第6話 勇者の前途多難な生活



「この部屋は自由に使ってくれていい」


魔王さんに案内された場所は、なかなかに広い部屋だった。家具も充実しているし、部屋の構造も開放感があり、中にはまた別の部屋がある。私の立場でここを使っていいのかと思う程だ。

相変わらず雰囲気は暗いし、冷たいイメージはあるけど。


「あ、ありがとうございます」

「これが部屋の鍵だ。誰も中に入れないように気をつけろ」

「はい……」


渡された金属の鍵を重々しく受け取る。好待遇な部屋と、かけられた言葉のギャップに自分がどこにいるかを自覚させられた。もしかしたら、この部屋は身を守る為の要塞として渡されたのかもしれない。

部屋の中へ足を踏み入れる。その後ろを魔王さんがついて来て、私の代わりにドアを閉めた。


「必要な物は一通りある筈だが、他にいる物があれば今言ってくれ」

「あっ、分かりました。じゃあちょっと部屋の中を見て回ってもいいですか?」

「ああ」


魔王さんを長く待たせるわけにもいかないので、私は駆け足で部屋の様子を確認していく。人間と生活様式は変わらないのか、特に驚くような事も無い。

森での生活で汚してしまった服の替えもあるし、浴室や寝室、座り心地の良さそうなソファまである。日用品も問題は無いだろう。


「大丈夫そうです」

「後から必要になった物は明日に聞く。部屋からは出ても構わないが、安全は保証しない」

「部屋の外ってそんなに危険なんですか?」

「お前の存在はまだ認知されていない。うっかり鉢合わせでもしようものなら、良くて牢屋、悪くて殺されるかだ」

「うっ……」


最悪の事態が思い浮かんで顔を顰める。

出てもいいとは言われたものの、殺されるか殺されないかギャンブルをする程、私は無鉄砲ではない。つまり、部屋からは絶対に出るなという事だろう。

城に閉じ込められていた時とあまり変わらないかもしれない。好転している事といえば、全てが自分次第というところか。


「他に聞きたい事があれば答えるが、何かあるか?」

「あー……えーと……」


聞きたい事あるのだが、咄嗟には出てこずに周囲を見渡す。そして目に入ったのは、薄暗い窓の向こう側だった。

私は窓へと近づいて外を覗き込む。高所からの眺めは壮観で、ここはどうやら海外の古城のような外観をしているらしい。周囲には他にも建物が幾つか点在しており、そのどれもが立派な造りをしている。遠くに城壁がある事から、敷地はかなり広い事が分かった。

惜しむらくは天気が悪い事か。たまに暗い空から降ってくる、雷のような謎の光は私の不安を煽る。太陽の代わりがあれでいいのか。

ゲームならボスモンスターがいそうな場所だ。まあ魔王ならすぐ近くにいるし、それは違いないんだろうけど。


「今更な質問なんですけど、ここってもしかして魔界ですか?あと、ついでに魔王の根城だったりします?」

「そうだな」

「天気悪いですね」

「今日は良い方だ」

「そうですか」


私は再び窓の向こう側に目を向けて、改めて空を見上げる。先ほどの光景と何の変化も無い。

え、もっと悪い時があるの?

内心で驚愕していると、ギャアギャアと喚くよく分からない生物が飛んでいるのが見えた。今にも雷に打たれて墜落しそうだ。いや、そもそもあれは雷なのか?

