反省会という名の宴会にて

 入浴後に制服からラフな私服に着替えて参加メンバーとまりあ事務長、玉城の娘2人揃って地下鉄で金山に移動した。クリニックのメンバー行きつけの居酒屋で反省会だ。居酒屋で開催される「反省会」と呼ばれるものは、ほぼ100%「ただの呑み会」であって、その場で反省することもほとんどないし、万が一反省したとしても誰もその内容は覚えていないものである。


「今日はみなさん、お疲れ様でした。そして全員完走おめでとうございます。私は走りませんでしたが、皆さんの姿を見てたくさんの感動を頂きました。まさか全員がゴールテープを切れるなんて、本当に素晴らしい・・・」と、まりあ事務長は言葉に詰まって(いつもと違うじゃん、意外!)、「では所長さんから乾杯の音頭を」と皆の視線を自分から強引に所長に移動させる力技はさすがである。

「えっ? まあ事務長さんの感動はよくわかるし僕も同じ気持ちです。なので私からさらに言うことは何もありませんが、強いて言えば私は確信していました。カンパーイ!」


 ビールジョッキをかざした後で、思い思いにカチカチとジョッキをぶつけ合ってから「ゴクゴクゴク」、我慢できなくなっていたそれぞれののどにビールを流し込んだ後であちこちで「プハー」とやってから、ひと段落だ。料理をつまみながら、それぞれの42.195kmの物語が飛び交いだしている。


「宴もたけなわですが、真琴ちゃん、皆の期待に応えて初フル完走の感想を、ドスコイ師長とミヨちゃんもついでに、皆の期待を裏切っての完走だとされていますが感想や抗議などあれば順番にお願いします」 いつになく上機嫌にみえるサルトル所長がいきなり立ち上がったかと思うと、マイクに見立てた徳利を持ってしゃべり、その徳利を真琴ちゃんに渡した。


「私、運動はあまり得意じゃないし走ることは大の苦手人間だったので、フルマラソンを走るなんて別世界の人だと思ってたんです。それが今日まさか、完走できちゃってびっくりしてます。自分に感動してます。ありがとうございました。」

「たぶん、途中で何度も止めようと思ったんじゃない?」とサルトル、

「はい、実は右足の指にマメができて走るのが辛くなってたんで、20km地点でリタイアしようと決めていたんです。でも、私よりもずっとつらそうに走ってみえた師長さんが『私たちも頑張るから一緒にゴールを目指そうよ』と言ってくれたのでとりあえずリタイアせずに走りだしたんですが、『痛い!』すぐに後悔しました。」

「なんで、そこで止めなかったの?」

「ですよね、でも今思えば結局それが正解だったんですよね。痛みを我慢しながらゆっくり走り出しながら冷静になって周りのランナーを見ると、けっこうたくさんの人たちがヨレヨレになったりビッコをひきながらも諦めずに走っていることに気がついたんです。それを見たら私なんかまだまだ頑張れるというか、頑張らなくっちゃダメだと思って、走るでもなく歩くでもなく前に進んでいるうちに師長さんと細井さんに追いついて、何とか一緒にゴールすることができました」(涙を流しながらもさすがにちゃんと簡潔に分かりやすくまとめてしゃべるんだな)


やんややんやの拍手の後、徳利マイクを引き継いだミヨちゃんこと細井は、

「私・・・」ぐすん、「どうせ・・・」ぐすん、「今までは・・・」ぐすん、「マラソンって・・・」ぐすん、泣きながらほとんど意味のある文章は発しなかったが、その気持ちや、おそらく言いたいことも伝わったかもしれない。


次に徳利マイクを持ったのは、ドスコイ師長こと須藤恋である。

「私も含めて、全員完走は正直、予想外で嬉しい誤算です。おかげで完走できなかった人への配慮やコメントも必要なくなってほっとしてます。ホント良かった~!」

「去年、管理会議で、サルトル所長からこの大会にクリニックで参加しようと言われたときには当然拒否したんだわ。けど、いつになく熱い所長の話を聞くうちに―本当にこんなに熱く語る所長はみたことがなかった―『これは案外いいかも』という気持ちになって、所長を支えて応援することにしたんだわ。けど、自分まで走ることになってまったのは想定外、だけど楽しかったぁ!


「所長と玉城さんのゴール前のデッドヒートの結果はどうなったんですか」

「かなり本気で走ったんだけどタマちゃんに完敗だったわ。年のせいとは言いたくないけどそうなんだろうなぁと思わざるをえんなぁ」

「私、何とか先にゴールはしたけど、本当にいっぱいいっぱいで、そこまでペースメーカーになって一緒に走ってくれたサルトル所長のおかげで完走できたというのが正直な感想なんです」

「そんなに謙遜しとったらイカンて」

「いや本当に」

「イカンてイカンて」

「えーて、えーて」(どっちやねん)


「ふりチンで走ってるやつがおったでしょう」と、赤い顔をしたQ太郎が座ったまま、隣のサルトル所長に話題を提供した。箸を止めて何人かがQ太郎とサルトル所長の顔を交互に見た。サルトルが「あーあー」と返事を返すと、

「非常識でしょ?! 腹が立ったんで追いかけて行ってどんな職業かって問い質したら、見下したような感じで『AV男優だけど何か?』って言いやがったんですよ。「腹立つ~! AV男優なんて職業、僕は認めません! 奴は最低です。『地獄へ落ちろ』ですよね、タマちゃん」 当然、意見を支持してくれるだろうと思っていた向かいの席の玉城は、「彼は案外いい奴だと思うよ」と返したので、Q太郎は驚いた。

「タマちゃん、もしかして彼を知ってるんですか?」

「知らないし、それよりQ太郎先生、私をタマちゃんって呼ぶのはまだ10年早いよ、玉城さんと呼びな」

「玉城さんと猿渡所長ってこのマラソン大会でなんだか急接近じゃないですか? お互いに『タマちゃん』とか『サルトルさん』とか呼び合うようになっちゃって怪しいっすよ」


「ところで彼なら知ってるよ。アパートで動けなくなっていたお婆さんを背負ってクリニックに来たことがあるんだ。残念ながらというか当然そのときはフリチンではなかったけどね。個人としてみればいい青年だよ。」

「それなりにカメラを意識した演技とかあって楽ではないらしいよ。あっ、それに詐欺のような手口で何も知らない女の人をAVに引き込む連中は許せないとも言っていましたよ。フルチンでフルマラソンに出走して完走した彼の勇気を何よりも称えたいね。たぶん彼はきっとただモノではないと思いますよ。」


 タマちゃんは、騒々しい宴会場の中にいながら醒めた気分になって、ほとんど飲み干された自分のビールジョッキを見つめていた。

「私は、要らないと思ったものは未練残さずバサバサ捨ててきた、それは職場でも私生活でも同じ。『ああ捨てなければよかった』と思うことも多々あるけど、『まあええかと』思って深く考えない主義。『それが原因でバツイチになったのか』『本当は後悔してんだろう』とか陰口たたかれているらしいことを小耳にはさむことはあるけれど気にしない、というかいちいち反応するのも面倒くさいので気にしてないことにして無視している。私にとって本当に大事なものって何だろう」

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