3 少女はそれを手放せない

 俺は雑木林脇の金網に沿って立ち並ぶ街路樹のすぐ側を、すり抜けるようにして走った。


「待て!」

「くそっ、すばしっこい奴め!」


 あの木刀の長さからして、樹木、そしてフェンスと障害物の多いこのルートじゃあかえって扱いづらくなる。さっき枝に喰い込んだ日本刀と同じ道理。


「あ、あのっ」

「いいから黙ってな。喋ると舌噛むぞ」


 この女生徒が小柄で体重が軽かったのは幸いだが、いくら脚に自信ありとはいえ、いかんせん二人分の重さでは逃走の速度が落ちてしまうのは避けられない。街路樹が途切れた先で、後を追う四人組に追いつかれてしまうのは眼に見えている。事実、うち二人は障害物のない裏庭を直進して横手から回り込もうとしていた。

 ただ、こっちだって考えなしに駆けずり回っているわけじゃない。樹木以外にも植込みや草むらが生い茂っていてより木刀のかわしやすい遊歩道方向を敢えて避け、こうして一見どんづまりに見える校舎側に駆け込んでいるのには、それなりに理由があってのことだ。

 新たな物音。いや声か。

 ガヤガヤというざわめきと共に、前方の渡り廊下から生徒たちが次々と姿を現し始めた。始業式を終えて教室へ戻ろうとしているのだ。そろそろだろうと踏んでいたところに、ドンピシャのタイミング。

 素早く後方に眼をくれる。

 案の定、追手の四人は生徒たちに見つかるのを嫌ってか裏庭から消え失せていた。さすがに衆人環視の中でここの学生を襲う愚は犯したくなかったと見える。


「ふう……」


 ともあれ助かったな。

 絞り出すように息を吐いて女生徒を地面に降ろす。


「もう大丈夫だ。と思う」

「あ、ありがとうございます。助かりました、です」

「新学期早々災難だったな……って、なんで刀振り上げてんの?」

「え?」


 俺に言われて初めて気づいたのか、女生徒は高々と刀を持ち上げた両手をはっと見上げ、慌てて二、三歩後退あとずさった。程なくして、気が抜けたように腕はゆるゆると下がった。


「す、すみませんですっ!」

「なんか変わってるね、君」

「あの、いえ、その……ごめんなさいです」


 顔を真っ赤にして俯く少女。


「んー何があったのか知らないけどさ、始業式も終わったみたいだし、君も教室戻ったら?」


 と、揃わぬ足取りでゾロゾロと渡り廊下を踏み進む生徒の行列を指差す。


「だ、だだダメです!」


 予想に反し、少女は強硬に拒んだ。


「へ? なんで?」


 少女は頭を屈め、俺の背後に身を寄せた。まるであっちの生徒たちから身を隠すかのように。何故だ。さっきの追手どもじゃあるまいし。


「どうして隠れるの?」

「み、見られたくないです……ルキの、こ、こんな、変な恰好かっこう。恥ずかしいです」


 何を言っているのかさっぱり判らない。別段恥じるような容姿なんてしていないと思うが。


「君、うちの生徒だろ。制服だってどこも汚れてないし、何も恥ずかしがる必要ないと思うけど」

「でも、これが」

「ん? あ、それね」


 そういうことか。

 か細い腕の女子高生が抜き身の日本刀を持っているだけで、奇異の視線にさらされるのは想像にかたくない。制服少女に日本刀。一部マニアは喜びそうだが、本人にしてみればそれが恥ずかしいと。


「確かに目立つわな。さやもないし。でもさあ、要らないならどこか置いてけばいいんじゃない?」

「それが、ダメなのです」

「へ? なんで」


 持っているところを見られるのもNGなら、捨てるのもNGと。結構な無理難題だぞこれ。

 日本刀を肌身離さず身につけねばならない理由。

 あの四人組と、この少女が交わしていた会話を思い出してみる。少女が家宝の刀を盗んだとかどうとか。てことは、その刀ってのがこれで、あいつらがこれを取り戻そうとつけ狙っている? だから離したくないのかな。


「さっきの変な連中に返すのがイヤってこと?」

「いえ、できれば返したいです」

「は?」

「返せるなら、喜んでお返ししたいですが。それが、できないのです」


 お手上げだ。判らない。どこか大事なところで、俺とこの少女の認識はすれ違っているみたいだ。


「どういうこと?」

「離れないのです」


 少女は涙声になって俺を見上げた。その双つの眼も溢れる涙で潤んでいる。


「刀が、手から離れなくなってしまったです」

「……なんだって?」


 そんなバカな。

 刀が手から離れなくなった? 信じられない。そんなふざけた話あるかよ。

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