4 憑かれた男に捧げるフーガ

『俺がワールド・シェイカー? 嘘だろ』

「あ……」


 肝腎の答えは頼りないものだったが、代わりに俺が思い出したことがあった。

 百発百中で夢の中に出てきた、あの見渡す限りの大草原。

 あれって、実はここのことだったんじゃないか?

 校舎が建てられたのは今から十年前。ということは、それまでは一面草の生い茂った大平原だったのかもしれない。今見るとそれほどの面積でもないが、なにぶん幼少の頃のことだ。広く感じたとしても不思議じゃない。

 ……お前が、眠っている俺の意識に、その光景を映し出していたのか?


『判らん』


 最後に見た独房での夢。あのとき聞いたお前の声も、当時実際に俺が聞いた、音声の再現だったんじゃないか?


『判らんが、一つだけはっきりしてる。俺にはワールド・シェイカーとやらの大それた能力なんざ、これっぽっちも備わってねえってこった』


 ……まあいいや。お前に能力があろうとなかろうと。


「もしそれが事実だとしても、俺にワールド・シェイカーの力はない。本人もそう言ってる」


 俺は周りの連中にも聞こえるよう、喉に力を込めた。


「ボク的にはどーでもいーけど、周りが黙っちゃいないと思うけどなー」

「そうよ」足を引き摺りながら、寺島先生が歩み寄る。「今はまだ百パーセント眼醒めていなくても、いずれ本来の力を取り戻す可能性はあるわ。それにネームバリューだけでも相当なものなのよ。今に引っ張りだこになるわよ、山田くん」

「俺は要らない、そんなもの」

「あなたが欲する欲しないに拘らず、世界はあなたを求めて動き出す。それは決して逃げられない、ワールド・シェイカーとしての宿命なのよ」

「決して逃げられない……?」


 俺は先生を睨みつけたが、それ以上は何も言い返さないで、ペタンと座り込んでいる傍らのルキを見下ろした。


「ルキ」

「……はいです」

「逃げるぞ」

「……え?」


 俺は間合いギリギリまで足を近づけて、


「いいから逃げるぞ。来い」

「で、でも」ルキは困った顔で俺を見上げる。「ルキが一緒だと、いつか山田さんを、本当に傷つけてしまうかもしれないです」

「お前なあ、まだ判らないのか」


 俺は吐き捨てるように言った。


『全くだ。簡単な話じゃねーか』


 そう、簡単な話だ。


「だったら俺が逃げ続ければいい。ここからも、お前からもな」


 そうだ。

 どこまででも逃げてやる。

 逃げて逃げて逃げまくって、逃げ場を失ってもなお逃げる。

 この二本の脚さえあれば、どこへだって走っていける。火傷しても、髪の毛ごっそり持って行かれても、何が起きても。

 そう、俺のこの脚なら。


「だから、お前は俺を追ってこい。俺を見失わないように」

「…………」

「それに、俺が村雨をよけるのに慣れた頃には、お前もそれ持ってるのに慣れてると思うし。日本刀と女子高生、そんなに悪くない取り合わせだと思うけどな」

「……山田さん」


 睫毛を濡らす涙を拭いて、ルキが立ち上がる。

 姉貴はそんな俺たちから離れ、呪物の詰まった袋のほうへ引き返していく。


「それも悪くないかもねー。追一らしいっちゃ、らしいし」

「ていうか、なんで俺こんなに村雨に嫌われてんの?」

「嫌われちゃいないよ。村雨に意思はないんだし。ただ村雨の霊子エーテロンが暴走してるだけで」

「暴走?」

「そ、暴走。ルキルキの手にくっついちゃってんのと同じ。だからそこをちょん切っちゃえば、何もかも丸く収まるんだけどさ」

「させるか、そんなこと」

「まーね。ボクとしても、ここであっさり終わりにしちゃうよか、翼をもがれた堕天使が村雨っていう新たな翼を得て、我が不肖の弟をどこまで追い詰めるのか見守るほうが、案外楽しいかもだしねー」

「翼?」

「堕天使……?」


 大集団のここそこから、訝しげな声が上がる。


「そーだよん。神に逆らい天界を逐われ、人間に霊子エーテロンという〈光〉をもたらしたチョー有名な堕天使がいるよね」

「光の運び手……ルキフェルか。英語名ルシファーの、古典ラテン語読み」


 震え声でアルティアが呟く。いや、声だけでなく四肢まで小刻みに震えている。

 どうしたんだ?

