第3話 船の神様・ガエス様

 今夕、ジェームス船長主催のウエルカムパーティが開催される。

 ステージショーの照明は、桃子、陽子、エリカの三人だけでやる。

 陽子は、ステージ照明の調光担当。

 桃子とエリカは、ピンスポットライト担当だった。

 メインホール客席後方に、ピンスポットライトが設置されてある。

 クセノン2キロワットピンスポットライトである。

「きみ、初めてなんだ」

 会議の後、一人の男が声をかけて来た。

「桃子、この男には気をつけなさい」

 背後から、陽子が云った。

「酷いなあ。ただ、話していただけだろう」

「よろしくお願いいたします」

「音響担当の上岡です」

「さあ、行くわよ」

 陽子は、強引に二人の中に入る形で、引き裂いた。

 桃子は、陽子に案内されて広い船内を歩き回った。

「先輩、広すぎて、自分の部屋に戻れないです」

「その時は、このぶら下がっているスタッフカードをスマホに当ててみなさい」

 云われるまま桃子は、やってみた。

「それから、スマホに云ってみて」

「何をですか」

「何でも。例えば自分の部屋に戻りたいとか」

「はい。私の部屋を教えて」

 瞬時にスマホから、メッセージが流れた。

「はい、ご案内します。まずこの廊下を真っすぐに歩いて下さい」

 桃子は、反対に歩こうとした。

「そちらではありません。その反対方向です」

 瞬時にメッセージが返って来た。

「やばい。凄い!」

「でしょう。ですから、寝る時もどんな時もそのカードとスマホは離さない事。パスポートと同じくらい大事ですから」

「はい、わかりました」

 スマホに案内されて、自分の部屋に戻る。

 中には、エリカが待ち受けていた。

「エリカさん」

「待ってたよお!」

 エリカは、大げさに桃子に抱きついて来た。

 甘いココナッツの匂いが、エリカの首筋から発散して、桃子の鼻孔をくすぐる。

 決して嫌な匂いではない。どちらかと云うと、好きで、ぺろっとエリカの首筋の小さな玉の汗をすくい取ってみたい衝動に駆られた。

「今日から、あなたはエリカさんと相部屋です」

「えっ、私ひとりの部屋じゃないんですか」

 乗船してすぐ自分の部屋に荷物を置きに来た時は、誰もいなくてエリカの荷物もなかったはずだ。

「桃子、その身分は、十年早いよ」

 エリカは、えくぼを見せた。

 浅黒い肌と、好対照に歯は、白くオパールの輝きだった。

「いえ、三十年かしらね」

 勝ち誇った顔で、陽子が、髪の毛を片手でてぐしで、かきあげて答えた。

 どや顔のまま、陽子は出て行った。

「桃子は、船に乗るのは初めてだから、私が色々教えてあげるよ」

「有難う。エリカは優しいねえ」

「だって、日本人の血が流れているから」

「どう云う事」

「お父さんが日本人。世界中で日本人が、一番優しいよ。それに礼儀正しいし、綺麗好きだし」

 エリカの案内で、次にスタッフ食堂に行き、つかの間の休憩を満喫する事にした。

「まず、ガエス様に毎日、感謝の念をしてね」

「ガエスさんって誰?副船長さん、機関士さん」

「もう本当に、知らない桃子なんだね。ガエスは、この(平安)の神様であり、海の神様なの。毎日、航海の無事と、お客様、スタッフ全員の健康を祈るのよ」

「祭壇は、どこにあるの」

 辺りを見渡しながら、桃子は尋ねた。

「そんなものないわよ」

「じゃあ、どこに向かって拝むの」

「ここよ」

 エリカは、そっと桃子の胸を指で押した。

「桃子のこころの中に向かって拝むのよ」

「ああ、そう云う事ね。つまり信じろって事ね。実際はいないけどもね」

 無神論者の桃子は、そう一言付け加えた。

「何云ってるのよ。ガエス様は本当にいるのよ」

 少しエリカは、むきになっていた。むきになっても、えくぼは消えない。そこがまた可愛いと思った。

「ああいるねえ。でも目に見えないんでしょう」

「見えるよ」

「嘘」

「本当だってば」

「エリカは見たの」

「私は見てないけど、ジェームス船長さんは見たって」

「それ、かつがれてるだけだよ」

「そんな事ないって、信じろよ!」

 桃子は、想像以上にエリカが、ガエス様の存在を云い張るので、それ以上もう反論しなかった。

 これから三週間、それこそ二四時間ずっと同じ空間にいる事になるから、これ以上関係を悪化させたくなかった。

 普段、勤めている劇場なら、仕事が終われば、どこか好きな所へ出て行ける。

 顔を見なくても済むわけだ。

 それが、唯一船と劇場の違いだ。

 あとは、ほとんど似ている。

 お客様がいて、ステージがあり、そこで演じるダンサー、楽団、パフォーマンス、それを支えるスタッフ。

 違いと云えば、船の中のスタッフは、フィリピン人ばかりと云う事だろう。

 船の最高責任者は、船長。陸の劇場は、支配人だろう。

 桃子は、普段劇場で、照明の仕事をしている。

 たまに、地方巡業について行く事もある。

 今回、たまには劇場の外の空気が吸いたくなり、会社に直談判したのだ。

 実は、同じ職場の男に惚れ、別れて気まづくなったのも、原因の一つだ。

 本来、ショーは昼に、リハーサルが行われるが、ウエルカムパーティは、各部署、お客様が乗船して出向して、まもなくなので、忙しいので、やらない。

 その代わり、細かい進行表が、各セクションに配布される。

 陽子もエリカも、何度もやっているので、進行表も要らないくらいだ。

「これ、簡単な照明スポットライト進行表。解らない事あれば、エリカに聞いて」

 調光室とピンスポットは、離れている。

 連絡は、トランシーバーか、ワイヤレスインカムだ。

 ピンスポットライトの隣りに音響卓がある。

「よろしく」

 上岡が声を掛けて来た。

「はいこちらこそ」

「気楽に、お気楽に」

 上岡とエリカが、桃子の緊張をほぐすために、笑顔で云った。

 桃子は、二人の笑顔とエリカのえくぼで、少し緊張がほぐれた。












  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る