湿地帯

 軽便鉄道と聞いていたので、作治はてっきり山岳地帯を走るトロッコ列車のようなものを想像していたのだが、実際には山岳地帯ではなく、海寄りの地域を走る列車だった。


 客車の長さは、以前、鉄橋からぶら下がっていた国営鉄道の客車の半分以下だったが、車幅は広く、狭いながらもボックス席が廊下の左右に並んでいた。

 機関車の方は客車よりやや小さめで、電気かメタンディーゼルか何かで動いているようだった。狭い運転席に窮屈そうに運転手が身を屈めて座っていた。

 小さいながらも力強そうな機関車の後ろに平台の貨車が一両、その後ろに客車が三両、最後尾には屋根付きの貨車が連結されていた。「軽便鉄道」というより「市電」と言った方がいいのかもしれない。

 駅舎の周りにあれほどの人がいたのだから、さぞかし混むだろうと思っていたが、作治が乗った車両には五人ほどの人しかまだ乗っていなかった。三人くらいの行商の老婆と、スーツを着たサラリーマン風の男と、作業着を着た中年男くらいしか見当たらなかった。人だかりはどうやら貨車の方に用事があるらしい。


 作治は空いているボックス席の一つに腰を下ろした。すると、さっきのゴーグルのおばさんが乗り込んでくるのが見えた。

 彼はさっき礼の一言も言っていなかったのに気付き、急いで席を立ち上がった。


「おばさん!さっきは有難うございます」


「あんたもこの汽車に乗るのかね」おばさんは優しく微笑んで近づいてきた。


「一緒に座ってもいいかね?」


「どうぞ」作治もニッコリ笑って自分の前の席を勧めた。


 おばさんは先ほど持っていなかった、大量の荷物を載せた背負子を背負っていた。

「よっこらしょ」おばさんはそう言って背負子を席に下ろすと、進行方向に背を向けて作治の前の席に座った。かなり狭いボックス席だったが、おばさんもかなり小柄だったので、どうにか膝をくっつけずに座ることが出来た。


「水龍川まで行くのかね?」おばさんが尋ねた。分厚いレンズのせいで彼女の瞳は見えなかった。


「はい、ちょっとした観光です」


「だと思ったよ。この辺は初めてかい?」


「いえ、以前住んでいたんですが、暫く内陸の方に疎開してました」廃墟アパートで一人篭って隠れ住むのを果たして「疎開」と言っていいのか悩んだが、あえて細かいことは言わなかった。


「そうかね」そう言うと、おばさんは背負子しょいこの一番上に括りつけた鞄の中から透明セラミックの携帯茶瓶を取り出して、窓枠についている小テーブルの上に置いた。作治も布カバンからせいさんに貰ったパンフレットを取り出して広げてみた。


「この辺、久しぶりなら、きっと面白いもんが沢山見れるよ」おばさんはそう言うと、鞄から取り出した冷凍みかんを作治に手渡した。


「良かったら食べな」とおばさんは言った。


 作治は「どうも」と言って、当然天然物ではない冷凍みかんを受け取ると、ワクワクと期待と興奮が湧き上がってきた。


「十時四十五分発、蛇波発、水龍川行き列車は間もなく発車いたします」車内アナウンスが妙に高い声で流れた。


 ポウッ、と甲高い汽笛がなると、軽便鉄道はゆっくりと動きだした。グー、ゴロン、グー、ゴロンと苦しそうなエンジン音をたてて、少しずつ加速していった。

 軽便鉄道の牽引機関車のパワーは思った通り、大したことはなく、速度はかなり遅かった。


 バラック造りの住宅街の合間をゆっくりと進んでいく。ボロ小屋の住宅街は犇めいていて、線路と隣接する小屋の間も狭く、ぶつかりそうな距離だった。


 やがて煤けた板で造った小屋の集まりが少なくなり、列車は荒れ地に出た。


 地殻改変計画の地震で出来たのか、細かい起伏に富んだ土地で、土手のような丘が無数に広がっていた。塚のような丘と谷には蔦草や下生えの雑草がはびこっていた。


 軽便鉄道は他より頭一つ高い土手の上を走っていて、他の土手が数十メートルしか長さが無いのに比べ、ずっと彼方まで続いていた。やがて幾つもの小さな川と湿地帯がも見えてきた。川幅は三メートルから五メートルほどの小さな川だが、流れは速く、深さもあるようだった。何せよ、その川は灰青色に濁っていて、汚染されているのは明らかだった。


