第10話

 天使の格好は先ほどのと殆ど同じ。学校の制服を着て、背中から翼を生やした子供。

 ただ今度の天使の服装はブレザーを羽織っていない、シャツだけの軽装で、また首から上が無かった。

 首にはまるで花弁のような真赤で生々しい断面がこれ見よがしに露出している。

「なぜ、お前は引き返さない――」

 首の断面から音が響いた。

「――お前は願いを叶えたのだぞ? なぜそれをわざわざ捨てるような真似をする?」

「なんなんだ、お前らはさっきから」

 天使は言葉を発するたびに、その切り口がブシュブシュと血を噴出していた。

「お前が罪悪感を持つ必要はない。お前達は不幸な兄弟だったのだ。ゆがんだ家族、不完全な両親、全ては不幸の連鎖だ、この物語に被害者はいない」

 僕は銃を引き抜き、その天使に向ける。

「お前達は……僕が記憶を故意に消したと言ってるのか?」

「否、条件が揃い、願いが果たされただけだ。故意の一切ない完全な偶然、天と人からの贈物『戦禍』によってお前の願いは果たされた」

 銃の狙いを、天使の心臓にあわせる。

「答えろ、僕は何を忘れた!」

「お前の兄はただの不幸な人間だ、家庭に恵まれず、発達障碍を持ち、社会に馴染めず天使へと昇華した。その物語にお前は存在しない。お前の干渉する余地なぞなかった」

「質問に答えろ!」

「お前の兄の思考は正しい、全ては時が戯言にする、追い求めるは虚無だ」

 引き金を絞る。

 弾丸が放たれ、天使の胸を穿った。

 天使は糸の切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。

 天使の死体はぐずぐずと溶け始め、そして広がり始める。

 肉が粘菌のように脈動と拡大を高速で繰り返し、周囲のコンクリートの壁を多い始める。

 天使の後ろにあった屋上への階段は、増殖していく天使の肉によって瞬く間に異界の様相へと変わり果てた。

 

〔それなら、我々は下って、彼らの言葉を乱してやろう。彼らが互いに相手の言葉を理解できなくなるように〕


 青白く脈動する外壁、まるでカサブタのように膨らみ剥離を始める謎の膿。

 天使がつくりだした、その奇怪な階段を僕は上る。

 抑制剤はもう1本しか残っていない、いまここで打つわけにはいかない。

 僕はゆっくりと慎重に、その階段を一段一段と登っていく。

 階段の踊り場には、大きな卵が設置されていた。

 これまでに見たどの卵よりも巨大であり、複雑な模様が表面に走っている。

 この卵の中にもまた、僕が忘却した記憶が入っているのだろう。

 僕はナイフを取り出すと、再び卵を引き裂く。

 硫黄の匂い、紫色の粘度の高い液体、そして――

 

 ひとりの美しい少女が、引き摺り出された。

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