番外編の番外編 復活の合図

 花火大会から一週間が経った。

 健司が祭りの夜店ですくった死にかけのでめきんは、元気を取り戻した。

 それは健司にも言えた。あれほど外に出るのが億劫だったのに、でめきんのためとなると体が動いた。祭りの翌日には餌と水草を買いに行った。

 でめこ――直感通りにメスだったので、そう名付けた――は、体長4、5センチの身には大き過ぎる水槽を泳ぎ回っている。

「お前も、でめ太みたいに大きくなろうな」

 そして彼以上に、長生きしてほしい。

 この1週間は、自分を包んでいた濃い霧が少しずつ晴れていくようだった。祭りの日を境に、夜眠れるようになったし、自分一人のために料理をする気になった。

 ロンドンに住む母親に連絡もした。母の渡英前、二人で暮らしていた頃に使っていた調理器具の行方をメールで尋ねたら、健司が好んで使っていた道具だけは孝志に預けてあると返答があった。

“すぐ届けてやるよ”

 受話器越しの叔父の声は、珍しく穏やかだった。

“おれ様の代理人が持ってくから”

 首洗って待ってろ! とこれはいつもの挑発的な態度で、わけの分からないことを言われた。

 まもなく午前11時。その代理人がやって来る時間だ。誰かは予想がついている。1年半ぶりに顔を合わせる相手の反応を思い、健司は少し緊張した。

 呼び鈴が鳴った。ドアを開けると、大きめのダンボール箱を抱えた従弟が立っていた。

「ありがとう、健太」

 よく来たな、と内心の動揺を隠しながら箱を受け取る。

「けん兄……」

 従弟の声はそれほど変わっていなかった。健司を見上げる仕草も、以前と変わらない。だが、見上げる顔の位置が前よりも上の方になった。

 顔つきも変わった。幼さを残しつつ少し精悍さが加わった気がする。先日の祭りの日、従妹の美春に会った時も、その成長ぶりに驚いたが、10歳から12歳になった健太の変化はそれ以上だった。

「どうした? 上がっていくだろ」

 声をかけると、健太はうつむいた。靴を脱いで上がったまでは良かったが、そこから一歩踏み出そうとして体の動きを止めた。体の両脇で握りしめた拳が震えている。

 箱を下ろした健司が健太の肩に手を置くと、震えは一層大きくなった。

「我慢しなくていいぞ」

 そう言ったとたん、健太は堰を切ったように泣き出した。


* * *


 健太はじきに泣き止んだが、しばらく床に座り込んだまま呆然としていた。健司がジュースと健太の好きだった菓子を出してやると、ありがと、と少し表情が和らいだ。

 二人で遠慮がちに再会の乾杯をした後、改めて健司を見た健太は、ようやくまともに口をきいた。

「全然、大丈夫じゃないじゃん」

 心配そうな、少し怒ったような顔をしている。

「そんなにちっちゃくなっちゃって」

 健太まで美春のようなことを言う。

「山ん中で修行してた人みたいだよ」

 美春にはキリストみたいって言われたな。少しおかしくなった。要は痩せこけ、枯れ果てていると言いたいのだろう。確かにこの数か月でかなり筋肉が落ちた。

「ちゃんと食べなきゃだめ」

 小学6年生に叱られてしまった。

「そうだな。これからはちゃんと作るよ」

 そのために調理道具を届けてもらったのだから、と健司が言うと、健太が笑顔を見せた。

「健太は、大きくなったな」

「うん。もう少しでお母さんと並ぶよ」

 頭のてっぺんに手をかざして言う。それから、その手を下ろすと、急に顔を曇らせた。

「美春から……聞いたよね」

 ここで、何をと問い返すのはちょっとかわいそうか。本人が話すまでは黙っていようと思っていたが。

「どうして健太がお祭りに来られなかったか、なら聞いたよ」

「うん」

「健太が無事で良かった」

 健太は何か言いたそうにしたが、もう一度、うんと言って頭を垂れた。

「花火はね、見たよ。病院の屋上から」

「そうか」

「最初の一発、すげえでかかったよね」

 光の輪も、音も。

「あの音で、ぼ――オレの中にあった何かの塊が、すっ飛んでったんだ」

 健司はうなずいた。花火の爆発音は、いつもならあまり聞きたくないものだが、あの時は巨大な手で胸を思い切り突かれたようだった。清々しささえ感じた。あれは、きっと健太と自分にとっての復活の合図だ。

「健太」

「なに」

「買い出しに付き合ってくれないか」

 健太の好きなものを作って食べようと健司が言うと、健太は両手を上げて喜んだ。

「いいけど、作れる? 台所、すっげえ狭いけど」

 料理が趣味の人なのに、と言われて苦笑した。

「この部屋を選んだのは、たか兄だよ」

「おと――親父が?」

 以前のように料理をしようとするなら、ここは明らかに手狭だ。

「近いうちに、引っ越さないとな」

 細かいところにまで気が回る叔父にしては詰めが甘い。

 それとも、ひきこもり期間が延びないように、あえて台所が狭いワンルームを選んだのか。

「まさかな」

「うん、そこまで考えてないよ。だって」

 神様なんかじゃないもん! と健太は宣言するように言った。

「そうだな。神様じゃないもんな」

「そうそう。ただのおっさんだよ」

 その瞬間、健司の携帯電話が鳴った。メール?

“調子に乗んなよ、二人とも”

 画面を健太に見せると、顔を引きつらせかけたが、すぐに笑い出した。

 花火のような、弾けるような大笑いだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Dragon-Jack Co. 二代目はでめこちゃん 千葉 琉 @kingyohakase

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