 姉貴たちが何を言っているのか。それが何を意味するのか。俺の理解は相も変わらず及ばない。


「そゆこと。霊子階級マックスの呪物を収めてある以上、ただの女の子がドジ踏んだだけで壊れちゃうほどヤワなご神体じゃないっしょ。やっぱそれなりにやんごとなき身分じゃなきゃ、村雨を暴走させちゃうくらいにはさっ。そりゃー地下に潜ってるセンセのお仲間さんたちも、丁重におもてなしせざるをえないよね。天使長にして悪魔王、光と闇の最強属性を併せ持つ、この世界で唯一といっていい存在なんだから。その価値はワールド・シェイカーと同等かそれ以上かもって感じ?」

「おい、姉貴。何の話してんだよ」

「あんたは知らなくてもいいことだよ。何も知らないほうが、身軽に生きていけるからね。逃げるにはむしろ有利かもよ」


 そう言って、姉貴は相手をするのもかったるそうに背を向けた。


「悪いけど追一」出血の収まったらしいサナギが、決然たる様子で俺に立ちはだかる。「あんたが逃げるなら、あたしも追わせてもらうよ」

「どうして?」

「逃げるからよ。あんたが逃げるから、あたしが追う。ほかに理由が必要?」


 なるほど。それもお前らしいか。


「お前の好きにすりゃいい。お前の自由だ。ただし俺は捕まらないけどな」

「ワチキを忘れるな」

「え、お前も追うの?」

「村雨及び君の中のワールド・シェイカーは、霊子理論セオリー・オブ・エーテロンの発展に資するであろう重要なサンプル」


 あーはいはい、モルモットね。


「のみならず、今の話を聞いてそこな暁月にも並々ならぬ興味が湧いた」

「ル、ルキがどうかしましたか?」


 突然苗字を呼ばれ、おどおどするルキ。


「そもそもルキフェルとは、明けの明星を意味するラテン語なのだが、朝日の輝きに天上の星々が駆逐される中、最後まで抵抗する明けの明星……暁月という苗字も、そう考えると示唆しさ的ではないか。家族が暁月の下の名を敢えてルキと呼んでいるのも、故なきことではないのやもしれぬ」


「ルキ、どうかしましたか……」


 ほとんど泣き声になっている。


「ワールド・シェイカーにルキフェル候補……こんな取り合わせを放っておけるほどワチキは人間ができていない。それに君らは最上の呼び水なのだ。君らといれば、いつかまた夢のエソテリック・オールスターズに立ち会える日が来よう」


 結局そこなんだな。まあ正直というか欲望に忠実というか。


「夢見るのはお前の勝手だけど、俺は人混み苦手なんでね。そうなったらトンズラさせてもらうわ」


 どこからともなく、優雅な琴の音色。

 西洋の竪琴を腕に乗せ、姉貴がゆっくり弦を爪弾いていた。


「あれは!」アルティアが陶然と頬を緩め、声を詰まらせる。「オ、オルフェウスの、竪琴ではないか……生きとし生けるものを、いや霊界の民をも虜にした妙なる調べ。束の間の、夢の終焉に相応しい」

「なんたる甘美な音色じゃ! ふぉっふぉっふぉっこれで二十は若返ったぞい。ヒヒイロカネもかくやの効能じゃて!」

「し、熾天使殿、かように暴れられては、お腰に障ります……」


 騒々しい老人らのやり取りを打ち消すように、姉貴のご機嫌な高笑いが響き渡る。


「はなむけ代わりだよーん、なんちゃってー。実は弾き方よく知らないのだ」

「姉貴さ……次会うときは、もっと練習して上達しとけよ」

「言ってくれるねー、さっすが我が弟。こんなの速攻でマスターしちゃうよん。ほら行きな。逃げろや逃げろ。追一の人生はフーガみたいなもんなんだから」

「フ、フーガ?」

「そ。遁走曲。ボクがフーガをマスターするのが先か、追一が暴走する日本刀から逃げおおせるのが先か、いざ尋常に勝負勝負! なーんてね」


 何言ってんだか。どこまでも調子のいい。


『言いたい奴には好きなだけ言わせとけって』脳裏に心の声がかかる。『さっさとズラかろうぜ。三十六計逃げるに如かず、逃げるが勝ちだろ? マイ・ソウル・ブラザー』


 包囲網は更に緊迫の度合いを強くし、一旦は姉貴に移っていた注意を再び俺に向ける。だが、そんなのは知ったこっちゃない。

 逃げるが勝ちか。そうだな、取り敢えず今はお前の言う通りだ。お前から逃げる方法もじっくり考えながら、まずはここから逃げ出すとしようか。


『ハハッ、好きにしな』

「んじゃ、逃げっぞ。ルキ」

「はいです!」

「おい、近づきすぎ」

「はいですっ!」

『おうおう仲のよろしいこって』


 俺は駆け出した。

 逃げて逃げて逃げまくる。

 誰にも追いつけないところまで。

 そんな人生も悪くない。

 何者からも、それこそ俺の所業を全部見通すが如き神の視点からも。

 逃げて逃げて逃げまくるんだ。

 万が一、この逃避行を物語に書き留めようとする不届者が現れたとしても。

 俺は必ず逃げ切ってみせる。

 そいつの手の届かないところまで。

 今なら、それができそうな気がするんだ。

 行く手に眼を向ける。

 天を衝く霊子エーテロンの柱が、その色調をやや薄くしている。山間の向こうに、日輪がその上の端をおごそかに覗かせているのが見えた。

 ま、こんな光景なら、もう暫く夢に見続けるのも悪くないかもな。

 朝はもうすっかり始まっていた。



(了)

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サーガとかフーガとか 〜日本刀少女にぶった斬られたくない男のための〜 空っ手 @discordance

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