 そんな川が、何処からともなく流れ出してきて、湿地帯に穿たれた土手の間の溝を怒涛のような速さで轟々と流れていた。所々で湿地帯から川に水が流れ込み、更に水流の速さを増しているようだ。


 遥か彼方を見つめると、湿地帯の中から廃墟が顔を出していた。どれも工場施設の廃墟で、斜めになった塔屋や煙突、折れ曲がった巨大なパイプ、横倒しになった巨大タンクなどが彼方の湿地帯にいくつも転がっていた。破壊されたコンクリートの柱が斜めに湿地帯から伸びていたり、巨大なコンクリート片が転がっていたりする。完全に死んだ工場地帯だ。


「この辺は海面上昇で一旦海に沈んだ工業地帯だよ」ゴーグルのおばさんが言った。「その後、地盤隆起で浮き上がってきたんだ」


「地殻改変計画の?」作治が尋ねた。おばさんは黙って頷いた。


「その後、更に敵の上陸作戦とこちらの攻防戦があって一番初めの頃攻撃を受けた街さ。BC兵器沢山使われたし、G兵器が初めに使われたのもこの辺りさ」


「G兵器?」


「遺伝子操作有機兵器さ」


「ああ、遺伝子をごちゃごちゃ弄られた動物兵器ですね」


「そう、だからこの辺は色んな種類の汚染にまみれてるのさ」


 作治は「色んな種類の汚染」とはどのようなものか解らなかったが、何も言わなかった。


 パンフレットを開くと、最初の方に「旧荒玉工業地帯」と書かれたイラストが有り、荒玉攻防戦のあらましが書いてあったが、古い戦争用語が多く、作治には良く解らなかった。

 そのとなりには「ことよみ燃料森林」と書かれたタイトルと森の絵が書いてあった。

 イラストと窓の外を交互に見て、それらしい森を探してみた。すると、おばさんが屈んでパンフレットを覗き込んだ。


「あれだよ」おばさんは作治の後ろの方を指差した。


 窓の外を振り返ると、たしかに森があった。だが、何か妙だ。

 その森はずっと遠くにある山裾から湿原地帯まで続いているようで、山も森もかなり遠くにあるのだが、近くにあるように見える。山と森の遠近感も違和感がある。ミニチュアの木のようだが妙にリアルだ。

 作治が目を凝らして森林を見ていると、おばさんがハハハッと小さく笑った。


「あの木は一本一本が五十メートルくらいの高さなんだ。奥行きは七キロくらいで、あの山とは繋がってないよ。森の終わりからあの山まではずっと荒れ地が続いてるよ」

 作治は自分の遠近感を修正しようと、更に目を凝らした。すると、木々のうち何本かが揺れているのが見えた。風で揺れているのではなく、揺れている木とそうでない木があった。


「何かいる!」作治が小さく叫んだ。


「あれは木が自分で動いてるんだ。生きてる樹だよ」おばさんは作治の反応を見越していたように言った。「西の奴らが残していったもんだけど、使えそうなんで政府が残してるんだろう」


 それにしても樹高五十メートルとはどのくらい高い木なんだろうと作治が感嘆していると車内アナウンスが流れた。


「次は、鬼目川〜、鬼目川〜。停車時間は十分です」


 列車は遠浅の海へ向かって進んでいるようだった。流れの早い川が幾つも深みを増した湿地帯に流れ込んで消えている。湿地帯はそのまま海へと続いているようだった。

 何時の間にか湿地帯は海へと変わっていた。

 浅い海の中に無数のコンクリートブロックが無造作に堆積していた。いずれも大きな建築物の梁や柱が折れたものだ。壁や塔屋の一部のようなものも海の中に沈んでいた。海面から突き出している太い柱の残骸も所々見られる。

 コンクリートの残骸が数メートルも海の中に沈み、それが沖合までずっと続いているようだった。恐らく、それが波消しブロックになっているようで、湖のように波のない静かな海だった。

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