私が興味を惹かれて魔王さんに「窓を開けてもいいですか?」と聞くと、魔王さんは「構わない。普段は閉じておいた方がいいが」と答えた。

窓を大きく開くと、冷ややかな淀んだ空気が流れ込んできた。それと同時に冷たい風がバタバタと私の衣類をはためかせる。私は直ぐに窓を閉めた。


「失礼ですが、こんな環境でちゃんと生活できてますか?」

「人間には辛いだろうが、魔族にとっては昔からの故郷だからな」

「ですよね……」


当たり前の事を聞いてしまった。しかし、それだけ信じられない話なのだ。

この天気で良い方だとすると、つまり空が晴れる事は無いという意味になると思う。今まで太陽のもとで暮らしていた私からしてみれば、それだけで信じられない。


「それに、こういう自然現象は空気中に多量の魔力が漂っているからこそ引き起こされる。つまり、魔族にとっては良い事でもある」

「良い事……?」

「これだけの魔力に日々晒されていれば、嫌でも魔力に慣れて強靭な肉体が得られる。逆に、それに耐えられなければ衰弱して死ぬか、より強い者に殺さて死ぬかのどちらかだ」

「死……殺……そうですか」

「魔族は力こそ全ての縦社会で形成されているからな」


定番の当たり障りのない天気の話題が、生死に関わるデンジャラスな話へと早変わり。何という事だろう、これが魔界マジック。

ヤバイ森以上にヤバイ場所だな。


「……ん?てことは、私も今現在多量の魔力に晒されているという事ですかね?」

「そうなるな」

「大丈夫なんですか、私?」

「カザヴィネで長期間生活していて問題が無いのなら、大丈夫なんじゃないか」

「かざびね?」

「お前の生活していたと言う森だ。普通、魔力に耐性の無い人間はあそこに近づこうとは思わない」

「え、あの森って魔界なんですか?大抵は快晴でしたよ、あそこ」


私は約1ヶ月弱を過ごした森の事を思い出す。

雨が降ったのは数日程度で、空が曇る事すらあまり無かった。気温も魔界よりは暖かいし、普通に生活できるくらいだ。何もおかしなところは無い。


「そもそもの話だが、ここが魔界と呼ばれる所以は他の地域と比べると別世界のような魔境だからだ。それは人間が勝手に言い出した事で、明確に定められてはいない。ただ、魔界との境界とされている場所がカザヴィネの森だ」

「国境みたいな場所だったって事ですか?」

「ああ、だから森に異変があればすぐに感知できる状態にしていたし、そこに人間がいたとなれば警戒する」

「す、すいません、知らずに……」


そりゃ刃物突きつけられたって仕方ないわ。

私は森で異変を起こしていたらしく、更に魔王さんの後をコソコソとつける行為をして、挙げ句の果てに転移にまでついて来たような人間らしい。完全に不審者だ。

初対面の時にされた『何をしていたか』の質問に対して、私が『生活』と答えて魔王さんが困惑した理由を今更ながらに理解した。

私が魔王さんの立場だったら、そんなヤツ問答無用で牢屋にぶち込んでいる。偵察か何かだと思うもの。しかもそいつ勇者だし、明らかに敵側だし。

そんな私と今こうしている魔王さんは、余程の余裕があるという事だろう。不用心な気もするけど、他に思惑でもあるのだろうか?


「話を戻すと、ここが魔界かどうかは人間が勝手に決めた事で、空気中の魔力量は関係無い。あの森はこの場所のように天気に影響を与える程じゃないが、環境は魔界に近いと言えるだけだ」

「そういう領域は決めないんですか?」

「第一に国という連帯感が無いからな。カザヴィネには魔族のカテゴリーに分類される魔物が多くいただろう。だから魔界の入り口と呼ばれていて、そもそも森に侵入する事すら困難な筈だが……」

「魔物なんていました?」

「……」


私はどうやら素っ頓狂な質問をしたらしい。魔王さんは呆れたように言葉をなくした。その様子に、私は今までに森で遭遇した動物たちを思い返す。

あの規格外な図体は、やっぱりこの世界でも異常な事だったのか……?


「あの、私……魔物と思われる動物の肉を、結構見境なく食べていたのですが……」

「問題が無いのならそれでいいだろう。俺たちも食べる」


魔王さんは投げやりにそう言った。魔族と比べられても、純粋な人間である私には不安しかない。

え、私、大丈夫なんだよね?


