1章 別人_2

「そのような心配はご無用でございましょう。おんみようりようが総出で、かたがたの生まれの星をうらなったと聞いております」

 そう東宮に直言したのは、目をうばわれるほどの真っ白なはだに、気の強そうな笑みをあこめおうぎで隠した姫君。春の装いであるふじかさねを纏う姿は、高貴な姫らしいぼうと近寄りがたさがある。

 とうのだいごんと呼ばれるふじわらの姫君だった。

 生まれを細かに記すのは、せんじゆつに生活のを置いた京貴族しかいない。東宮妃候補四人の内、二人は地方出身。長姫も京生まれだが育ちは北山。

 自信に満ちた藤大納言の言葉は、占い調べなければ生まれも確かにはわからない田舎いなか者、という見下しにも聞こえた。

「良くご存じだ、大納言の姫君。陰陽寮の働きで、東宮妃候補はみな、同じ星のもとに生まれたと判明している」

 許可したとおり直言を意にかいさず、東宮は全員にゆうれつはないと言いたげにうなずく。

 藤大納言が東宮と微笑ほほえみ合う姿にしよくはつされたのか、こきくれないこうばいが華やかなうめがさねを纏った東宮妃候補が含み笑いを漏らして注目を引いた。

 出身地であるせつと呼ばれる姫君は、笑みを絶やさない小さな唇が、あいきようのある顔立ちを際立たせる。あいのいい動作と共に、隠さぬ秋波を東宮へと送っていた。

「ふふふ。要件はほかにも、前東宮妃が得意とした楽器をあつかえることでございましたね。くにもとに多くのきんだちがお見えになり、私のそうをお聞きになると、過分な賞賛をくださいました。東宮さまにお聞きいただける日を夢見て、よりけんさんはげんでまいりましたわ」

 おのれを売り込むこつな態度にも、東宮はいやな顔一つせず頷きで応じる。

「今一度、話をもどそう。他にも東宮妃候補となる要件には、和歌や漢詩に深いぞうけいがあること。書画の才があること。前東宮妃と同じ位置に黒子ほくろがあることやへその色が同じこと。人相観が下した貴人に愛されるが死に関したわざわいを負うという予言など──」

 ただ同じ日同じ時刻に生まれただけでは、決して前東宮妃の生まれ変わりとは認定されない要件。今上は東宮妃を迎えたくないのではないかとさえ言われた。

「生まれた日時以外で、これらの要件が五つ以上当てはまる者が、今ここにいるそなたたちだ」

 かんげいするように笑みを深めるとうぐうに、東宮妃候補たちはてきがいしんのちらつく視線を交わし合う。

「東宮妃候補の選出は前例のない試み。前東宮妃の生まれ変わりの選定には、時間を要する。そのため東宮妃候補たちにはこの内裏での居住が、特例として許されることとなっている」

 がいとう者がいないのではないかとあやぶまれたほどの条件に、まさか四人も該当する者がいるとは、東宮妃候補自身でさえ思いもよらない事態。

 おさひめも、ちやな条件にがつしたと知った時、それは運命なのだと思った。

 母をくし、生まれ育った京をはなれ、北山で泣き暮らした。そんな中、声をかけ励まし、共に親元から離されたさみしさを分かち合った幼馴染み。

 そんな若君が長姫の初恋となることは、必然でもあった。突然の別れから四年、東宮妃候補というぜんだいもんの選出がなされること自体、長姫のらちがい

 だからこそ若君との別れ際、将来を約束したかつての思いを捨てずにいた己に、神仏が救いの手を差しべてくれたのだと思えた。

「それなのに…………っ」

 何故なぜ若君がいないのか。衵扇の内で一人き出す長姫に気づく者はいない。

 話を続ける東宮は、高貴な生まれにしては親しみを感じるほどに優しく、相対する者をきつける。

 かばざくらの襲をまとった、親の役職からじようすけと呼ばれる東宮妃候補などは、深い色味のおうが似合うりんとした武家のじんであるが、ほおを染めてひと言も発せないほど東宮に見入っていた。

