第11話 勇者の荒々しい日常




私の朝は、よく分からない生物の絶命する寸前のような奇声によって始まる。

当然、気持ち良く起きられる筈も無く、寝起きの鋭い目つきを薄暗い窓の外へ向けて「夜かな?」と思うのが毎日のお約束であった。

のそのそとベッドから這い出し、重いまぶたを何とか抉じ開けながら着替え等をして、そうこうしている間にセレスちゃんがやって来る。


ここまでが、以前までの私の朝である。


そう。以前までならこの後、成人男性が2日で食べる量を易々と平らげてから魔王城の散策に出ていたが、今の私は違う。

散策ついでに筋トレをしようと食べたばかりだと言うのに逆立ちで歩き、吐き気をもよおし、通りすがりのエイマーズさんに冷たい眼差しを向けられていた情けない私とは違うのである。



まず、私は朝食を運んで来てくたセレスちゃんを部屋に迎え入れ、成人男性が4日で食べる量を胃袋に詰め込む。これが今日の午前中を乗り切る為の活動エネルギーとなるのだ。

満腹感は正直2日分で得られるのだが、倍は食べておかなければ昼を迎える前に力尽きる。気分はちゃんこ鍋を食べる相撲取りである。


今日のセレスちゃんは朝から元気いっぱいで、朝食を次々と口に運んでもぐもぐしている私に向かって怒涛の勢いで話しかけ、百面相を披露していた。

どうやら悪戯好きの弟2人に眼鏡を奪われ、私がまだぐっすりと眠っていた時間帯に追いかけっこを繰り広げていたらしい。

興奮冷めやらぬ様子で「まったく、あの子たちは仕方ないんですから!」と言って頬を膨らませていた。

ちゃんと取り戻せたのか聞いてみると、まだ12個の眼鏡が弟たちの手中にあるらしい。これでも26個は取り戻したのだと、セレスちゃんは少し得意げにしていた。


スペア多いな。魔界では普通なのか?

まあ、戦闘中に壊したりもあるだろうし、そう考えれば……うん、普通だな。

私はセレスちゃんと同じ眼鏡仲間のエイマーズさんが、大量の眼鏡コレクションを部屋に飾っている姿を想像する。あっ、めっちゃ似合う。姑ばりにホコリひとつ見逃さなさそう。

私のエイマーズさんに対するイメージはセレスちゃんによって大分狂わされている。


セレスちゃんの眼鏡コレクションを奪って逃走したクリスタル家の七男と八男は、大体セットで行動していて、遊びたい盛りの年頃同士で仲が良いと言う。その為、被害者は数知れないらしい。

セレスちゃんには小さい男の子のコンビが騒いでいたら、直ぐに逃げるようアドバイスされた。近くに落とし穴やタライが仕掛けられていたり、水鉄砲で襲撃されるかも知れないからと。

クリスタル家の末の弟たちは、魔王城で通り魔的ターゲット選定を行なっているようだ。やんちゃだな。



セレスちゃんと談笑しながら午前中のエネルギーを摂取した後は、空にしたお皿をワゴンに乗せ、仕事に戻って行くセレスちゃんを見送った。

そして、私も魔王さんから貰った剣を腰に差してから、目的地への道順を記したメモを持って部屋を出た。

メモの中身は『右』『左』『前』『飛び降りる』のみで構成されていて、そこにしか辿り着かない仕様になっている。

イラストは誤解を招くので一切使っていない。向きを間違えてあらぬ方向へ行って迷わない為である。


階段を使わないまま窓から目的地が見下ろせる場所に辿り着くと、私は窓を開け放って躊躇い無く飛び降りた。

文字数の都合上、最短距離にして無駄を省いた結果だった。だって、階を下りる度に道順を書いていたら頭がこんがらがるし。

憎っくきトカゲに馬鹿にされようと、私は利便性を取る。時短ってやつである。

階段?何それ飛べば要らなくね?常識なんて糞食らえだぜ!

