2 逃走経路は見つけた

 ゴッ!

 耳のすぐ横で鈍い音。同時に何かが首筋にかかる感触。

 俺は思わず両眼を開けた。

 視界を覆う深緑の枝葉。柔らかい木洩れ陽。視野を音のした側へ傾けると……。

 首を乗せた枝の表皮に、白銀の刃物が喰い込んでいた。


「か……」


 刀だ。

 日本刀だった。

 日本刀の切っ先が、こっちを向いて陽光をはね返していた。

 それはやけに水気の多い刀身だった。細かい水滴が大量に付着しているのが、はっきり見て取れた。

 水滴は内側から吹き出すかのように円い形状を保ったまま、滑り落ちることなく表面にまとわりついている。首に当たったのは、どうやらこの水滴らしい。

 俺は息を呑んだ。

 もしこの枝がなかったら。あるいはもっと細い枝だったら。

 俺の首……すっぱり切断されていたんじゃないか?


「誰だ! そこにおるのは」


 しかも下の奴らに見つかっちまったよ。やっべー最悪だ。

 始業式をフケたばっかりに、とんだ厄介事がこの身に降りかかろうとは。


「いるのは判っておるのだ。早く降りてこぬか」


 バレたからにはしょうがない。取り敢えず周辺の様子見と、あと逃げ道だけでも確保しておくか。

 腹を括った俺は、上体だけ起こして二メートルほど下の地表をゆっくりと見下ろし、そして絶句した。

 枝に喰い込んだ刀は、それを大上段に構えた制服姿の……。

 なんと女生徒の手の内にあった。

 彼女の前後に立ち塞がる、地味な色合いの和服を着込んだ男たちは、全部で四人。つまり、俺は先程の会話では明らかに窮地に追い込まれていたその女子に、理不尽な刃を向けられたことになる。


「お主、何奴だ」


 そう言って俺を見上げる男の手にも、結構な長さの木刀が握られていた。ほかの男たちもだ。

 問題の女生徒はというと、抜き差しならなくなった刀から手を離そうともしないで、諸手を挙げたまま、ここから見ても判るくらい四肢を小刻みに震わせている。

 俺は少し安心した。半狂乱で振りかざした刀が、運悪く枝にぶつかっただけだろう。俺を狙ったわけでないのなら、まあこっちは無傷だし、不問に付してやらないでもない。


「判ったよ、今降りるから。ただし!」

「なんだ」

「手荒な真似はナシね。見ての通り、こっち丸腰なんで」

「…………」


 幹のこぶに足をかけ、静かに地面に降り立つ。

 未だ刀を振り上げていた女生徒は、枝から刀身が外れた拍子にバランスを失って横ざまに尻餅を突いた。


「キャアッ!」


 短めに髪を刈り揃えた、見るからに大人しそうな、およそ得物えものの類いには似つかわしくない顔立ち。下級生か? 記憶にない顔だった。

 疲労の色濃い女生徒は、眉間に深いしわを刻みつつ、すがるような眼でこっちを見上げている。けれども、それでも左手は例の日本刀をしっかと握り締めていた。

 おおっ。意外と根性あるんだな。


「お主、この小娘の一味か?」


 木くずがついていないかと背中を払う俺に、リーダー格らしき男の威嚇いかくめいた声が飛ぶ。


「いや違うけど、あんまり感心はしないね」

「む? 何がだ」

「四対一で弱い者いじめってのは」

「なんだと?」

「おい、手荒な真似はやめよ」


 木刀を持ち上げた男を制し、リーダー格が一歩身を乗り出す。そーそー口約束とはいえ、約束はちゃんと守ってくれなきゃ。手荒な真似はご免こうむるよ。


「お主、本当に小娘の一味ではないのだな?」

「んーまあね。初めて見る顔だし」

「あい判った。関係なければ用はない。ここで見聞きしたことは凡て忘れ、早々に立ち去るがいい」


 言われなくてもそうするっての。


「へーい。じゃ、行きますか」


 俺は座り込んだきり立とうともしない女生徒に手を伸ばした。当の相手は、ぽかんとした様子で見つめ返すばかり。


「おい、何をしておるのだ。その娘に……」

「腰でも抜かしたか? しょうがないな」


 強引に女生徒の腕を取り、そのまま横抱きに抱える。


「キャッ!」

「貴様、何をするか!」


 二つの木刀が打ち下ろされるより一瞬早く、俺は地を蹴りプラタナスの裏側へ回り込んだ。


「逃がすか!」


 そりゃ逃げるって。〈〉はもう見つけたし。

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