「お前には話す事が多そうだから、要点だけをまず話そう。魔界で生活をする上で、お前は人間である事を絶対に知られてはいけない。ゴリラの獣人とでも話せ。人間の血が混ざっていると言えば大抵は騙せる」

「は、はい。分かりました。でも人間の血はあってもいいんですね……?」

「人外である事が重要なんだ。俺たちは魔族と一緒くたにされてはいるが、実際は『人間以外の種族』の集まりでしかない。だからこそ、魔族は人間以外の種族にこれ以上ない程に寛容だ」

「人間の何がそんなにダメなんですか?」


私の質問に魔王さんは少し考えるような動作をする。常識について改めて説明をするのは難しい事なのだろう。


「人間は圧倒的に数が多い。『人間以外の種族』を寄せ集めた魔族が、到底かなわない程に。人間よりも力があるにも関わらず、魔族が人間に勝てないのはその数と、団結力が理由だ」

「数と、団結力、ですか?」


それがどう人間と魔族の対立に繋がるのか、咄嗟には思い浮かばず首をかしげる。


「人間はその種族としての団結力があるからこそ、それ以外の種族である魔族には排他的になる。魔族は昔から人間に迫害を受けてきた」

「迫害……?」

「その力を奴隷として使わされたり、体の一部を剥ぎ取られたり、見世物になったりもする。全てがそうだとも言えないし、こちらも人間には色々としてきたのだが……」

「つまり、人間と魔族はお互いに嫌っているって事ですね」

「そうだな」


合点がいって私は大きく頷く。

サヤカちゃんとヒロキさんから聞いた魔族についての話は、人間側の偏った見解であった事が分かる。全てが間違っているとは思わないが、あの話には情報が不足している部分もあった。


「魔族について少し分かったような気がします」

「誤解の無いように言っておくが、魔族は種族としての壁が少ない代わりに、力に傾倒する価値観を持っている。種族に関して寛容というのも、正確に言えば力のある者であれば種族は問わないという意味だ。弱い者は淘汰されるしかない」

「こ、心に留めておきます」


ここが危険地帯である事は重々理解した。しかも、私の現在地は魔王の城。きっと魔界の猛者しかいない。


「明日には見逃してくれる程度には出歩けるようにはしておく。不穏な動きを見せなければ、魔族と争っても構わない」

「えっ、いいんですか?」

「魔族同士でもよくある事だからな。ただし、何があろうと自己責任だ。ここで殺されるような弱い奴は必要無い、とだけ言っておく」

「……はい」


引きつった顔で承諾する。

魔王さんはやはり私を何かに利用する気でいるらしい。部屋を与えたり、私の要望を聞いたりはしてくれるのに、弱ければ必要無いと切り捨てるのはそうとしか考えられない。

ここに置いてもらえるのだから、できる事なら協力はするつもりでいる。帰還に関する事なら全力で取り組もう。しかし危険な香りには、さすがに気後れしてしまう。

魔王さんのメリットを考えれば、確かに役に立たない弱い勇者を匿う理由は無いんだろうけど……。


「それともう一つ気をつけて欲しいのだが、お前に苗字はあるか?」

「あ、はい。苗字は高尾ですけど……」

「それは名乗るな。魔族は基本、苗字を持たない。人間に関しても平民は持っていない者が殆どだ」

「そうなんですね。分かりました」


すると、ふと魔王さんの視線が私の腰に下げている剣へと向けられた。


「その剣……」

「え?これですか?」


この剣に興味でもあるのかと思い、私はそれを鞘ごと持ち上げて腰から外す。

しかし、これが武器として機能するかは怪しいところだ。

取り敢えず剣を魔王さんに差し出すと、それを受け取った魔王さんはさっそく柄に手をかけて剣を抜いた。


「酷いな」


魔王さんが剣の刃を見て呟く。それもその筈、両刃の真っ直ぐとした刀身はまともな手入れがされていなかった為にボロボロで、切れ味は当然ながら期待できない。私が剣を酷使した結果である。

