水龍川駅

「終点だ。これでお別れだね」列車を降りたおばさんが作治を振り返って、そう言った。「あたしゃ、これから仕事だ。ここでお別れだよ」


「色々有難うございます」作治は右手を差し出し、二人は握手した。

「ここで見るところは、ジーク教の天船寺院とその脇の天船市場くらいしかないよ。あの塀の向こうは行けないからね」おばさんは城から続く長城を指差しながら言った。それは岬の突端にある大きな天船寺院の端から北西の山に向けて何処までも続く高い壁だった。


「ここが国境なんですね」


「いや、国境はここからずっと西の方へ数十キロ行った所だよ。しょっちゅう小競り合いをしていて、正確な国境線は引かれてないのさ。あの塀は安全保障線とか、商業境界線といってね、あの塀よりこっちは東政府が安全を保証している境だよ。軍事境界線と商業境界線の間には沢山の東側の人間が住んでるけど、その人達は東の国民登録なんかをしたくない人達で、自分からそこに留まった人達なんだよ。でも、まぁ、同じ東政府の国民だからって僧兵たちが商業境界線で互いの物資を交換する市場を認めてる、って訳さ」


 おばさんが指差す辺りには、ちょっとした人溜まりができていた。その近くには小銃を持った僧兵が大勢彷徨いていた。あの塀は国境ではないが、行き来することは出来ないらしい。

「それじゃあ、行くよ。また会えるといいね」おばさんは手を振って四・五軒のバラックが集まる集落の方へ歩いて行った。

 作治は暫くおばさんの背中を見守った後、おばさんが言う市場の方へ登っていった。


 昼過ぎの時間帯だから、もう誰も市場にはいないだろうと思っていたが、幾つか壁際に露天市が開かれていた。

 市が行われる場所の塀は地面から五十センチ程穴が開いていて、その穴は鉄格子で隔絶されていた。その鉄格子越しに商品を見せ合って売り買いするらしい。鉄格子は上下にスライドできるが、僧兵の監視下でないと取引はできないらしい。取引が成立して鉄格子を開けて物品を交換すると、塀の向こうとこっちの僧兵が近づいてきて、中身を入念にチェックしている。


 その時出ていたのは、塀の向こう側では穀物や野菜など、こちら側は何かの肉のスモークやハムだった。小型トラックがやって来て商品を追加すると、何処からとも無く、ワッと人がやってきた。


 鉄格子越しに見る向こう側の光景は、荒れ地と砂漠が混じった不毛の土地が何処までも続いて、人などまるで見えなかったが、こちら側の商品が新たに届くと、信じられないくらい大勢の人間が鉄格子に群がってきた。


 市場の周りには飲食店の小屋があり、そちらはまだ殆どが営業していた。時間は昼を過ぎ、腹が減っていたので、その中の一つの定食屋に入った。この地方の名物料理だという「ぐでの汁煮丼」というのを頼んだ。白身魚の切り身を煮込んだものを菱米の飯の上に乗っけたものだった。

 それほど美味いものではなかったが、腹の足しにはなった。


 店の窓からは漁港と寺院と市場の一部が見えた。作治はそれらを眺めながら、ゆっくりと箸を運んだ。雲一つない平和な光景だが、視界の何処かにはどうしても瓦礫の一部が見えてしまう。破壊と戦争の跡。それを「夢の跡」、と呼ぶにはもう少し時間がかかりそうだった。


 作治は店を出ると、もう一度市場の方に向かった。


 広大な寺院を囲んでいる城壁から商業境界線の高い壁がずっと伸びている。

 その壁に作られた鉄格子の向こうでは大勢の人間がワイワイガヤガヤと騒いでいた。何時の間にか、三十人以上の人間が集まっている。都市部では治安局に「集会罪」で検挙させそうなほどの人数だったが、僧兵は何もなかったように見守っていた。どうやら、向こう側の人間が切望していた布や衣服類がこちら側からもたらされたようだった。鉄柵の向こうで嬉しそうにカラフルな布を手にとっている人達が見えた。


 ふと、その人達の間に、あのゴーグルのおばさんの姿が見えたようだったが、その人影はすぐに群衆の向こうに消えてしまった。軍や政府の関係者以外はこの塀の向こうには絶対に行けないはずだから、何かの見間違えだろう。


 髪の長い綺麗な女性と談笑しながら西の荒れ地へ歩いて行ったような気がしたのだが、あまりに大勢の人間が犇めいていたので、断定はできない。


 ただ、おばさんと話していた女性は、傾きかけた太陽の日差しを浴びて、その瞳が真っ赤に光っているように見えた。

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