完全に開き直っていた。


———ズダンッ


地面の抉れた定位置を見定めて、隕石の如く華麗に着地を決める。中庭のごく一部の土地は、私の着地地点として占領されていた。

すると側にいたガラの悪い3人組の男たちが私の存在に気づき、中くらいの男が「よぉ」と声を掛けて来る。私も軽く挨拶を返して、その3人組の中に混ざった。


中庭で初めて知り合った大中小の3人組とは、あれからよく一緒に居るようになっていた。

名前も聞いたのだが、ぶぇ……とか、ぜぇ……とか、びょ……とか、言いにくかったのであだ名で呼ぶ事にした。

『大』の男がダイさん。

『小』の男がショウさん。

『中』の男が……


「チュウ……?いや、ナカ、ナカ……中野くん」

「俺だけ種類違くね!?」

「そのまま読むと名前っぽくならないし、君は今日から中野くんだ」

「誰だよ!勝手に変えんなよ!」

「良いじゃねえか、中野くん」

「似合ってんじゃん、中野くん」


中野くんは同情するダイさんと半笑いのショウさんに肩を叩かれ、「やんのかこの野郎!!」と叫んで剣を抜いた。

私は割と本気で、センスの良いあだ名だと思ってるんだけどなぁ。2対1でダイさんとショウさんに弄ばれている中野くんを見ながら思った。


……と、そう言う経緯がある訳だが、私が中庭に来たのは楽しく雑談をする為じゃない。

中庭に着いたら早速、本日の私の対戦相手が決まる。3人には私の特訓に日替わりで付き合って貰っていた。

ちなみに今日が中野くん、昨日が中野くん、一昨日がダイさん、一昨々日が中野くん、ショウさんとは……5日前くらい?彼は気難しいのである。


ショウさんには以前、私が魔法を使えるのかどうか確かめる為に色々と教えて貰ったのだが……結果は私が何かカッコイイ必殺技を叫ぶだけの時間になった。

それからというもの、ショウさんには「魔法の才能皆無。典型的なゴリラだね」と吐き捨てるように言われてしまい、魔法の使い方を教えて貰えなくなった。

なので、ショウさんが私の特訓に付き合う日は、本を読みながら片手間に放たれる魔法の弾幕を私が様々なポーズを取りながら避けまくる姿が見られる。

私が「いだだだだだっ!!痛っ!いったい!絶対腕折れたあああぁあッ!!」と、鬼気迫る勢いで叫んでも止めてくれないスパルタっぷりであった。


そしてダイさんには以前、剣の使い方を教えて貰った。魔王さんに貰った剣を活躍させたくて、剣の扱いに長けたダイさんに私から頼み込んだのである。

剣にはちょっと自信があった。用途は違えど森で生活していた頃によく使っていたし、魔法と違って剣は体を動かすのでそれなりに上手くやれるのではないかと思った。まあ、やれなかった訳だが。

ダイさんにはこう言われた。「お前の剣は剣じゃない。棍棒だ」と。

しかし、剣であれば練習をすればまだ可能性はある。諦めずに剣で挑み続けたが、遂に「剣を折る気か!!」と迫真の表情で怒られた。

ダイさんは剣に並々ならぬ愛情を持っており、私は黙って剣を鞘に収めて拳を握った。


中野くんには私が対人戦に慣れる為の手伝いをして貰っていた。要は、戦いまくるだけである。

私はとにかく経験が足りていないので、体の動かし方や怪力と堅固の使い所を体に覚えさせる必要がある。場数を踏まなければいけない。

対戦相手の中野くんは剣も魔法も体術もできる所謂オールラウンダーであったが、いまいち決め手に欠けるまさに中間の男だった。

魔法を使えばショウさんから野次が飛び、剣を振るえばダイさんから助言が発せられ、体術を繰り出せば私に叩きのめされる。どちらの特訓をしているのか分からない有様だ。どんまい。



午前中はそんな特訓をしながら過ごし、お腹が空いて来た頃に3人と別れて、昼食を食べに行く為にロッククライミングをする。飛び降りる時は簡単なのだが、登るとなると考えものだ。最上階は流石に遠い。

開け放たれたままの窓を見つけると、私はそこから城内に入り込み、2枚目の道順を記したメモを見ながら歩き出す。

辿り着いたのは私の部屋ではなく、魔王さんの執務室だった。

魔王さんには1日1回は顔を見せに来るよう言われている。勇者である私の様子を確認しておきたいのもあるだろうし、私は仮にも魔王さんの護衛なので、全く一緒に居ないという状況は避けたいのだろう。


部屋の中では大抵私と魔王さんのふたりきりになるが、たまにエイマーズさんも居たりする。

私はセレスちゃんに運んで来て貰った昼食をフードファイターのように食べ進め、魔王さんは書類と向き合いながら淡々とペンを走らせる。お互い目の前の事に集中していて静かなものだ。しかし、私が暇を持て余して話しかけると、魔王さんは片手間程度に私の話に付き合ってくれた。


魔王さんって、めっちゃいい人だと思う。いや、人というか魔族なんだけど、面倒見が良い気がする。

私が道端で見つけた蟻の話をしてもちゃんと聴いてくれるからね。しかも「この世界の蟻は砂糖と肉どっちが好きだんだろう」って言ったら、「それは興味深いな。試してみたらどうだ?」って返してくれるからね。隣で聴いていたエイマーズさんなんかは、私の事を物凄い目で見てたからね。

優しすぎでは?本当に魔王?マオウっていう名前の人じゃなくて、役職の魔王なの?


