くその場から離れる事だった。


「しゃらくさいッ!」


 拳と拳の鍔迫り合いの最中、怒号と共にバジュラが猛然と右腕を振り払った。

 大気が震えるほどの衝撃で、再牙の体が勢い良く真後ろへ吹っ飛んだ。

 能力を発動した状態で押し切られたという事実が、彼のプライドに僅かな綻びを生じさせたかに見えた。


 だが、敢えて強烈な一撃を喰らったことが、再牙の精神状態を更新させるきっかけとなった。

 衝撃を上手く逃がして壁を足場に立つと、再牙は肉体に染みついた経験に身を委ねた。

 素早い動作で、腰からマクシミリアンを引き抜く。

 その空恐ろしいまでに巨大な銃口を眼前の敵ではなく、あえて数メートル離れた地面へ向かって四発撃ち込んだ。


 焼夷弾ーー砲火の如き爆炎が生じた。

 次いで、炸裂したコンクリートの粉塵が、バジュラを煙の迷宮へ閉じ込めた。


 すかさず、再牙はマクシリアンを構え直し、近くの柱に銃弾を撃ち込んだ。

 円形状に抉れたことで、神殿を支える力が大きく減衰した柱。

 再牙は左手の五指だけをめり込ませてそれを引き抜くと、バジュラを包む爆炎と黒煙の最中へ、盛大に叩きつけた。


 手ごたえはあった。

 だがそれは、叩きのめしたという感覚ではない。

 火花の如き閃光のような、反抗の意志を手元に感じた。


 柱の先端部分が勢いよく弾け飛び、粉塵と炎の壁を蹴散らしてバジュラが姿を見せた。

 服は所々破けてはいるが、肉体にこれといったダメージはない。

 しかし再牙が目を見張ったのは、彼女がまたもや右拳の一撃だけで、柱を粉砕してみせたという事実だった。


「この力は、初めて貴方に見せるわね。アヴァロ」


 暴虐に満ちた笑みを覗かせ、思わず、再牙のこめかみを冷汗が伝う。


「《果てなき絶海ナインスゲート》が宿せし特殊能力を……新たに開花させたわ。異次元空間から『運動量』を引き寄せて、自身の体に付与エンチャントさせる能力。実戦でやるのは、これが初めてだけどね」


 バジュラは、ジェネレーター能力を成長させていた。

 その本源にあるのが、恨みや憎しみであるかどうかは、この際関係ない。


 重要なのは、再牙の生きるべき明日が確実に遠のいたということ。

 残酷な現実が、到来したということ。


 それだけだった。

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