第32話 魔王さまとレベル・コンプレックス


 パティー先生の顔から、見る見る血の気が引いていく。

 ストラの言うとおり、無意識に抑えた胸の内にソレは仕舞ってある。


「どうして……どうして知っているの!? この、手紙の事を!?」


 絶対にバレてはいけない、手紙が。


「さぁ、見せて頂けますか……パティー先生?」


 まるで実験結果を知りたい生徒のように、薄ら笑いを浮かべながらストラは近寄っていく。

 だがパティー先生は、嫌だ嫌だと首を振りながら後ろに下がっていった。


「来ないで! 貴方は……貴方はいったい何者なの!?」


 今ここに対峙しているのは、レベルマイナス1のストラと、レベル28のパティー先生。

 万が一にも勝ち目がない程、実力差は圧倒的である。

 だというのに、怯えているのは……この学校で一番の実力者の方だ。


「他の人が読んだとしても、こうはならなかったでしょう。その手紙は、貴女だからこそ効果が現れた。そして、ここのモンスターたちを解放せざるを得なくなってしまったのです」


 ストラは両手を広げ、演技がかったように言う。


「ここに居るモンスターたちは、かつて魔族に裏切られ、生き残った者たちだと聞いています。ふびんに思ったのか、利己的な考えがあったのかは分かりません。ともあれ、学校は彼らを保護した。……恐らくそれが原因ですね?」


 パティー先生はギュッと服を握り締める。

 内ポケットに隠してある手紙が、くしゃりと音をたてた。


「……ええ、そうよ。魔族が裏切ったのは全て演技で、この学校の中にモンスターたちを忍び込ませるのが目的だった。そう、手紙には書いてあったの」

「嘘だとは思わなかったのですか?」

「本当だという可能性も否定出来なかったわ。そして、もしも今日解放しなければ……殺処分を覚悟で、生徒たちを襲うだろうって……」


 パティー先生は悲痛な面持ちで、溜め込んでいた気持ちをすすり泣きながら吐き出す。


「先に、モンスターたちを処理してしまおうかとも思った。けれど、もしもそれがウソで、本当に魔族に裏切られたのだとしたら……あまりにも可哀想過ぎて、私には出来なかったの。未来があるのは、人もモンスターも同じ。私は……選べなかったわ。もう、従うしかなかった。学校を、生徒たちを危険に晒してしまう事は分かっていたのに。でも、だから――」

「だから、私一人で魔族と戦おうと思っていた。……違いますか?」


 パティー先生は声を上げて驚く。

 ストラの言葉は一字一句違いなく、今まさに自分が言おうとしていたモノだったのだから。


「貴女は生徒想いで、責任感も強い。ゆえに、読みやすいのです。相手の魔族は、貴女がそうする事も分かっていた。だからこそ、全方位の結界を解除するのではなく、モンスターたちを逃がしやすいなどの適当な理由を付け加え、敢えて一カ所だけを開かせたのでしょう。イフリートが使えない、あの森を」


 手紙を見ていないハズなのに、まるで知っているかのような鋭い推理に、パティー先生はただただ驚愕するばかりだ。


「とてつもない逆境です。それでも貴女は、行こうと思った。全ては、生徒たちを守る為に。……素晴らしいと思います」


 まさに青天の霹靂だった。

 この手紙が来てから、ずっと悩んでいた。

 ずっと抱えていた。


 一人で。

 誰にも打ち明けられずに。

 孤独な戦いがずっと続いてた。


 こんな事態に陥ってしまったのは、全て自分の所為だというのに、ストラは怒りもせず、静かに褒めてくれた。


 素晴らしい。

 たったその一言で全ての苦労が報われたようで、自然とパティー先生の頬に一筋の涙が流れ落ちる。


「ありがとう、ストラ君。その言葉だけで、先生は……」


 潤んだ声で述べられる感謝の言葉は、


「――ですが、本当は、何の為になのでしょうか?」


 唐突な質問によって、あっさりと遮られてしまった。


 意味が分からなかった。

 ついさっき、生徒たちを守る為にだと、ストラ自身が語ってくれたハズなのに。


「モンスターたちの為? 生徒たちを守る為? ……いいや、違う。それは、建前なのでしょう?」

「な、何を言ってるのストラ君!? 私は、本当に生徒たちの為に……!!」


 クシャクシャになった手紙を更に強く握り締めながら、パティー先生は涙ながらに訴えた。

 先生を知っていれば、あるいは授業を受けていれば、そんな嘘を付くような人ではないと声を揃えて言うだろう。


「足りないのですよ。ここまで絶体絶命になってもなお、一人で実行しようとしているその動機が」


 ストラ一人を、除いてだが。


「本当に生徒たちを守る為ならば、助けたいと想っているのならば、他の先生方に協力を求めなかったのは何故ですか? 教員は貴女一人という、絶望ともいえる状況をわざわざ作り上げたのは何故ですか?」


 パティー先生はハッとしたように顔を上げた。

 まるで、気づいていなかったとでもいうように。


「何故……? わ、私はどうして一人で……?」


 オロオロと、うわごとのように呟くその姿を見て、ストラは納得したように頷く。


「なるほど、さすがは『城墜としの魔法』といった所でしょうか。グラードが自慢げに喋るのも良く分かる。たった一通の手紙で、そこまで操作してしまうのですから」


 ストラはエスコートするかのように、掌を差し出す。


「改めてお願いします。その手紙を……見せては頂けないでしょうか?」


 ささやきかけるような、優しいお願い。

 パティー先生は無意識の内に、その手を掴んでいた。

 全てを吐き出してしまいたいという気持ちの表れだろう。


 だが、もう片方の手は、覆い隠すように手紙を握っていた。

 それもまた、無意識の内の拒否反応だった。


「……それが、貴女の答えですか。しかし、残念ですが、貴女がまだ語っていない内容は、私には何となく分かるのです。私が手紙を書くとすれば、恐らく同じことをつづるでしょうから」


 同じことをつづる。

 それを聞いたパティー先生は、身を竦めた。

 ストラの手を強く握り締め、うるんだ瞳で懇願する。


「ダメ……。お願い、それ以上は言わないで……」


 ストラは、パティー先生が最も隠していたかった暗部を、まるで日常会話を交わすかのように、事も無げに言い放つ。


「『レベルが足りず、勇者になれなかったこの出来損ないめ』。……これが、最後の文章にして、最大の動機」


 それは、またしても一字一句違わなかった。

 知らぬ間に封じ込めていた気持ちが、記憶が滝のように溢れ出してくる。


「違う! 私は勇者になれるわ! あとちょっと……あとちょっとだけなのよ!!」


 頭を抱え、床にしゃがみ込み、パティー先生は襲いかかってくる何かから身を守るように丸まっていく。


「人間社会というのは、難儀なものですね。その数字で、全ての価値を決められてしまう。足りないというだけで、その価値を否定されてしまう。そう、貴女は――『レベル・コンプレックス』を抱えているのですね?」


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