1章 別人_3

 御簾の向こうに遠ざかる東宮の背中をにらむ長姫とは対照的に、他の姫君は夢見るようにつぶやく。

「ほぉ……。なんてそうめいなお方でございましょう」

「はぁ……。あの方こそ次代をべるうつわですのね」

「あぁ……。あんなうるわしいお方、見たことがない」

「えぇ? そう……?」

 思わず漏れた長姫の呟きに、東宮妃候補三人は非難の目を向けた。

「なんとわきまえのない言いよう。東宮さまがお許しになったとて、その無礼をじ、びねばならぬご自身の立場を理解なさいまし、なつはなのきみ

 とうのだいごんしかりつけるように非難する。夏花とは、長姫の出自であるたちばなたとえた呼びかけだ。

「ご自分だけが特別だとお思いにならないことね。東宮さまの公平なお優しさは、私たちみなへと平等に注がれているのですから」

 摂津は鹿にするようなみをかべてさとすよう。

「えぇと、同じく呼ばせていただこう……。夏花君、東宮さまのお優しさに甘えるのは、どうかと思う」

 言葉少なに、城介もたしなめてきた。

 常識的に考えれば、東宮が若君でないと初対面の三人にはわからない。だからと言って、今日会った人物を東宮と認めるには、不明なことが多すぎた。何より、気持ちがついていかない。

 長姫こと夏花は、御簾の向こうに控える侍女からも非難の視線を感じ、居住まいを正す。

 思いのまま口を開いた結果が、東宮の評価を高め、おのれが責められるじようきようだ。二度失敗したことを考えれば、三度目をしくじるわけにはいかない。

 夏花は己の侍女から注がれる不安の視線も感じつつ、この場を収める言い訳を考えた。

「……お優しい東宮さまなら、あの程度のたわむれ許してくださいましょう。何より、皆さまも直言を許されたのですから、何も損はあらぬこと。もっと良いようにお考えになっては?」

 あこめおうぎで口元をかくし、微笑むように目を細める。

 場を取りつくろう夏花の強気な言葉選びに、東宮妃候補の姫君は三者三様の反応を返した。

「つまり、あのようなお言葉をたまわるとわかっていらした、と? ご幼少を共にすごしたとは言え、無礼は無礼。分を弁えなさいまし」

 不快そうな藤大納言だが、それ以上のしつせきはないらしい。

「まぁ、あきれた。東宮さまのおこころづかいをまるで己のがらのように。……あんな無礼がすべて手の内とは、見かけによらずごうたんな方」

 言いながら、摂津の目は油断ならないと言わんばかりに細められる。

「え、夏花君は東宮さまとの仲……?」

 城介は、藤大納言の発言に耳を疑っていた。

 これ以上の言い訳も思い浮かばず、夏花はこうていも否定もせず笑みを深めてみせる。それぞれになつとくする答えを導き出したのか、不服気ながら夏花を責める空気はやわらいだ。

 どうやら東宮妃候補からしても、東宮の直言の許可はりよく的らしい。

「何が良くて……」

 あんな得体の知れない人物を、東宮とあおがなければならないのか。

 思わず漏らしそうになった夏花は、寸前で止める。

 言ってわかるのは東宮本人だけだ。どうして若君がいないのか。それを問いただす必要がある。

「……東宮さまは親交を深めよとのおおせ。まずはたがいを知り合いませんこと?」

 東宮は別人だけれど、それを知らない東宮妃候補たちに罪はない。三人のかんげんは当たり前のこと。

 言い出したからにはと口を開こうとした夏花より早く、藤大納言が声を発した。

「摂津の国からいらしたとお聞きしております。京ではあまり聞かないお国。なんぞめずらしいお話をお聞かせいただけましょうか、摂津の方?」

 言外に田舎いなか者と言われた摂津は、笑みを浮かべたほおらせる。

いやや……こほん。藤大納言さま、こんなお言葉はご存じ? 『の中のかえるに、海の話をしても通じはしない。それはせまい井戸の世界にとらわれているからだ』と」

 摂津が口にしたのは、己のすみを世界の全てと見なす見識の狭さをする故事。

 どうせ話してもわからないだろうと、摂津は負けずに藤大納言へと言い返した。

 たんに静かな争いの火花が散り、夏花は口を挟めるような状況でなくなる。

「ほほ、候補が四人もいらせられるなど、とんだえん。ですが、大納言の姫君が東宮となられるのはすでに決まったこと。今上陛下のにようさまと同じお家なのですから」

 の向こうで、ひかえたじよがそんなことを言い出す。それだけ藤原家の権勢が強く、この場につどった四人から選ぶとなれば、後見も確かな藤大納言に決まるのは自明の理だろう。

「何をまいなことをおつしやるのかしら。お決めになるのは今上陛下。前東宮妃さまの生まれ変わりであると認められた方のみ。今生の生まれなど関係あらぬこと」

 強気に応じる侍女にしよくはつされたのか、別の侍女も根本的な思いちがいをてきする。

「東宮妃となられるお方は一人だけ。そして今上陛下がお示しになった東宮妃の要件は、前東宮妃さまの生まれ変わりであると証明することだけでしょう」

 お家の権力に胡坐あぐらをかく藤原の侍女のそんさに、ほかの侍女たちもいらちを覚えたようだ。

「子の日の宴こそ、今上陛下が前東宮妃さまをお探しになる機会と考えるべきではございませんか? すずめの千声よりつるのひと声がまさるというもの」

 今上が生まれ変わりであると認めれば、四人の内だれであろうと東宮妃になれるのだ。そう指摘した声が己の侍女であると気づいた夏花は、視線を泳がせる。

 夏花が侍女同士のり合いを聞く間に、藤大納言と摂津の睨み合いに動きがあった。

 どうやら藤大納言が京貴族らしく、和歌をうたいかけてきそい合いをいどんだらしい。貴族は声をあらげてけんなどしない。

 どちらがより教養深くがあるかを競うことで、勝敗を決める。

 春の花の盛りを天皇家の治世の長さに譬えた藤大納言に、摂津は口を開こうとするが言葉が出ない。

 とうそくみようとする和歌で、摂津の無言は敗北を意味していた。

 くやしげにくちびるむ摂津を横目に、この程度と言わんばかりに藤大納言は吐息する。

 返歌に困った経験は夏花にもある。今ならどう答えるだろう。そんな考えが、思わず口かられた。

「……不如帰ほととぎす──」

 重いちんもくの中で、その声は誰の耳にも届く。夏花は集まった視線に息をめた。

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