この剣は戦闘では活躍できなかったが、様々な場面で私を助けてくれた。私の行く先を阻む草を切り裂き、私の足腰を支える杖となり、私が捉えた獲物を捌く包丁となった。大活躍だ。

それ故に、酷い有様となった訳だが。


「これは新しく替えた方が良さそうだが、どうする?」

「えっ、いいんですか?実は武器として使った事は無いんですけど」

「必要であれば用意する」

「是非お願いします!」


私は目を輝かせて魔王さんにお願いをする。

今まで剣を携えながら森で生活していたからか、戦うのに必要無いからといって手放すのは寂しい気がしていた。謂わば、お守りのような物だ。

それに、いざという時に役立ちそうじゃない?だって剣だよ?刃物だよ?RPGの王道だよ?

剣に対する謎の信頼が、私の中では培われていた。


魔王さんにボロボロになった剣を差し出されて「いるか?」と聞かれたので、私はその剣を迷い無く受け取った。

例え使えなくても、サヤカちゃんとヒロキさんに貰った物を捨てる気にはならなかった。大半の荷物を鳥に奪われたからかな……感慨深い。


「俺はもう行くが、問題無いな?」

「大丈夫です。ありがとうございました!」


魔王さんが部屋を出て行く姿を見送って、私は暫く『何をしようか』とその場に立ち尽くす。そして、魔王さんに貰った部屋の鍵を思い出し、慌てて戸締りをした。

いや、しかし、どうしようかな……。

何となく窓へと足を向けて外を覗き込む。その景観からは、現在の時間帯の予想はつかない。昼頃に難儀な鳥に遭遇して、魔界に迷い込んでから結構時間も経ったし、もう夕方くらいだろうか?

ボンヤリと外を眺めながらお腹に手をやる。そう言えば、魔王さんに食べさせてもらった料理が美味しかったな。夕食もあの料理をまた食べた……


「あっ!?」


私は素早い動きでドアの方向を向く。当然そこには誰もいないし、ドアはきっちりと閉められている。魔王さんはもういない。


「夕食は!?」


私は図々しくも、あれだけお腹いっぱいに美味しい物を食べさせてもらった後に、本日2度目の食事を望んでいた。

だって、この世界に来てから異常にお腹が空くんだもの!


ドアに駆け寄って外に誰かいないか耳を当てて確認する。足音や物音は聞こえない。防音されているのか?

迂闊には開けられないドアを前にして、開くか開かないか迷う。今から追いかけて、果たして魔王さんと出会えるのか?その前に、この問題は危険を冒してまで解決しなければならない事件か?


結局、私は大人しく部屋にこもって水をたらふく飲んだ。お腹がたぷんたぷんになっても、空腹は収まらない。私は諦めて明日の朝を待った。

あの硬くて獣臭くて味気ない肉が食べたい。



***



「魔王さん、早速で悪いのですが、どうか私に食べ物を……っ」


朝の時間帯を明らかに過ぎた頃、魔王さんは姿を現した。私の切羽詰まった様子に、魔王さんは驚いたように目を瞬かせる。


「昨日はだいぶ食べていたように思ったが」

「そうなんですけどね、私、森で生活するようになってから胃袋が大きくなったと言いますか、体が空腹を訴える頻度がめちゃくちゃ増えたと言いますか、とにかくお腹が空くんです」


私は床に這い蹲りながら力一杯、魔王さんにこの空腹を必死に伝える。端から見れば瀕死の状態で平伏しているようにしか見えない。

冗談じゃなく、本当に体に力が入らない。森にいた時はまだ保っていた筈なのだが、これが魔界に来た影響なのだろうか。

魔王さんはそんな私を見下ろしながら、冷静に疑問を投げかける。


「森で生活するようになってから?そんな症状は聞いた事が無いな……」

「たぶん『神の加護』を使うようになったからだと……」

「ああ、お前の加護はその怪力と頑丈さか?どうやら燃費が悪いようだが、空腹になるのは魔力消費によるものか?」

「……あの、まず、食べ物をいただけませんか……?」


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