 確かにけんきよでいながら人に許しをあたえる情け深いその姿は、長姫が知る若君によく似ている。

 似てはいるが、あくまで似ているだけの別人なのだ。

「内裏での暮らしにともない、注意こうを伝えよう。この内裏が火災にわれたことは聞き知っていると思う」

 長姫が無意識に睨んでいても、東宮は気づかないふりで話を続ける。

 東宮のその姿は、まるで己の務めのみにまいしんするようでもあった。

「本来内裏はしん殿でんの北に、七殿でん五舎が建てられている。しかれども、しようしつして久しく、現状復興しているのはこの東の一角とせいりよう殿でんのみ」

 今東宮妃候補が集められているのは、北東に位置するせん耀よう殿でんだ。かれたこうの中に、新築の木材の匂いがただよう。

 室内には障子にきんらん大和やまとたたみへりさえきらめき、ちようの骨組みはつややかなうるしり。ぜいと格式ある調度におとらず、おもを囲うの向こうにも気品を保つじよたちがひかえる。

「これより西にはこうじんが立ち働いている。みだりに近づかぬよう厳命してあるとは言え、不測の事態があるやも知れぬ。おのおのも濫りに西へと近づかぬようお願いしたい」

 一度ひさしの外へと出れば、西にはかくしの幕が張られ、その向こうからはつちるう音が間断なくひびいていた。

「また、知ってのとおり火災によって多くの死者が出た。いちがいにそのためとは言えないが、あやかしたぐいを見てさわりにあった者もいる。どうか、しんこうあやしい気配があったとしても、軽々しくご覧にならないよう。異変があれば、日の出を待ってしらせて欲しい。必ず私が対処しよう」

 妖という言葉に、摂津は大きくかたふるわせた。東宮は東宮候補を案じるようにやさしく語りかける。

 内裏は今、再建ちゆうだ。焼失によって今上が住まわなくなり放置され、今上が居ないために貴族も寄りつかなくなっていた。いんさんな火災現場のままほうっておかれたが、立太子に伴い東宮の住まいとするため、東を中心に再建が行われている。

 現在、内裏に住まうのは東宮と今日そろった四人の東宮妃候補。その他のずいじゆう者のみ。

「東宮さまのお言葉、しかと胸に刻みましてございます。──もし、人手がご入り用でしたら、我が家へいつでもお声かけくださいますよう」

 藤大納言が、己の家こそたよりにとけ目なくすすめると、摂津もおくれず口を差しはさんだ。

「わ、我が家は良い木材を産する山を持っております。東宮さまのご命令とあれば、いつでもご用立てくださいな」

「む、それなら私は国許からくつきような働き手をお呼びしましょう」

 ようやくしやべった城介は、国許から兵を呼ぶとも取れる、おんきようれつな提案を行った。

「それほどに私を案じてくれることを、うれしく思う。けれど、まずはここでの暮らしに慣れるよう、努めてくれれば良い」

 づかいの言葉で三者の提案を辞退する東宮は、後方に控えた従者に目配せをした。

 東宮として申し分ない対応を見せられていた長姫は、ふと、東宮の従者にかんを覚える。またたけば、まなうらにもっと質素な服装で、若君の後ろに控えていた姿がよみがえった。

 どうして若君でない者に、若君の従者がつき従っているのか。長姫が目を疑う間に、東宮はだいで行われるうたげの説明を始める。

「来たるの日、きんじよう陛下が内裏へお戻りになり、宴が開かれる」

 話を聞いていた東宮妃候補は、揃って息をんだ。

「そこで東宮妃候補の姫君たちには、前東宮妃が得意としていた四つの楽器を演奏していただく。曲目は後日。必要な道具があるなら用意させよう」

「まぁ…………っ」

 今上の宴に招かれるという身に余る光栄に、藤大納言でさえ頰を上気させていた。

 東宮妃候補が喜ぶ姿を微笑ほほえましそうに見る東宮は、さらに言葉を続ける。

「東宮妃となる者を選ぶにあたって、私の意向よりも今上陛下のお心に重きが置かれることを覚えておいてほしい。皆、慣れないかんきようではつらいこともあろう。私で助けとなれることがあるのなら、善処する。心置きなく相談してほしい」

 いつくしみの宿った言葉に、東宮妃候補は熱っぽいいきらす。

 選ぶのは今上であると言われては、長姫には白々しい建前にしか聞こえなかった。

「それでは今より、半刻の後、案内に従い与えられた居室へと移動していただこう。それまでの間は、神仏の導きで出会った者同士、どうか交友を深めていただきたい」

 言うや、従者は御簾を押し上げ東宮の退出を手伝う。

 名残なごりしい胸中を物語る東宮妃候補の視線に見送られ、東宮は南のれいけい殿でんへと去って行った。

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