「……そう言えば、魔王さんの名前って聞いてなかったです。なんて言うんですか?」


ふと思い浮かんだ疑問をそのままぶつける。すると魔王さんの手が止まって、こちらを伺うように真っ赤な瞳に私の姿を映した。途端に流れ出す緊張感に身体を強張らせる。

うっ……魔王さんは優しいけど、その目は苦手。得体の知れない怪物に睨まれている感覚に陥る。

それでも目を逸らせずにいると、私を捉えていた瞳がふいっと外されて、魔王さんは徐に口を開いた。


「お前が知る必要は無いだろう」

「まあ、そうなんですけど……気になってしまって」

「魔族と親しくするのは構わないが、自分の立場を忘れるな」

「分かってますよ」


若干ふてくされたように口を尖らせて言うと、魔王さんは困り顔でため息を吐いた。

だって、知り合いも居ない異世界に突然やって来て、誰にも心を許すなとか無理がある。同郷で同じ勇者のサヤカちゃんとヒロキさんにはあれ以来会えていないし、立場とか気にする必要の無いポチは森に置いて来てしまったし。

トカゲに勝てたら、ご褒美としてポチを連れて来たらダメかな。ポチめっちゃいい子だよ。ちょっと血生臭いけど、おすわりとまてが出来るし可愛いよ。

魔王さんにそう伝えてみたところ、「結果を出してから言え」と返された。

ええ、分かってますよ。再三聴いてますよ。いい人だけど頭固いなぁ。



昼食を食べ終えて魔王さんの執務室を出ると、私は真っ先に中庭へ戻って来ていた。そこで目的の人物の背中を見つけると、ぱっと花が咲くように表情を明るくさせて全速力で駆け出した。


「師匠ぉおおおっ!!」


私の声に反応して、頭の三角形がピクリと動いてこちらを向く。私が師匠と呼んだのは何を隠そう、この小柄な少女……キツネの獣人ラトカだった。

ラトカは振り返って私の姿をまん丸の瞳で捉えると、満面の笑みで「アキラ!」と声を上げる。お互いこの瞬間が待ち遠しかったと言うように。

あと少しで声を張り上げなくても問題の無い距離まで近づく。けれど、私の足は一切緩まずラトカへと直進する。そして———


「覚悟ォオオオッ!!」


拳を握り締め、ラトカに飛び掛かった。

私の拳をラトカは横に逸れて軽々避けると、身を屈めて低い位置から薙ぎ払うような蹴りを放つ。対する私は飛び上がって攻撃を回避し、着地と同時に腰を捻って回し蹴りを繰り出す。すると、今度は腕で受け止められ、私は即座に引っ込めて一歩下がり、足を踏ん張り拳を打ち込んだ。

絶え間無い応酬は暫く続き、私が次の行動を誤ってラトカの抉るような一撃が腹部に直撃した辺りで中断された。おぅふ……堅固の加護があっても結構くる。


「もう!ラトカはアキラの師匠になった覚えないよ!」

「どーしても、ならない?」

「ならないよ!ラトカはそんなことしてる暇ないんだから!」


とは言え、師匠と呼ばれる事に関しては満更でも無さそうだけど。ラトカは怒った風にふさふさな尻尾を揺らして胸を張った。

ラトカには私の師匠になってくれないかと何度も打診しているのだが、結果はこの通りである。しかし、師匠にはなってくれないものの、お昼頃に喧嘩を売れば楽しげに相手をしてくれるので、それを良い事に私は毎日のように殴りかかっていた。

もはや「こんちには!」と言えば「こんにちは!」と返って来る挨拶だ。


忙しいという理由で断られるので、普段何をしているのかと聞いてみると「家族になりたい人がいるの!」と乙女の表情で言われた。

当然のように私は呆気に取られる。まさかの返答だったからだ。

ラトカは照れくさそうにもじもじしながら、頬を染めて「子ギツネと子トラに囲まれた生活がしたいの」と大きな瞳をキラキラさせて遠くを眺めていた。

意中の相手とはまだ付き合ってもいないらしい。気がはや……いや、うん。

私は恋愛がよく分からないので言葉を飲み込んだ。



ラトカと別れてからは中庭に居る適当な人に相手になって貰ったり、城内を歩き回って情報収集をしながら過ごしていた。

空は常に暗いので時間の感覚は曖昧だが、夕方頃になると自室に戻っていた。もう何度もチャレンジしているが、メモも無く自力で自室に帰って来れた事はまだ無い。末期の方向音痴だった。

夕食を軽く済ませて、筋トレとストレッチを交えつつ寝る準備に取り掛かる。

これが私の1日の過ごし方であった。



***



———遂にこの時がやって来た。


暗い部屋で自分の両手を見下ろし、手を開いたり閉じたりしながらニヤリと怪しい笑みを浮かべる。

私は着実に自分が強くなっているのを感じていた。

最初は魔力というものが何なのか全然分からなかったけれど、今は感覚でその存在を認識できる。私に足りなかったのは魔力を使っているという実感だった。使い慣れた今となっては呼吸するのと同じくらい簡単な……いや、言い過ぎた。まだそこまでじゃない。

とにかく、私はトカゲに打ち負かされたあの時とは比べ物にならない程の進化を遂げたのだ。正直、完璧とは言えないが、そこまで時間に余裕は無い。


私はラトカに貰ったラブリーな便箋を取り出すと、勢い良く筆を走らせた。そして、十分に乾かしてからピンク色の封筒に入れて丁寧に封をする。

数秒間眺めてみて、それだけだと何となく寂しかったので可愛らしいハートを赤いペンで適当に描いて置く。

これでよし。奴が中身を見て落胆する様が目に浮かぶわ。


「……」


稲妻が走る暗い窓を背に、私は勇者らしからぬ凶悪な笑みを浮かべていた。


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